2018年9月28日金曜日

柔道にも残心を導入したほうが良いと思う

最近柔道の世界選手権かなんかが開催中らしい。
らしい、というのは、職場での人伝えやSNSでの情報シェアで見聞きしたものだから。
そして僕は柔道の試合中継は見ない、あまり興味がないからである。

これは柔道をやり始めた当初から一貫している。
ちょうどその頃はアテネ五輪だったと思うが、井上康生氏が優勝したのが記憶に残っているくらい。
綺麗な内股で盛大に一本を取っていくニュース映像に憧れた少年少女は多かったろう。
事実、小中学校では体格のいい人たちは軒並み内股を練習していた。
その頃僕は体落と足技でお茶を濁していた。


話を変えて、ここ数年、プロの方々の柔道を見ると辟易としてしまう。
選手が相手を投げた後に審判を見る行為と、勝ち名乗りの後に握手をする行為が、どうしても気になってしまうから。
前者は、飼い猫が捕まえたネズミやゴキブリを、主人のもとに持ってくるのと同じだと思っている。
愛猫ならかろうじて許せるのかもしれないが、知らない人にそんなことされても笑えるほど、僕は人間ができていないので癪に触ってしまう。
後者は二重敬語のようなものだと思っている。
やるならせめて畳を降りた後にやってほしい。
カメラの前でこれ見よがしに笑顔で握手して、なんならハグもして、なるほど柔道はスポーツだ、スポーツは世界を救う!!はぁ、、、。

そんなわけで、プロの人たちを見てもストレスがたまるので、今では自ら進んで見ないようにもしてる。
けれどたまに目に入ってきてしまい、「うーんまだ変わってないんだなぁ」と落胆して、今はこんな記事を書いてみている。

選手の人たちも、毎年のようにルールが、しかも戦法に大きく影響する部分が、変わって大変かと思う。
相撲で例えると、張手禁止とか、廻しは脇の下から持たねばならない、ってルールが変更されることに相当するのだろうか。
世のベンチャー企業にも比肩し得るくらいの変革スピードかもしれない。
そんな中で選手達に美意識や躾を正してもらうなんて、尚更無理だろう、彼らは被害者だ。

え?現状維持は退化である?
うーん、守もできていない(というかやりもしない、やることができない)うちに破・離って、今どきロックンローラーでもそういうことのできるやつはいないんじゃないか?


とまあ、柔道で食ってない人が言ってみても、柔道で食ってる人たちなりの真剣さもあるだろう。
外野があんまりとやかく言ってもしょうがない、そもそも柔道全体に関わる覚悟も無いし、言うだけ言って行動しないのもクズ過ぎる。
とぃうことで今回はこの辺でやめておく、さて、そろそろ出勤しないと。


おわり。

2018年9月26日水曜日

手元と足元を見るのが癖になってきたかもしれない

僕は革製品が好きだ。
前に言ったかもしれないし、そうでないかもしれない。
今日は水曜で、一社会人として世を忍んでいる身としては、練習時間の関係上道場へ行けなかったので、趣味の話でもすることにした。
しばしお付き合いいただければ幸いである。


社会人になってから早1年半くらい、この間に買った革製品を列挙してみよう。
春夏はバーガンディ色のペニーローファーに始まり、グレーのスエードのスニーカー。
秋冬になって、鹿革の手袋、馬革のジャケット、システム手帳、財布・財布。

2017年度に購入した革製品たち。


年度が変わってからは、靴とベルトと靴と鞄と靴べらと鞄を購入した。

今年仲間に加わった奴ら。


そして業が深いのは、これだけ買ってもまだ物欲は留まるところを知らないということ。
具体的には靴と靴と鞄とベルトと靴が欲しい。

ちなみに、就職してから、柔道部関係に費やしたのに匹敵する額の支出をしていると言えば、察しの良い方には通じるかもしれない。
我ながら思う、阿呆である、でも止められない。


勿論、定期的な手入れもしている。
使うごとにピカピカに磨かねば、という革フリークな感じではないけど、ブラッシングくらいはしている。
そのうちいい感じのエイジングになったころに、新品の時の画像と比べて「お前も良く育ったなあ」なんて悦に入り浸るのが目標。


最近では、他人の持ち物にまで興味を示すようになってきていて自分が怖い。
ヒトの視線は動きの先端に寄り易いとのこと。
つまり、出歩く際の足元=靴や、支払いの際の手元=財布に、ついつい目が行ってしまう。
見ると、それらはボロボロになっている率が高い。
そんな時僕は悲しみを覚える。
高校入学から大学院1年の時まで使っていた財布を思い出す。
ろくに手入れもせず、雨風に濡れては暖房の近くで乾かしついにはひび割れ、長年の使用で縫い糸もほつれきった姿をだ。
バカな主人に仕えて、それでも未だに形を保ってギリギリ使えなくもないその財布。
彼(彼女かもしれんが)こそ忠義の象徴であり、時々それを見ては手入れの重要性を再確認している。

僕の数ある理想の姿のうちの一つに、紳士というものがある。
つまりはジョナサン・ジョースターである、いやこれは蛇足か。
そして紳士たるもの、装い、というのも重要な要素の一つであるはず。
紳士の装いといえば勿論革靴である、異論は認める、他にもいっぱいあるはず。
でもそれがたまたま何となく好みだったから、僕は革製品を通じて、ちょっとした自己実現を楽しみたいと思う。


最近は革靴のハイシャインに挑戦しているがなかなか難しい。
現役の革靴は手入れゼロのものが多いから、磨かせてもらえればウィンウィンの関係で良いんじゃないかと目論んでいるが、そのうち興が乗れば頼んでみようか。
OBに「頼む、お前の革靴を磨かせてくれ」とか言われたらやはり引くだろうか。
まあそういう僕が同じ事やられたら、なんか引くけど。


おわり。

2018年9月25日火曜日

オフ明け 20180925

乱取するつもりで道場行ったら技研だった。
草刈、正対十字、基本形、横三2番、トルコ返し。

いつも思うけど、基本形なのか基本型なのか迷う。
なんなら基本系なのかもしれんが、今のところ上手い説明も思いつかないのでうやむやにしている。
武道の考え方の1つでもある、守破離の守すらよく分かっていないという致命傷、ちなみに北大柔道部に関わって今年で8年目、こんなんでごめんなさい。


練習後は、皆でワイワイ筋トレだったり会議だったりをやってた。
時間だけかければいいというものではないけれど、時間が重要な因子であることは間違いない。
無駄を無くせということではない。
人生の面白味は無駄にこそ詰まっていると思う。
いやこんな話はもっと年齢を重ねてからするべきかも。

主将の中島がベンチで追い込まれているのがまずひとつ。
その他トレーニング風景とそれら以外にも、西森が恵まれない子どもたち(比喩)に救いの手(比喩)を与えていたり。
森が自主規制により超進化するプロジェクトが立ち上がって、それが男子校部員たち全体の方針として広まろうとしたり。
佐久間は筋トレの辛さからか、「ワタシ森まるよりは軽いから!!」と謎の自己主張(真偽のほどは定かでない)を始めたり。


そんなこんなで、今日も北大柔道部はどこかへ進んでいた。
僕はといえば、今日も今日とて現役に提案だけするほぼ無責任行動をとっていたと思う。
しかも自分が現役時代にはてんでできなかったことをいけしゃあしゃあと求めるという非道ぶりである。
「恐らく必要であることは間違いないから」と自己弁護しつつ宣っていた。
まあそれでも、僕の言うとおりにしてくれれば、現状よりは1歩先に進める、とりあえずは。
けどできれば、その1歩がどういう1歩なのかを考えてから踏み出してくれれば尚良いと思う。
もっと言うなら、思考を重ねて別の道を選べば、50歩でも100歩でも進めるのかもしれない。
五十歩百歩とは言うが、僕らレベルではかなり効いてくる差ではないだろうか。
尤も、独りで思考を深めるための時間は少ない。
考えが巡らない部分を補い合えるのはチームの利点で、それぞれ異なる考えをどうにかまとめて思い描いた方向に進むのはとても難しい。

ちなみに僕が主将やってた時は、異論が存在することは認めていたけど、それを受け入れきることはできていなかった。
常に自分の理想があって、それを全体に押し付けようとするばかりだったと思う。
果たして今はどうだろうか、ちゃんと他者と自己とのバランスはとれているのか。
自問自答し続けるのは難しいけど、たまにはこういうことも考えている。


おわり。

2018年9月18日火曜日

昨日の反省とあとなんか思ったこと

昨晩はまた、よく分からんことを書いてしまった。
一体誰に向けて何をどうしたいのか、それとも癇癪を起こした幼子のようにただただ不満を喚き散らしただけなのか。
まがいなりにも指導者としてチームに関わる現状、僕にも何らかの仕事はあるはずで。
その仕事に対する姿勢として、「○○がダメだ」なんて愚痴だけを言ってる奴は、個人的には好きになれない人種だと思ってたのに。
結局、僕が屑だと思ってたのは僕自身だった、なんて巷にありふれたオチでしかないのかもしれない。


理性的に対応することが、指導者に必要だとは思う。
指導者ってのは概して指導される側よりも上位の何かしらを備えているから、マウントとってぼこぼこにするのは結構簡単なことだろう。
両者の相性が良ければ、それでも人は育つのかもしれないけど、それを期待しようにも昨今は反例に満ち溢れている。
「昭和のスポ根精神論だ」なんて言われるだろうし、平成も終わる間近の今だと尚更「古き良き過去(苦笑)に憑りつかれてる」の評をいただくことになるだろう。

じゃあ、理性的に合理的に、コンサルタントなんかをつけてPDCAを回せば良いのだろうか。
僕はそうは思わない。
確かに合理性は必要だとは思うけれど、そもそも人間なんて阿呆に毛を生やしたくらいの存在だ。
ならチーム全体が一体になるときは多分、みんなが同じような阿呆になったときなのだろう。
大体冷静に考えれば、この世の殆ど全ては「別に無くてもよくね?」の一言で済まされるものでしかない。
その「別に無くてもいい」ものに、どれだけ注力させられるのかは、リーダーやボス、指導者の能力や魅力にかかってくるのかもしれない。
そして、人間的魅力ってのは、「他人を敬って行動すること」と「他人に一切関係なく行動すること」に顕れると思う。

あれ、つまり僕はろくな指導者ではないということか、納得した。
まあそれならそれでぜひ反面教師にでもしてくれれば有り難い。
成功例には落とし穴はいくつもあるけど、失敗例はそれ自体が落とし穴だから対処すれば落ちようがない。
僕は僕で、もうちょっとマシな人間になれるように動いて、結果を示していくしかない。


おわり。

2018年9月17日月曜日

道場にて

世間様の三連休も今日で終わり。
僕は今日だけ勤務で、その代わり明日が休み。
とは言っても、現役のほとんどが札幌にいないので、当ブログで語るようなことはあまり無い。

まあそれでも、土日に自主練があり、なんとか参加してきた。
ホントは今日も何かしらやってたみたいだけど、生憎僕は前述の通り労働階級一般市民だったので大人しくしてた。

さてさて、当然のことながら自主練の参加者の大方がOBOGである。
普段自分よりも弱い人たちしか相手にしてなかったので、OB同士で乱取をやると結構辛い。
現役とやると、彼らのレベルや目標をベースに、僕からの勝手な期待なんかを混ぜて考えて動く、という頭脳労働的辛さがあるが、今回の場合は単純に余裕がなくて辛かった。
僕がいっぱしの肉体労働者でなかったなら、きっともっと辛かったに違いない。


ちょっと話を変えて、最近僕が思うことの一つには、柔道部よりも他団体の方が頑張ってる気がする、ということがある。
隣の芝生が青く見えてるだけなのかもしれないし、そもそもちゃんと彼らを観てないから自信を持っては言えないけど、とにかくそう思う。

僕は入部してから暫くは、武道場を利用する学生たちの、柔道部以外の連中なんて、
「大学では心機一転武道を始めて、体育会系な学生生活を送りました~(練習週3で程良いエクササイズだったけどね~(笑))」
みたいなのが殆どだと思って、ろくに話もしないうちに軽蔑していた期間がある。
しかし2年目、3年目となるにつれて、どうもそうではないらしいことが分かってきた。
いるのである、自主練に励む連中が。
朝昼や休日に部室に入り浸っていると、そういうのも見えるようになっていた。

そもそも、彼らは彼らで何らかの目標があって部活やってるわけで、その目標設定なりの活動はしていたわけである。
勿論全員が全員ではないけれど、中には柔道部以上の練習時間を費やす人間もいた。
だから、柔道部以外を一緒くたにして扱うのは失礼だと思った。

今の現役が七帝で一勝するために必要な練習量を100とすると、他団体が掲げる目標に至るための必要努力値はどのくらいだろうか。
仮に60だと仮定すると、ホントに練習している層の人たちは70~80はやっている気がする。
ちなみに、柔道部の今の練習量は45くらいだと思う、現役全体の平均で。
まあ、こんな数字出したところで僕の印象とか想像が大いに関わってるから超主観的で参考にはならんだろうけど。


なんか無駄に不安を煽って、各方面に敵を作りそうな文章になってしまった。
いやーでも生きてるだけでもう頑張ってるのに、そこから更にキツイ目標立ててギリギリでも向き合ってるってのは、多分すごいことだよ!
僕の今の部屋は7階で、何かあれば5秒で宙に身を躍らせて、計10秒もかからないで命を散らせるというこの上ない状況なのに、そうしない自分は素晴らしい!
だから同じく今どうにかこうにか生きてる人たちも、さっきのまでの今までになんとか生きてた人たちも、きっと万雷の拍手でもって讃えられて然るべきだろう。

、、、よしこれでバランスは取れたはず、うーん僕は赦してもらえるだろうか。
2しか思ってないことを85くらいに増幅させるのって疲れる。


おわり。

2018年9月9日日曜日

復帰 20180909

札幌では、地震の影響もかなり鳴りを潜めている。
とは言いつつ、未だ日に何度かの余震はあるので、注意はしている。
スーパーや飲食店も7,8割方は営業再開しており、品物の多寡はあるが十分生活は可能である。

現役部員は皆無事、また、とんでんの山内さんご家族も無事とのことだった。
店内で焼き台がひっくり返ったらしいが、今は元通りにできているらしく、明日月曜からの営業とのこと。


今日は地震の影響ではなく、元からの計画での全学停電だったらしい。
現役が数人、地震によるここ数日の練習不足を補うのにメンストを走るということで、僕も便乗して走ってきた。
しかし走るのは良いことだとは思うが、面子を見てみるとほぼ足腰に問題を抱えている者ばかりで、ランニングと言うよりはジョギングの様相を呈していた。
体幹トレをやってた中島を除くと、三木は黙々と、笹はデカい体をゆさゆさと、千葉は風を受けた柳のような走りをしていた。
僕は多少の無理は必要だと考えている人間だけど、線引きはやはり難しい。
他人のこととなると尚更で、感覚的なことしか言えないのが歯痒くもある。

あとはOBがちらほら、というか比で言うと1:1か。
1時間くらい走って、軽く柔軟とかやってから、たまゆらで本格的に体を解しにかかった。


汗を流し、露天風呂の方へ。
のんびり浸かっていると、そのうち宮武さんや北口、川上、そして現役が加わってみんなでゆるゆると。
そういえば、塩サウナ、というものができるらしく、いつも露天風呂に行くのに使っていた通路が使えなくなっていた。
その影響かもしれんが、露天風呂への到着は千葉が群を抜いて遅く、最後の目撃情報がかけ湯をしていた姿だったので、千葉は「30分間かけ湯し続けた男」ということになった。

そういえば千葉は、入部当初ススキみたいな体格だったのを思い出した。
ふと思って皆を見れば、その辺を転がってたドングリどもが、今や自分の背丈を超えた壮木になったような、そんな感慨深い思いに駆られた。
ただし中身はお察し、である。
笹が義弟にするならどの先輩がいいかとか、経済学部のうだつの上がらない話だとか、「○○は彼女出来そう」「□□は結婚はできるんじゃね?(恋愛できるとは言ってない)」って話とか。


風呂から出て、イオンに向かい、僕と宮武さんは日々の食糧の買い出しに。
学生連中はイオンのフードコートに行った気がしたが、買い物終わりに覗いても見つけられなかったのでそのまま帰宅。
たまにはいいか、こんな休日も。


おわり。

2018年9月4日火曜日

嵐の予感 20180904

今日は乱取とモンゴル相撲、抑え込み、スペシャルに参加できた。
練習後は台風が近づいてくる中、あまり長居もできないので、自主トレをささっと済ませて帰宅することに。
帰宅するのに荷物がいっぱいだったので、1年目をジュースで釣り上げて道着は道場で洗濯してもらうことにした。


今週は女子部員が東京にて合同合宿中。
各校の女子選手達が一堂に会して練習してるらしい。
だけど台風の影響は大丈夫なのだろうか、わからんが皆さん無事であればいいのだけれど。
そういうことで現在北大道場は野郎どもの巣窟に。
「道場は女人禁制!オンナは害悪だ!」なんて声が、、、いや全く無いけど。

そういえば小島がいたな、まあ多勢に無勢、焼け石に水、か。


帰る頃には雨がさぁっと降り始めていた。
風もそこそこ、チャリを漕ぎだし、札幌駅付近まで来るとそれなりの風雨に曝された。
小粒の雨だったけど、その分風に泳いで横殴り。
帰り着くころには合羽の首元から鳩尾あたりまで侵入されてしまった。

でも、僕は雨に濡れるのは嫌いじゃないのでまあ許す。
濡れることへの不快感以上に、何と言っても人通りが少なくなるのが良い。
他人がいなければ、相手の様子を伺うこともしなくていいから。
僕は比較的目が良い方で、道行く人の顔の造形とか表情とかがそれなりに分かる。
そうすると、逆に自分も相手に見られるような気になってしまってそれがストレスになる。
一時期は、そうか自分の目が悪ければいいんじゃねーか、とか思って大通りあたりをより目しながら歩いていた。
すると視界がぼやけて見えて、おおこれは良い!なんて思いながら気分よく歩くことができた。
他人からはさぞ奇異な視線を向けられていたろうとは思うが、今となっては良い思い出だ。
いや嘘だ、かなり恥ずかしい。

あとは、雨の音と衝撃で、雑念が振り払われていく感覚を味わえる。
トトトトッという雨が体にぶつかる音と、少し強めのシャワーを浴びるような刺激、そしてチャリを漕ぐという比較的単調な運動で、深い思考ができる気がする。
為すべきこと、信ずるべきこと、今日発した言葉の着地点とか。

そして今、帰り着いて晩飯食って一息ついたら、大体のことは脳の隅っこの方に隠れて出てこなくなった。
まあそれはそれでいいか、そのうち思い出すときも来るだろう。


さて明日無事に職場に行けるのだろうか、そういえば今の住処はオール電化だから、万一停電でもすれば、日常生活が全く立ち行かなくなる。
緊急用の備えもそこそこだし、リスク管理が杜撰である。
台風が過ぎたら考えようかな。


おわり。