2019年12月18日水曜日

理解と表現 20191216

最近、と言っても先週からだったか、投げ込みを見ている。
新参者として、練習後の筋トレのメニューに加わったものである。
この日は片桐と市原の投げ込みに口出し。
2人とも白帯スタートで、立ち技についてはある種捨て置かれているものがあった。
当然、現役の限られた時間で柔道を網羅なぞできぬもので、取捨選択の結果。
だけども、教えてみると案外できるもんであった。
打ち込み、投げ込みレベルであれば、割かし短時間で成果も出ることが証明されたわけだ。
所要時間は20分くらいだろうか、清田監督と僕がメインで口出し。
教え方が巧いのではなく、彼らの理解力が向上したのが最大の要因だったと思う。
その上で、脳内演算結果を出力できるだけ、神経系の発達も達成していたのだろう。


柔道における技術、しばしば理合と呼ばれるものだが、これはおおよそ物理学の世界。
あとは身体構造や反射などの生理学(医学?)やメンタル面がかなり効いてくると、今はそう思っている。
思うに、打ち込みや投げ込みは物理学メインで考えると良い。
大学生や大人であれば、ここの理解は容易だろう。
子どもにはちょいと難しいような気がする。

これは実体験なのだが、理論と実践の区別がよくつけられない。
「先生は『こうやったら投げれる』って言ってたけど、乱取じゃちっとも効かないじゃないか」って良く思っていた。
理想がそのまま現実に当て嵌められると思い込んでいたのだ。
つまり当時の僕は物理の話にプラスして、相手の対応や反射その他諸々が加わった演算をできていなかった。
あとは、そもそも「絶対に投げたい」みたいな意思がなかったので、最大の要因はそれ。
子どもというのは想像の世界を現実に置きがちなもので、まあそれは区別がないという点で、しばしば大人をハッとさせるものなのだけれど。
現時点の僕についても、まあちょびっと毛が生えたくらいのものでしかないけど。


柔道は大人になってからの方が、技術体系の理解はし易い。
体も一旦完成されているから、生涯柔道をするなら、変な怪我もしにくいはず。
大人が始める柔道教室、あってもいいんじゃないかな。
但し書き。
北大柔道部はガチガチの競技柔道部なので、いろんなリスクはあるし、失うものも多々ある。
現役学生は、ほかにもやりたいことやるべきこともあるだろうに。
袋に世界のすべてを入れたければ、やるべきは袋を裏返すことだ、たとえ既に中身が入っていようと。
そんなことなんだろうなあ、と。


立ち技で勝てるようなレベルを目指す必要はないけど、かといって知らないままでもいけない。
じゃあ最低レベルはどこか。
説明可能であるかどうか、だと僕は思う。
投げた際、投げられた際の「それはなぜか?」を説明できるかどうか。
物理の範囲くらいでは出来てほしい。
そう思ってて、あ、これ多分できるな、そう思った。


おわり。

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