2020年10月12日月曜日

練習後の努力は実を結ばない

タイトルはあくまで、そういう傾向が強いってことなので悪しからず。


随分前に課題を3つ挙げた。

2. 練習後の努力。
3. 個人の尊重。

今回は2つ目について私見を述べることにする。
「ネタが無いなあ、、、」とぐうたらしていた時に思い出したのが、実は昨日のこと。
記録は時折見返すものである。
貯めるのはいつか使うためであって、記憶も金も自分自身も、正しく使い切ることって難しい。


さてさて、練習後の努力について話を戻す。
ただし、制限の続く今現在がどうなっているのか、自分で見ていないので分からん。
よって近年の傾向、という観点で記しておく。



昨年など、僕が思っていたのは、皆さん帰宅が遅い。

およそ半数が、道場が閉まるギリギリまで居座っていた。

しかも、筋トレや研究に類する行動をとっていたのだから、努力の時間量としては並々ならぬものだったと思う。

遅くとも20時前には終了していたはずなのに、そこから2時間弱も何かを続けていたのである。

問題点を簡潔に言おう。

増やした練習量以上に、質が低下していた。

また推測であるが、夕食・就寝時間の遅れにより超回復が見込めないばかりか、体調不良を誘発していた可能性もある。

「こんなに頑張ってるのに、なんでうまくいかないんだ」状態である。



では、何故そのような現象が起きるのか、僕なりに考えた。

するとおそらくだが、これって自由を消費することに快感を覚えていたのだと思っている。

正規の練習という「昔からの伝統に縛られている窮屈な練習」が終わった後の「勝ち取った可処分所得的な自由時間を前向きに利用する練習」。

あたかも遠足前の子どもが「お弁当とは別におやつ!300円まで自由!さあ何にしよっかなー」とスーパーを駆け回るが如く、彼らは消費の歓びに我を忘れていたのではなかろうか。

与えられた300円で試行錯誤、消費して得たおやつは、さぞ脳みそを悦ばせたことだろう。

しかし脳の悦び=身体の成長ではない。

肉体を維持し、成長させるのはあくまでも基本の食事=お弁当なわけだ。

そして20前後の大学生にもなって、「お弁当作ってもらわないとむりー」なんて恥ずかしい人間にはなりたくないだろう。

そう、つまりは自分でちゃんとしたメシを食えるようになれって、いやなんか違うぞこれ。


修正修正。

つまりは、「まずは正規の練習にちゃんと向き合おう」ということ。

うん、言いたかったのはこっちだ。

正規の反復で手ぇ抜くような奴がいくら練習後に研究したところで、机上の空論を積ん読く状態にして撒き散らしてるに過ぎないわけである。

現実に向き合おうとすると思っている以上に体力や精神力が削られるのだけれど、それでもやりたいことがあったり、やるべきをやっていなかったりな自分がいるのであれば、もう、ね、やるしかないんだよな。

コスパって言葉、好きな人の方が多いと思うのだけれど。

まあ、コスパ志向の大半は単にコスト削りたいだけで、ちゃんとパフォーマンス上げようってところまで考えてはいないってのが、僕のコスパ勢に対する印象。



良し、これで残すはあと1つ。

いつになるか分からんが、また思い出した時に更新しよう。



おわり。

2 件のコメント:

  1. ぼくはアルパって言葉が大好きです

    返信削除
    返信
    1. アルコール・パフォーマンスの略でしょうか。
      僕は限界を探るも結局越えてしまい、迷惑をかけるタイプです。
      良い大人になりたいものですね。

      削除