2020年11月19日木曜日

現役時代の振り返り

部屋の片づけをしていると、現役のときのメモが出てきたのでついつい読みふけってしまった。

残っていたのは3年目になってからのもので、1,2年目のものは何処へやら。

そもそもメモつけてたっけ?

何はともあれ、このメモ帳には2013/4/4から2014/3/7まで、ちょこちょこと記録が残ってた。

毎日つけていないのはご愛敬、そもそも僕は三日坊主を何度も繰り返すタイプの人間である。

とは言え記録をとる作業自体は今に至るまで継続できているので、麺料理だと刀削麺みたいなもんか。


さて、そんなメモから話題をひとつ。

僕が自分のスタイルを本当に確定させたのは、2013/4/9のことらしい。

この時の日記には以下のような文章がしたためられていた。

「とりあえず、最終段階は横三角で決めるとして・・・。

そこまで行くように動くことが大事。正対上・下からどう

やってもっていくか。正対上ならかついで(中略)

下なら?柔術の動きなどが参考(中略)あと、

足抜き、首きめにしよう(以下略)」


以後、横三角についての技術メモがちらほら、七帝の1か月前に酷い夢を見た話や、いわゆる普通のキャンパスライフとの格差への諦観、七帝の準備と次の代の構想などが綴られていた。


メモ、コツ

メモ、課題とその解決策(案)

メモ、コツ

その他青臭い文章もちらほらしてたのは内緒。

そういやキャンパスライフ、当時は「あーCLCL。あ゛~、じる」とかダンガンが言ってたな。

ニチャアっと湿った感じの雰囲気を出していた彼も、晴れて昨年度結婚してた。

人生ってのは、何とか帳尻合わせできるもんらしい。


本題に戻る。

僕が自身のスタイルを決めて、それがそこそこ通用したのが、2013年の大阪大会。

実際は仮決めということで2年目、2012年の段階から練習はしていたけれど。

まあ、本格的にやることを絞ったのが2013/4/9~、ということなのだろう。

方向性を決めて、やれそうなことを抽出、試合開始から相手を取り切るまでの組み立て、出来ないことは廃棄し、出来ることを深化させ、自信を持てたのは、多分翌年の優勝大会あたり。

あの頃の僕は今の僕よりも柔道の幅は狭かったけれど、今の僕よりも取り力は高かった気がする。

やることが殆どパターン化されており、スタミナつけてタイムロスなく動き続けられたのが要因だと思っている。


そんな経験から、僕なりの持論というか、そんなものがある。

七帝柔道、北大柔道部という過程は、柔道を通して自身を再生成するプロセスだということ。

分け役になりたいと思って入部した1年目。

初めて七帝に出て、最下位になって、「北大として勝ちたい」と思うようになった2年目。

前主将の小田さんの影を追いかけようとして、結局失敗ばかりだった3年目。

開き直ってエゴを突き通して、でも個人の限界を感じた4年目。

そんな感じで。

自分の欲求だけの人間が、他人のために自己を焼失させて、最後は自分だけじゃなく全体のために自己を見出し・利用してくっていう、そんなプロセス。

「結局は1周しただけじゃん」って、それは平面のお話。

3次元で見れば、螺旋階段を何周も登ったってこと。


もしくは、角砂糖を崩して鍋にかけて熱で溶かして、それでも火にかけてると最後に残る黒くて苦いアレ、そういうのかもしれん。



おわり。

2020年11月9日月曜日

そういや紅葉全然見てない 20201107

この日は後半組のみに参加。

道場内の立ち入り人数制限、15人に引っかかるということでの選択。


久々に北大構内を通ると、明らかに学生でない人が多く、なんだか戸惑った。

答えは13条門からのイチョウ並木の見物客。

金葉祭だったか、あれは僕の卒業後くらいにできたイベントなので明るくなく、今年はやったのかやってないのかも知らない。

けれど事実として人の数としてはそれなりに来ていた。

まあ、そんなもんですよね、ってところ。

札幌で連日100人を超える感染者が出ても、一度増やした人出はそう簡単には収まらんだろ。

感染症とはもう、巧く付き合っていくしかない。

僕が思うのは、生きていればいつか死ぬし、死ぬまでは生きていかねばならん、ということ。

そんなことを考えつつメンストを北上して行った。



さて、近頃の現役は乱取もできず、ひたすら打込や反復ばかりである。

マスク着用で、ズレを直しながらということでとても面倒そう。

僕はちょっと離れたところからの指導がメインなので、そういうのも縁遠い。

ひとつ、「マスクを弄る癖がついたら色々と悪影響ありそうだなあ」と思った。

柔道とか格闘技、コンタクトスポーツ用のマスクって、無いもんなのかね。

「格闘技 マスク」で検索しても、良さげなものは無さそう、あとタイガーマスクがちょこちょこ出てくる。

ん?これはもしやビジネスチャンスか?


まあ、マスクはひとまず置いておくとして、打込や反復の話。

これらはいわゆる基礎のひとつであるのだけど、基礎だけやってても重要性は見えてこない。

また、重要性を理解して行動に組み入れても、結果として表れるには時間がかかりがち。

なのでどうしても、ひと月も経てば諦めたり、すぐに結果の出そうなことに引きずられたり。

これを乗り越えさせるには、当人以外からの声掛けが非常に重要。

この声掛け、粘着質な性質の人が担当することが多い。

いわゆる姑タイプの方々で、同期や後輩からは煙たがられがちなこともある。

けれど、好みと実利は同一のものではない。

好かれなくとも、嫌われようとも、必要ならばやる。

そんな行動と、はたまた過程でない実力・実績のどちらも評価するのが正しい在り方かと思う。


で結局は、今のところ僕が姑ポジションに行くしかないように思っている。

期間限定の中で育った人に託して、あとは現役の中で回してもらいたいというのが理想。

そしたら晴れて、僕も優しい先輩ポジションに行けるんではなかろうか。

左団扇でのんびり見守る慈悲深い先輩、そんな未来も近い、はず。

その時はきっと、現役を眺めて毎回感動を覚えるようになっているに違いない。

打込反復はもとより、何なら体操や基礎運動の時点から。

「ほほう、こいつは『這う』をそう解釈したか、、、それもまた善し」

「何ぃっ、『ワニ歩き』にそこまで意味を詰め込んだのか、前だけなら兎も角、後ろにこんな意図がっ」

みたいな、ね。



おわり。

2020年11月4日水曜日

1台20万円か、、、20201103

今朝は雪だった。
その前日である昨日のことだが、道場内の気温は14℃。
練習中は窓を開け換気扇を回し、気温は低下の一途をたどるのみ。
これから先を考えるに、ジェットヒーターが2,3台必要だろう。
火事のリスクか、冷えによる体調不良からのインフルエンザ・コロナウィルス感染のリスクか、取るべきはどちらだろうか。
北大柔道部だけじゃなくて、他の部活動だったり道内の他の運動施設はどう対応しているのだろう。

「北海道は建物の造りが違うから」
って、ウチの道場は違うんだよなあ。

ざっくりイメージ。にしても人が小さすぎた。まあ雰囲気だけ掴んでいただければ、、、。


とってもテキトーに描いてみたがこんな感じ。
暖房は天井付近に設置され、同じくらいの高さには窓がぐるっと配置されている。
小中学の理科で習ったはずだが、温かい空気は情報に移動する。
つまり、北大の武道場2Fは温めた空気がひたすら窓から逃げていく、夏の暑さに強い構造になっている。
なんでよ、、、。
恐らくは暖房の燃料相場が、リサイクルショップに出すユニクロの服くらいのときにつくったのではないかと疑っている。
もし今現在の環境保護の価値観下なら、設計者は袋叩きになって然るべき。


感染症対策の換気を続けて、寒さ対策のないままにしておけば、来月には道場内の気温は常時ひと桁、厳冬期には氷点下がスタンダードになる可能性が十分にあると思われる。
大学側に要望を出しても、この情勢で学生の課外活動のために暖房費を湯水のように投入できるとは思えない。
つまりはこちら側で何かしら手を打つべきだろう。
ジェットヒーター、中学の時は強豪校にあったなそういえば。

強豪校と言えば、僕の中学高校時代はアンダーウェアも彼らの特権だった。
僕なんかが着ようもんなら「お前みたいな雑魚が何粋がってんだ」みたいな雰囲気が。
大学に入ってやっと許されたような気になっていたが、ここ数年はやはり道着の下に何か着るのは違う気がしている。
つまり、ああいう手合いのものはやっぱり苦手なんだろうなあ。


おわり。

2020年11月3日火曜日

記録 20201030

綴るのを忘れてたので、ちょっとした記録がてら。

確かこの日は18:20頃に道場についた。

なので、18:30開始の後半組をメインで観察。

しかしだ、人数がなんだか少ない。

前半組は規定の15人に近い人数だったように思うが、後半は確か6人だった。

いや8人だったか?

まあ兎に角、10人を割っていて「少ねぇ」って片桐も溢してたくらいには少なかった。

お陰で打込の際の人の巡りが非効率で、「限られたことしか出来ないけど」って僕も中に入った。


その後の反復は受けられず外から見ていたが、まあ、前年の続きとしてはこんなもんかってとこ。

上級生には受け方について思考するよう要請したのだが、さて定着させられるだろうか。

1年目は、ひとまず全般の動きに慣れて、やりたい技を決めること。

2年目は北大の技術体系全体について、「何となくこんなもんかな」、使う技術は実用可能レベルに。

3年目は実用可能から活用できるレベルに。

というのが、技をかける側に対する僕の要望。

以前こんな話、どこかに綴ってたような気がする。


まあいい。

今回は逆。

受ける側について。

1年目はとりあえず受けてみる、受けて実体験を積む。

2年目は前提条件を掴んで、表現する。

横三角は亀の相手に掛ける技だが、じゃあ亀って言ってもその高さや、亀が次に狙う展開はどうだろう。

それ次第で掛ける側は横三角を工夫すべきか、そもそも違う技に移行すべきかは変わってくる。

3年目になれば、実戦をどれだけ入れ込めるか。

受ける自分の逃げ方を模索したり、掛ける相手の発想の幅を広げるように展開してみたりと、成長の主体はどちらにおいても構わない。

今現在の双方の実力を掴んで、それに対応して行動を選択、お互いの実力を伸ばしてくってのは、まさに対面でしか成しえないことの代表格だと思う。

折角自分らでCOVID-19に対応して柔道できるようになったんだから、僕ら指導陣から言われての対処に終始するのは非常に勿体無い。


そんなことを考えて、現地では「もうちょい受け方考えような」くらいのことしか言えなかった。

まあ時間制限あるし、しょうがないとも思っている。

僕の表現力や言いたいことをまとめる能力の問題ってのも、まあ事実。

えぇっと、まだまだ伸び代しかない、ってことにしたいけど、良いだろうか。



おわり。

2020年10月25日日曜日

勝手に指導者セレクト~前編~

さて、北大柔道部には現在、複数の指導者がいる。

ヒトには好き嫌いがあって、「嫌いな奴の言うこと=取るに足らないこと」となる場合は往々にして、ある。

だからこそ「同じ事象を説明するにも、複数の視点があった方が良い」って、この前の練習で仙人佐々木コーチも言ってた、僕もそう思う。

そんなもんなので、教育機関として学校があるにも関わらず、別の教育所として塾や予備校なんてビジネスが成立するんだろう。



ということで、「現役に一番うまく嵌まるにはどういうのが良いのかねぇ」と考えた時に思いついたことを、備忘録としてここにまとめてみた。

伝えるにあたっても、なるべく事前にまとめとかないと。

長々と道場で喋る、しかも考えながら、ってのも許されない現状だし。



「『俺が』勝ちたい」「強くなりたい」ってヒト。

きっと笹谷さんとの相性が良い。

何故なら両者とも戦士であるから。

戦士が自ら培った能力を分析し、戦術・戦略を理解し他人に伝達できるようになり、指導者としての顔を併せ持つに至った。

いうなれば戦士長兼教官、それが笹谷さんに対する僕なりのイメージである。

そういうわけで、柔道に対する根源が「闘争と勝利への渇望」側の方々への親和性が高いと思われる。

ご本人も以前、「部の組織的なところには口を出さない」と仰ってたのは、きっとそういう一面もあるだろう。

また勿論、笹谷さんが指導者として戦士育成能力だけの人ではないことも、一応ながら付け加えておく。

蛇足か。


また、清田さんも戦士側。

前述の笹谷さんとの違いは、七帝柔道に対する適合率が最たるものだろうか。

これはまあ、そうでしょうねえ、ってところかと思う。

「山下さんから清田さんに代替わりして、『これで練習がちょっとは緩まる』って思ってたら全然そんなことなかった」って話を聞いたことがある。

それも一人の先輩からのお話なもんで、実際のところは不明、なぜならそのあたりの代の部誌は人気で品薄。

※優勝すると連絡が途切れていたOBOGから「部誌を送ってくれ」という依頼が増え、部室の予備が減ってくらしい。

※あと、部誌送付依頼と一緒に寄付金も増えるらしい。

まあ、僕の持つ浅い歴史知識と低い想像力で当時の清田さんを思う限りではやはり、本質は戦士なのだろうと思う。



で、本質が戦士でない方々。

タイプとしては遠藤さんと僕に近い。

戦士でないならば何なのか。

、、、以下解説を続けるつもりだったが、長くなってきたので一旦打ち切る。


こんな感じで今回、不敬ながら先輩方を評することにもなったが、まあ皆さんきっと許してくださることと確信している。


「視点が近いからOK」とかそういうことではないのだけれど。

慣れないうちは近い人の方がストレスなく指導が入り込みやすいだろうし、逆に圧を掛けられた方が良い時期もあるだろう。

その複数手段を使い分けることが、幹部ないしは上級生に求められていることだろう。

この辺りはまた長くなりそうなので、後編の次にもうひとつ分けて記述するかも。



つづく。

2020年10月21日水曜日

パンインザルーム 20201020

このブログに来る皆様は、「いま現役って何してんの?」との思いでやって来られていることと思う。

そんな期待(ほんとにあんのか?)に応えたく、今回も綴っていこう。


と、そう考えていたら釘を刺された。
「悪いことしてるわけでもないんですが、大っぴらにすると変なのも寄ってくるんで」

たしかに、、、。

ウェブの海に放った情報網に、狙ってもいなかった回遊中の自粛警察がかかってもおかしくはない。

折しも大学施設内でのクラスターや、大学部活動内での大麻使用なんてのが出ているこの頃。

北大柔道部に後ろ暗い部分が無くとも、勝手に騒ぎたてる輩が出る可能性を0にすることはできないだろう。



そういうわけで、今回は彼らの身の潔白を証明したいと思う。

まずはこの写真を、どうぞ。


パン@部室

どうだろう、これができるということはつまり、衛生環境が整っているということではないだろうか。

こたつの上に雑多なモノとスマホとパン。

挟んでいるものは何だったのだろう、僕もしっかり見ていなかったが、おそらくハッピーターンではなかろうか。

もしくはアイスの棒。

如何に、僕の目には例年の部室と状況が変わらないように見えても、彼らにとってはきっと、それなりに安全な空間なのだろう。

ちなみにパンは気付いたら無くなってた。

まあ、換気も十分やってるし。

十分というか、流石に寒い。

弱めの冷蔵庫という具合。


指導に来てた仙人佐々木コーチも震えながら現役を見ていた。

感染に気を遣いマスクをし、人を集めての講義もできるだけ短く。

すぐに息切れして「オレやばいな」と仰ってたけど、多分それマスクとひと桁の室温とあと年齢の影響だと思う。


今回はあえて現役の描写を省いたけれど、彼らはちゃんと方々に注意しつつ練習やってますよと、世の皆様方へ申し上げたい。


おわり。

2020年10月20日火曜日

久々 20201019

多少動けるようになってきたので行ってきた。

現在北大柔道部では外部の方やOBOGですら、練習への参加を基本的にお断りしている状況にある。

今回僕は指導陣の一人ということで事前に連絡・承諾をもらって行った次第。


今、練習は2部制にしており、北大が決めた道場の収容人数以下になるようにしている。

僕は18時過ぎ頃に道場についたのだが、ちょうどその入れ替わりくらいの時間だった。

3年目以下、1年目も入っての練習、彼らとはほぼ初めまして。

北大の新入部員数は(僕の知る範囲では)9人と、人数的には良い線いっている。

学生と指導陣含めて、道場内には15人行かないくらいの人数であった。



とりあえず後半組の練習を通して見た感想でも。


基礎運動については改善の余地がめちゃくちゃある。

全部一旦止めて、という思考も頭を過ったが、数人にちょっとだけ口を出すに留めておいた。

今のところ初心者が6割、選手レベルが3割、「使える」ってレベルが1割という印象。


打込が時間制になってた。

これは全柔連の指針なんかとリンクしているだろう。

回数でやるよりも、接触時間を安定させられる効果を見込んでいるものと思われる。

1年目に良い打込をするのが何人かいて、「ほう、ほう、、、」と内心唸ってた。


綱を登れる人数が増えてた。

昨年はまともに登れるのが半分以下なんじゃないか、って勢いだったのが。

柔道できない間の肉体改造の効果だろうか。

昨日の新聞には「日本人の体格はデカくなったが、能力の指標である握力は劣化している」なんて記事もあったので心配していたのだが、北大柔道部には少々杞憂のきらいがあったみたい。



帰りには「時勢柄ごっつぁん行きにくいけど金はくれや(すごく意訳)」と後輩にゆすられ、気温ひと桁台の札幌の夜を独り帰った。

うん、強かになってて、よろしい限りである。



おわり。

2020年10月13日火曜日

間違うのが嫌いではない、それが取り返しのつくものであるなら

柔道関係のニュースでこんなものを見つけた。

https://this.kiji.is/688382764710528097?c=426126268348957793

内容としては、顧問教員が生徒を叱る際に体罰を行った、ということ。

また、この記事では

道場にある冷蔵庫で保管していたアイスクリームがなくなっていた事案が発生。男らが部員を対象に聞き取りをした結果、2人が食べたことを認めたため、部員らの前で暴行を加えた

12歳の生徒は背骨を折り全治約3カ月の重傷で、13歳の生徒は首に軽いけが

とのことで、傍目に見ると罪と罰の程度が全く釣り合っていない。

しかも、もしかしてこのアイスクリームって顧問が自分だけのものにしてたんじゃないだろうか、なんて邪推してしまいそうになる。

世間も、「柔道」「体罰」「中高齢の顧問」ってワードが揃えば、自然と「昭和的・体育会的な悪い部分を抽出、濃縮させたオレ様顧問」を想像するのではないだろうか。


記事の造りに違和感を覚えたので、いくつか他の記事も漁ってみた。

こういう時にネットは都合がよろしい。

日経:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64917450S0A011C2000000/

NHK:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201013/k10012660861000.html

朝日:https://www.asahi.com/articles/ASNBD7RM1NBDPIHB030.html?iref=comtop_BreakingNews_list

うーん、違和感を覚えたのはまあ、間違っていなかった。


勿論、実際に起こった出来事をすべてありのままに書いて、しかもそれが十全に読んでもらえるなんてことはそうそう無い。

だからこそ、記者を始めメディアの方々はプロとして要諦を切り出してまとめているはずである。

事実は嘘をつかないが、事実を語るヒトの目的は考えるべきだ。



本件、僕の意見としては、叱る動機は恐らく正しかったのだと思う。

けど、やり方を間違った。

目的が同じでも、やり方ひとつで、いろんなものが大きく変わる。

特に、人間がかかわるとなれば尚のこと。

僕はそのあたり、間違いつつ修正しながら進むしかないものだと思っている。


まあもしかしたら、被害者の生徒にも別の問題があったのかもしれない。

普段から他人を蔑ろにして、自分本位に振る舞っており、顧問の口頭の注意では改善されず、遂には今回の件に至った、なんて可能性もあるわけだ。

勿論、健全な青少年がたまたま出来心でやってしまったとか、あるいは誰かに強要されて仕方なく、なんてケースもあるだろう。

まあそのあたりの事実関係は僕の仕事ではないので、想像も大概にしておく。

事実として体罰があったことが間違いないのであれば、事件として扱われるべきものだろう。

体罰は罪であり、罪を犯してしまったこと、何より子どもが被害に遭ったことは残念なことである。



ちなみに、僕がよくやる間違いは、過負荷をかけてしまうこと。

自分にならまだしも、大量の言葉を用意して準備不足の相手に放ったり、やんごとない事情でやる気50の人に無理矢理86くらいの行動を要求したり、そんなのが多い。

とまあ僕が過負荷かけがちなのは、このブログ読んでる方なら何となくお分かりかとも思うけれど。

予想可能なリスクは排除するつもりではあるものの、徹底できていないことの方が、やはり多い、未熟。

しかし「間違わない」ってのは、「動いてない」か「動いているけど考えていない」ってことにもなりかねないので、そこも注意。



おわり。

2020年10月12日月曜日

練習後の努力は実を結ばない

タイトルはあくまで、そういう傾向が強いってことなので悪しからず。


随分前に課題を3つ挙げた。

2. 練習後の努力。
3. 個人の尊重。

今回は2つ目について私見を述べることにする。
「ネタが無いなあ、、、」とぐうたらしていた時に思い出したのが、実は昨日のこと。
記録は時折見返すものである。
貯めるのはいつか使うためであって、記憶も金も自分自身も、正しく使い切ることって難しい。


さてさて、練習後の努力について話を戻す。
ただし、制限の続く今現在がどうなっているのか、自分で見ていないので分からん。
よって近年の傾向、という観点で記しておく。



昨年など、僕が思っていたのは、皆さん帰宅が遅い。

およそ半数が、道場が閉まるギリギリまで居座っていた。

しかも、筋トレや研究に類する行動をとっていたのだから、努力の時間量としては並々ならぬものだったと思う。

遅くとも20時前には終了していたはずなのに、そこから2時間弱も何かを続けていたのである。

問題点を簡潔に言おう。

増やした練習量以上に、質が低下していた。

また推測であるが、夕食・就寝時間の遅れにより超回復が見込めないばかりか、体調不良を誘発していた可能性もある。

「こんなに頑張ってるのに、なんでうまくいかないんだ」状態である。



では、何故そのような現象が起きるのか、僕なりに考えた。

するとおそらくだが、これって自由を消費することに快感を覚えていたのだと思っている。

正規の練習という「昔からの伝統に縛られている窮屈な練習」が終わった後の「勝ち取った可処分所得的な自由時間を前向きに利用する練習」。

あたかも遠足前の子どもが「お弁当とは別におやつ!300円まで自由!さあ何にしよっかなー」とスーパーを駆け回るが如く、彼らは消費の歓びに我を忘れていたのではなかろうか。

与えられた300円で試行錯誤、消費して得たおやつは、さぞ脳みそを悦ばせたことだろう。

しかし脳の悦び=身体の成長ではない。

肉体を維持し、成長させるのはあくまでも基本の食事=お弁当なわけだ。

そして20前後の大学生にもなって、「お弁当作ってもらわないとむりー」なんて恥ずかしい人間にはなりたくないだろう。

そう、つまりは自分でちゃんとしたメシを食えるようになれって、いやなんか違うぞこれ。


修正修正。

つまりは、「まずは正規の練習にちゃんと向き合おう」ということ。

うん、言いたかったのはこっちだ。

正規の反復で手ぇ抜くような奴がいくら練習後に研究したところで、机上の空論を積ん読く状態にして撒き散らしてるに過ぎないわけである。

現実に向き合おうとすると思っている以上に体力や精神力が削られるのだけれど、それでもやりたいことがあったり、やるべきをやっていなかったりな自分がいるのであれば、もう、ね、やるしかないんだよな。

コスパって言葉、好きな人の方が多いと思うのだけれど。

まあ、コスパ志向の大半は単にコスト削りたいだけで、ちゃんとパフォーマンス上げようってところまで考えてはいないってのが、僕のコスパ勢に対する印象。



良し、これで残すはあと1つ。

いつになるか分からんが、また思い出した時に更新しよう。



おわり。

2020年10月7日水曜日

全柔連の練習再開指針変わってた

知らなんだ。

ページを見ると、しかも更新は7/27とだいぶ前。

pdf資料は変更部分にマーカー表示がされており見易い。

変更内容は、段階の移行についての地域の感染危険レベルについて、具体的感染者数を上げていたのを曖昧な表記にしておりとっても日本的。


まあ、以前のやつ(調べると6月頭の公表)だと、段階2以降は直近1週間の新規感染者0.25人/10万人を基準としていた。

これ、札幌市だと人口が190万人なので、1週間で5人未満ってことになるので、ちょっと厳しすぎる感は否めない。

COVID-19打破、克服、というよりも、共生の方向にシフトしているということで良いだろうか。

そういうわけで学生には、折角再開できた活動が中止されるリスクは減っているので、これは前進。

健康リスクについていえば、9/30の日経電子版には上半期の超過死亡が減少とのニュースもあったので、社会全体としての死亡リスクは減少。

COVID-19対策で他の感染症の予防ができたり、あとは10/1のNHKネットニュースでは外出自粛による交通事故の減少も一因であったりで、死亡者が減ったとの見方らしい。


たしかに、感染症って事で考えれば、新歓期や合宿時期あたりでパンデミックが起こっていた。

あれがなくなった(或いは表面化しなかっただけで、恵迪寮での流行り風邪は例年通りあったのかもしれないが)のはひとつ大きいだろう。

交通事故についても、北大の学生が車に乗る機会はあまりないと思うが、道民の運転は荒い傾向にあるのでそれに巻き込まれたり、学生自身の不慣れな運転で事故を起こしたりはあるだろう。

自動車よりも死亡リスクは幾らか低いとはいえ、自転車の問題もあるだろう。

というか、北大生についてはこっちの方が問題かも。

春から秋までメンストは二輪に溢れ、途上国の様相だったしなあ。

大学が札幌中心部にあるので学外の交通量も多く、事故を起こしたり、巻き込まれたりの件数も多めな気がする。

トレーラーに巻き込まれて首を痛めた鈴木さんは、昨年ようやっと、そこそこの強度の運動ができるようになったと言ってたし。


引き続き、学生も僕も、自分の身を守ることには気を配っていかないと。

そういや全柔連の指針には、更衣室についての文章もあったけど、ウチの部室は整理されたんだろうか、、、。

キレイになっててほしいけどいざそうなってたら、それはそれでショックを受けそうな気がしてちょっとしたジレンマである。

現在部室の衛生状態について、部員の行動指針は如何に。



おわり。

2020年10月6日火曜日

院生の七帝出場の是非は

10月になってしまった。

最後に柔道場に踏み入ったのが、たしか3月だったろうか。

現役に交じって道着や帯を回収したのを最後に、もう半年以上。

これだけ柔道をしない期間が長くなったのも、高3以来な気がする、つまりちょうど10年前。

今現在、北大柔道部の活動は再開しているものの、今度は僕自身の問題で道場には未だ至らず。

膝の手術後痛みは無いのだけれど、少々の可動域低下と、あとは水が溜まる現象に苛まれている。

おじさんが焦って柔道して、現役にやられるだけならまだしもケガ再発にでもなれば余計迷惑だと思うので、随分と大人しくしている。

念の為の松葉杖使用中の身で、世間が優しくしてくれるかと思いきやそう変わらないあたり、日本人の心の余裕は失われて久しい。



そんなこんなで道場に行けない日々を過ごしていても、たまには情報も入ってくる。

その情報によると先日、九大のOB会から要望書が届いたらしい。

内容をざっくりまとめると、

・各大学部員獲得に苦労している昨今

・今年はコロナ禍で活動制限、なおのこと厳しい状況と思われる

・以前部員減少対策として「大学院生を選手に加えては?」という議論があった

・諸々の現状に鑑み、院生出場を検討・実行すべきだ

・七帝は「学生の大会であること」が重要なので、院生も学生に含まれ、問題はないはず

以上。


これ、色々と意見は出るかと思うけど、僕としては今のところ反対。

理由は院生を現役選手として扱うことで、各大学の部の運営について、学生の主体性が崩れる可能性が高そうだから。

学部生と院生のどちらが幹部になるのだろうか?

北大→京大院と進んだ場合、どちらのチームで出場するのか?

院生にはどこまで含まれるのだろうか、博士?社会人学生も?

この辺の組織形態を変えるとなると、運営するだけで相当な力を消耗しそう。

「七大学の学生なら大丈夫」って期待も込みなのかもしれんけど。



と、院生出場の恒久化には反対なのだけれど、何でもダメってことでもない。

僕の今の落としどころとしては、今年度出場予定だった選手は来年度のみ登録可能とする、くらいかなあと。



あとは、そもそも日本全体の柔道人口が減っているので、長い目で見るとそこに焦点を当てていかないといけないんだろう。

てきとーな思い付きで申し訳ないが、社会で活躍しててパワー(カネとか権力とか人脈とか)持ってる先輩方、少年柔道にちょっと寄付してみたり、全柔連を構造改革してみたりとかどうだろうか。

具体案は無い、今のところ。



おわり。

2020年9月27日日曜日

恩を仇で返してみる。

さてさて、8月末に入院、先週退院した。

知らぬ間に左膝の半月版が割れていたらしく、その縫合。

ここ数年、月イチくらいで「なんか膝痛え」ってなってたのはこれだったのかもしれない。

ついでに右膝も診てもらって、こちらは滑膜ひだ傷害ってやつだったらしい。


入院期間、有り難いことに複数の方々がお見舞いに来てくれた。

娑婆の話を聞かせてもらえるだけでありがたいのに、何人かには手土産までいただいた。

重ねて有り難い。

そこで今回は北大柔道部の後輩達からいただいた手土産をネタにしてみる。

有り難いことに、彼ら彼女らの手土産は、単に有難いだけでなく色々と考えさせられることがあった。

しかし彼ら彼女らの名誉のため、名前は伏せておく。



その1、焼き芋。

保存効かなさそうなやつ、しかも4つ。

通常なら「まあ一緒に食べるか」となるのかもしれんが、COVID-19の影響で面会中は飲食厳禁。

大して動いてない身には、ちょっと食い極の気があった。

ちょっと気を遣ってくれたのか、芋が甘みの強いねっとり系だったので、完全に裏目。

胃の腑にガツンと落ちてきた。

現役時代に行った雪印パーラーを思い出した。

「北大は意味わからんことをやるから、根拠のない自信がついてそれが強いんだ」って言って連行してったのは東北の品川さんだったっけ、あの時は中岡が終盤でろでろのスポンジ押し付けてきたなあ。


その2、プリン。

良かった至って普通だった。

しかもちょっと良いやつ。

間に合わせで買ったようなコンビニの一番安いやつでも全然構わない僕としては、むしろ恐縮してしまう。

いやー学生にこんなちょい高めの買わせて申し訳ねえなあ、と。


その3、ミミガー。

これはやばい。

何がやばいかというと、後輩の僕に対するイメージの問題。

「森本は酒飲みだからツマミ買っときゃいいだろ」って思われてるんではなかろうか。

現役が成長してくれるのなら、僕が指導者として尊敬されなくても別に構わない。

けど「どうしようもない人だなあ」と思われるのは、こう、「ぐぬぬ」って気分になる。


その4、エ■本。

まあ一種のお約束ではあるのかもしれんけど。

ウケ狙いなのかそうでないか判別し難いジャンルのものを持ってくるんじゃないっ。

しかも七帝1まわりくらい下の後輩からって、これも僕のイメージどうなってんだろ?

「森本ならこれ持ってけば喜ぶか、面白いことに仕立ててくれるだろ」ってか?

困惑したし、面白エピソードなんて夢のまた夢だよ。

伊達に学生時代から「つまらん」とか、未だに職場の上司に「ギャクセンスねーな」と言われているわけではない。

彼の僕に対する認識やら期待感やらは、だいぶずれているらしい。


その5、使い捨て蒸気アイマスク。

スマホの視聴時間が長くなってたところで、これは有能。

しかし、事前に「何か欲しいものありますか?」との問いがあったことは事実。

僕の返しは、「■ロ本だけはまじで要らねえ」。

ちなみにこれに対する返事は「マジすか、じゃあ部室に置いておきますね」であった、何を?とは聞かなかった。

そうやって部室にゴミが増えていくんだろうなあ。

ゴミはすぐに捨てないと。


その6、ごはん。

サトウのごはん。

まあ、病院食は少ないし味も薄いし、ってイメージあるしね。

実際はご飯大盛にしてもらえたし味付けもまあまあ美味しかったのだけれど。

しかし、もし電子レンジが無かったらどうしてたんだろうか?

加熱してないレトルトパックごはんはいまだに食べた事ないけど。

まあ災害時じゃないんだから、わざわざそんなことしなくともいいだろう。


以上、どうやら僕は部内での自己イメージ改善に努めねばならなさそうだ。

改善点は、えーと、うん、いっぱいですな。



おわり。

2020年9月13日日曜日

降り方

安部首相の辞意表明に感化されて、ちょくちょく考えている。

引き継ぎ、である。

北大柔道部が最も苦手としており、改善の余地しかない分野のひとつだと、僕は思っている。

とにかく、柔道以外の雑務の不手際が多い。

しかも、毎年似たような失敗をやらかす。

「勝ちに不思議の勝ちあり、敗けに不思議の敗けなし」だったか、そんな諺があったはず。

代々伝えられていたらしい「主務ノート」は僕の引退前後あたりの代で消え失せ、僕が新たにこさえた「主将ノート」「会計のお仕事」も確か3年と保たなかった。


交替時期の決まっている我々でこの杜撰さならば、不定期かつ大規模大人数の国政の引き継ぎにはどこまで困難が積み重なるのだろうか。

現状維持バイアスが働く中で法治国家として改革をしていくとなると、犠牲者も陰日向に出るだろう。

犠牲者は、或いは当の自分自身になるのかもしれない。

安部首相の前回は体調不良は、その一例と言えなくもないのではなかろうか。

さながら絞め落とされて意識が戻りきらぬうちに交替したようなものだろう。

その点、今回は何とか分けきっての交替のように感じる。

無理に勝ちを重ねて、しかし最後には取られて流れを渡してしまうよりかは、全くマシな判断だろう。

七帝戦と違って政には勝つべき相手や終わりというのが無いから、少しずつでもマシな方に進めば、全体としての最悪は回避できるはず。



誰がトップに立とうが問題は起こるし、周りは理解よりも拒絶、反対、無視を選びがちだ。

賛成するにしてもただの盲信で、潮目が変われば「そんなこと聞いてない」って具合だろう。

しかし願わくば、それらの意見や行動は、前に進むためのものであってほしい。

進むのは誰か?

私ひとりよりも、我々、の方がよろしかろう。

そして我々のうちにどこまで含めるのかが、その人個人の器であろうし、社会の寛容さではなかろうか。



ちなみに、僕の器は大きくない。

いや大きくない、というのは些か自己愛が激しいので正直に言おう、小さい。

ま、小さいなりの使い途もあるだろってことで、隙間産業を探す日々である。


えーと、何の話だっけ?

そうだ、雑務を思い出して役職ごとに振り分けて、失敗談を付け加えて、、、。

いや無理、現役にやってもらおう。

あーー、でないと僕の記憶が現在に通じるか分からんからな、うん、情報は新しくあるべきだし、指導陣があれこれ世話し過ぎても「学生柔道」じゃないし、エトセトラエトセトラ。



おわり。

2020年9月1日火曜日

背中づくりの記録

現役ではなく、僕個人の記録である。

読者諸兄には大変申し訳ない。


さて、COVID-19禍にて北大柔道部の活動が休止されてから暫く経って、5月前後くらいのときだったか。

職場で懸垂スポットを発見した。

勿論、使用活用にあたっては細心の注意を払った。

うちの職場はトレーニング施設でもないし、業務とは関係のない極個人的な運動なので。

安全第一、周囲への気配り、使用後の整理など、上司からの禁止令が出ぬように懸命の努力が必要だった。


お蔭で、毎出勤日懸垂できる環境、周囲の理解(半分諦め?)が得られた。


その記録として、5月頭と7月頭に写真を撮ったので、ここに挙げておく。

5/9の背中

7/2の背中

懸垂の内容としては以下のとおり。

昼休みに順手、終業後逆手で、回数は50回ずつを基準に、動きは色々思いつきにて。

10回でセットを組んだり、反動有りで30回ほど連続でやってみたり、ストリートワークアウトの動きに挑戦してみたり。


身体の変化としては、背中が広がったのがまずひとつ。

ただし、開始からひと月くらいが増大のピークで、以後はあまりでかくなった気はしていないように感じている。


並べてみた。
背筋がついた(と個人的には思っている)オレンジ部分。
赤部分は年明けに怪我した右肩で、落ち込みが改善したみたい。




もうひとつの変化としては、手にタコができたこと。

このタコがうまいこと棒に掛かって、動作の際に握力が要らなくなるという効果もあった。

ただ、「いや握力も必要じゃね?」との思いから、しばしばタコをナイフで削いでリセットしてみたりもした。


今後はストリートワークアウトの動きを充実させていきたい。

あとは、人生においてシックスパックになった経験がないこと、脚(特に脹ら脛)が細いことがコンプレックスなので、そこをのんびり改善できたらいいなぁと。


まあ第一目標は、現役に勝てなくても良いので、負けない程度の実力を磨くことなんだけど。



おわり。

2020年8月29日土曜日

在り様

他人の言葉を借りるのはあまり好みではないけれど。

「その罪を犯した人間が、自分の心の径路をありのままに現わすことが出来たならば、そうしてそのままを人にインプレッスする事が出来たならば、ての罪悪というものはないと思う。総て成立しないと思う。」

8/27の日経春秋に挙げられていた夏目漱石の講演「模倣と独立」の一部。

気になり検索してみると、すぐにヒットしたので全文を読んでみた。

あの時代らしい語り口でやや読みにくかったものの、今に通じる部分も多い。

抜粋された文章は講演の終盤部分にあたり、イミテーションではなく、オリヂナル、インデペンデントを目指すべきだ、と締められている。

そんなことを言われると、ここで文章を又借りしている僕は落第者ということになるだろうが、まあ、いい。


一般の柔道で引き分けを狙う場合、余程巧みになされなければ、「消極的」と判断され反則を取られる。

これは極端な解釈をすれば、「明らかな引き分け狙い」≒「罪悪」としているということだと思う。

しかし七帝柔道においては、「明らかな引き分け狙い」≒「罪悪」ではなく、むしろ推奨され得る行為である。

これは、「引き分けを狙うに至った心の経路」を評価し、選手になるべく寄り添いたいという心が、試合規程に反映されているのだと思っている。

選手に表現させるのではなく、審判が頑張って察しろ、ということで、やり辛い感はまあ、否めないけれど。

しかし見ていると、心の経路が見える選手の方が強い。

そう表現しているわけではなく、ありのままに自然と、一挙手一投足が意味を成している。

多分その状態を、オリヂナルやインデペンデントと言うのだろう。



おわり。

2020年8月25日火曜日

「仲が良い」という課題

  以前の記事 課題 にて、3つ挙げていた内のひとつについて。

「仲が良い」とは一見喜ばしいことであるが、では何が問題なのか、それについて私見を述べる。

ちなみに、似たような問題は僕の代でも起こっていたし、どの代も大小の差はあれ抱えていた課題のひとつかとは思う。


1.仲が良い=何でも言い合える

まずはこの意味を履き違えている場合がある。

何でも=下らない話でも、というパターン。

ストレス解消には多少の効果があるのだろうが、チームとしての建設的な、しかし苦痛を伴うような話には適応されないということ。


下らない話、に近いものを感じるものが最近ある。

しかし、その半分以上が意味不明なハンドルネームの、意味不明なコメントである。

ここ1,2年だろうか、北大柔道部ログの記事に増加してきたこれらを、以後ガヤとでも言おう。

率直に言って気持ち悪い。

「私はふざけた名前の人間なのだから、面白可笑しい表現をしていいだろう」なんて都合の良い甘えが出てきそうで、読むたびに不快感が生じる。

高2の冬、実家の椅子で寛いでいた折に何かが飛んできて、視線を落とせばゴキブリが胸元にいた時の、あの気持ちに近い。

無論、「そんなガヤもあってこそ」という方もいるかもしれないが、僕としてはチームに必要なのは責任ある当事者であり、ガヤは要らない。



2.仲が良い=良くない人とは関わらない

これは分かり易いだろう。

チームが複数の小集団に分割され、しかもそれらの流動性が著しく低いパターンである。

ある情報について、話し易い人と共有するのではなく、必要とする人に伝える、この基本作業に対しての精神的障害が大きく、つい億劫になってしまう。

こうなると情報伝達、意志疎通が滞り、いつまで経っても一体感は生じ得ない。

コロナ禍の今は、特にこのあたりが心配である。



3.仲が良い=内面まで分かる

分からなくてもよろしい。

まず必要なのは事実の積み重ねである。

例えば、練習に身が入らないAがいたとして、それに対するBの思考。

①「そういえば最近思い悩んでいるらしいな」

②「あいつの学業は○○で、部外の交友関係は□□で、生い立ちは△△」

③「なら××について助けてあげればいいかも!」 → 行動へ。

この場合、行動として表に出るのは「なあA、××について悩んでるんだったら、力になるよ」ってな具合だろうか。

多分この似非思い遣りが間違いで、本当は初手に「おいAちゃんと練習やれ」となるべきかと思う。

何故なら「練習をしないこと」、これがAとBが属するチームから見た、Aの問題点であるから。

勿論、チームの話から進んA個人の事情に踏み込むのは、運命共同体感を醸すのには効果があるだろう。

しかし目標地点の設定を間違えると、チームにおける問題点を追求できず、ただ「いやーAのために良いことしたなー」というBの自己満足で終わってしまうかもしれない。

A本人にしても、「練習をしないこと」に焦点が当たらないことで、「真剣にやらなくても、何かしら理由があれば許される」という勘違いを招きかねない。



以上、「仲が良い」ことの弊害について、思いついたことを連ねてみた。

全部ひっくるめて表現するなら、「仲間はお友達とは違いますよ」、以上。

課題はもう2つ挙げていたので、それらについてもそのうち記事にしよう、、、。



おわり。

始まったらしい

 北大柔道部ログにもある通り、当面は筋トレメインでやるとのこと。

道場使用可能人数は現在15人までなのでコーチの僕も参加不可。

つまり実際に見てはいないが、どういう筋トレをやっているのだろうか。

まずは再開に漕ぎ付けたということで、満足すべきか。

僕は欲張りなのでもっと言うと、道場でしかできないような、もしくは複数人集まることで相乗効果が出せるような内容ならばいいのだけれど。


個人的には、「這う」や「エビ」なんかの基礎運動を延々とやるのが良いんじゃないかと思う。

あと「受け身」も。

肘や腰、背中が擦り切れるくらいやれば、久しく忘れていたであろう痛みを、ちゃんと思い出せるのではなかろうか。

痛みや苦しみは、艱難を迎えるためにある。

喜怒哀楽の一切合切をひっくるめて、全てを受け容れられるのであれば悟りを得たということなのだろうが、生憎彼らは(もちろん僕も)しっかりとした俗人である。

だからこそ、凌げるよう、乗り越えられるよう、打ち克てるよう、今の内に苦しんでおくべきだろう。

人生の大部分は苦痛であってもいいだろう、その方が、小さなよろこびを大切にできるのではないだろうか。


マイナスから入ってそのうちプラスへと裏返るタイプの僕としては、そんなことを思う。

まあ、苦しさが過ぎるのなら、耐えられないのなら、いざとなったら逃げればいい。

北大柔道部から逃げたとて、世の中の99%以上の人間は気にも留めない。

もっとやるべきことなんて、幾らでも見つけられるはずで。

そもそも逃げるなんて表現も正しくなくて、ただ選んだだけのこと。

では選ぶ自由を行使した我々の、その後の義務って何なのだろうなあ、と最近はまた考え直し中。



おわり。

2020年8月18日火曜日

練習再開か?

大学側から、課外活動の許可が出るようだ。

依然として制限はあるものの、社会に遅れること数週間(或いはヶ月?)、ようやく道場が開く兆しが見えた。


・十分な感染対策をすること

・団体の代表が管理すべき項目が明確化されていること

・感染者が出た場合の対処が明文化されていること

などを前提に、道場なら片面あたり15人まで活動できるようだ。


先週には、新幹部から指導陣へ、提出書類の案が出された。

慣れない作業でむずかしかったろう、見せてもらい、多少の助言をつけたのだが、はて現在はどうなったのか。

無事に活動再開、となっていればいいのだけれど。

もしかするとまだまだ「案」の字から抜け出せていないのかもしれない。



さて、活動再開にあたって僕なりの懸念を2つ。

1つ目、換気問題。

夏の今は全く問題無いが、もう1,2ヶ月もすればかなり冷えてくる、というのが北海道である。

『屋内での活動は、できる限り常時窓・扉を開放する又は2方向の窓を1回数分間程度全開にする。 最低30分おきに、屋内の空気がすべて入れ替わるように換気すること。』

と大学側は言うものの、秋を越して冬場になれば、ウチの暖房性能にはかなりの不安がある。

下手すれば室内気温が常時マイナスになりかねない。

部でジェットヒーターを2,3台購入、という説も現実のものになるかもしれない。


2つ目、消毒用備品について。

結構な量になるのではないだろうか、まずは購入費用の問題があるだろう。

部の会計状況はここ数年安定しているのだけど、それでも金が湧いて出てくる田とか、はいて捨てるほどあるとかいうわけではない。

使用量と頻度の掛け算で、一体どのくらいの額になるのだろうか。

もうひとつは、管理の問題が出てくるだろう。

北大柔道部の部室では、毎度いろんなものが無くなっては掘り出される。

練習後に靴下が片方無いだとか、財布・スマホ・鍵が無いだとかは、週イチの出来事だった。

そんなところで薬品に類しそうなものが管理できるだろうか。

一昨年に不動産店舗で爆発事故が起きたが、その二の舞にならないか甚だ不安である。



まだまだ色んな想定ができるだろう。

準備だったり対処だったり、やるべきことやれることは多い。

焦るのも仕方ないが、それぞれ一つずつやるしかないだろう。

幸いにして我々は組織であり、しかし不幸にして未だ一丸ではないものの、支えあい助け合うことは十分にできるはずである。


そんなところで、まずすべきは何か、まあ妥当なところでは、現状把握だろうか。



おわり。

2020年7月25日土曜日

体力的課題

前回に続く今回。
おさらいすると、まずは体力が重要。
中でも最大出力と頑強さが重視されるべき。
とここまでは良いが、具体的な目標については述べていなかった。
なのでここで補足として僕なりの考えを置いておく。
ここで挙げる目標を達成してくれれば、高強度の練習や試合本番にも耐えられるだろう、というところ。
時期的には、早ければ2年目七帝時点、遅くとも3年目の東北戦までには達成してほしい。


目標としては、簡単のために北大道場で可能なトレーニングで、多くの人が経験したものを例にとる。
ベンチプレス、スクワット、デッドリフト、懸垂、綱、反り跳びの6つ。


ベンチプレス
最大出力:100kg又は、自重の1.5倍
頑強さ:最大出力の9割の重量を2,3回、半分程度を30回

スクワット
最大出力:120kg又は、自重の2倍
頑強さ:唐突にスペシャル200回やっても、次の日にの練習をまともにこなせる程度

デッドリフト
最大出力:100kg又は、自重の1.5倍
頑強さ:装具なしで最大出力の8割(デッドリフトそのものではなく、握力や腹圧のかけ方等付随部位の強化がメイン)

懸垂
肩幅ほどの開き、順手、最大進展の3/4ほどで10回
軽量級は15回、もしくは5~10kgで重りをつけて10回
反動を用いて20回

下半身を用いずに往復、中軽量級は2往復
重量級は、降りるときに下半身を用いないこと

反り跳び
往路7回、復路10回

僕なりの目安としてはこんなところである。
山内さんに言わせれば「ゴミ」を抜け出したギリギリのところなのかもしれないけれど。
まあそれでも、これらすべて達成できれば、七帝選手の8割くらいには技術を通せるはずである。
実際は各々の得意不得意やケガなんかの特徴に応じて、クリアするものは過半数程度でもいいのかもしれない。
ただその場合、得意分野ではより上位の基準が求められるだろう。
例えば、清田監督は最大出力という観点では現役時代から点でダメだったらしい。
幹部になってからもベンチプレスで70kgくらいが限界で、山内さんにマジギレされたというような話を聞いたことがある。
しかし清田さんは柔軟性や技術・経験でカバーしたのだろう、結果今でも現役よりも強い。
トップ選手(層ではなく)以外ならば安定して分けられるだろうし、そこそこ強いくらいならむしろ取れる場合も多いように思う。

「じゃあ清田さんの技術を盗めば良いわけだな」って考えも出てくるかもしれないが、これには大いに賛成票を投じよう。
しかし、技術向上の目的が体力強化からの逃避になってしまうことについては、反対である。
逃げる、ではなく、捨てる、これならまだ良い。


そういうわけで、今回は体力について僕なりの指標を出してみた。
これをベースにして、各選手に合せたものを色眼鏡にして観察しているのだけれど、そういえばそれをいちいち伝えてはいなかったなあ。
うーん、これは僕のコミュニケーション不足と言えるだろう。
後は、今の僕自身はこれら体力的指標を突破できているのだろうか、ちょっと不安になってきた。


おわり。

課題

さて、前回は実力の数値化であった。
この良いところは、当たり前だが具体的な数字が出ること。
つまりは誰でもとっつき易いし、分かり易い。
逆、デメリットは判断基準が曖昧なところ。
表層を撫でるだけなのが、前回の記事でのお話。
近いところにいる人、あとは当然当事者にとっては、「具体的にどこが良いとか悪いとかないのか」「身内贔屓で甘めの採点じゃねーか」「女子はどうした女子は」「人間点数ですべてが決まるわけじゃない」って声があがるのではないだろうか。
今回はそんなブーイングを未然のものとすべく、多少脳内を整理してみた次第である。


点数について。
数字という客観性の高いものを持ち出してはいるものの、判断しているのは紛れもない主体としての僕。
当然僕個人としての限度内で判定せざるを得ない、そういうところが問題となる。
一例としては立ち技。
都道府県上位クラス、それを超えてくると、最早どのくらい強いかよく分からん。
他にも、僕の存じ得ない知識や、特殊なメンタル事情などは考慮できない場合もあるだろう。
例えば相手に激痛を与えるツボを知っており、自在に突くことができるとか。
試合中に進研ゼミよろしく相手に問題を提示し、解くのにもたつかせて隙をつくる、とか。

ま、そんな話はどうでもいいか。
僕の言い訳よりも、皆さんが気になるのは、「ではどうすれば点数を上げられるのか」。
体力と技術、何を求めるべきか、どのように向上させればいいのか、優先すべきは何か、こんなところだろうか。

では、上記自問した内の後ろから答えてみよう。
優先すべきは何か、体力である。
スタミナという意味ではなく、体の能力全体を指している。
ベンチプレスを例にしよう。
この場合何kgあげられる、というような最大出力だけではなく、動作に対する頑強さや柔軟性、俊敏性等も含む。
1回だけ挙上する最大出力、20回挙上できる最大負荷、垂下できる落差の限界、握りの幅の広狭、10秒間で可能な動作回数、なんて視点から考えることができるだろう。

次、上記細分化させた中でさらに優先させるのは何か。
最大出力と頑強さである。
理由は単純、七帝は無差別、試合時間が最低6分であるから。
無差別であるから、そもそもある程度の出力が無ければ技術を通せない。
試合時間が長いから、同じ動作の反復が求められる場合が多い。
出力と頑強さが無ければ、いくら技術を積もうとそれを通せないしリカバリーが効かないということになる。
最近の北大選手の崩れ方は、ここに肝があると僕は見ている。
序盤で練習した形には入れてもどことなく不安感が漂い、終盤何かの拍子で一気に瓦解、というシーンは多い。

つまりは、いつもだと7割の出力で反復し6分間保っていた技術が、試合では出力が8割になり継続時間が4分になってしまう、ということ。
この解決には、ギリギリの負荷を連続的に与えるのが効果的だと思う。

そういう観点からだと、冬の筋トレ合宿における山内さんからの課題「ベンチ100回」は正しかったのだろう。
ちなみにルールとしては以下の通り。
・累計で100回を目指す。
・マックスの重量から開始。
・その重量で1回(2回だったかも)しかできなくなったら、最低限(たしか2.5kg)だけ重量を下げる。
・終わるまで繰り返す
パワー型の小竹さんや清野が、終わるころにはバー(20kgだったと思う)を上げ下げするのに精一杯だった記憶がある。

要約すると、
・全員が七帝の無差別、長時間の試合を乗り越えるために
・ギリギリの負荷を連続的に与え(管理が難しいが)
・まずは体力、中でも最大出力と頑強さを高めるべき
ということ。


さて、ここまで読んでくれた方はお気づきだろう。
何かと言うとつまり、僕がミスリードを狙っていた、ということ。
完全な嘘ではない、上記も必要なひとつではある。

『つまりは、いつもだと7割の出力で反復し6分間保っていた技術が、試合では出力が8割になり継続時間が4分になってしまう、ということ。』
ここでの問題は『試合では出力が8割になり継続時間が4分に』ではない。
『いつもの練習だと7割の出力』、これこそが問題である。
「10割でやれ」ということではない。
いやまあそれでもいいが、人間性を捧げねばならなくなって何かと不便も多い。

では何か。
「出力が何割だろうと構わないが、説明可能であれ」
僕はこれを欲している。

その上で、その説明が全体の納得を得るものであれば尚良い。
理想としては、自分ではなくチームメイトの行動決定について、それくらいのレベルで説明可能なのが、良いチームなのではなかろうか。


そんでもって、僕が思う(昨年度思っていた)課題を幾つか。
1. 仲の良さ。 
2. 練習後の努力。
3. 個人の尊重。

次はこれらについて述べるかも。
あと、今回触れなかった技術についても私見を述べる機会をつくろう。
未来の僕よ、頑張れ。


おわり。

2020年7月19日日曜日

主観的分析2020

以前の記事を眺めていたら、良いのが見つかったので継続してみることにした。
記事タイトルで思い出された方もおられるかもだが、一応去年のはこちら
戦力の数値化だけど、7月の今現在ではなく、昔の記憶を頼りにやってみた。
なにしろ僕が最後に練習に出たのが2月末か3月頭付近なので。
一応最後に、見込みということで分析っぽいことをしている。

基準をおさらいしておこう、以下前回からの引用。
ーーーーーー
数値化するにあたってルールは以下の通り。
①平均的な分け役を基準に考える=分け力1.0とする
②取り力は、分け力を基準に考えて差分で評価
③消耗度=スタミナの概念
④細かいことは抜きにして、主観で決める
ーーーーーー
②について補足しておく。
差分で評価、とは取り力と分け力の差が一本勝ちできる可能性になるということ。
取り力2.0なら、平均的な分け役に対して2.0-1.0=1.0=100%勝てる見込みである、という評価で、つまりは取り役。
取り力1.5で準取り役ってところか。
女子については人数が少なく平均を考えにくいので、今回も分析できていない。


そういうわけで、あとは独断と偏見で、どん。

年目名前取り力消耗度分け力消耗度
41.4(+0.1)0.4(±0.0)1.9(+0.2)0.3(±0.0)
41.6(±0.0)0.5(±0.0)1.7(-0.1)0.5(±0.0)
4西森2.1(+0.5)0.4(-0.1)1.8(±0.0)0.5(±0.0)
4藤田0.8(+0.1)0.5(±0.0)1.4(+0.1)0.5(±0.0)
3●笠井0.6 0.5 1.2 0.5 
3近藤1.1(+0.4)0.5(±0.0)1.5(+0.1)0.5(±0.0)
3●町田0.7 0.5 1.0 0.5 
3片桐1.1(+0.6)0.4(-0.1)1.4(+0.6)0.5(-0.1)
2澤田1.3(+0.6)0.5(±0.0)1.5(+0.7)0.5(±0.0)
2坂田1.2(+0.6)0.4(-0.1)1.7(+0.5)0.4(-0.1)
2●清水0.3 0.5 0.5 0.5 
2石川0.8(+0.7)0.5(±0.0)0.8(+0.5)0.5(±0.0)
2●石田
引退時森本2.2 0.1 2.1 0.2 
現在森本
2.0 0.4 2.2 0.4 

()内は前年からの増減、取り力・分け力は+、消耗度は-ならそれぞれ向上したということ。
あと、●付きはケガなどのために僕が実力を測れなかった人たちで、それぞれ増減なしでカウントした。

で、2年目以上の男子の分け力の総和が、16.6となった。
前回の記事では「25以上でちゃんと戦えるチーム」と評したので、3月時点では全くもって戦い抜くことはできないチームだった、ということになる。
勿論、15人ではなく13人の合計値、しかも4人のケガ人を含むことは考慮すべき対象である。
ケガ人たちが全員復帰したとして、彼らの成長分を測ることができたなら、総分け力は1.5~2.0くらいは上昇するだろう。

また、3月ではなく7月の試合時点を仮定すれば、話はさらに変わる。
新歓による1年目の獲得により、15-13=2人を戦力に追加できるので、その分の上り幅が1.5~2.0といったところだろうか。
また、練習期間の増加、しかも追い込み期間も含むので、更に1.5~3.0くらいの上昇が見込まれたのではなかろうか。

以上より、7月時点での総分け力は21.1~23.6だったのではないか、というのが僕の見立てとなる。
そして昨年の総分け力が21.6であったのを鑑みるに、最下位脱出がギリギリどうか、というところではないだろうか。

取り力についても、3月時点で2.0以上(取り役)は西森1人、昨年7月は3人。
1.5以上(準取り役)を含めても、3月時点では笹が加わっての2人、昨年7月は6人。
1.5以上の方で考えると、成長したとして届きそうなのが森・澤田・坂田の3人だったろう。
近藤・片桐は取り力全振りで血反吐撒き散らせば届くかもしれない、というところか。


まとめる。
3月時点では、総分け力16.6(13人)、取り役が1人、準取り役が1人。
7月(見込み)は総分け力21.1~23.6、取り役が1人、準取り役が4~6人。
2019七帝時は総分け力21.6、取り役が3人、準取り役が3人。

そういうわけで、2020年の七帝時の戦力見込みは、分け力・取り力ともに昨年と同水準かちょびっと向上したところだという結論に至る。


うーん、こうして見ると、やっぱり厳しいんだなあ。
とりあえず今回はここまで。
次はここからどうするかを考えないと。


おわり。

2020年7月17日金曜日

蓄えるだけなのも忍びない

読書が好きである。
趣味趣向の話で、唐突だけれど、今回はひとつ自分語りである。
「現役の様子は?」と気にかけてくださり、本ブログに来られている方々には申し訳ない。


再度、僕は読書が好きである。
ジャンルは割と何でもよい。
歴史、評論、エッセイ、短編、長編、シリーズもの、SF、ホラー、自己啓発とか。
勿論ジョジョを含む漫画も含まれる。
たまにジョジョネタを挟んでいるのも伝わっているだろうか、そうでないのならちょっと恥ずかしかったりもするのだが。
ただし自己弁護なのだが、純文学とかいうものにはあまり明るくない。
勤勉な学生なら読んで然るべき大文豪の著作も、特に知らないものの方が多いだろう。
就職して日銭を得るようになってからは、2,3ヶ月に1度は書店でジャケ買いしているように思う。

何故読書が好きか。
答えは、それまでに知覚できなかった世界との接点が得られるから。
いわゆるコレクターに近い傾向である。
僕は北大柔道部の選手陣には「どうかコレクターにはならないでくれよ」と思っているのだが、ジャンルが違えば自分も立派なコレクターである。
つまりは、知識を好き勝手に取り漁るもののそれらを有効活用できないし、するつもりもない輩であるということ。
僕の読書にはそういう側面が多分に含まれている。
なので、「本から得た知識で実生活をうまくやれ」とか「じゃあ他者の気持ちを慮って行動できるんだね」とか「ジョジョ立ちやってみろ」とかには上手く応えられないことの方が多い。
ただ自分になかったものに触れて、世界を拡張できたかも、という感覚が好きなだけである。


それでもたまには、本を通じて世間様に繋げよう、という気持ちになることもある。
今回の記事はそんな一面もある。
そういうわけで第2部、こんな本を読みました、レビュー。

発達が気になる子が輝く 柔道&スポーツの指導法
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中身としては、いわゆる「発達障害」の子供がいた場合柔道指導者はどのように行動すべきか、が発端となり、競技者養成一辺倒ではない多様化を目指して論が進んでいる。
その中で、発達障害そのものについて、発達と運動との関わり、柔道指導において考慮すべきこと、などが理論や研究結果、また筆者らの経験を交えて身近に感じられるように表される。
1つ挙げるとすると本によれば、文科省の2012年の調査で、通常学級にいる子供の約6.5%に発達障害の疑いがあるらしい。
これは僕が勝手に思ってた「まあ2~3%くらいだろ」の倍以上の数字であった。
また、コミュニケーション系の発達障害は、脳機能や精神ではなく、体の使い方が苦手なことに起因する、ということも興味深い話であった。
コミュ障=話が続けられない人、ではなく、「話す」ための「口の使い方が未熟」であったり「聞く」ための「耳の機能の弱さ」だったりが、結果として「話を円滑に進められない=コミュ障」となってしまうということである。

読んでいく中で思ったこと。
そういえば北大柔道部にも発達が気になる人は多い。
本に記載されていた臨床例をいくつか抜き出してみると、
・自分の興味あることについて一方的にしゃべり続ける(会話のキャッチボールが続かない)
・ケンケンがうまくできなかったり、鬼ごっこで急に方向転換するときによく転んだりする
・手を叩きながらスキップするなど同時に二つの動きがなかなかできない
現役でもOBOGでも、当て嵌まりそうな顔が数名浮かぶ。
3つ目なんかは特に、該当者が結構多そうな気もする。
また、よくよく考えてみると、退部していった人にはこれらに該当する人が比較的少ない気もする。
そう考えると、北大柔道部は発達が気になる人が一定数いる中で存続してきた(少なくとも僕が入部してからの10年近く)、面白い団体なのではないだろうか。

そもそも人間幾つになっても未熟な部分はあるものだろうし、長く生きてりゃどこかしら悪くなるもんだろうから、そういう意味ではみんな等しく発達障害だと思っている。
みんなが何かしら抱えている中で、配慮はしつつもじゃあ自分は何を抱えて掲げて駆けて行こうかって、そうやって自己主張してくのが良いんじゃなかろうか。
これは僕の思い描く北大柔道部像の、ひとつの側面でもある。


おわり。

2020年7月9日木曜日

まだまだ

先ほど知ったのだが、道場の封鎖は続くらしい。
情報元はfacebookの北大柔道部のページ
驚いたので北大のサイトを確認すると、現時点ではこちらに情報は無し。
公表に先駆けて学生には事前に伝えておいた、ということなのだろうか。
しかし、経済活動が(歪、不穏ながらも)再開してきた中で、学生の課外活動禁止を貫くとは一体、どういう判断基準を越えて出てきた答えなのか。
以前見た時には、
「7月10日に(~略~)レベルを1にすることを検討」
とあり、レベル1における学生の課外活動は
「感染防止に最大限配慮した上での許可」
とあった。

以上より考えられることは2つ。
1.明日、7/10以降もレベル2のまま
2.レベル1に引き下げるが、何らかの理由での道場の封鎖は続行

どちらにせよ「何故?」は尽きないものの、お上の判断なら学生は従うしかないのだろう。
ただし、あくまで「道場の封鎖」が続行というだけで、「活動禁止」については言及されていない。
「道場封鎖」するものの、「活動は再開可」となれば、多少の納得はできる。
そういうわけで僕としては最低限、「活動再開」の文字を目にすることを願っている。


しかし、色々と社会が回りだした中で、大学生に「引きこもって勉強だけやってろ」とはいかないと思うのだが。
家計のためのアルバイトなり、活動再開した学外の施設でのヤミ活動なり、はたまた鬱屈を晴らすための外出なり、大学が感知できない活動が積極的になる面は大きいのではないだろうか。
「学内での感染はありません、ですが学生の感染はいっぱいです!」
なんてことにならないことを祈る。
それかあれか?大学生は若い人が多いから、
「若人は重症化リスクも症状発生割合も少ないから、多少感染しても表には出ないだろ」
って考えなのか?

「いやいや、学生の安全を総合的に考えた上での苦渋の決断です。再開後に向けて今は各施設の設備更新をする予定だから、臥薪嘗胆、共に苦境を乗り越えましょう」
こんな声明を期待したい。


あと設備更新するなら、道場2階の暖房が数年に亘って壊れたままなのをどうにかしてほしい。
あれが改善されれば冬場のケガも、かなり減ると思う。


おわり。

2020年7月5日日曜日

七帝始まらず【現役紹介】

拝啓、COVID-19禍の無い平行世界の皆様。
今は昼前、そろそろ準決勝の大勢も決する頃でしょうか。
初日に敗退した方々、一晩明けて、まっすぐ前を向けるようになれたでしょうか。
主管、阪大の運営陣の皆様、今年も主将審判会議のネタが十分以上に出ていることかと存じます。
来年度に回ってくる京大の皆様にとっては、頭を抱え始める頃かもしれませんね。
OBOGの皆様、死に物狂い、悲喜交々の選手の姿にあの頃の自分を見出せたでしょうか。
練習量に裏打ちされた彼ら彼女らの自己主張は、正しく心を打っていることかと思います。
人生100年時代における第1章とでも言いましょうか。
季節で言うところの春に、一旦の幕を引く為の2日間。
咲いた花は如何でしたか、どのように散っていったでしょうか。
こちら、病を得た我々は日々の対応に追われ、近頃はそんな想像も夢幻、最初から存在しないモノのように感じる今日この日です。
願わくば、そちらの誰もが昨日今日の結果をきちんと受け容れ、またの季節を巡る糧とせんことを。
敬具


そういうわけで、今年も終わり。
北大柔道部的には今日で代替わりをし、幹部一同は退くことになる。
とは言っても、北大は依然課外活動を全面禁止しているのでやれることは少ない。
7/10に北大の行動指針レベルの引き下げが検討されているらしい。
ソースはページの右上隅、https://www.hokudai.ac.jp/covid-19/students.html#info
実行されれば、行動指針レベル1となり、課外活動も条件付きで再開できることになるのかと思う。
とは言うものの、柔道は密着状態が基本であり、寝技なんかはその度合いが最も大きい。
こうなると、いつになれば元通りの練習ができるのか、いやそもそもできない前提で動くべきなのか、だいぶ困る。
下手を打つと自粛警察にすっぱ抜かれて、諸々の対応という心底無意味な時間を過ごす羽目になるかもしれないと思うと、頭も痛くなってくる。

ちなみに個人的には、北大での練習が再開されるまでは柔道しない、ということにしていた。
そうすると、僕の存在意義もあやふやになってきた感も出てきたところで。
北大柔道部に直接関われない今、北海道で働いている意味もあんまり無いよなあ、なんて考えすら出てくる。
以上が、僕の話。
以下は幹部紹介に移ろう。
申し訳ないが2人まとめる。


まずは西森。
物事は合理的に考えたい、ってヒトに見える。
入部当初は中肉中背、寝ても立ってもまあまあ動ける。
方向性をしっかり決めれば抜きでも分けでも良い選手になるだろう、というのが最初の印象。
パッと見は合理的で、自分をしっかり持っていそうに見えるものの、実は色んなモノに影響されがちな面もある。
肉体的な接触を好んでおり、森まるを抱きかかえたり佐久間を殴ったりするのがこれにあたる。
色々見てると、西森本人も周りも、「西森=クールで孤独なとこがある」って思っていそうだけど、多分ほんとはそうじゃなくて。
結構他人が好きだし、他人を思って行動するようになった幹部後半は、結構イイ人間性ができてきてた。

自分のレベルアップに集中した期間は、確かに西森の実力を伸ばしたし、自他ともに評価されたことと思う。
だけど北大柔道部員としては違って、むしろ、培った自分をどうチームに役立てるか、ってのに悩んだ期間の方が西森の価値を高めたと信じている。

そんなわけで、彼には狼を推そう。

おおかみ、、、いや狐じゃね?ってのは無しで。
旭山動物園のガチャガチャで当てたフィギュアがあったので、
個人的には良く描けたと思ってる。

「一匹狼」って言葉はあるけど、実は集団生活が基本。
そんなところがぴったりだと思う。
僕は西森の七帝での選手としての活躍よりかは、彼の精神面の成長がチームに浸透したその先をこそ、見たかったけど。
まあ、これは言ってもしょうがないことなので、ここいらでいったん締めよう。


最後、笹。
青森出身ということで、僕は八戸のイメージで接することも多かったものの、実際は弘前のヒト。
そういやあんまり訛ってない。
他人想いで、色んな人の思いを抱え込むけど許容量を超えがち。
これは東北民に多い特性で、そんな特性を抱えたヒトは、飲みではっちゃけることでストレス解消させていたように思う。
ストレスは酒量に反映されるのだろう、そういう飲み会の記憶は朧げなことが多い。
なんか楽しく騒がしく、時には涙交じりの問答をしたよな、って記憶だけが残る。
パッと思いつくのは畑中さん、根本さん、幸恵さん、清野、早狩、大御所、松尾、小形とか。

脱線復旧、話を笹に戻そう。
諸先輩方に対して、僕は笹とがっつり話した記憶があまりない。
なので、彼がストレスに対処できていたかには、とても自信が無いわけだ。
事実として、笹の心は壊れたし、復帰にも相当な時間がかかった。
色んな人に止められる中で、それでも前を向いてくれた彼は、ひとつ尊敬に値する。
大きめの体に脆くも広い心で、僕が持ちえないものを持っている笹を。

そんでもって、柔道以外では色々とコミカルな話も抱えている笹なので、アリクイにしてみた。
彼に関わる面白系の話は、多分部誌やブログに載っていると思う。
この2つ、たまに読み返すと再発見できることも多いので暇なときにはお勧め。

あんまりうまく描けなかったので、笹っぽさを出そうと
考えた結果、ひげをつけてみたり、、、悪足掻き。

いつまで経っても自信の無さそうな様子だけど、それもひとつ特徴として役立てられるような道を見つけられることを願う。


おわり。

2020年6月29日月曜日

緑と橙、空の水色【現役紹介】

寒い。
本日の札幌は雨、気温は最高20℃ちょっと。
7月も間近、海開きをしたところあるが、こんなもんだっけか。
七帝の予定地だった大阪は30℃超で、季節が2ヶ月程違うように思える
5月以降は毛玉だらけのセーターをアンダーウェアにして、追い込み期を過ごしたのが思い出される。

遅い春を迎えた札幌で、快適なはずの外気から断絶した道場内。
足抜き下で根元さんや小竹さんの「板」に首を持っていかれたとき、宮武さんや林さんに当たる直前の、辛さが降りかかるそんな瞬間、ふと視線が上を向く。
すると窓から外が目に飛び込んでくる。
日も長くなり明るくなった空の色、繁る木の葉と、その隙間を縫う夕陽の光。
一瞬だけ思考が塗り替えられて、戻ってくると今度はちゃんと、現実と向き合う気持ちになれる。
そういうものに、僕は救われていたのかもしれない。
大方嘘である。
そんな情緒あふれるシーンなんてなくて、多分後付け美化作用。
実際は窓が曇っているし、景色に浸る余裕も無いし、ってところだったろうし。
「なんでこんなことやってんだろう」とは一瞬だけ思うものの、やり始めるとすぐにそんなこと考えている暇と体力なんて無くなる。
爽やかさなんて、きっと無かったんだろうなあ。

皆さんの追い込み期はどんな思い出があるだろうか。
いや思い出したくもねーよ、という方々も多いだろうけど。
正負の方向問わず強く残る記憶、というものを共有しておくのも、彼らの今後に繋がる一手なのかもしれない。


さて、幹部の紹介に移る。

彼。
派手である。
見た目、中身、言動、などなどひっくるめて、存在感がある。
日本人には中々居ない、原色の赤を纏っても負けなさそうな雰囲気。
僕の中では、アントニオ猪木、父親に次ぎ、3番目の人間。

変化を恐れない。
入部当初は純朴なメークインだったが、ケガによる離脱時に増量に成功し、立派な男爵へと変貌した。
ただ、そのフィジカルを活かし切れない感は、きっと心の持ち方を戦士にしきれなかったのかもしれない。
活かし方を考えたり、伝えたりし切れなかった僕の力不足も、大いにあるのだろう。

また、独特な思考を即座に行動へと変換するため、周囲との軋轢もあったと思う。
ここで言う周囲というのは、主に先輩方なのだけれど。
ここだけの話、OBOG(かなり上も含む)の数名から僕に、「あいつちょっと規律に疎すぎやしないか」という相談を受けたことも。
「常識や伝統慣習を理解した上で、それでもぶっ壊す選択をとれるのが藤田なのかもしれませんね」とお返したこともあるが、果たして実際はどうだったのだろうか。
そこを含めて人間性の妙なのだろう、正直僕も読み切れない部分が多い。
良くも悪くも、そんなトリッキーな人材である。
現役同士や、後輩からはその面白さが好評だったことも、大いにあっただろう。
将としては、そのトリックスター的な面が色濃く出ていて、彼らの代の特徴のひとつでもあった。

そんなわけで、派手なのと独特なのとで、藤田は孔雀。



毒虫や毒蛇を食べるらしい。
悪食、という奴だろうか。
これも藤田のイメージにぴったりかと思う。
毒耐性も高そう。

ところで、孔雀という鳥は、どうやら飛べるらしい。
生命の危機にのみ飛翔する、とは描くにあたって調べた際、初めて知ったこと。
思えば藤田にも似たようなところはあると思う。
大柄な体格、突拍子もない発想とそれを実行する胆力は、その片鱗だったのだろう。
惜しくらむはその、真に飛翔する様を見ることが叶わなかったことで。
ではまたの機会に、しかし彼にとっての危機とは、または、そうせざるを得ないときとは、、、。
そんな場面を、見たいような、いやそもそも、そんな状況にならない方がいいような。

ちなみに孔雀が翔る姿は本当に美しいので、興味ある方は画像検索されるとよろしい。


おわり。

2020年6月23日火曜日

北大は今、、、【現役紹介】

北大の現状はちょっと分かり難いように思う。
レベル2、というのが行動指針における現在の対応段階らしい。
北海道としての段階的緩和策(6/18時点)とも対応させると、以下のようになる。

レベル2
北大の行動指針、0~4の5段階で、数字が大きいほど制限は厳化。
学生の課外活動は全面禁止。
レベル1になれば、制限付きで活動再開、とのこと。
レベルの判断は自治体の状況に依る。

ステップ2
北海道の段階的緩和における移行期間を指す、6/19~7/9。
およそ20日間ごとに設定されており、ステップ3で移行終了で、8/1以降は「新北海道スタイル」が完成するらしい。
COVID-19の潜伏期間より長くとることで、安全側に寄せたのだろうか。
現在は「新北海道スタイル」が開始され、ドンドン進めていこうぜ、という状況のようだ。

ステージ2
北海道の段階的緩和におけるその時々の警戒段階を指す。
1~3の3段階で、数字が大きいほど警戒度は高い(=感染数が多い)。
現状は知事による注意喚起がなされているところ、とのこと。
判断は新規感染者数に依る。

調べて思ったのは、どれがどの基準なのか分かり難い。
ここにまとめようと思ったが、面倒なので挫折してしまった。
誰かに分かりやすく伝えるということは、こんなにも難しい。

とりあえずまとめると、部活動は北海道の新規感染者数が収まるまで待て、というのが現状。


こんな話ばかりでもつまらないので、部員紹介に移る。
今回はこの方。

象。アジアゾウを意識してみた。

佐久間である。
非常に仲間思い、そんなイメージから象を選んだ。
女子部員からの信頼はアツいものを感じたし、言動は女子だけでなく男子にも響かせようとしていた。
鬱々とした練習を盛り上げようと出していた声が、今も思い出される。
身体は柔らかいが靭性に欠けるところもあり、その脆さによるケガも多かったイメージ。

西森に口論で敗北するも、感情論を吹っかけて物理で殴り返されていたシーンも多かったなあ。
東南アジアでは象に芸を仕込む際の躾が厳しく、虐待だという説もあるらしいが、こちらはどうなのだろう。

あとは肌黒で目は大きく、涙袋がはっきりしており、ちょっと早狩を思い出す。
また、何故か言動がどことなくバカっぽいところがあり、これは清野チック。
ということで実は、「清野と早狩を足して2で割って、性別を換えたら大体佐久間」というのが僕の佐久間に対する印象のひとつ。
あくまでひとつ、なのでファンの方々は悪しからず。

しかし、あれ、獣医学部生は人好きする人が多いのか。
僕が知っている北大獣医学部生の、5人中3人が入試における面接高得点者であることも、その根拠。


絶対的な実力で君臨、というタイプではなかった。
常に集団の中にいて、ちょっとだけ前の方に行って後ろを鼓舞するタイプのリーダー。
伝えたかったものは何だったのだろうか。
伝わったのものは、何なのか。
一応、来年も出場権のある身分ではあるらしいが、どう動くかは佐久間次第、それは僕も分からん。


おわり。

2020年6月12日金曜日

情報収集【現役紹介】

今日、家に戻ると部誌が届いていた。
パラパラと手繰ってみれば道場での彼らのことが思い出される。
こんな風に思い出話になってしまうほど、距離が置かれてしまったということに身震いしてしまう。

北海道、主に札幌だが、COVID-19の緩やかな拡大が収まらない。
ニュース番組の日本地図でも毎日赤に塗られているのを見ると、先駆けの緊急事態宣言に感心していたのも空しく思える。
北大では対応レベルが3から2に引き下げられるらしいが、まだまだ多くの講義がオンライン主体であり、課外活動は全面禁止のままである。
詳細は北大のHPにて。こちらhttps://www.hokudai.ac.jp/covid-19/students.html#keizai


さてさて、暗い話しばかりになってしまうのも癪だ。
ということで、近年の趣味であるお絵かき4年目紹介でもしよう。
4年目、とは言うもののこんな状況ではもの寂しく響くのだが。
それでも僕が彼らを覚えておくことで、このちっぽけなブログに載せることで繋がるものがあれば、との希望も少なからず、ある。


彼は柔道において、心が弱い。
一応、獣(けだもの)の心も持っており、乱取開始後すぐはオラつく場合が多い。
しかし、乱取において、時には試合においても、「あ、あいつ今心折れたわ」の場面は枚挙に暇が無いほど、思い出すことができる。
それまでの猛りが嘘かのように、しゅん、と縮こまる瞬間がある。

丸い。
入部当初は小柄で俊敏な系統だったが、いつの間にかあちこちが丸みを帯びていた。
きっと、色々の痛みを凌ぐために、角を立てない体つきになったのだと思う。
最近は懐に潜り込むのが巧みになっていたので、「話に聞く石黒さんの全盛期は、きっとこんな感じだったんだろうなあ」なんて思っていた。
人柄についても、僕の知る限りでは遠慮がちなのが基本である。

反面。
心を立て直す術が身についている。
勿論すぐに、とは言わないものの、常人よりも圧倒的に早い。
サイヤ人よろしく窮地から復帰したし、強くなったはず!と思って相手すると、実はそうでもない、という場合も多かったが。
兎も角、不必要に沈みすぎない、というのもひとつの才能である。

そんな彼はネコザメ。

ネコザメっぽさが足りない気もする。蛙っぽいかも?
画力不足で両者に申し訳ない。にしても絵を描いたのも久方振り。


詳細は各自魚図鑑でも調べていただきたい。
サメだから歯は何度でも生え変わる。
これは何度でも噛み付いてくる(寝技の かみつき ではない)暗示。
そしてこいつは体小さめ大人しめ、あとは貝や甲殻類なんかをバリバリ食べるらしい。
卵の形が独特、産むときに内臓持ってかれないのか心配になる形状。
思うに顔つきが似ている。
神妙な感じの表情のときと、ネコザメの顔がそっくりだと思った。


最後に。
僕が彼を知る範囲では、どうも先頭に立つ存在ではない。
けれど、先頭に立つ者は彼を必要とするのではないかなぁ、と、僕は睨んでいる。
きっと、トップと下との軋轢に遭って、それでいつもの困ったような笑みを浮かばせながら、場を和らげるのだろう。
そんな森、愛称森まる。

今は就活中らしいが、現代一般に描かれる「就活に強い学生」ってイメージとは全く異なるので、彼にはそんなものに騙されず、堂々と自分を誇っていってほしい。
まあそんなん僕が言うことでもないか。


おわり。

2020年6月1日月曜日

触発

休日。
折角なので外にでも行こうかと思いつき、実行。
まずは「どうせ学生は暇だろ」との安易な考えで連絡。
すると1人目で速攻躓いた。
「予定有り、そういうのは事前に言っていただきたい」旨を返されたので、反省して独りでウロチョロすることを決意した。


昼下がりに家を出て、海を目指す。
30度弱が2,3日も続けば、札幌においては最早夏。
本当は山川が良いのだけれど、北海道の川はエキノコックスが蔓延っていそうで敬遠している。
先々週の部ログ記事を思い出しつつ、チャリを漕ぐ。

のんびり漕ぐ。
1m左の歩道の人々を追い越し、50cm右で自動車が僕を追い越していく。
自動車の中には、20cmくらいのぎりぎりで追い越していった強者も。
垣間見えたBMWのエンブレムで、昨年の煽り運転ニュースが脳裏を掠めていった。
高級車やスポーツカー乗りには凶暴な人が多い。
次点で、タクシーかプリウス。
車が良さを十全に発揮させたいのだろうと思うと、しょうがないから許してやろうとも思える。
そんなことよりも、6月の木々の枝葉の鮮やかさや、今日の空の深さに浸っていたかった。
何より、青々とした草木に包まれることも、雲に誰か何かを重ねることも、随分と久しぶりだった。
最近の僕は、頭の中で生きる割合が増えすぎていた。


海岸にはまばらに人の姿も見えた。
泳ぐのではなしに、皆ただ海を見ていた。
僕も同じく20分ほどぼーっとして、それから帰った。


考える、考えないのなら、考えた方が良い。
ただ、考えないことは悪ではなく、一定量は必要だとも思っている。
それがあるから、僕のそこそこの容量の脳みそはぎりぎりで整理がなされている。
普段ならそれは、黙想の時間や練習後の帰り道なのだけれど。
一応言っておくと、練習中、緩やかな思考のつながりなんてやってる余裕は、勿論無い。

いやしかし今日は、外に出てみて良かった。
一切外出せずにクズ人間生活してみて、その後悔をバネにするってのもひとつの手ではあったけど、今回はこんな感じ。

教訓、現役時代の僕よりも、今の現役は忙しい。
そういえば僕は当時事ある毎に暇人扱いされていたのだが、あれは冗談ではなく本当だったのかもしれない。
「大学生なんぞみんなこんなもんだろまたヒトをネタにしやがって」と思っていたのだが、いやまじか。


おわり。

2020年5月25日月曜日

ねだるな

休日。
今の職場は土日祝が勤務になる場合もあり、その分平日に休みが来ることも。
つまりはシフト制みたいなもん。
先週末からの期待値で北海道も緊急事態宣言が明けるということで、外出してみた。


およそひと月半ぶりだろうか。
いつもなら日中は何台かの自転車があるものなのだが、当然無し。
周囲の草木の茂り具合に、季節の移り変わりを感じるのみ。

はてさて、ここまで来ると、最近の現役の様子なんてのも気になるもので。
主将の藤田に連絡してみた。

何しろ僕はここひと月くらい部の実情を把握できていなかった。
部としては密にならないように屋外、少人数のトレーニングを、と言っていたのが騒動の当初。
緊急事態宣言あたりからは部のグループラインも動かない状態になり、僕も現役とは会わないように動いた。
職場内でも発熱者が出たり(ただの体調不良だったが)、某会社関係組織の人は複数職場の人々で密室での会議をふんだんに行っていたようだったしで、僕自身が感染源になってもおかしくなかったからである。

それはさておき北大柔道部の話。
確認できたのは以下の点。
1.現在は各自の自宅、自室でトレーニングを行っている
2.トレーニングはオンラインで5人程度が接続
3.月曜~土曜まで、各1時間(これは僕の想像)で、寝技の基礎運動と日別の筋トレ
4.新歓もオンライン上で(これは北大柔道部ログにも載っている)
5.新入部員、1年目が6人おり、オンライントレーニングに参加してくれている

彼らはちゃんと動いてるらしい。
いいねえ。
しかもいつの間にか新入部員も増えていた。
2人入ったらしい、と先月聞いた気がするが更に増えてた、非常に良い。
ちなみに僕がまともに知っていたのは4.のみ。
いやー、なんも知らされてなかったんだけども。
恐らく僕の入っているラインのグループと、別のグループでもあるのだろう。
「連絡網別にされてるくらいなら、俺ってコーチとして要らないんじゃね?」
という思考もできるが、この間僕が彼らを放任していたのと同様、彼らから僕も放任されていたんだろうと考えると納得。
いやでもやっぱ、責任問題的にもまずい気はする。


つまりあれ、しょうもないのは僕で、情報は自分で拾いに行ってこそ。
口開けたまま待っていても、餌くれるなんて妄想甚だしく、みっともないだけ。

さて、世間と一緒に再スタート切れればいいが、まだ難しそうか。
あと僕が今危惧しているのは、技術継承よりも精神性の断絶なんだが、どう動くべきか。
連続的な変容ならまだしも、断絶してしまうとどうしようもないからなあ。


おわり。

2020年5月21日木曜日

夏の甲子園も中止らしいな

七帝が中止に追い込まれるくらいだから、これもしょうがないことなのだろう。
ウチと違って関係する団体会社個人も多いだろうし、その分の夢希望苦悩資金将来も掛かるのだろう。
だから報道での扱いも大々的だ。
しかし思う。
人数や規模感は違うが、七帝も密度では劣らない、と。
僕らにとっては七帝だけど、野球関係者には甲子園。
そんな風な物事を各人いくつか抱えていて、喪失感の中で生きているのが現在なのだろう。


職場内でも、隣席の後輩が熱を出したということもあった。
結局のところ、軽症だったので感染確認もされぬまま復調、職務にも復帰したのが先々週だったか。
何とか世間の目を掻い潜って現役部員と接触しようかと思っていた出鼻を挫かれた。
というのがこの1ヶ月ブログを更新しなかった言い訳である。
まあ、見苦しい。

あとは、年度末から引っ越しに伴う諸々があった。
ということでそれもまた言い訳のひとつ。
今はそこそこ安定してきたので、そろそろ宅ごっつぁんもできるはず。


思考が多くなる中で、最近まとまったことをひとつ。
「『できない』ことを減らし、『やらない』ことを増やす」
こんな意見だと「もっと前向きな言葉で」というのが近年の流行かもしれんが、僕にはこういう言葉の方がしっくりくる。


おわり。

2020年4月19日日曜日

磨く

久々に靴を磨いた。
今回はカジュアル靴達をお手入れ。
足元を整えると気分が非常によろしい。
自分磨きも忘れて靴に時間と労力(あとお金)を捧げるのも、社会人になったからできること。


まずはこちら、B4かM1の冬に買ったスリッポン。

全体図。

16,000円くらいした記憶がある。
似たような靴(8,000円くらい)と比べて散々悩んだものを、見た目と防水性能で押し切って購入に至ったのを覚えている。
我が身に成るものと身に着けるもの、他人様の為に買うものは、値段で迷ったら高い方を買うのがよろしい。
当時は清水の舞台から跳ぶ覚悟だったのだけど、その下にこんな沼があって、尚且つ嵌まってしまうとは思わなかった。
まあいい本題に戻ろう、靴の様子をどうぞ。

特につま先の傷や掠れが目立つ。

もう5年くらいの付き合いになるわけだが、普段履きの靴として重宝している。
踵の内側の部分なんかは破れて、一昨年に自分でパッドを貼って補修したがまだいけそう。
ということで2,3か月ぶりの手入れ。
僕の手入れは基本、以下の手順を踏んでいる。
1. 馬毛ブラシで埃落とし。
2. ステインリムーバーで汚れ落とし。
3. ペネトレイトブラシ(または指)で皮革用クリームの塗り込み。
4. 豚毛ブラシでブラッシング。
5. 馬毛ブラシでブラッシング。
そうは言っても、素人仕事なので不備も多かろうと思う。
しかしやるのとやらないのでは結構違うので、皆さんにお勧めしたいところ。

次の画像はビフォーアフターということで、どうぞ。
無駄にフラッシュを焚いているので、前の画像と比較するのは難しいかもだけど。

左側がアフター、右側がビフォー。
艶感が違うのを共感していただければ幸い。
もう片方も磨くと、こう。

磨き終わり。

調子に乗っていい感じにセットしてみた。

今回のメインはここまでだったが、興が乗ったので他にも少々作業を。


次は冬用のブーツ。

シボ革とパンチドキャップトウが気に入った一品。

甲革はそこまで汚れてはいないけど、底の方がダメージを負っていたので補修。
半月ほど前にようやく購入したコバインキを使用。


掠れた感じも味になるかもしれないけど、
甲革がまだキレイなので、バランスを取りたかった。

初めてコバインキを使ったが、そんなに難しいこともなく作業を終了できた。
今回の手順は以下の通り。
1. ステインリムーバーで汚れ落とし。
2. コバインキで着色、乾くまで放置。
3. 皮革用クリームを塗布し、布で軽く磨く。
4. ワックスを塗り込み、布で磨いて全体を馴染ませる。

黒一色。ちなみにこれはワックスを塗る前。


最後は外羽根プレーントウ。
磨き前は取るの忘れたので、終わった直後の画像のみ。

フラッシュ無し。でも艶感がえろい、良い。

いい感じに置いてフラッシュ。
光の当たり具合で色味も変わる、えろい。

こいつは革底なので、一緒にソールモイスチャライザーも塗っておいた。
砂利を踏んだ時の「ガリィ」って音も軽減されてくれればいいのだけど。


気に入ったもの、波長の合うモノを大事に使う。
購入時の値段だけじゃない価値をどれだけ纏わせられるかも、その人の価値になると思う。
生まれ持っての素晴らしさに乏しいのなら、こういうとこで稼ごうって下心ももちろんあるけど。

なんにせよこれで、家を出るときに気分を上げて玄関を開けられるはず。
再度。
靴に限らず、日常のメンテナンスができるようになると、いろんなモノとの付き合い方が変わるのでお勧め。


おわり。

闘うということ

連日終わりの見えない日々が続く。
現役部員は終わりがあるからこその人々であった。
だからこそ、時間を圧縮した世界線で身を削っているのだと思う。
花火のようなものだ。
みんな何とはなしに好きだろう、そんな類のもの。
「自分が花火になりたいとは思わんけど」が多数なところもおおよそ一致する。

まあ、七帝柔道部関係者は世の中でも少数派競技である柔道の、そのまた少数派である。
つまりは大多数あってこそ、な面もあるので、そうである方々、それを担う方々には敬意があっていいはずなのだろう、とは近頃になってようやく思い至った。
どこもかしこも、誰も彼もが流れに翻弄されててんてこ舞いな状況である。
僕の勤める会社でも、業務量や内容なんかの見直しが検討され、調整段階らしい。
メディアやらSNSの大多数はこれを「闘い」と表現している。
まるでどこぞの労働組合みたい。
すると僕なんかはどうも思うわけだ「それほんとに、勝つ気なの?」と。
「闘う」ことには相手を「打ち負かす、滅ぼす」ことが目標の一つになるわけだけど、まじかよおいおい、という感じ。

違うだろう。
僕らに必要な心構えは、いただくこと。
もしくは受け容れるということ。
僕らの手には余るものばかりの中に、僕らは今存在している。
生きているのか活かされているのかは知らんが、兎に角、僕らが存在していることは確からしい。
ちらっと見上げた今日の空の色や、そこらに吹く風の匂い、喜怒哀楽に関わらず喚きだす腹の虫、自分を含めた誰もが、やがていなくなること。
支配しようと思うのは傲慢だ、それを理解して尚自らの下に置きたいと思うのなら、「闘う」と声を発すればいい。
程度問題だ。
僕はそこまで勝ち気にはなれない。
分配基準の問題だ。
なら、僕は僕のできそうなことに力を注ぎたい。

何をするのかの問題。
方針は6年前に決めた通り。
僕はあの時の僕を裏切りたくない、ってこと。
いま?裏切ってはいないはずだけど、叱られはすると思う。


おわり。

2020年4月13日月曜日

七帝中止の報

ご存じの方もいらっしゃるかとは思うが、今年の七帝は中止。
全国七大学総合体育大会のtwitterに記載の通り。
第59回 全国七大学総合体育大会、とそのtwitter
昨今の事情を鑑みるに、已むを得ない、という気持ちがほとんど。
「え、うち(七帝柔道)はそもそも元から独自でやってたのが、たまたま七大戦の枠に入っただけのことだから」
という人道的観点、世間の柵を超えた理論で予定通り無理矢理開催、の可能性も考えていたが、微粒子レベル。
まあ流石にこれはダメか、現役の大半が望むならOBOGのクビと懐を多少犠牲にしてでも、とは思ったものの、ハードルが高すぎる。
何が正解なんてない、どれを選んでも失敗で、あとはその程度問題。


あとは北大も、それ以外の6大学も現役の方々がきちんと受け止め、前に進めるかどうかというところ。
代替の場を設けるのもひとつ、すっぱり切るのもひとつ、ただし、誰もが影響を受けずにはいられない。
精神的に変になるだろう、今後OBOGはどうフォローしていくべきか。
或いはそんなものは不要なのかもしれないが。
介錯の援けを拒み、諸々飲み込んで幕を下ろす選択をした彼らを、まずは讃えるべきか。


おわり。

2020年4月7日火曜日

外出

本日、元々の予定では、関西遠征後のオフ明け。

そう書きだしたものの、今はもう4月になってしまった。
一応、予定通り現役部員の多くは、札幌に戻ってきたらしい。
ヤツのお陰でできないことの方が多いが、それでもできることを探っているみたい。
昨今最もまずいのは・密閉・密集・密接が揃い踏みした状態らしい。
見事なまでの三拍子勢揃いの柔道再開は、いつになるやら。

ああ、僕は専門家でも勉強家でもなく、確度の低いことでも勢いのままにキーを叩く人間なので、皆さんに有益な情報を載せることは、恐らく無いと思う。
客観的に解り易い表現が支配的である現代において、僕の主観は流れにどれ程耐え得るのか、というのが裏テーマの一つだったりもする。

本題、北大柔道部の話に戻る。
昨年末からの今期の冬場は、ひたすらに練習量を重ねるスタイルであったように思う。
量だけで言えば、例えば僕が2年目のときの小竹さんの代の最後の追い込み期間。
僕の2つ下、本田の代の錬成大会後の追い込み期間。
それらに匹敵するような量(=時間)を積んでいた、それらよりも数か月前から。
ということはつまり、ようやく質を上げるための準備が整ったということ。
質は量よりも優先されるが、その上昇には量が不可欠であることもまた経験則。
極一部の者のみが探索できただけで、多くは足を踏み入れるだけに終わっていた近頃。
探索者が多数になるのは久し振りだろうなあ、意志をどちらに向けさせるのが善かろうか、と思っていた矢先のこの状況。


さて、僕は振り上げたこの拳をどこに振り下ろせばいいものか。
そうしていたところにお誘いがあったので、先の土日は外に出てきた。
お誘いと言っても、ヤツが蔓延する前からの予定だったので、僕の日常的フットワークが軽くなったわけでもないのだが、まあそれはいいか。
・開放的・そこそこの距離感・たまに隣接、くらいで山小屋造り。
所属していた研究室の先生の個人プロジェクトに乗っかって、先輩や後輩と肉体労働。

残雪の山裾。

小屋。素人仕事は学びの連続。

焚火。火の始末はきちんと。


思ったのは、生と死を分けて論ずるべきではないということ。
僕らは連続体として存在し、あちらこちらで繋がっている。
こちらの都合で考え易いから個々を切り取っているだけで、本当は全てが複雑系として包括されているという、単純な話。


おわり。

2020年3月19日木曜日

継続は、、、

現役からの情報。
『大学から連絡』『道場閉鎖が4/14まで続く』とのこと。
不憫である。
世間の経済活動同様に、大学では研究活動は継続しているはず。
しかし課外活動はできぬようにしているらしい。
慌てて北大のHPを見てみると、研究活動については一切のコメントが無い。
また、新入生の講義開始も4/8→4/15になるようである。
どうするのだろう、研究室などに所属している以外の、ふつうの大学生の大半はやることなんてないだろうに。
北大生の半数は道外出身者ではあるが、帰省でもしなさい、ということなのか。
それは結局、感染経路を増やしているのと同じではないのか。


北大の施設を閉鎖し自粛要請をしても、大学公認団体以外の組織に影響はあまりない。
となると相対的に、公認でない団体が手広く活動するようになるのかもしれない。
過去の僕の場合、3月の25日前後くらいで札幌に来て、1人暮らしの準備をした記憶がある。
同様の予定の新入生も一定数いるのだろう。
彼ら彼女らは半月ほどぽっかりと時間が空くわけだ、何するでもなく。
道端で北大生を名乗る3人組に、よくわからん勧誘を受けたことを思い出した。
あれがどういう団体だったかは定かでないが、今年はそういう手合いが増えるかもしれない。
それを「大丈夫なのか?」と言ってくれる(物理的距離の)身近な人がいない、ということが起こり易いのが、問題の1つかと思う。


さて、厚生労働省によると、ヤツ(COVID-19)の潜伏期間は最大12.5日らしい。
となると、確かにそれだけ期間を設ければ、感染の可能性は低く抑えられることは間違いない。

ここで思い出すのが、北大における5月病のこと。
通称「恵迪風邪」などと呼ばれているものがある。
2,3年前は柔道部内でも半数以上が病に臥し、新歓合宿が中止になったこともある。
これはその名の通り、恵迪寮より拡大するといわれている。
恵迪寮に集った学生各々が、出身地や旅行先から持ち寄った菌・ウイルスなどが大元。
それらが寮内に蔓延し、感染・増殖・変異で覇権争い。
そしてGWあたりに結果発表、最強のものが北大構内に君臨する、という代物である。
要は恵迪寮で蠱毒が起き、その熟成期間が1ヶ月ほどかかる、ということ。

これは賛否両論あると思うが、僕個人としてはある種風物詩。
とりあえず北大構内の清浄加減は元からそんな程度だ、ということは伝えておきたい。
そんな中で、重症化リスクの比較的低い若年層が大多数である大学はどう対応すべきか。
どうせどこかのタイミングで一律一斉の行動に移るのなら、それも不特定多数の感染者予備軍を集めるのなら、タイミングをずらすことにどれだけの意味があるのだろうか。

あれ?これちゃんと考えて、うまいこと理由付けして、諸々バランスとれば課外活動再開できんじゃないか?
どうせ運動部のほとんどは活動できないんだし、一致協力してこれ考えてみれば良い案出せそうな気もする。
ああ、でもみんながみんな、活動再開欲に溢れてるわけでもないのか。
こういうのを一気呵成にまとめ上げて流れを造りだすのが、カリスマってやつなのだろう。
いや、つーかこの辺まとめて交渉するなら体育会の仕事になんのか。
学生主体を目指すのならやってほしい気もするけど、ハードルはそこそこ高いかなぁ。
まあ、黙って従ってても4/14に活動再開できるとも限らんし、ならば自力で前進しようともがくのもお勧め。


おわり。