2020年1月28日火曜日

雲海 20200125

この日は朝から札幌龍谷へ出稽古。
北大武道場は終日どこだかの部が使うとのことで、そうなったらしい。
こういう時に笹谷コーチの伝手が有り難い。
思えば、僕が現役の頃から来ていたのである。
札幌龍谷の高校生たちは。
逆に北大生が伺うことはなかったのだけど。
つまりは幾ら情報を持っていても、実際に行くかどうかとなると、人間尻込みしがちだということだと、そう思っている。
そういうところで一つ踏み出せるのかどうかは、おそらく必要とされる資質の一つなんだろう。
正しく意志を持てば、情報や状況は実行動とは関わらない。
少なくとも、我々くらいの規模やレベルにおいては。

そんなこと考えてたが、敷地内に入ったものの道場の場所を知らないことに気づいてうろうろしていた。
2,3分経った頃に小形と偶然鉢合わせたので、連れて行ってもらって事なきを得た。


準備運動、打ち込みの後に乱取。
寝技乱取4分×10本。
立技乱取4分×10本。
自由乱取4分×10本。
体感だと半分から6割くらい入っただろうか。
高校生の、同じ子らが何度も当たりに来てくれたのが印象的だった。
高3の子はいないはずなので、高2、17歳、僕より10年下、おぉ。
一応寝技に関してはアドバイスも多少できた、と思う。
ただし一般の方々には制限時間があるので、そこを踏まえた上でどれだけ伝えられたか、というのは難しいところ。
メインは際を狙うということで、普段の構築的な寝技とはまた少し違う思考。
まあ、これが七帝には不要かというと、そんなことは全く無いのだけれど。

立技乱取の終盤には、室内の汗が抜けなかったのだろう、畳上について滑って仕方がなかった。
窓ガラスも全面曇っていて、飽和状態。
休憩の折に窓を開放、空気の入れ替えを行うと雲海が発生した。
畳上の汗が蒸発、窓からの冷えた空気で凝縮、道場一面を白い靄が覆ったわけだ。
最近は、北大で窓が曇ることすらほぼ無いものなあ、と思いつつ、珍しがる皆を見ていた。
人口密度の問題、か、そんでもうしばらくすると新歓、うん。
まあ、雲海ができるのは僕も初めてだったのだけど。


それにしてもやはり、立技は難易度が高い。
多少実力で上回っているくらいでは、ちょこちょこ投げられてしまう。
僕はそのあたりに魅力を感じない性質なので、やはり寝技メインの七帝は良い、と再認識できた。


おわり。

2020年1月24日金曜日

意識化無意識化 20200123

今やっていることに意味はあるのか。
この問いに答えられるようになるかどうかが、僕の中での一つの指標。
何の指標か、練度である。
意味を持たせて意識化し、無理してやり続けたらそのうち無意識に出ている。
そうすれば、最初の基本を破っても、また離れても、目的へ向かうための目標は自己管理できるようになってくる。
正しく問えば、自ずから答えは滲み出てくる。
これは特に北大柔道部に限った話でもなくて、おおよその物事に共通する。
ちなみに、「お前は何故その仕事をせねばならんのだ」これに対する答えを、僕は持っていない。
つまりはそういうこと。


そういえば、抑え込みのレベルが上がってきている。
テーマ別にて抑えさせると、2,3人くらいには抑えきられるようになってきた。
彼らの共通項は何か、推測だけど、「どうしたら抑えきれるのか」ではなく「抑えきる、こう、あれ違う?」というスタンス。
正しく必要とすること、これが中々に難しい。
澤田には組手に見せかけた、いや見せかけてもいなかったけど、グーで殴られたものの、それも澤田なりの理由があってのことだったらしく、受けてやるのも先達の務めか、なんて思ったりして。


しかしまあ、日本語というのは、表現の自由度が高い。
3つの文字種とそれらの対応、特に漢字の読み多忙ぶり、省略、同音異義、比喩、つまりはより高尚な言語だと、勝手ながら思っている。
ただし問題があって、僕を含め多くの人は高尚というよりもむしろ低俗である。
だから、一問一答の精度は英語表現の方が高い。
何を言いたいかというと、「どうしたらいい?」の意味を図りかねる場合がある、ということ。
WhatなのかHowなのか、はたまたその他のWHなのか。
正対の突破、組手で優位を、ベンチ100kg、コミュ力向上、異性にモテるには、就職を見据えて、ねむい、チームの一体感とは、つかれた、今日の献立は、かんがえたくない、卵焼きに具を入れること如何、スマホ依存からの脱却へ、エトセトラ。
もうなんというか、答え様が多すぎて、それで得意になれるのは自信か蛮勇を誇るものくらいだと思っている。
代わりに諦観、「できる限り伝えるけど、最終的には、もう受け手に任せるしかないよな」ってのは、僕を含めたおおよその人が処世術として身に着けていることかと思う。

しかし立場上無責任が過ぎてもいけないとも思うので、まずはお前がレベルアップしろよ、って自問自答。
「どうしたらいい?」と問われて「コ□セー」と叫んだのは2015年度のこと。
では、2020年度は?
分らんが一つ確かなことは、どこかでタイミングを見てミサに行くということだけ。
ああ、これは柔道ほぼほぼ関係ない話なんだけど。


おわり。

2020年1月22日水曜日

整える①

持論を述べる。
テーマは「自分の整え方」。
タイトルには①とつけたが、今後の展望は特にない。
展望は無くとも効能は持たせたいもので。
「ここで文章に出してみれば何か思いつくかも」という希望がある。
その先には当然、北大柔道部現役部員の貧弱免疫体質を改善するにはどうしたら良いか、というここ数年の課題が控えているのだが、果たして辿り着くのだろうか。
ともあれアウトプットしていくのみ。


提言、「美味い調味料を買うこと」。
最近気付いたのだけど、現役宅で料理させてもらったとき、調味料の乏しさが気になった。
ついでにあんまり美味しくない。
きっと自炊に必要最低限、かつ最安値という観点から選んだものと思われる。
イチ個人に与えられたリソースの中での選択としては間違いではない。
が、やはり高いものを買った方が良い。
理由はシンプル、美味いから。
美味い調味料が何をもたらすのかと言うと、安い材料でもちゃんと仕上げることができる。
大体僕が現役の頃から「実家で炊事の手伝いをしていた」ってのは半分以下だったのだ。
あれから数年、その割合はさらに少なくなっていることと思う。
そんな人達にまともな手捌きは期待できないものだから、もうここは便利グッズ=調味料に頼るのが最適解。

ちなみに外食すればいいだろ、って意見は却下。
みんながみんな富裕層ではないし、稼ぐにはバイトも必要になる。
毎食外食、もしくは中食するとして、一体幾ら掛かるだろう。
北大生協のカレー大盛は、確か350円くらいだったと思う。
量的にはこれを2杯でまあまあ良いところだろうが、それだと栄養的に心許無い。
もっと色んな栄養を取らねばならんから、積もり積もって3,000円/日くらいいくのではなかろうか。
だとすれば食費だけでひと月90,000円。
それに見合うだけのバイトをすれば、当然睡眠時間か勉強時間が削られる。
これは全く現実的ではないだろう。

では具体的に何を買えば良いのか。
そもそも料理経験の無い者は、まずはCookDoが良いかと思う。
僕は使ったことがないのだけど、他にキャベツと豚肉があれば回鍋肉作れるとかだった気がする。
キャベツは1玉150~200円、豚肉は安いところ探せば80円/100gくらいであるんじゃないだろうか。
1,000円もあれば、1日分の回鍋肉と白飯分くらいは賄える気がする。

そこそこ料理できる人であれば、好きな調味料を探すのが良いと思う。
多少割高でも少量のものを買って、試してみるのが良い。
一度分かれば残り一生それを基本にできるので、おすすめ。
最近砂糖をキビ砂糖にしてみたら、特に和食関係のうま味が増した気がする。
値段分の価値はあったと思う。
塩も精製塩ではないものにしたが、良い意味で雑味のあるまろやかな塩気で、心地好い。

今回はそんなところで。
まあまあ長くなってしまった、次回は手短にいきたい。


おわり。

2020年1月21日火曜日

部とは 20200120

久方振りの積雪。
札幌の冬ってこんなんだったよな、というべき景色。
朝から降り続いた雪は、道場へ向かう時には足首を越えるくらいになっていた。
歩きにくさは一入。
前から団体様が横並びに来るともう避けるスペースがないくらい。
多少のイラっと感と新雪を踏みしめつつ、道場に向かった次第だった。


着替えて出たのが18:30過ぎくらいだったか、少ない。
やはり体調不良、全部で5,6人くらいだったか。
僕が1年目の頃の閑散具合を思い出した。
佐々木さんにそう話すと、「いや、あの頃は1年目が来なかったんだ。今は上級生が来ないんだ」と。
1月というと、1年目は右も左も、つまりは部における自分が何者か分かってくる頃で。
2年目は準幹部として、今代の仕上げと次代の画策との2足の草鞋。
3年目は言わずもがな目の前に迫った終わり、そこに何とか漕ぎ付くのに四苦八苦。
そんな時期かと思う。
そういう観点で見ているのだけど、とてもそんな状況ではなさそう。

反面、僕の画一的なモノの見方以上に、今の北大柔道部の人間関係多様性が開花しているということなのかもしれない。
こればっかりはいいのか悪いのかはわからん。
結局はそれで勝てれば成功、そうでなければ失敗というだけのもの。
誰も失敗したいわけではない、けど現実として、優勝できるのは1チームだけ。

じわじわとした歩みしかない。
最近正対では噛み付き指定とのことだが、一緒。
ただただ、前に出る意思を持って進む。
押し返されても、逸らされても、向きを正して前へ。
限界まで出きったところで、初めて次の足抜きに移行する。
実のところ、ほかにも手はあるのだけど、結局正攻法ができないと活きてこない。
センター試験の楽な解法を身に着けても、2次試験では使えないのと似ている。
頭の使い方(物理)を学習すれば、少しずつできるようになっていく、はず。


少し話を戻して、チームと言えば、ウインドブレーカーの話。
白、紺、赤と色が、またデザインが多少変わってはいるものの、基本は変わっていない。
背には「JUDO TEAM」の字。
これが「JUDO CLUB」ではないことに、いつだったか酷く感動したのを覚えている。
CLUB=クラブ=倶楽部で、字面のイメージが「ともに楽しむ」。
一緒にいて楽しいただそれだけの集団、そんな部でなくて本当に良かった、と、独りそう思ったことがある。
だから、色や形は変わってもいいけど、TEAMがCLUBにすり替わるのはいただけない。


おわり。

2020年1月17日金曜日

置く 20200116

練習終わりのミーティングにて。
「インフル流行りがちなので、予防接種を義務化しようかとも思っている」との旨。
この日は各学年で体調不良者がおり、まあいつも通りといえば、そう。
冷える季節で、体に厳しい季節なのも、そう。
いくら今年が暖冬とはいえ、札幌の最高気温は正負の境目付近。
多少通りの良くなった暖房も、18時以降くらいには大本が絶たれる。
つまり、練習後は冷えこむのが常であり、これによる悪影響は多いはず。


そんな中、寒さで声も出せず、粛々と練習が行われているわけである。
そういえば、名大は試合だと声を出さない規律があるが、練習でもそうなんだろうか。
畳に上がった時には、全ての準備は終わっている。
つまり試合のすべてに対応できる選手であるはずである。
とかそんなことだったように覚えているが、じゃあ逆に練習中は助言叱咤激励怒号なんかが飛び交っていたりなんだりするのか、とは北大柔道部に属してからの疑問の一つでもある。


疑問が解決しない原因は大きく分けて2つ。
無知か無能か。
最初はだれもが無知である。
解決の材料を揃えて初めて、無能になれる。
あとは、どれだけの知の幅、深みを身に着けるか。
組み合わせの妙、筋道立ての感性を磨くか。
僕は欲張りなので、質疑応答では知識も思考法も一緒くたに発信してしまう。
雑多な書籍から仕入れはしても、全然扱いきれていないところに僕の無能さがある。

ちなみに今の課題の1つは、必要な分だけ選んで提供すること。
敢えて提供せず自作してもらうこと。
これらのバランスや、どううまく回すかが、いつも難しい。

現役全体を見ての課題は、望みは欲張りでも、努力を惜しみがちなところ。
色々できるようになりたい、いい心掛けだし、僕なんかはそんなの早々に諦めた。
ぜひ、志高くいてもらいたい、若者は欲張りくらいで丁度良い。
ただいくら望んでも、口を呆けて待っていれば手には入らないし、動いたところで両手で泉の水全てを掬うことはできない。
これは僕のここだけの話なのだが、億万長者になろうと思ってもう、10年以上が経つ。
なった後の計画も立てているが、一向に宝くじに当たる気配がない。
この10年間で買った夢の枚数は、総計数十は下らないはずなのに、である。
じゃあどうするか、どうしよう。

そういうわけで、去年からNISA、始めてみた。
そこそこ成功したらちょっとだけ自慢するかもしれない。
大成功したら人知れず消える、失敗したらここで喚きたてる。


おわり。

2020年1月7日火曜日

他人任せ 20200107

18:40頃に道場着。
ほんとは18:00スタートの昨日に行けばよかったのだけど、仕事が長引いてダメだった。
もっと能率上げないとなあ。
すぐに流れに身を任せようとしてしまうので、常に考えて最高効率の動きを、というのが僕は苦手である。
じゃあ流れでできるように整えればいいじゃん、との考えもあるけど、修練には時間が必要。
となると、うまいこと同僚の方々を巻き込む練習を重ねるのが、一番コスパが良いのかもしれない。
時間と体力は余らせて、しっかり使うべきところに使う。


最近乱取する面子が固定されているような気がする。
まあ、僕から現役に当たりに行くこともそうそう無くなっているので、それもそうか。
5本やるとすると、序盤に坂田・藤田あたり。
中盤から終盤にかけて西森が来るイメージ。
あとは比較的調子良いときの森が途中来たり、相手選び合戦に敗れた千葉が来たり。
後の人らは2,3日に1回、とか。
坂田・藤田・西森あたりはそこそこ意図を持って当たりに来てる感があって、その場で教えるパターンもちょこちょこある。
全体への指導も大切だけど、そのくらいの区別はあって然るべきだと思う。

練習後、1年目石川が質問してた。
「立ち技で後ろについた時、どうすればいいのかがわからない」
確かに、下手なつき方だと巻き込まれて一本。
最悪は、変に着地して怪我、ということもあり得る。
総合格闘家やまとや、院生コーチの岡本が回答してた。
要点をまとめると、大体2つだったか。
①力を逃がせない立ち位置、抑え位置を捉えること。
②筋力以上に重力を考えて、相手にかけること。
これらは消耗を抑える、という観点からも重要。
完全に、「今この試合で結果出せばいい」は決勝戦以外ありえないので。
抜き役を任命される人は特に。
抜いて、次を分けるまでが仕事で、それができなくて「1人抜いて次で抜かれて」は失点でしかない。
現実の利益と損失の話ではなく、本来得られるはずだった(得るつもりだった)利益に対して現実はどうか、という問題。


筋トレ後、部室では笠井が嬉々として64の電源を入れていた。
カスタムロボをやるらしい。
結果どうなったかまでは見ることなく、帰路についた。
しかし、そういえばもう2,3週間で期末テストの時期ではなかったか。
最近単なる勉強不足(というよりも放棄)による留年者が目立ってきたような気もする。
覚悟を決めての留年なら構わんし、状況が許すのなら勧めもしたい。
ただ、大事な春休みの練習期間に再試追試再々試、なんてのは無粋な気もするので、気を付けてほしい気もする。


おわり。

2020年1月4日土曜日

旧年の目標

去年はずっと「誰も言わないことを言う」ことを頭のどこかに置いていた。
いろいろと観察する中で、マイノリティ側の意見を出そう、という観点。
少数派の理由は様々、大勢の見えていないことだから、良識のある大人なら表立っては言わないことだから、普通に考えれば言うべきではないであろうから、etc.。

「今更2019年の話かよ」とは当然の感想だとは思う。
でもだからこそ、僕は引き出しを開けることができる。
そもそも、思いは心に仕舞っておくべきだと考えている。
変質してしまう、というのがその理由。
内から外へ、自分から他人へ、経過を重ねるごとに当初のものからは変わってしまう。
それを、僕は懼れるきらいがある。
だから、たいせつなことは極力他人に見せないようにしたい。
これはたぶん病気で、たとえ家族であっても見せていない一面が、そこそこの数存在する。


それでもいろんな組織に関わる人間として、表現は必要だ。
だから、自分なりのルールを設けて接するようにはしている。
全部自然体でこなせる人間性や徳の高さには縁遠いから、誤魔化しているわけだ。
思考速度が速いわけでもない、無尽蔵に行動できるスタミナを持っているわけでもない、その他時間も資金も何もかも制限されている、その中で目的に近付いていくにはどうするか、時折考える。

千日を以て鍛、万日を以て練。
僕がこの世に出てきてかれこれ、昨年で万日を越えたのだがどうなんだろうか。
一旦練りあがったひとりの人間としての僕は。

僕は僕という媒介を通さないと、外へは働きかけられない。
なるべく目的への都合が良いように振る舞う。
そういうことで、今年の目標、「             」。
覚えてたらまた来年、その時までは、ぶれないように仕舞っておこう。


おわり。