この日は後半組のみに参加。
道場内の立ち入り人数制限、15人に引っかかるということでの選択。
久々に北大構内を通ると、明らかに学生でない人が多く、なんだか戸惑った。
答えは13条門からのイチョウ並木の見物客。
金葉祭だったか、あれは僕の卒業後くらいにできたイベントなので明るくなく、今年はやったのかやってないのかも知らない。
けれど事実として人の数としてはそれなりに来ていた。
まあ、そんなもんですよね、ってところ。
札幌で連日100人を超える感染者が出ても、一度増やした人出はそう簡単には収まらんだろ。
感染症とはもう、巧く付き合っていくしかない。
僕が思うのは、生きていればいつか死ぬし、死ぬまでは生きていかねばならん、ということ。
そんなことを考えつつメンストを北上して行った。
さて、近頃の現役は乱取もできず、ひたすら打込や反復ばかりである。
マスク着用で、ズレを直しながらということでとても面倒そう。
僕はちょっと離れたところからの指導がメインなので、そういうのも縁遠い。
ひとつ、「マスクを弄る癖がついたら色々と悪影響ありそうだなあ」と思った。
柔道とか格闘技、コンタクトスポーツ用のマスクって、無いもんなのかね。
「格闘技 マスク」で検索しても、良さげなものは無さそう、あとタイガーマスクがちょこちょこ出てくる。
ん?これはもしやビジネスチャンスか?
まあ、マスクはひとまず置いておくとして、打込や反復の話。
これらはいわゆる基礎のひとつであるのだけど、基礎だけやってても重要性は見えてこない。
また、重要性を理解して行動に組み入れても、結果として表れるには時間がかかりがち。
なのでどうしても、ひと月も経てば諦めたり、すぐに結果の出そうなことに引きずられたり。
これを乗り越えさせるには、当人以外からの声掛けが非常に重要。
この声掛け、粘着質な性質の人が担当することが多い。
いわゆる姑タイプの方々で、同期や後輩からは煙たがられがちなこともある。
けれど、好みと実利は同一のものではない。
好かれなくとも、嫌われようとも、必要ならばやる。
そんな行動と、はたまた過程でない実力・実績のどちらも評価するのが正しい在り方かと思う。
で結局は、今のところ僕が姑ポジションに行くしかないように思っている。
期間限定の中で育った人に託して、あとは現役の中で回してもらいたいというのが理想。
そしたら晴れて、僕も優しい先輩ポジションに行けるんではなかろうか。
左団扇でのんびり見守る慈悲深い先輩、そんな未来も近い、はず。
その時はきっと、現役を眺めて毎回感動を覚えるようになっているに違いない。
打込反復はもとより、何なら体操や基礎運動の時点から。
「ほほう、こいつは『這う』をそう解釈したか、、、それもまた善し」
「何ぃっ、『ワニ歩き』にそこまで意味を詰め込んだのか、前だけなら兎も角、後ろにこんな意図がっ」
みたいな、ね。
おわり。
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