安部首相の辞意表明に感化されて、ちょくちょく考えている。
引き継ぎ、である。
北大柔道部が最も苦手としており、改善の余地しかない分野のひとつだと、僕は思っている。
とにかく、柔道以外の雑務の不手際が多い。
しかも、毎年似たような失敗をやらかす。
「勝ちに不思議の勝ちあり、敗けに不思議の敗けなし」だったか、そんな諺があったはず。
代々伝えられていたらしい「主務ノート」は僕の引退前後あたりの代で消え失せ、僕が新たにこさえた「主将ノート」「会計のお仕事」も確か3年と保たなかった。
交替時期の決まっている我々でこの杜撰さならば、不定期かつ大規模大人数の国政の引き継ぎにはどこまで困難が積み重なるのだろうか。
現状維持バイアスが働く中で法治国家として改革をしていくとなると、犠牲者も陰日向に出るだろう。
犠牲者は、或いは当の自分自身になるのかもしれない。
安部首相の前回は体調不良は、その一例と言えなくもないのではなかろうか。
さながら絞め落とされて意識が戻りきらぬうちに交替したようなものだろう。
その点、今回は何とか分けきっての交替のように感じる。
無理に勝ちを重ねて、しかし最後には取られて流れを渡してしまうよりかは、全くマシな判断だろう。
七帝戦と違って政には勝つべき相手や終わりというのが無いから、少しずつでもマシな方に進めば、全体としての最悪は回避できるはず。
誰がトップに立とうが問題は起こるし、周りは理解よりも拒絶、反対、無視を選びがちだ。
賛成するにしてもただの盲信で、潮目が変われば「そんなこと聞いてない」って具合だろう。
しかし願わくば、それらの意見や行動は、前に進むためのものであってほしい。
進むのは誰か?
私ひとりよりも、我々、の方がよろしかろう。
そして我々のうちにどこまで含めるのかが、その人個人の器であろうし、社会の寛容さではなかろうか。
ちなみに、僕の器は大きくない。
いや大きくない、というのは些か自己愛が激しいので正直に言おう、小さい。
ま、小さいなりの使い途もあるだろってことで、隙間産業を探す日々である。
えーと、何の話だっけ?
そうだ、雑務を思い出して役職ごとに振り分けて、失敗談を付け加えて、、、。
いや無理、現役にやってもらおう。
あーー、でないと僕の記憶が現在に通じるか分からんからな、うん、情報は新しくあるべきだし、指導陣があれこれ世話し過ぎても「学生柔道」じゃないし、エトセトラエトセトラ。
おわり。
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