2020年8月25日火曜日

「仲が良い」という課題

  以前の記事 課題 にて、3つ挙げていた内のひとつについて。

「仲が良い」とは一見喜ばしいことであるが、では何が問題なのか、それについて私見を述べる。

ちなみに、似たような問題は僕の代でも起こっていたし、どの代も大小の差はあれ抱えていた課題のひとつかとは思う。


1.仲が良い=何でも言い合える

まずはこの意味を履き違えている場合がある。

何でも=下らない話でも、というパターン。

ストレス解消には多少の効果があるのだろうが、チームとしての建設的な、しかし苦痛を伴うような話には適応されないということ。


下らない話、に近いものを感じるものが最近ある。

しかし、その半分以上が意味不明なハンドルネームの、意味不明なコメントである。

ここ1,2年だろうか、北大柔道部ログの記事に増加してきたこれらを、以後ガヤとでも言おう。

率直に言って気持ち悪い。

「私はふざけた名前の人間なのだから、面白可笑しい表現をしていいだろう」なんて都合の良い甘えが出てきそうで、読むたびに不快感が生じる。

高2の冬、実家の椅子で寛いでいた折に何かが飛んできて、視線を落とせばゴキブリが胸元にいた時の、あの気持ちに近い。

無論、「そんなガヤもあってこそ」という方もいるかもしれないが、僕としてはチームに必要なのは責任ある当事者であり、ガヤは要らない。



2.仲が良い=良くない人とは関わらない

これは分かり易いだろう。

チームが複数の小集団に分割され、しかもそれらの流動性が著しく低いパターンである。

ある情報について、話し易い人と共有するのではなく、必要とする人に伝える、この基本作業に対しての精神的障害が大きく、つい億劫になってしまう。

こうなると情報伝達、意志疎通が滞り、いつまで経っても一体感は生じ得ない。

コロナ禍の今は、特にこのあたりが心配である。



3.仲が良い=内面まで分かる

分からなくてもよろしい。

まず必要なのは事実の積み重ねである。

例えば、練習に身が入らないAがいたとして、それに対するBの思考。

①「そういえば最近思い悩んでいるらしいな」

②「あいつの学業は○○で、部外の交友関係は□□で、生い立ちは△△」

③「なら××について助けてあげればいいかも!」 → 行動へ。

この場合、行動として表に出るのは「なあA、××について悩んでるんだったら、力になるよ」ってな具合だろうか。

多分この似非思い遣りが間違いで、本当は初手に「おいAちゃんと練習やれ」となるべきかと思う。

何故なら「練習をしないこと」、これがAとBが属するチームから見た、Aの問題点であるから。

勿論、チームの話から進んA個人の事情に踏み込むのは、運命共同体感を醸すのには効果があるだろう。

しかし目標地点の設定を間違えると、チームにおける問題点を追求できず、ただ「いやーAのために良いことしたなー」というBの自己満足で終わってしまうかもしれない。

A本人にしても、「練習をしないこと」に焦点が当たらないことで、「真剣にやらなくても、何かしら理由があれば許される」という勘違いを招きかねない。



以上、「仲が良い」ことの弊害について、思いついたことを連ねてみた。

全部ひっくるめて表現するなら、「仲間はお友達とは違いますよ」、以上。

課題はもう2つ挙げていたので、それらについてもそのうち記事にしよう、、、。



おわり。

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