部屋の片づけをしていると、現役のときのメモが出てきたのでついつい読みふけってしまった。
残っていたのは3年目になってからのもので、1,2年目のものは何処へやら。
そもそもメモつけてたっけ?
何はともあれ、このメモ帳には2013/4/4から2014/3/7まで、ちょこちょこと記録が残ってた。
毎日つけていないのはご愛敬、そもそも僕は三日坊主を何度も繰り返すタイプの人間である。
とは言え記録をとる作業自体は今に至るまで継続できているので、麺料理だと刀削麺みたいなもんか。
さて、そんなメモから話題をひとつ。
僕が自分のスタイルを本当に確定させたのは、2013/4/9のことらしい。
この時の日記には以下のような文章がしたためられていた。
「とりあえず、最終段階は横三角で決めるとして・・・。
そこまで行くように動くことが大事。正対上・下からどう
やってもっていくか。正対上ならかついで(中略)
下なら?柔術の動きなどが参考(中略)あと、
足抜き、首きめにしよう(以下略)」
以後、横三角についての技術メモがちらほら、七帝の1か月前に酷い夢を見た話や、いわゆる普通のキャンパスライフとの格差への諦観、七帝の準備と次の代の構想などが綴られていた。
メモ、コツ |
メモ、課題とその解決策(案) |
メモ、コツ |
その他青臭い文章もちらほらしてたのは内緒。
そういやキャンパスライフ、当時は「あーCLCL。あ゛~、じる」とかダンガンが言ってたな。
ニチャアっと湿った感じの雰囲気を出していた彼も、晴れて昨年度結婚してた。
人生ってのは、何とか帳尻合わせできるもんらしい。
本題に戻る。
僕が自身のスタイルを決めて、それがそこそこ通用したのが、2013年の大阪大会。
実際は仮決めということで2年目、2012年の段階から練習はしていたけれど。
まあ、本格的にやることを絞ったのが2013/4/9~、ということなのだろう。
方向性を決めて、やれそうなことを抽出、試合開始から相手を取り切るまでの組み立て、出来ないことは廃棄し、出来ることを深化させ、自信を持てたのは、多分翌年の優勝大会あたり。
あの頃の僕は今の僕よりも柔道の幅は狭かったけれど、今の僕よりも取り力は高かった気がする。
やることが殆どパターン化されており、スタミナつけてタイムロスなく動き続けられたのが要因だと思っている。
そんな経験から、僕なりの持論というか、そんなものがある。
七帝柔道、北大柔道部という過程は、柔道を通して自身を再生成するプロセスだということ。
分け役になりたいと思って入部した1年目。
初めて七帝に出て、最下位になって、「北大として勝ちたい」と思うようになった2年目。
前主将の小田さんの影を追いかけようとして、結局失敗ばかりだった3年目。
開き直ってエゴを突き通して、でも個人の限界を感じた4年目。
そんな感じで。
自分の欲求だけの人間が、他人のために自己を焼失させて、最後は自分だけじゃなく全体のために自己を見出し・利用してくっていう、そんなプロセス。
「結局は1周しただけじゃん」って、それは平面のお話。
3次元で見れば、螺旋階段を何周も登ったってこと。
もしくは、角砂糖を崩して鍋にかけて熱で溶かして、それでも火にかけてると最後に残る黒くて苦いアレ、そういうのかもしれん。
おわり。
そろそろブログ読みたいでゲス。
返信削除ゲス狩さん、どうもありがとうございます。
削除そろそろ更新します。
楽しみにしてるよー
返信削除O瀬さんでしょうか、どうもありがとうございます。
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