2019年12月31日火曜日

今年のことは、今年のうちに 20191221

気づけば大晦日。
納会から10日も過ぎてしまった。
まあ、年内だしぎりぎり良いだろ、ということで振り返り。

今年の試合形式は、女子が個人戦。
男子はOB含めて全員バラバラでくじ引きの団体戦。
ちなみにこれは失敗で、何故なら戦力の偏りが著しい感じだったから。
現役:OBが1:4のチームと、その逆のチームができた感じ。
僕は過剰戦力側にいたので安心感しかなかったけど。
次回は現役は現役、OBはOBでくじをするのが良いってことで、まあ誰が覚えてんだろうか、みんな忘れてそう。

試合後は松浦部長による打ち込み談。
練習の質的ピークをどこに持っていくか、ということで、それは打ち込みだろう、ということ。
みんな乱取にピークを持っていきがちな近頃、普段口出ししない先輩に、しかも松浦さんにも言われる、ということの意味を考えたい一コマだった。
森まるの打ち込みが 強豪校っぽくて、本当に久々に見た。
かれこれ2年ぶりくらいだろうか、ずっとお温存してたんだな。


そういうことで2019年の北大柔道部での練習は終わり。
そのあとも現役は各々でちょこちょこやってたりなんだりしてたみたいだけれど、それは部ログを参照されたい。

僕は家事と仕事と惰眠で年末年始を過ごす。
年明けちょっとしてから実家に帰省予定。
えぇ、えぇ。
違うんですよ、移動費がね。
大体3倍くらいだろうか、需要と供給が経済を回していて、僕らはその外周部で遠心力に抗っている。


おわり。

2019年12月21日土曜日

何様 20191220

着替えて出たら乱取終わり。
参加できたのは抑え込みと研究だけだった。
18:00スタートだと勘違いしてた、スケジュール管理杜撰。

最近の増量効果か、抑えられた時のずっしり感は増してきている。
惜しくらむはその重みを、すぐに逸らせてしまうこと。
多分、体型やフィジカル出力値のハード面の向上に、ソフト面が追い付いていない。
Windows7の終了前に何とか10を導入したもののPC自体は10年近く前のもの、の逆パターン。
ちなみに僕は先日新しくPCを購入した。
自宅デスク周りを整備して、電子化によるレスの時代に乗り込んだつもりになっている。
2011年製 → 2019年製
ノート → デスクトップ
その他諸々の違いはあるが、取りまとめるとサクサク感で溢れ、ストレス減が著しい。
あとは慣れるにつれもう少し能率は上がるに違いない。

研究では主に位置取りの話。
正対における、掴む部位ごとの最適な距離感。
亀取前付きでは首肩の固定、横・後ろ付きでは巻き込まれ注意。
立ち技でも、組手時点での構え。
つまり段取り八分。
全部行き当たりばったりでどうにかなるのは、実力差が相当(範馬勇次郎 vs. 誰か、とか)か、運が良い(SBR時のポコロコ並みを要求される)かのどっちか。
でなければ、俗に言う「ギャンブル柔道」で、各大学の各代にちょくちょくいる選手がこれにあたる(北大では近年だと津田君とか)。

そういえば、この日はやけに人数が少なかった。
「いやな、最近ちょくちょくこういう状況になるんだわ」とは仙人佐々木コーチの言である。
普段よく来てくれている学内OBが、かなりの下支えになっているんだなあ、と再認識。

一方この日は見慣れない人も。
柔術家の方、わざわざ来ていただけるのはありがたい。
北大柔道部は部外者もフリー参加制なので、ぜひまた来ていただきたい。
しかし挨拶できぬまま帰られてしまいちょっと申し訳なかった。

もう1組、大和の追っかけ取材班。
いまや有名(になったもんだと勝手に思っている)な若手総合格闘家の一日に密着、という類のやつだろう。
まあそれはいい。
僕として高評価だったのが、一行が控えめにふるまっていたこと。
いつだったかどこぞの局が北大柔道部に来たときなんかは、20人くらいだろうかぞろぞろズカズカと入ってきて、如何にも「ほらほらテレビ局様が来てやったぜ」と言った雰囲気で非常に不快だった。
こういう連中が現実を好き勝手切り取って、事実として世に広めるに違いない。
その点、今回の取材陣は物事の優先順位をきちんとつけている風で良かった。
こんな人たちがいるのなら、手放したテレビも、機会があれば伸長してもいいのかもなんて思えた。

人は損得だけでなく感情で動く、僕もまた然り、ということ。

そういや上記、「現実を好き勝手切り取って、事実として世に広める」って、まんま当ブログにも当て嵌まる。
なるほど同族嫌悪だったのか、やはり嫌いな人が居る訳ではなく、自分の中の嫌いな部分を他人に見出している、ということなんだろう。


おわり。

2019年12月19日木曜日

未熟、というか退行幼稚化?

部誌原稿のまとめ作業を開始している。
今年は集まりが早いとのことで、年明けにはそれなりの形を提示できるはずの予定になっている。
なれるかどうかは、まとめ作業に当たっている僕の仕事にかかっているのだけれど。

今僕のPCストレージ内には結構な量の文章が、息を潜めている。
現役部員や引退した4年目、5年目、指導陣やその他先輩方の、北大柔道部にまつわる想いが溢れそうになっているわけである。
そんなあれこれを一つのファイルにまとめ、体裁を整える作業にかかっているのだが、一向に進まない。
理由は単純、多少なりとも読んでしまうから。
そしてその中で目に飛び込んできた文字列に、思考を巡らせざるを得なくなるから。
ちらちら目に飛び込んでくる文章に、『そういえば俺の書いた文章って、、、』と恥じらいを覚える今日この頃。
今の僕の恥じらいレベルならそこらのJKにだって負けやしないかもしれん。
まあ明日には9割忘れているだろうし、今どきは「恥の文化」よりも「罪の文化」優勢なので、こんな思考も賞味期限切れかも。


表現の自由の下で、修辞文癖流行語なんかが入り乱れる。
文章から為人が察せられるのは本当で、理由は人は現実そのものよりも、それを自己都合で編集した脳内思考の中に生きているから。
それでも偶にいるのが、「お前そんなキャラじゃねーだろ」ってやつ。
普段道場に顔を出せない方々、ぜひ部誌を読んでから現役を見に来ていただきたい。
ブログでも可。
まあ皆さんのためにも、僕は早めにまとめ作業をやってかないといけないわけだが、うん、この記事書いてたらちょっとやる気が出てきた気がする。

ところで、「電子データの方が良いって人もいるんじゃない?」との意見も出たものだけれど、どうなんでしょうかねえ。
住所録とかの個人情報以外なら、どっかサイト作って「ご自由にどうぞ」なんて公開してもいいのかもしれない、とは思ったのだけれど。
個人的には、人の情の詰まったものは現物にて保管したい派なんだけど。


おわり。

2019年12月18日水曜日

理解と表現 20191216

最近、と言っても先週からだったか、投げ込みを見ている。
新参者として、練習後の筋トレのメニューに加わったものである。
この日は片桐と市原の投げ込みに口出し。
2人とも白帯スタートで、立ち技についてはある種捨て置かれているものがあった。
当然、現役の限られた時間で柔道を網羅なぞできぬもので、取捨選択の結果。
だけども、教えてみると案外できるもんであった。
打ち込み、投げ込みレベルであれば、割かし短時間で成果も出ることが証明されたわけだ。
所要時間は20分くらいだろうか、清田監督と僕がメインで口出し。
教え方が巧いのではなく、彼らの理解力が向上したのが最大の要因だったと思う。
その上で、脳内演算結果を出力できるだけ、神経系の発達も達成していたのだろう。


柔道における技術、しばしば理合と呼ばれるものだが、これはおおよそ物理学の世界。
あとは身体構造や反射などの生理学(医学?)やメンタル面がかなり効いてくると、今はそう思っている。
思うに、打ち込みや投げ込みは物理学メインで考えると良い。
大学生や大人であれば、ここの理解は容易だろう。
子どもにはちょいと難しいような気がする。

これは実体験なのだが、理論と実践の区別がよくつけられない。
「先生は『こうやったら投げれる』って言ってたけど、乱取じゃちっとも効かないじゃないか」って良く思っていた。
理想がそのまま現実に当て嵌められると思い込んでいたのだ。
つまり当時の僕は物理の話にプラスして、相手の対応や反射その他諸々が加わった演算をできていなかった。
あとは、そもそも「絶対に投げたい」みたいな意思がなかったので、最大の要因はそれ。
子どもというのは想像の世界を現実に置きがちなもので、まあそれは区別がないという点で、しばしば大人をハッとさせるものなのだけれど。
現時点の僕についても、まあちょびっと毛が生えたくらいのものでしかないけど。


柔道は大人になってからの方が、技術体系の理解はし易い。
体も一旦完成されているから、生涯柔道をするなら、変な怪我もしにくいはず。
大人が始める柔道教室、あってもいいんじゃないかな。
但し書き。
北大柔道部はガチガチの競技柔道部なので、いろんなリスクはあるし、失うものも多々ある。
現役学生は、ほかにもやりたいことやるべきこともあるだろうに。
袋に世界のすべてを入れたければ、やるべきは袋を裏返すことだ、たとえ既に中身が入っていようと。
そんなことなんだろうなあ、と。


立ち技で勝てるようなレベルを目指す必要はないけど、かといって知らないままでもいけない。
じゃあ最低レベルはどこか。
説明可能であるかどうか、だと僕は思う。
投げた際、投げられた際の「それはなぜか?」を説明できるかどうか。
物理の範囲くらいでは出来てほしい。
そう思ってて、あ、これ多分できるな、そう思った。


おわり。

2019年12月11日水曜日

他山の石 20191210

着替えて出たら乱取終わり、参加できたのは抑え込みと反復、研究、あと筋トレだった。
さっそと道場に辿りつけないのは、僕の仕事の効率が悪いからだろう。
能率上げないとなぁ。
同じ成果上げるんならより早く。
同じ時間かけるならより高いレベルを。
僕がいつも現役に投げかけていることの一つ。
なんてブーメラン、因果応報。


反復は指定のもの、第5週の技5つ。
この日は横巴と浅野返しが気になった。
横巴は現役の終盤から現在まで、国際ルールでお世話になりっぱなしの技。
浅野返しは安全問題、やり方間違えると手首が折れる。

横巴に関しては、現行の北大式は4拍子。
崩して崩してつくってかけて。
初心者向けの構造で、膝を抜くことなくかけられる簡易式。
実戦レベルでは3拍子になり、崩し又はつくりが省略、統合される。
僕は引込技として運用しているので、基本は2拍子。
体勢が良ければ1.5拍子でかけている。

浅野返しは1,2番共に事前の準備が全て。
相手に上られる前に趨勢は決定している。
覆そうと思う方、圧倒的パワーを求めるのが吉。
今道場に来ている面々をフィジカルで扱えるのなら、もう何も怖くは無いだろう。
目指せドクターくれは。
組手の最中に打震を混ぜれば相手は悶絶、確実に勝てる。


帰り際、1年目後藤が学生会館の夕食にありつけない問題を初めて聞いた。
ごっつぁん行けばいいのに、と思ったら門限もあるらしく難しいとのこと。
世の中はなかなか都合の良いようにはできないもんだなあ、と。
しかし他の連中は大丈夫なんだろうか、毎日遅くまでいるのも、それはそれで体を休められなくなかろうか。
まあ、質を上げるにはまず量をこなさないといけないもんで、今がその時期ってだけのことなのかもしれない。
ああ、これもブーメランだな。


おわり。

2019年12月10日火曜日

ひげ切り 20191209

筋トレの時間。

近藤が鏡の前でもぞもぞ。
いつもの如くポージング。
と思ってたら違っており、ハサミでひげを切っていた。
いや、ひげの手入れは家でやればいいのに、、、。
しかもあれは部の共用のハサミだった。
一同から「汚い」「えぇぇ」「洗えよ」「落としたひげ掃除しとけよ」の声。
返すに「いやちゃんとやりますよぉ」。
面を見れば一発で分かった。
あれは「中学生が親に『宿題やったのかい!?』と言われた後に『これからやるつもりだったよ』とせめてもの反抗を試みるパターン」と一緒であった。

北大柔道部において、近藤=汚い、臭う、モノを散らかす・放置するというイメージが出来上がってしまっている。
もし、外部の方が来られて「部室きたねーな」と思うところがあれば、半分以上は近藤に責がある。


この日は休日だったので、土曜に続いて練習開始から参加できた。
やはり基礎運動が気になる。
何人かには指摘したが、全員にはできなかった。
まあ、研究の時間清田監督からエビについての講習が出ていたし、この日はこれくらいでいいか、とも思った。
一挙手一投足に意味づけを行えるかどうかが、できる人とできない人の差。
できる人にとっては、ひたすらにやっているだけのこと。
できない人にとっては、ただただやっているだけのこと。

例えば這う、腰は落ちているか、膝で踏ん張ることなく爪先で畳を捉えているか、足は開いたままで前進できているか、背は丸めず胸は張っているか、これら全てがどの行程においても維持できているか。
動く際には、脇の締め具合は、視線はどこか、掌はどちらを向いているか、肘の位置はどこか、とか。
それだけやるとどうなるかと言うと、めっちゃキツイ。
確定で汗が出る、打込までには。
身体は興奮状態になってくるから、どこそこ痛めていても気にならない程度になってくる。
突き指や軽い捻挫くらいなら無視できる状態で、打込以降のメニューに入ることができる。

だから、僕は幹部になって以降、テーピングをした記憶が殆ど無い。
なんてったって動きの邪魔だから、痛みは誤魔化せるし。
整骨院にて伸縮性のテープを張っていただいたことはけっこうあるが、がちがちに固定する、ということは多分無かったように思う。
代わりに破れた道着の補修には、よく使っていた。

そんなことを、大将で肉チャー食べながら話していた。
あとは坂田が後藤を追跡する話とか、アニメやゲーム、漫画なんかの創作物関連の話。
ちなみに坂田はストーキングの話を楽しそうに語ってたけど、一線を限りなく越えかけている。
後藤が出るとこに出ていないだけの話だと思った。
坂田といい、その上だと北口とその仲間たちとか、対人関係拗らせ人間がちょこちょこいるなあ。
僕の対人関係問題とは別ベクトルなので、対応策はちょっと思いつけない。
でもちゃんとやんないと、そのうち部内でしょっ引かれる人も出てくるかもしれんし、求むリスクマネジメント。


おわり。

2019年12月8日日曜日

口腔の再生速度は何気に早い 20191207

タイトルから察せられたかと思うが、ちょっとした口の怪我をした。
顎に後頭部でアッパーを食らって、その時に犬歯で舌を傷つけた。
舌先から2~3cmくらいの両端部分が、1~2mmほど切れたり抉れてたり。
乱取中は良かった、これはおそらくアドレナリンの作用。
その作用も、帰って晩飯にありついたときには切れていたのだけど。
当然飯が進まない、というか、まず上手く噛めなくて、驚いた。
180cmの男が、たった2mm程度の傷に手間取ってしまうことに。
10回も噛めないもんだから、殆ど飲み込むだけの晩飯だった。

高2の頃にヘルニアと診断されたときのことを思い出した。
あの時は175cm位だったが、背骨のどこだかに1mmくらいの「みょんっ」と出てた何がしかによって、運動能力が極端に左右されてしまっていた。
大学に来て飯食って柔道してデッドリフトして寝てたらいつの間にか治っていたけど。
ああ、ストレッチを忘れてた、まあまあちゃんとやってる。
今は殆ど気にならない程度。


この文章を打ち込んでいる今は、切れていたところもちょっと繋がっていて、滲みることもなくてまあまあ普通に戻ってきた。
違和感は残っているので、今日は舌足らずな喋り方にて終了。
「ら行」が中々に難しい。
気になる方がいれば、舌を奥歯で挟みつつ「らりるれろ」と言ってみると良い。
今日の僕の気持ちが分かっていただけるはずだ。
「愛国者達」ではないので注意されたい。


さて練習の話。
土曜日とあって先輩方の参加が多かった。
僕より上だと、佐々木コーチ、東郷さん、宮武さん、清田監督、奥崎さん、飯村さん。
抜けがあったらごめんなさい。
反復の時に飯村さんの正対十字を久々に受けた、何でかは分からんが、頼まれたから受けた。
往時の正確性やスピード感は無かったものの、動きに引っかかりが無いのは流石だった。
動きの質が落ちている身としては、羨ましい。
ここ数年打込みや反復には混じらないようにしていたので、磨かれることは無い身である。

そういえば、練習前に池田を見た気がしたけれど、いつの間にかいなくなっていた。
何かしら重要な要件でもあったのかもしれない。
まあ、遠方から来て忙しい中、道場に顔を出すだけでも有り難いと思うべきなんだろう。

乱取では、前述の通り舌をやってしまった。
あとは「壁族」への対応を考えさせられた。
壁=道場の端、という場所にあまり良い思い出は無いので、この話はまたそのうち。
要約すると、自己顕示欲の強いいじめっ子が弱い者(僕とか)を引きずり出して先生や親御さんの前でボコボコにする場所が、まあ当然端っこであった、ということ。
ただ、北大における「壁族」はそれとは全く違うのだけれど。

質疑応答では、バカ絞め=小手絞りということが判明して新鮮味。
でもやっぱバカ絞めはバカ絞めだよなぁ。
バカにかける技だし、でも突き抜けたバカには逆に難しかったりもする。
全部無視して突っ込んで来られると、ちょっと間に合わないパターンも出てくる、という意味で。


おわり。

2019年12月5日木曜日

距離感 20191205

「柔術の悪いところが出てる」とは、研究の際に仙人佐々木コーチから発された言の一部。
先輩に対して失礼な物言いではあるが、正しい言葉遣いだと思った。
柔術(=この場合はBJJ)「が」悪いのではない。
エッセンスの取り入れ方に不備があるということ。
色々の要素が絡み合った結果、今は、上手くいっていないということ。
世の中そんなんばっかり。
我々にとってはちょっとしただけのことでも、実は大きなきっかけになっているのかもしれない。
桜を見る会も、世の流れによっては「そんなに目くじら立てるほどか?メリットの方が多そうじゃん」となっていた可能性があると思っている。
まあ実際のところは知らんけど。


寝技が主戦場になりがちなところは同じである。
逆に、七帝柔道とBJJの最大の違いはどこにあるか。
「抑込で勝負が決定されるか否か」である(これも仙人の言、僕も同意)。
これによって、競技特性としての距離感が変わる。
是である七帝(に限らず一般も含む)柔道は、近間。
否であるBJJは遠間。
遠間で戦うBJJでは、すり抜ける技術が発達している。
対して柔道で発達しているのは、すり潰す技術である。
これらはイメージだけれど、ここを理解して肌感覚として持っておかないと、せっかくの技術も七帝では空回りしてしまいがち。
BJJは悪くない、悪いのは競技特性に合わせないこと。
どんなにコードバン靴がお気に入りだったとしても、雨雪に履いてはいけないのと同じ。
とは言いつつ2,3回小雨に遭っているのは、ここだけの内緒の話である。


そういえば、競技特性としてBJJの方が遠間ではあるが、日常生活に比べれば近いことには変わりない。
だからこそ社会人にも受け入れられやすいのかな、近いとは言ってもお互い動ける距離ではあるし。
これが柔道になると、近すぎて暑苦しい。
だから「適度な距離感」が求められる社会人には、些かウケが悪いのかもしれぬ。
事実、北大柔道部の現役達は物理的精神的な距離が近いことが多々ある。
その濃さと言うと、水飴を煮詰めたようなもので、乱暴に言えば気持ち悪い時もちらほら。
近過ぎるとハラスメントになる世の中なので、社会復帰の際には苦労するかもしれないが、それもまたひとつ、人生の嗜み方なのかもしれない。
好きに選んだらいい。
その責任は、自分だけに与えられる特権でもある。
羨ましいと、そう思わない訳でも、なかったりもする。


おわり。