2020年4月19日日曜日

磨く

久々に靴を磨いた。
今回はカジュアル靴達をお手入れ。
足元を整えると気分が非常によろしい。
自分磨きも忘れて靴に時間と労力(あとお金)を捧げるのも、社会人になったからできること。


まずはこちら、B4かM1の冬に買ったスリッポン。

全体図。

16,000円くらいした記憶がある。
似たような靴(8,000円くらい)と比べて散々悩んだものを、見た目と防水性能で押し切って購入に至ったのを覚えている。
我が身に成るものと身に着けるもの、他人様の為に買うものは、値段で迷ったら高い方を買うのがよろしい。
当時は清水の舞台から跳ぶ覚悟だったのだけど、その下にこんな沼があって、尚且つ嵌まってしまうとは思わなかった。
まあいい本題に戻ろう、靴の様子をどうぞ。

特につま先の傷や掠れが目立つ。

もう5年くらいの付き合いになるわけだが、普段履きの靴として重宝している。
踵の内側の部分なんかは破れて、一昨年に自分でパッドを貼って補修したがまだいけそう。
ということで2,3か月ぶりの手入れ。
僕の手入れは基本、以下の手順を踏んでいる。
1. 馬毛ブラシで埃落とし。
2. ステインリムーバーで汚れ落とし。
3. ペネトレイトブラシ(または指)で皮革用クリームの塗り込み。
4. 豚毛ブラシでブラッシング。
5. 馬毛ブラシでブラッシング。
そうは言っても、素人仕事なので不備も多かろうと思う。
しかしやるのとやらないのでは結構違うので、皆さんにお勧めしたいところ。

次の画像はビフォーアフターということで、どうぞ。
無駄にフラッシュを焚いているので、前の画像と比較するのは難しいかもだけど。

左側がアフター、右側がビフォー。
艶感が違うのを共感していただければ幸い。
もう片方も磨くと、こう。

磨き終わり。

調子に乗っていい感じにセットしてみた。

今回のメインはここまでだったが、興が乗ったので他にも少々作業を。


次は冬用のブーツ。

シボ革とパンチドキャップトウが気に入った一品。

甲革はそこまで汚れてはいないけど、底の方がダメージを負っていたので補修。
半月ほど前にようやく購入したコバインキを使用。


掠れた感じも味になるかもしれないけど、
甲革がまだキレイなので、バランスを取りたかった。

初めてコバインキを使ったが、そんなに難しいこともなく作業を終了できた。
今回の手順は以下の通り。
1. ステインリムーバーで汚れ落とし。
2. コバインキで着色、乾くまで放置。
3. 皮革用クリームを塗布し、布で軽く磨く。
4. ワックスを塗り込み、布で磨いて全体を馴染ませる。

黒一色。ちなみにこれはワックスを塗る前。


最後は外羽根プレーントウ。
磨き前は取るの忘れたので、終わった直後の画像のみ。

フラッシュ無し。でも艶感がえろい、良い。

いい感じに置いてフラッシュ。
光の当たり具合で色味も変わる、えろい。

こいつは革底なので、一緒にソールモイスチャライザーも塗っておいた。
砂利を踏んだ時の「ガリィ」って音も軽減されてくれればいいのだけど。


気に入ったもの、波長の合うモノを大事に使う。
購入時の値段だけじゃない価値をどれだけ纏わせられるかも、その人の価値になると思う。
生まれ持っての素晴らしさに乏しいのなら、こういうとこで稼ごうって下心ももちろんあるけど。

なんにせよこれで、家を出るときに気分を上げて玄関を開けられるはず。
再度。
靴に限らず、日常のメンテナンスができるようになると、いろんなモノとの付き合い方が変わるのでお勧め。


おわり。

闘うということ

連日終わりの見えない日々が続く。
現役部員は終わりがあるからこその人々であった。
だからこそ、時間を圧縮した世界線で身を削っているのだと思う。
花火のようなものだ。
みんな何とはなしに好きだろう、そんな類のもの。
「自分が花火になりたいとは思わんけど」が多数なところもおおよそ一致する。

まあ、七帝柔道部関係者は世の中でも少数派競技である柔道の、そのまた少数派である。
つまりは大多数あってこそ、な面もあるので、そうである方々、それを担う方々には敬意があっていいはずなのだろう、とは近頃になってようやく思い至った。
どこもかしこも、誰も彼もが流れに翻弄されててんてこ舞いな状況である。
僕の勤める会社でも、業務量や内容なんかの見直しが検討され、調整段階らしい。
メディアやらSNSの大多数はこれを「闘い」と表現している。
まるでどこぞの労働組合みたい。
すると僕なんかはどうも思うわけだ「それほんとに、勝つ気なの?」と。
「闘う」ことには相手を「打ち負かす、滅ぼす」ことが目標の一つになるわけだけど、まじかよおいおい、という感じ。

違うだろう。
僕らに必要な心構えは、いただくこと。
もしくは受け容れるということ。
僕らの手には余るものばかりの中に、僕らは今存在している。
生きているのか活かされているのかは知らんが、兎に角、僕らが存在していることは確からしい。
ちらっと見上げた今日の空の色や、そこらに吹く風の匂い、喜怒哀楽に関わらず喚きだす腹の虫、自分を含めた誰もが、やがていなくなること。
支配しようと思うのは傲慢だ、それを理解して尚自らの下に置きたいと思うのなら、「闘う」と声を発すればいい。
程度問題だ。
僕はそこまで勝ち気にはなれない。
分配基準の問題だ。
なら、僕は僕のできそうなことに力を注ぎたい。

何をするのかの問題。
方針は6年前に決めた通り。
僕はあの時の僕を裏切りたくない、ってこと。
いま?裏切ってはいないはずだけど、叱られはすると思う。


おわり。

2020年4月13日月曜日

七帝中止の報

ご存じの方もいらっしゃるかとは思うが、今年の七帝は中止。
全国七大学総合体育大会のtwitterに記載の通り。
第59回 全国七大学総合体育大会、とそのtwitter
昨今の事情を鑑みるに、已むを得ない、という気持ちがほとんど。
「え、うち(七帝柔道)はそもそも元から独自でやってたのが、たまたま七大戦の枠に入っただけのことだから」
という人道的観点、世間の柵を超えた理論で予定通り無理矢理開催、の可能性も考えていたが、微粒子レベル。
まあ流石にこれはダメか、現役の大半が望むならOBOGのクビと懐を多少犠牲にしてでも、とは思ったものの、ハードルが高すぎる。
何が正解なんてない、どれを選んでも失敗で、あとはその程度問題。


あとは北大も、それ以外の6大学も現役の方々がきちんと受け止め、前に進めるかどうかというところ。
代替の場を設けるのもひとつ、すっぱり切るのもひとつ、ただし、誰もが影響を受けずにはいられない。
精神的に変になるだろう、今後OBOGはどうフォローしていくべきか。
或いはそんなものは不要なのかもしれないが。
介錯の援けを拒み、諸々飲み込んで幕を下ろす選択をした彼らを、まずは讃えるべきか。


おわり。

2020年4月7日火曜日

外出

本日、元々の予定では、関西遠征後のオフ明け。

そう書きだしたものの、今はもう4月になってしまった。
一応、予定通り現役部員の多くは、札幌に戻ってきたらしい。
ヤツのお陰でできないことの方が多いが、それでもできることを探っているみたい。
昨今最もまずいのは・密閉・密集・密接が揃い踏みした状態らしい。
見事なまでの三拍子勢揃いの柔道再開は、いつになるやら。

ああ、僕は専門家でも勉強家でもなく、確度の低いことでも勢いのままにキーを叩く人間なので、皆さんに有益な情報を載せることは、恐らく無いと思う。
客観的に解り易い表現が支配的である現代において、僕の主観は流れにどれ程耐え得るのか、というのが裏テーマの一つだったりもする。

本題、北大柔道部の話に戻る。
昨年末からの今期の冬場は、ひたすらに練習量を重ねるスタイルであったように思う。
量だけで言えば、例えば僕が2年目のときの小竹さんの代の最後の追い込み期間。
僕の2つ下、本田の代の錬成大会後の追い込み期間。
それらに匹敵するような量(=時間)を積んでいた、それらよりも数か月前から。
ということはつまり、ようやく質を上げるための準備が整ったということ。
質は量よりも優先されるが、その上昇には量が不可欠であることもまた経験則。
極一部の者のみが探索できただけで、多くは足を踏み入れるだけに終わっていた近頃。
探索者が多数になるのは久し振りだろうなあ、意志をどちらに向けさせるのが善かろうか、と思っていた矢先のこの状況。


さて、僕は振り上げたこの拳をどこに振り下ろせばいいものか。
そうしていたところにお誘いがあったので、先の土日は外に出てきた。
お誘いと言っても、ヤツが蔓延する前からの予定だったので、僕の日常的フットワークが軽くなったわけでもないのだが、まあそれはいいか。
・開放的・そこそこの距離感・たまに隣接、くらいで山小屋造り。
所属していた研究室の先生の個人プロジェクトに乗っかって、先輩や後輩と肉体労働。

残雪の山裾。

小屋。素人仕事は学びの連続。

焚火。火の始末はきちんと。


思ったのは、生と死を分けて論ずるべきではないということ。
僕らは連続体として存在し、あちらこちらで繋がっている。
こちらの都合で考え易いから個々を切り取っているだけで、本当は全てが複雑系として包括されているという、単純な話。


おわり。