2018年12月30日日曜日

納会 その2

間隔が開いたけど前回の続きということでその2。
前回に引き続き、引退した側に話を寄せて書いてみる。


小田さん。
益体もない言い方をすれば、神、と呼称される先輩。
完璧、というわけではない。
欠点と呼べる部分もあるだろうが、それを補って尚余りある徳が、更に上の先輩方からも尊敬される所以となっている。
柔道においては、正直に言うと強くはない。
単なる強さとして出ない部分が、小田さんを偉大足らしめている。
北大柔道部が個人主義柔道家の巣窟ではなかったからこそ、功徳は功徳として認知されたと思う。
勿論それが小田さん独りによるものではなかったのだろうけれど、果たした役割が誰にでできたかということは、決して、無い。
今回1,2年ぶりくらいに道着を着たということで、終盤完全に体力切れしていたけれど、だからこそ、「如何に現役の頃は無理を重ねていたのか」というのも見えてきて僕は独り感動していた。

諸事情により2人とばして、次は奈須。
僕の1つ下の主将で、アクの強すぎる同期や自由奔放な後輩に手を焼いた苦労人。
幹部の後半くらいになると、正対下でのインバーテッドガードを主軸にしたかなり手強い分け役に成長した。
途中から、インバーテッドの攻略は諦めて、ひたすら振り回して亀にするのを狙うしかなくなるくらい面倒だった。
足回しがキレイ、でも説明させると「こいた屁をかき回すイメージで」と、ちょっと残念なコメントをしていたのが記憶に残っている。
今は道内の町役場勤めで、地域の少年団で子どもたちと柔道してるらしい。

山脇は引退後に覚醒したタイプである、色々と。
彼の私的な性格や行動については、そのもう1つ下の後輩たちが良く知っていると思う。
波長が合うグループ内において、彼は教祖的性格を与えられていた。
相手に対応して、、、というのは苦手で、これは多分山脇の行動のおよそすべてに共通していることかと思う。
何が何でも自分の型に引きずり込む、できたら大体勝てる、というのが見ていて分かり易い。
片足を超えさせてからの腕緘で逆転して縛って足抜き、というのが常套手段。
フィジカルさえあればちょっとのコツでどうとでもなるが、無いとかなり面倒。

本田、僕の2つ下の主将、あと無礼な後輩。
彼の主将時代、二言目には「4年目は神」「不敬だ」と言って権力をかき集めていた。
以前紹介した気もするが、見た目は脳筋、中身は理論派の曲者。
理論を積み重ねた結果、出した答えが脳筋と同じだった、というケースがいくつかあって興味深い。
まあ、目に見える行動は一緒でも、過程や仮定の含有量の差で到達点はかなり違ってくるから、「考えても考えなくても一緒だ」というのは適切ではないのだろう。
脇がガバガバのくせして何故か強い立ち技と足抜き、亀に逃げたら遠藤返で追い立てられてトルコ返しでトドメを刺される。

ケント。
今回は「橋本」と黒板に記載されていたので、「あれ?リンタさんの名字なんだっけ?」状態は回避していた。
柔術出身の白帯・小柄・坊主・無口ということで、実直なやつなんだなあ、という評価を得ていた。
第一印象の評価など、夏頃までには180°変わっていることも珍しくない北大柔道部において、年度末ギリギリまで高評価を保っていた稀有な存在。
とある出来事で人生が90°変わったらしいが、その後の周りからの評価は安定していた。
正対下から引っ掛けるような動きが得意。

小形。
ケントとは水と油的な関係、と思っているのは本人だけで、ケントからはきっとたまに遊んであげるおもちゃだと思われている。
性格を一言でまとめると、姑気質。
良くも悪くも細かいところに気が付く、ねちねち、ねちねち。
分け力が高いけど、そのスタイル的に頭髪へのダメージが深刻でヤバい。
人生にネガティブを見出すのがとても得意で、炭水化物と塩分が好物。

小山は、まとめ役としてのリーダーと言う感じの主将だった。
水と油とドスとチャカとダイナマイトと深淵と、、、みたいな同期を繋ぐ楔のようなイメージだろうか。
柔道的には大怪我続きで雌伏期間が長くて心配だったが、最後の七帝には何とか間に合って本当に良かった。
出来ることを減らして特化させた分、正対下からの返しの力はかなりのものだった。
最近インドから帰ってきたけど、お土産のカレー味のお菓子はなかなかいけた。

あとは4年目の方々。
岡本は相変わらずの高機動型関節師だったけど、流石にあそこまで守りに入られると厳しいか、、、という試合だった。
まあ、1年目ゾーンに行ったらもう、誰も止められなさそうな気しかしなかったから、現役側としては、うん。
鹿野は見せ場づくりが上手い、本人が狙ってやってるわけでもないだろうけど。
同じ経済学部の先輩で、足抜き下になってから頑張るゲスガエルを髣髴とさせる試合だった。
確かに盛り上がるけど、現役はそういうのは真似せずに安定した感じでやってほしい。
田上は、そういう意味では安定感はあった。
練習にはあまり来ていなかったようだけど、生来の体の柔らかさもあって、見ていて「うん、まあ大丈夫だろう」という雰囲気を作ってくれた。
小笠原は相変わらず芸達者。
技術は豊富だけど、体が硬いから十全には使えずパワーで押し切るって感じは否めないが、まあ普通に強いよね。
あと腕緘は怖い、掛ける側もね。


よし、結局試合の話はあんまり詳しく書けなかったけど、こんなもんでどうだろうか。
思い出せば、それぞれの人について記事も書けそうだ。
試合を観察してて思ったのは、やはり練習量の多寡は出る、ということか。
苦しい状況になったときに、普段の姿勢が如実に表れる。

今回だと、4人目の時には僕の腕はもう使えない状態で、「それでもやらねば」って気持ちがまず出てこなかった。
だからもういろいろと騙し騙しでしか動けなくて、練習不足による劣化を痛感させられた。
そんな体たらくを見せても、誰にも良い影響なんて与えられないだろうし、指導者って難しいものですね。
いやー、もうちょっと格好良い風を装いたいけど、張りぼてだとすぐに飛ばされちゃうから、結局ちゃんと積み上げないといけないんだなぁ。


おわり。

2018年12月25日火曜日

納会 20181222

先週末は納会。
今年はOBOG対現役。
参加人数でいうと、女子は2対3、男子は8対18だった(その後修正されて10対16に)。
女子は現役2人をOG3人ともにあてて6試合。
男子は全OBと試合ということで、結果2.5周してた。


さてさて、そういうわけで、気になった試合をいくつかピックアップしてみる。
現役の話ばかりも飽きてきたので、今回はOB側に立ってみることにしよう。
一部「(諸事情により)俺の名前は出すなよ、絶対だからな」と仰った方もおられたので、かの先輩については、義理堅い僕としてはその言に従うより他は無い。

あとは、全部書ききるには僕の気力が保ちそうにないので、きっと2回か3回に分ける気がする。
そういう逃げ道もちゃんと作ったところで、さて始めていくか。


女子の部。
参加OGは能美さん、松尾、小島の3人だった。

能美さんの試合は見ていて安心する。
安心、とは、結果が安定しているということではなく、過程がはっきりとしているということである。
あと丁寧。
派手さや奇を衒った動きは無く、基本に忠実、というべき動きが殆ど。
それが重要で、北大柔道部としてこうありたいなぁ、と思える柔道をされている。
勝敗の結果がどうであろうとも、周りがそれに納得できる試合をするっていうのが、七帝柔道における信頼のバロメーターの1つだと思う、チームの指揮にめちゃくちゃ関わるしね。

松尾は動きは固いがその分防御力がある。
白帯スタートで、かつかなり細身だったが、ガッツは良いものを持っていた。
センスも特にあるわけではなく、だからこそ、努力の人として評価を得ていた。
他に特徴を上げるとするならば、なんか不憫な人というレッテルと、独り酒からの泣き上戸で同期に電話のコンボが得意ということくらいか。

最後は小島、は引退したてだし特記事項は無し。
「引退したら道場行きません」とか言ってた気がするけど、4年目内での参加率はトップクラス。
まあそんなとこだろうとは思ってたけど。
今回の試合では、腕緘は審判から見て非常に判断しにくいし、人によって耐久地に雲泥の差があるから怖いなあ、と思った。


次は男子の部。
松浦さん。
仙人佐々木コーチの名シリーズ「昔○○ってやつがいてなぁ!」によく登場する先輩の一人。
松浦式かみつきには、僕も良くお世話になっている。
トイレに行ってて試合は見れなかったけど、2分とはいえ未だに試合に出続けてくださるのは本当に有り難い。

高城さんは、七帝関係者では無いけれど、ちょくちょく道場や試合に来てくれる方。
普通の市民柔道家の方で、だけども直接的間接的に応援してくれる人で、感謝に尽きない。
寝技が得意、というわけではなく、昔ながらの柔道をされている印象。

奥崎さんは京大柔道部出身のストロングマン。
男気溢れるフィールドワーカーだった気がする。
「靭帯やっても頑張れば動くやろ」「男は背中よぅ」等々、言動にシンパシーを感じる先輩。
柔道もストロングスタイルで、フィジカル弱者はめちゃくちゃ蹂躙される。
今回は西森があの手この手を駆使して引き分けに持ち込んでいた。


疲れたので今回はここまで。
記憶が残っているうちに書ききりたい。


おわり。

2018年12月11日火曜日

リスク管理 20181210

数日真冬日の寒さと降雪が続いた。
結果どこもかしこも真っ白で、もうそろそろ根雪になるのかもしれない。
先日時間つぶしにヒトカラに行ったら年末価格になっていた。
人の足元見やがって、需要と供給ってか、全く正論だよ!と思った。
とっておきの靴を履いて行ったら、きっと対応も違っていたのかもしれない。
あ、でもあれレザーソールだ、雪で滑るしボロボロになるしそれどころじゃないわきっと。

幸いにして、チャリはタイヤを履き替えている。
グラベル用の奴だしつるつるでない雪道は大丈夫だろ、ということでチャリを運用。
歩く人々を気にしつつ、僕より多くの税金で国を支えている自動車ユーザーに敬意を払いつつ、迷惑を掛けぬようにゆっくり漕いだ。
転ぶのは徒歩もチャリも大して変わらないので、スピード出し過ぎなければそんなに問題ない。
そういうわけで、普段の1.8倍くらいの時間をかけて、仕事終わりに北大へ。

練習に参加して、あとちょっと筋トレした。
最近また四股踏みし出して、バランスを崩しつつも、まあまあできてきた。
何となく腰が落ちてくる感覚で、あとはまっすぐな上体をキープできれば上出来だろう。

帰り道もチャリ。
北大構内、メンストはいい具合の路面状況で快適に走ることが出来た。
その後は数段落ちる乗り心地だったのが痛いが。
まあでも、踏み固められた雪も、ただただ積もっただけの雪も全部越えていくのは、なんだか心地よいところもあった。
ザクザクと、ズズズズっと一定の音に囲まれて、一定の動きを繰り返すうちに頭も冴えてくる。
その中で取り留めのない思考が湧き出て、自問自答していくうちに疑問が氷解して腑に落ちる瞬間がある。
それらのうちのほとんどは次の5分くらいの間に忘れてしまうのだけれど、「何時かまた出てくるだろうしまあいいか」ってことで気にしすぎないようにしている。

文明社会に浸り過ぎて、情報供給過多になりがちなので、こうやってバランスを取るのが僕は好きだ。
でもやはりチャリばかりでも周りに迷惑だろうし、次は走ってみようか。


おわり。

2018年12月6日木曜日

仕上げ 20181206

諸事情により、今週参加できるのは今日が最後だった。
まあ、だからと言って妙に気負うことも無いのだけれど。

2年目ウィーク真っ盛りの今日の主将役は中村。
低めのハスキーボイスが良い味出してる。
自信に満ちていたり、覇気溢れていたりすれば一層魅力的だと思ったが、まあ、求め過ぎなのかねえ。

さて僕はと言えば、いつも通りといえばいつも通り。
出来ること、出来ないことを考える。
現役の様子を見る。
現状の不足を考える。
出来れば、彼ら自身が気付いていない部分を拾い出してあげたい。
それを上手に表現して、彼らに伝えたい。
けれどこれが中々厄介で、そもそも僕は俳優やアーティストやらの職業表現者ではない。
「いや、すまんけど頑張って察してくれよ、後生だから」なんて思うくらいの大根役者だ。
その補助として、こんな文章を書いてみて、脳内思考の言語化に勤しんではみるものの、こういう時に限って言葉は不便だ。
想いを十全に伝えるのは本当に難しい。
となるともう、想いを言葉で表現しようという試み事態がナンセンスで、無粋なものなのではないかと邪推する始末である。
こうして言い訳のレパートリーばかりが増えていくわけだ。


見苦しい弁明は終わりにしよう。
今日の練習の話である。
4年目以上では、北口、川上、岡本、小島、ケント、本田、石倉、僕、遠藤さん、佐々木さんが来ていた(もし不備があれば申し訳ないが)。
多分、柔道できる3年目以下の数と大差なかったのではなかろうか。
そしていつも通り、テーマ別でも乱取でも、半分くらいは何もしなかった。
中島の、とりあえず言ってみました感満載の「ファイトーおー」と、佐久間の割合勢いのある「オォォォ」ってのがたまに聞こえるくらいで、あとは怪我中の千葉の「ファーイトー」が定期的に響いてはそのまま流されていた。
つまりは雰囲気が死んでいるって言うこと。
いやもうこれ完全に負けるチームだろって、他人の痛みのわからなさに定評がある僕ですら、はっきりとした死相を幻視した気がする。
多分だけど、今現在、現役の8割は死兆星が見えていると思う。

2年目が指揮を執っているけど、一体彼らがこの2週間の評価をどう下すのか、結構気になる。
「いや慣れてないしこんなもんだろ、大体俺らがやる前から雰囲気良くなかったし」とか言いそう。
まあ仕方ないのかもね。
、、、ホントに?

雰囲気に巻き込まれて僕まで落ち込むのは嫌だったので、申し訳ないけど自己暗示掛けながら練習してた。
こういう時でも次の展開を見据えて動いていける佐々木さんは本当にすごいと思った。
ただ現役の人たちは、その「次」が何なのかを、真剣に考えた方が良いと思うけど。


練習終わりの帰り道、外は雪だった。
直径1,2mmくらいだろうか、細かい雪が勢いよく降り注いでいた。
粉雪、と言うには粒がはっきりしていて、顔に当たるとちょっと痛い。
なんと表現すべきやら、帰り道は云々と悩んでいた。
寮に到着する寸前に思い至った。
和三盆だ。
そう思うと和菓子が食べたくなったけど、買い物が面倒なので止めた。
1日置いたカレーが待っていたし。
そういうわけで、今日のブログはカレーを食べながら書いてみた。
我々の体は口にしたものから出来ているわけだから、思考もそれに準ずるのかもしれない。
え?そんなことない?まあいいけど。


おわり。

2018年12月4日火曜日

お試し期間 20181204

師走になってしまった。
しかし師匠も走るのか、1年の締め括りに迎春の準備と、12月はさぞ忙しいのだろう、なんて子どもの頃は思ってた。
最近は雪が降って積もったかと思いきや、週末に融けてしまい、今日は雨。
お天道様も忙しそうである。

北大柔道部と言えば、先週から2年目が指揮を執る期間に入っている。
先日道場に行ったときには西森が、今日は佐久間が主将の役を務めていた。
僕が現役の頃は、例年東北戦後から新人戦までを期間としていた気がする。
今思えば、3年目にとっては今後の方針を考えるための準備期間、また2年目にとっては次代への布石と経験を積むための期間だったような。
思い返せば、小坂さんが主将役の時のハラハラドキドキ感や、中岡や八田が主将役のときのハラハラヒヤヒヤ感が甦ってくる。
1つ下の代では、四天王が主将役の時は、何もイベントは無くとも、何故かしら面白かった。


今日の練習では、柔道を1.5時間ほどにして、その後1時間ほどを筋トレの時間にしていた。
練習時間外にやっていたものを、練習時間に組み込むということである。
賛否両論は当然あると思う。
練習時間の純粋減で、効果をあげるには質を上げなければならない。
理想は質も量も上昇させることだけど、それには当然リスクもあるから、ひとまず2年目は今の形を選んでみた、ということだろう。
あとはどれだけ密度を上げるか、盛り上げられるのかという点に尽きる。
効果を上げられれば勿論最高の出来になるのだろうが、それよりも、自分たちの評価をきちんとやってもらえれば良いかな。
暫定目標に対して何をどこまでできたのか、それによる効果はどうだったのか、それらの結果と当初の考えとの差異は何か、次の機会により良くしていくにはどうしていけば良いのか。
あとは、曲がりなりにも部を仕切った経験から、何か思うところを見つけてくれたら幸いかな。
僕自身がやったときは、「ふーんなるほど、まあこんな感じなのか」とかものっ凄いテキトーなことしか考えていなかった気もするけど。


あとそういえばキーロックをやった。
佐々木コーチは「これで抑え込みの技術はひとまず終わりだ」って言ってた。
そういえば、今年は袈裟固めからのへ―シンク対神永の五輪決勝からの高専時代のOB奮起の話を聞いてない。
かれこれ10回は聞いているはずなので、そろそろ諳んじられるようになっていても良い気もするが、出来ぬは我が身の未熟なのだろう。

筋トレの時間に、久し振りに独り四股を踏んでみたら、案外できたような、でも腰が入っていないような変な感覚だった。
何回か続ければ、そのうち心身も一致してくるだろ、多分。

そういえば、インド帰りのコーチ小山がいたけど、あんまり日焼けしていなさそうだった。
むしろ白くなったような気がしたけど、本人曰く「黒くなった」とのこと。
インドと言えば、元同期のおっさんを思い出したけど、そういえばあのおっさんを超える逸材にはまだ出会えていないな。
早狩ですら、おっさんには敵わなかった印象があったからなあ。
全然違う話になってきたのでこの辺でお開き、詳しく知りたい方は北大柔道部ログで「おっさん オッサン サンオツ」なんかで検索してほしい。


おわり。

2018年11月30日金曜日

交通手段

近頃は寒い。
師走を前にして冬もちょっと本気を出してきたようで、雪も積もるようになってきた。
積もった雪が根雪になるかと問われれば、もうしばらくは無いかもしれん、というところか。
しかし、積雪とそれに伴う路面凍結によって、そろそろチャリも漕ぎ納めが近付いてきた。


そういうわけで、先週から路面が危険そうなときは、通勤は徒歩にしている。
大体30分と少しくらいだろうか。
これを同僚の方々に言うと、口々に「いや列車乗れよ」とか「車買えよ」とか返される。
個人的にはどちらもかなり苦痛なのだけど、もしかして僕がマイノリティなのだろうか。
考え無しとか、伊達や酔狂でそうやっているわけではないのだが。

列車通勤について。
まず朝の通勤時に、すし詰めにされるのが嫌だ。
座って優雅に読書でも出来れば違うのだが、1駅分しかなく、しかも大き目な体で他人様の迷惑にもなる、というのが苦痛だ。
しかもその試練を乗り越えても結局、駅までと駅から徒歩になって、合計通勤時間は20分くらいとの試算。
雪やら何やらの障害でJRが遅延することもまあまあありそうなので、「じゃあ最初っから歩くわ!」となる。
え?僕何か間違ってます?

自動車通勤について。
通勤以外での必要性を感じない、以上。
「買い物にも便利だし」「遠出できるし」「お前彼女とデートするときどうすんの?」とか言われるわけだが、、、。
札幌駅近に住んでてインドア派で以下略の野郎からすれば、豚に真珠、馬の耳に念仏も良いところである。
大体、車なんて買ったら維持費もかかるし、そのうち「せっかく車もあるし」とか言って使い途探し出すのが目に見えてるからホント嫌だ、信念なんてすぐに曲がってしまいがちな僕を舐めないでほしい。
タバコとギャンブルはやらなくても許されるのに、何でクルマとか保険は駄目なのか、ちょっと教えてほしい。
いややっぱ無しで、説き伏せられたら買わざるを得なくなっちゃう。


そんなわけで今年の冬は徒歩メインでいくことにするつもりなのだが、デメリットももちろんある。
道場に行くまでに時間がかかる、つまりは練習に参加できる頻度が減るということである。
職場からJR、札幌で地下鉄に乗り換えて北18条駅から徒歩で道場、となっても最短で30分弱くらいか。
ウチの職場の最寄駅は、普通列車しか止まらないので、退勤時刻によっては道場に着いたら19時前、って日々を過ごす羽目になりかねない。
去年は職場からの帰り路途中に道場があったけど、今は職場挟んで反対方向だしなあ。
そんな悩みを抱えている今日この頃。


スーパーでは白菜が安くなってきていて嬉しい。
炬燵に鍋にみかんが最強、一生籠もっていたい。
でも上記のどれも今の住処には無い、試練の時である。


おわり。

対症療法 20181129

知識は道標である、と思っている。
何かしらの目標、例えば七帝柔道で分け切る、といった際に取り得る行動の効率化に役立つ。
具体的行動として、立技・寝技、更に細かくすると組手争い・足捌き体捌き・正対上下・亀とか、まあ色々ある。
更に細かく、更に更にとなっていくと、つまりは無数の選択肢から「この状態に持ち込めば割と安泰」ってのを判別するための基準になるのが知識だと、そう思っている。

練習後に、1年目の近藤と町田と、引込とそこに至る過程について議論していたが、明確に答えは出ないもので。
ヒントは多くあって、彼らよりも知識と経験を持っている僕が担うべき役割として、それらを提供することはある種当然のことかと思う。
でも、ゴール地点を定めるのも、そこに向かうのも彼ら自身だ。
ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん。
あ、そういえばまだ映画観てないや、1はTVの焼き増しとか繰り返しが多かったような気がして、「俺はいったい何を観たんだろう」って気分になったから、2もちょっと怖いんだが。


目標達成には知識が必要だけど、それをどれだけ提供するのかも結構難しい。
ねだるだけでもらったものは、人間それを大事にしないってのはままあることだ。
翻って僕自身の職場でも、それと似たような問題はあるけれど。
まあ仕事に仕事以上の価値を見出せていない僕が言うのも何なのか。
あんまり言うと社内情報の漏洩にもなりかねんから、この辺で止めておこう。


先日小菅先輩から、「今の企業は社員も管理職も経営者もみんなサラリーマンだからなあ」という風な内容の話を聞かせていただいたけれど、うーんまさにその通り。
北大柔道部も、現役はそんな感じなのだろうか。
僕が現役の時は、、、どうだったっけ?もしかするとあんまり変わらないのかもしれない。
まあでも、「目標達成に○○やったら良さそう/□□しなければ効率化できそう」ってのはどんどんやってって良いんじゃないかな。
「目標ってなんでしたっけ」「目的も特にないんだけど」ってなると、それはまた別の話し合いをしないといけなくなるわけだが。
一時期よりかは、多少は進んでいる気はするから、きっと悪くはない、とは思う。
だからって、手放しで「イイネ!」ってのは僕は言えない性質だけど、でも手伝いなら出来る範囲でするつもり。


おわり。

2018年11月28日水曜日

故あってサボってました

前回から10日間ほど間が空いてしまった。
「もしかして仕事が忙しくて」とか「ついに柔道部を卒業して真人間に」とか邪推した方々には申し訳ない、先週も2,3回は道場に顔を出していた(多分)。
まあでも色々と思うところもあったわけで、結果自分の妙な心理状態を使って実験していたので、更新もしないままになった、とそういうわけである、多分、いやきっとそう。


練習の内容はどんなだっけ。
確か、横巴の追加講習をやった気がする。
崩しも作りも掛けも難しいからなあ。

崩し。
横または後ろ隅への崩しは出来ていても、背負のイメージで引き上げていたり、払腰とか内股みたいに釣手の肩甲骨を寄せたりしていた。
『ロシアンパワー養成法』に載ってた崩しのイメージが近い気はするが、まあイメージなので。

作り。
今の北大で教えられている横巴だと、自分で動いて空間を空けるものになる。
空いたところに跳び込んで、若しくは落ちて、はたまた抜いて掛けに転じる。
この空間の取り方が、なんだか広すぎる気がした。

掛け。
真巴のイメージ、若しくは引込のイメージでやっている部員が多かった。
背中か腰の全面がつくように身を捨てたり、身を捨てきった瞬間と足裏を相手の腰に当てるタイミングがかなりずれていたり。
そうすると、横に崩して作った相手を後ろに投げねばならなくなって、合理性が著しく落ちる。
僕は相手の重心直下、崩した方の足元に自分の頭を置くイメージでやっていた。

まあ僕の横巴も、最終的には投げ2割、寝技への移行3割、立技からの緊急避難5割、ってところだったので、そこまであてにできるとは限らんが。


練習後の部室での話。
今の話と昔話。
「いやー俺も幹部の時はツラいこともあったしなぁ」
って言ったら本田に返された言葉が、
「いやいやあなたには『ツラい』って感情はなかったでしょ(笑)」
、、、断言してんじゃねーよふざけんな!
まったく敬意の無い奴め、直属の先輩の教育がなってないんではなかろうか。
どなたか!あの不埒な後輩に制裁をお願いします!


あ、週末の新人戦では審判やってきた。
国際ルールで慣れないところで、ミスもちょいちょい出て僕の試合にあたった学生さん方にはちょっと申し訳ない。
フォローしてくださった先生方には感謝しています、これは本当ですよ。
なんなら学生さん方には、「あんな奴でもできんのか」とか思ってもらって、僕より若い人がどんどんやってくれるようになってほしい。

北大生への感想としては、まず欠場が多すぎ。
理由はいろいろでしょうがないのかもだけど、参加費2,000円/人だっけ?
たしか欠場が8人だから、16,000円が無駄に、加えて移動のバス代とか、試合に掛けた時間とか考えると、うーーん。
その辺も踏まえて、それでも全体として得るものは大きかったのか?
休むのは個人の行動だけど、その責任って当人だけのものなのか?、とも思う。
自分のことについて責任感を持つのは良いことだと思うし、人としてきっと必要な要素だ。
でも、それを他人の全てに当て嵌めて、「だから俺はアイツの責任は取らない」ってなってるんだとしたら、ちょっと哀しいかな。


そんなことを言ってみたわけだけど、僕も大したことは出来ていない。
それに試合後札幌に戻る途中で、ひと悶着やらかしたしなあ、いやビビった。
これは北大柔道部とは関係のない話なので、ここでは語らないけど。
まあでも無事(?)に済んで本当に良かった、世の中は善意で回っている。
「誰かを助けるのに理由がいるかい?」って言えるくらいになれたら良いなあ。
そしたらカワイコちゃんを攫って世界を駆け巡ったり、なんならもう一つの世界に行ったりもできんのかねぇ。
いやでも尻尾生えたり、覚醒したらピンク色になったり、銀髪ナルシストヒステリック兄貴がいたりするのか、それはちょっと勘弁。


おわり。

2018年11月17日土曜日

力を抜く 20181115 20181116

さーて、今週の技研は。
横巴、腕緘4番、頭付き、重藤ワールド、湯本返しの5本仕立て。
普段あまりしないような動きの技が多く、レベルは高めな気がする。

全体講習は木曜日で、僕は運良くその場に居合わすことが出来たし、そのおかげで昨日は木曜に実習で技研に参加できなかった2年目の佐久間に教える役目を果たすことが出来た。
というのも、教える人や時期によって技の外見は結構変わる。
北大柔道部の基準たる仙人佐々木コーチの技も、実は年によって少しずつ変わっている。
横巴なんかが分かり易い例で、僕が最初に習った当時は3ステップだったのが、今は4ステップになっている。
手順を1つ増やすことで、難易度を下げている。
つまりは部員全体の技の理解度を底上げして、個人の技術の幅を広げやすくしているということである。
ちなみに、その増やした手順については、笹谷コーチから提供されたもので、確か去年だったか、それを目にした佐々木さんがいたく感激していた様子を憶えている。

横巴は僕自身も現役時代にかなりお世話になった技で、主に国際ルールでの寝技への移行に使っていた。
膝を抜いて相手の重心近くに落ちることで、相手の視界から一瞬消えることができるし、投げられずとも崩しやすくもある。
膝を抜けるようになるまで大変だけれど、元来脱力系の僕としてはなかなか性に合ったようだった。
4年目の頃なんかは、試合開始後は両襟を掴めば巴、組み負けたところからの横巴、寝技に入れば少なくとも負ける気はしなかったので、国際ルールでもあまり気負わずに試合ができていた気がする。


そういえば、技研のときに頭付きの例として引退したての小島が前で解説にあてられたのだが、実に脳筋らしい解説だった。
人にモノを伝えるというのは本当に難しい、受け取る側しかやってない頃は、伝え手の批評なんて気軽にやっていたが、いざそちらに立つと途端に何も出てこなくて焦る。
僕の1つ上の代の鈴木さんや、下だと本田や小山はそういうのが巧かったような気がする。
僕自身は、最近は多少マシになってきたけど、実生活全体では全然活かしきれていないので、きっと人生の課題の一つ。

僕の感覚では、技研で教えられる技全体について、1年目は「こんなのあったなあ」、2年目は「たしかこう、、、やってこう、、、」、幹部は「ああ、だいたいこう、で、詳しいことはアイツが上手いから聞こう」くらいを最低限できているのが目標だと思っていたし、今も思っている。
こと寝技においては、体格や山勘でカバーできる領域は立技より狭い。
だから、僕が2年目の時は、技研で技の掛け方を教わっているときに、同時に逃げ方を想像するようにしていた。
結局、僕は亀と足抜き下でそれなり以上には守れるタイプだったから、あんまり使えるようにはなってないけど。


練習後は現役に混じって筋トレ。
まだベンチ100kgを上げることが出来ていたのでほっとした。
でもとんでんに行けば「バカ!!120kg!!」って言われるんだろうなあ。
でももし現役だったら「150kg!!!」ってなってたかもしれないので、甘んじて受け容れよう。
なんだかんだで、山内さんの瞳は暖かで、安心する。
ん?なんかとんでんの宣伝みたいになったけど、まあいいか。


おわり。

2018年11月15日木曜日

飲み会で感動した話

東北戦で思い出したことを一つ。
飲み会で、久々に柔道の話をした。
内容は例によってあまり覚えていないし、それで気分を良くして痛飲して結果皆様に迷惑を掛けることになってしまったが、感動した。

引退したての角田君の、色々入り混じった表情に感動した。
何とかやりきった、望んだ結果は得られなかった、やっと解放された、もしチャンスがあってももう2度と同じものは得られない、これからは自分のことを優先できる、けどそれは正しいのか、なんてことを語っているように思えた。
これから先、彼がどういう選択をしても、それを安易に否定することは許されないだろう。
それだけの凄みというか、深みというか、言葉に表すのも無粋なものがあって、僕はそういうのを見たい。



何でこんな話をするのかというと、僕は最近の部の飲み会では、無難そうな話題ばかりを選んで、極力自分から柔道部の話はしないようにしていた。
そうするとどうなったか、現役から柔道部の話が出ることが無くなっていた。
現役同士で盛り上がることはあるものの、大体柔道部に関係ない話で。
「まあ、ここでストレス発散して練習頑張ってくれるのなら良いか」とか「社会人になったし金だけ出しとくのが最善か、半分は法的に大人だしどうにかこうにかやるだろ」って考えていた。
たまに我慢できなくなった時もあるけどそれはまた別の話。

さてさて、ものごとにはバランスがある。
バカはバカなことしかできないから役に立たせ難い。
目的達成のために、バカなようにもスマートな感じにもやれるなら、それが良いのだろうと思う。
まあ僕はそんなこと以上に、「それでも自分はこうやりたい、こう在りたい」って思考の人が一番好きだけど。


今回の東北戦後の飲み会では、そんな気持ちを思い出させてくれた。
上記の角田君もそうだし、その他の東北大の現役達にも感謝している。
欲を言うならば、北大の現役の手で、僕に気付かせてほしかった。
まあそれはそれで、指導者としてはどうなんでしょうね、とも思うけど。
ただ、彼らの同志で在りたい僕としては、この気持ちはおそらく間違いじゃないはず。


うーむ、具体性のある試合のことについてあまり触れられていないが、そっちはまた興が乗ったときにでも書こうか。
東北大同期の廣川の審判ぶりを後世に伝えるのも一興かもしれない。
その時は面白半分にがっつりと脚色するかも、勿論廣川の方ではあるが。
そう考えると少しはやる気もでる。
良いところ4に対して、悪いところ13くらいの試合だから、思い出しすぎてもストレスだしなあ、巧いこと現役を高められなかった僕の責任もあるし、しょうがないけど。
指導って難しいですね。


おわり。

2018年11月12日月曜日

さて何から話そうか

東北戦の話である。
こういう時は結果から話した方がよろしかろうか、昨今の情報化社会ではこの形式が一般的なようだし。
ついでに、タイトルも「○○が□□なn個の理由」とかにしておけばみんな読んでくれるに違いない。
そうすればPV稼いでそのうちアフィリエイトなんかに手を出して不労所得で生きていけるようになるのではないだろうか。

以上、語るに辛くなって早々に脱線してしまったが、2行下からようやっと本題。


勝敗について、本戦は8人戦で3人残しで負け。
次いで新人戦、は「人数少ないしどうせならもう一戦しないか」ということで点取りの8人戦、こちらは0-1で負け。
戦績をちゃんと見たい方は北大柔道部ログの方にあるのでそちらをどうぞ。
こちらからどうぞ


試合後の飲み会会場に向かう途中で、1年目の千葉に問われた。
「僕らは成長できていますか。」
うん、成長はしている。
千葉を含め、頑張った人は頑張ったなりの動きは出来ていた。
「それは、他大と比べてどうですか。」
僕らは代替わり後10から初めて、今15くらいのチーム力になった。
対して他大の平均を考えると15スタートで、今は18~20あたりじゃないかな。


飲み会で、東北大の大OBの方が仰っていた。
脳内変換で半分以上改変されているが、おおよそこんな話だったはず。
「一見して七帝柔道に意味なんて無い、フランス遠征も同様だ。」
「意味を見出すのは我々自身だ、それが重要だ。」
「行動によって学びが誘発される、『意味がないから』と駄々をこねるよりも、大切なのは行動してみることだ。」
僕もほぼ同じ意見である、この世にある物事に意味なんて無い。
無いものを探そうとするからみんな躓いてしまう。
そういうのは全部我々のエゴでもって自作していくしかないし、創ったら責任とってどうにかこうにか処理していかねばならないと思っている。

ただ、フランス遠征に参加すべし、という点だけは異なる。
我が子に「4年に1度美味いステーキを食わせてやる、しかしその合間は米と味噌で生きながらえてくれ」って言うようなものだと、僕は思っている。
もっと堅実な投資先があるから、地味なことでも厭わずに目を向けていただきたい。
学生は今回ゲストハウスに宿泊していた。
ひとりあたり一畳くらいのスペースしかなくて、試合に向けて調子を整えるとかそういうレベルですらない。
小学生の時の宿泊訓練でも、もう少しスペースに余裕はあった気がする。
移動費を捻出するのに手一杯ということである。
週6で練習があるということは、必然的にバイトは夜~深夜がメインになるだろう。
2泊3日の遠征にかかる費用は、2~3万円ほどだろうか、彼らはそれを稼ぐのに何時間働けばいいのだろう。
周りを見れば、同じ北大生がその金で飲んだり遊んだり、人によっては自己投資で勉強していたりするのかもしれない。
その中で健康な精神を保てる人のみが柔道部生活を全うできる、ということなのだろうか。
僕はそんな人達のことは好きだけれど、世間じゃ「病人」ってあだ名をつけられる。


結構なボロ負け具合だけど、全てにおいて劣っているわけではなかった。
北大の方が技術レベルは上である、ただ、それを実戦レベルまで引き上げ切れてはいないのだけれど。
技術では埋めきれなかった、体格とか勢いとかで、やられてしまっていた。
技術は知っているだけでも、出来るというだけでも役には立たない。
意志を持って使えるようになって初めて、技術は呼吸を始める。
手段には目的が不可欠であるけれど、はてさて、僕らの目的って何なのだっけ。


おわり。

2018年11月9日金曜日

体が資本 20181108

反復のあと一つを思い出した、後ろ三角だった。
三角と言いつつ、僕はこれで相手を絞め落す確かな方法は分かっていない。
あと、なんだかんだ実戦では入るのが難しい。
だからと言って、使えない技、というわけではないと思うので、なんかこう、巧いやり方を見出してくれないかなあ、なんて思っている。
そういえば1つ下の竹平が使っていたような記憶もあるけど、試合で決めてきたことあったっけ、、、?
まあそれくらい難しい技ではあるけれど、それでも練習する現役がいて、結果も出せるようになったとしたら、それはとても格好良い。


練習後は東北戦に向けてのビデオ研究もしていた。
昨今の東北大の選手はデカい。
北大は年々小型化している印象なので、当日並んだ時を想定すると、結構な違いが見えそう。
体重無差別である以上、同じ技量であれば、体格の良い方が当然有利。
そこを何をもって埋めるか、という思考も大事だし、そもそも体づくりしてこう、というのも大事。
目に見えるもの全部取りたくても、色々と有限なものごとに縛られているから、きちんと選んでいってほしい。
よくよく考えたら、自分を縛るものなんてあんまりなかった、なんてことも往々にしてあるのだけれど。

元気があれば何でもできる、ってのは有名な言葉だけど、元気な状態を維持するのはとても難しい。
僕自身も、現役の時は常にどこかしら痛みがあって、筋肉痛なのか軽度の捻挫なのか、それとも別の症状なのか分別はついていなかった。

どんな状態であれ、やりたいことがあって、そのためにやらざるを得ない事が出てきて、なんだかんだやるしかない、という状況は常にあると思う。
体力もメンタルも上下するのは当然だから、それを自分なりにコントロールする術を身に着けるべきではなかろうか。
ここ数年、月イチくらいのペースで体調不良になる人が各代に1人は居る印象なのだが、同じ生物として心配になる。
岡本や高原に研究してもらおうか、でもあいつらマッド気味なところあるからなあ。
北大柔道部員がみんなショッカーの戦闘員みたいになるかもしれないし、やっぱ無しにしとこう。


おわり。

2018年11月7日水曜日

月曜日の練習 20181105

月曜は練習に行かなかったので、反復の技の詳細は確認できないままに現役の技を受ける羽目に。
速攻、十字五種、腕絡3番、オモプラッタ、あと1個は忘れた。
今週はちょっと難しめのラインナップである。
僕個人としては、未だに速攻とオモプラッタが上手くできない。
前者については、相手に持たれた引手を切って、そして跳ぶ、という動作がいい感じに連結出来る気がしない。
後者は、実戦レベルだと脚を相手の脇に掛けるのと、その後相手を崩して固定するのが何かしっくりこない。
抑え込みは、肩固めだった。
佐々木さんのやり方だと、そうやら首にかなりの圧力を掛けるらしい。
僕のやり方とは思想段階から結構違っていたので、勉強になった。
見本としてみんなの前で肩固めを披露させられた森まるに、かなりのダメ出しが入っていた。
その後見事な逃げ方を披露した岡本に対しても、「それはレベルが高すぎる!」とダメ出ししていたのにはちょっと笑ってしまった。

その所為かは知らんが、練習後の部室では、森まるはむすっとした顔でソファにもたれかかっていた。
とりあえず話しかけてみたが、有効な解は得られず。
まあ雄の猟犬のような男なので、もしかするとよくあるムラッ気の類かもしれない。
そういえば、幸せになりたいけど、何ら具体的なところは考えられてなくて、みたいなことを言っていた。
うーむ、僕自身にも諸々刺さりまくる内容で、返答に困るが、、、。
でも、「幸せは歩いてこない」ってとある教祖は仰っていた。
「ほら、幸せは、目の前に転がっているよ」とも。


練習後には、ギムナシオンの代表と、岡本と追加の乱取。
めっちゃ疲れた。
代表とやると細かい技術の差が身に沁みる。
岡本には、思いつきでやってみた技に対して完璧に対応されてそのままやられる、ということで辛かった。
練習してないことをやるもんじゃないなあ、と思った。
そして今回のあれは練習なので全然オッケー、セーフ、ということで自己弁護しておきたい。


おわり。

2018年11月4日日曜日

走るなら夜が良い

昨晩、夜道を走ってきた。
何だか急に、走らねばならぬ気がしたから。
こう書くと、メロスにでもなったかのような気がするが、実のところはただの不審者である。


まずは職場まで。
いつも通る道のりを、ゆっくり目の速度で。
走り始めに感じた少しの寒気も、5分としないうちに消えた。
朝からの快晴具合は夜も続いており、星が良く見えた。
見えたと言っても、その数は随分と少ない、札幌は夜も明るい。
卒業旅行で行ったオーストラリアの、その郊外で見た満天の空を思い出した。
比べると、星々が街の灯に追いやられたようで何だかやるせなく思った。
そう思ったらイヤホンから流れる曲が変わった。
確かTHE ORAL CIGARETTESだった。
その前まではamazarashiだったから、鬱気味なやつからアップ目なものへと曲調が変わり、併せてもやもやとした気分も無くなった。

線路沿いを走って30分ほど、職場に着いた。
このくらいの時間なら、通勤にはちょうどいいだろう。
チャリが使えなくなったら走ろう、そう思った。
朝から満員の電車に乗るのは本当に気分が悪い。
唯一、読書の時間がとれることだけがメリットだが、デメリットの方が大きい。
体格の大きめな僕は他人様に迷惑をかけてしまうだろうし、僕自身も窮屈なのは好みじゃないので、列車は好きではない。

さて帰ろうか、そう思ったが何かしっくりこない。
もうちょっと走ることにした。
せっかくだから繁華街に突入してみよう、札幌の真ん中の方に向かった。
アウトドア用に持っているG-SHOCKの針は、確か22時過ぎを指していた。
自家用車もタクシーも、多くは僕と対向して、流れに逆らっている感が楽しい。
体も温まって、若干のランナーズハイに、走るペースも上げた。
耳の中ではアジカンやホルモンがかき鳴らされていた。

大通公園、テレビ塔あたりに着いた。
流石に人通りもそこそこ。
10人くらいか、道民よりも耐寒性の高そうな外套を着た年輩の方々は、きっと旅行中。
若いカップルも2組いた。
片方は灰色のパーカーを着た男と、キレイ目な格好でヒールを履いた女。
もう片方のカップルは、ネイビー調でまとめた服装で、マフラーは全くのお揃いだった。
4人とも細身で、入部当初の2年目藤田や1年目の片桐、千葉よりまだ細い。
叩けば骨は折れそうだし、頑張れば首もねじ切れるんじゃなかろうか、とか思った。
一応言っておくが、ふと思っただけでそんなことをするつもりはひと欠片もない。
ついでに言うと嫉妬でもない、そんな感情よりも有意義なものはいっぱいある。
ああ、そう言えば、その後ろにもう一組カップルがいた。
多少の白髪にスーツを着た中年のナイスミドルと、ビジカジでスタイルの良い若い女で、ははーんこれは不倫だな、と思った。
この時流れていたのはMaroon5。
視界の隅では、ダウンで全身を覆ったホームレスらしき男が、ベンチに荷物を括り付けて眠っていた。


もういいだろう、そう思って身を翻した。
帰りは往路と違う道を行こうと思い、方角だけを極めて適当に走った。
前方の空にはオリオン座、僕が唯一正しく覚えている星座が、幼少の頃よりも頼りなさげに光っていた。
初めて通る道を、よく分からないままに走り過ぎた。
人見知りな性格には人通りの少なさが、火照った体には秋風が丁度良く思えた。
そのうち知っている道に出たので、そこからは大人しく寮に向かった。
23時過ぎ、かれこれ90分くらい移動していたらしく、膝より下には結構な疲労感。
どうせなら上半身もちょっとは使っておくか、というわけで、寮の近くの公園で懸垂を10回だけ。
10回目はギリギリで、そこが限界だったのは、最近デブエットしていた成果か。
クールダウン用の曲群にして、中島みゆきや鬼束ちひろを聞きながら部屋に帰った。


そんなわけで、特に生産性のない突発事象も終了。
帰ってから気付いたが、夜中理由もなく走り出したくなるとか、思春期かよ。
まあ、軽く運動していると何故だか記憶が整理されていく。
思い出せなかった前の日の飲み会中の会話も、いくつか思い出した。
たまにはこんなのもいいでしょう、え?だめ?


おわり。

2018年11月1日木曜日

秋新歓 20181030

東北戦までもう少し、その準備もあるけど、現在秋新歓も進んでいるらしい。
具体的には何をしているのかは知らないが、どうやらビラを貼ったり目星をつけて声を掛けたりしているみたい。
この日は、春の新歓期に来ていた経験者男子と、留学生の男子(多分未経験者?)の2人が見学、体験してた。

僕の体感では、七帝後に入部する人は、毎年1人いたり、まあいなかったりな気がする。
何にせよ、チームメイトが増えるのなら喜ばしいことである。



さてさて、柔道の方はといえば、みんなレベルアップはしている。
幹部の2人の相手は、そろそろきつくなってきた。
前は、「どうなろうがまあどうとでもなる」って具合で、ほぼすべて正面からねじ伏せることが出来た。
それが最近では、その場の戦術では分が悪いから、事前に戦略を練ることにしている。
中島は潜り込む動きが上手くなっていて、半端に抑えようとしても大抵逃げられてしまう。
三木も、一旦型に嵌められると抜け出すのが容易でなく、その場しのぎの動きしかできなくなってしまう。
先を取るのが重要で、それも自分に有利な、自分の得意な型に引きずり込まねばならない。

そういえば今週からは、腕を縛った抑え込みの練習。
縛るというのは大変便利なもので、これさえあれば足抜きや抑え込みの労力は激減する。
その分決めるのには苦労するが、縛りさえすればその後は従来の半分以下のレベルでことを成せるので、大変有効。
抑え込みでは、1年目の片桐がなんか分からんが上手かった。
圧を掛けたり、位置取りを調整したりの勘所が良い感じ。
白帯スタートで課題はまだまだ多いが、この時点で光るものが見えているのは、個人的にかなり羨ましい。


この日の帰り道は小雨だった、つまりとても寒い。
加えて日中の水溜りの影響か、チャリで巻き上げた泥が服とリュックに結構ついていて、帰宅後に気分が萎えた。
練習終わってからの出来事で本当に良かった。


おわり。

2018年10月30日火曜日

20181029

札幌では、雪の時よりもむしろ雨の時の方が寒い。
寒さの原因は、冬への心構えが不十分なことと、衣服にしみ込んで熱を奪っていくこととかなのだろうか。
恐らくは、上記以外にも理由を考えれば色々とあるのだろう。
ものごとは複合的な因果関係の上に成り立っている。


そういえば、今年は北大の銀杏並木を見ぬまま、例のあの匂いが鼻につき始めてきた。
紅葉狩り、今からでも遅くは無いだろうか、いやでも雨で大抵の葉は落ちてしまった可能性も高い。
葉っぱと一緒に叩き落としたのだろう、今年は雪虫もまだ見ていない。
おお、白いのがふわふわと漂っておる、と思っていたら実は虫で、止まっているのを見ればあんまり綺麗ではなかった。
練習前の掃除の時に換気扇を回したら、そこにたまっていた雪虫の死骸がばら撒かれて大惨事になったのは、確か僕が1年目の時だったと記憶している。


この日の練習は、技研。
腕返し、腕絡み、舟漕ぎ、金次郎、3点セット。
腕返しは回らないこと、腕絡みは肘の向きに回転させること、舟漕ぎは圧を緩めないこと、金次郎は返すときの肋への引っ掛ける感覚、3点セットは受けが徐々にレベルを上げてやって実戦に近い雰囲気でやること、が重要だと思っている。
まあ細かいところは他の指導陣と違うかもしれないが、ポイントは多分一緒。
というのも技の解説の間、僕は留学生の女の子に抑え込みとか教えてたので、他のみんなの方はあまり見られなかった。

練習後は片桐、千葉、町田の1年目3人組で3点セットの復習をしていた。
と思いきや別の技で、「コムロックの動画で見た飛行機投げやりたい」ということだった。
飛行機投げについては、生憎僕には分からなかったので、手助けは出来なかったが、自分たちだけで答えを探すというのも大事なことだろう、がんばれ。


おわり。

2018年10月24日水曜日

アルキタきてた 20181023

練習行ったらカメラがあった。
途中で練習を一旦中断して、で、なんか掛け声をあげながら拳を宙につきだしていた。
「アルキタ、オー」的な。
アルキタといえば北海道のバイト情報誌だったはず。
つまりはこの宣伝が上手くいけば、現役部員にラクに稼げるバイトを紹介してくれるのだろう。
北大柔道部に入れば柔道できるし体つきも良くなるしなんか知らんけどお金も稼げるしモテ期が訪れるし成績優秀かつ就職安泰で人生勝ち組、なんて進研ゼミも真っ青なハートフル大学生活が始まるということか。


先頭でカメラマンの指示を受ける中島と後ろで指示待ちの烏合の衆。

中島ソロでの撮影、を横から撮影。


しかし急拵えだとやはり棒読み感はある。
傍から聞いてて「うおー、アルキタでバイトするぜー」なんて感情はあんまり湧かない。
まあ、その辺は数の暴力と、柔道部員の見た目の圧力で押し切る方針なのだろう、人は見た目が9割、残りは勢い。

そういうことを考えると、プロの演者の人たちはやはりすごいのだろう。
わざとらしさとかを感じさせずに、かつ受け手の感情を揺さぶるのは並大抵ではない。
感情によって動くのがヒトで、合理性なんてのは実は案外5番手くらいだと思う。


おっと、練習内容について語るのを忘れてた。
まあいいか、みんなカメラを気にしつつ頑張ってたんじゃないかな。
季節の変り目で体調不良者がちらほらいたけど、飯食って体暖かくして寝てれば大体オッケーなので、さっさと元気になってもらいたい。


おわり。

2018年10月23日火曜日

流れ 20181022

週始めの練習に行ってきた。
今週も技研メインなのかなー、と思っていたのだが、東北戦も近いのだろう、基立が入っていた。
基立といえば、立っている人を追い込むための練習である。
だけど、昨日は普通に乱取をしてしまったような気がする、反省せねば。
基立は能力を高めるための練習ではなく、儀式や試練のようなものだと思う。
試練は強敵であるほど良い。


基立の後は急遽、上四方固の技研。
胸を合わせないタイプの抑え方で、割と強いし、極めの形自体難しいものではない。
ただ、実戦ではなかなかその形に入ることも少ないのが欠点だろうか。
僕自身がこれを知ったのは2年目の後半くらいな気がするが、実戦で使えるようになったのは幹部以降でだった気がする。
ある程度自分の型ができて、その中での補助的な抑え方として。
僕は下からの返しと、亀取の横三角を主に使っていて、その流れから外れたときの咄嗟の処置として使っていた。

そんな考え方だったから、練習後に1年目の近藤に「どんな風にこの抑込に持っていくのか」と聞かれて困った。
なるほど確かに、ゴールが明確なのに、至るためのプロセスがあまりに他人任せなのは問題だろう。
流れの中で動くことも大事だが、そもそも自分の流れに持ち込むのは更に重要であろう。
新しい着眼点を貰うことが出来た。
指導する立場でも、指導される人たちに気付かされることは多い。
これに関しては僕も不明瞭な領域だから、言い出しっぺの近藤には暫く自分で試行錯誤してもらおう、ということで話をまとめた。


その後は、筋トレを少々やって帰宅。
2年目の藤田がラダーを引っ張り出していたのを見て、僕も便乗させてもらった。
僕はああいう敏捷系のトレーニングは苦手で、一定のペースでなんかやる、ってのが好きなのだが、だからこそたまには良い。
なんとなーくの流れで動いている自分を、小刻みに扱っていくのは本当に難しい。
スタープラチナくらいの素早さと正確さがあれば、、、と思った。


おわり。

2018年10月17日水曜日

20181016

火曜日の練習はまあまあ良い雰囲気。
だけど体調不良者がちらほら出てて気になった。
札幌は季節の変わり目で朝晩冷えるので、練習後はしっかり食べて寝て回復させて欲しいが、講義やらバイトやらにも力を割かねばならん彼らには、十分な休養というのは難しいのかもしれない。
個人的には、どういう形であれ生活リズムは整えたほうが良いと思うけど。


さーて、今週の技研は。
腕緘、浅野返、関節絞、振子で、浅野返が2種類の計5つ。
浅野返は、例年2週に分けて1種類ずつやっていたのが、どうやら今年はまとめられたみたい。
同じ仕掛けから、相手の動きに応じて返しまでの過程を変えるというなかなか難しい動き。
そもそも返す理合も、体得し難いものだと思う。

まあでも柔道の技の殆どは、相手の重心を固定し、それを中心に円運動させるというものが多いから、そういう意味では浅野返はそこまで柔道の理合から逸脱した技ではない。
僕個人としては、関節絞が、あと山下上がりの極めなんかが、相手の生理現象とか思考の誘導とかが分かり易く出てくるので割合好みである。
腕緘は、1つ下の当時ムキムキのおいなりさんとの異名をとった後輩が使っていた技で結構トラウマもの。
略してムキなりさん、こと今成といえば、練習に行く度に乱取の終わり際に僕をぼこぼこにしようとニヤニヤしながらあたってきていたのを思い出す、あーやだやだ。

あ、あと仙人佐々木コーチは振子が好き、多分。


どの技も、「こういう動きをすればこうなる」ってのは勿論あるけど、その前に「こういう体勢の相手には」って条件が付くのを忘れがちになる。
単に「正対下の相手に」、ってのもそうだけど、それ以上に「正対下からの攻め/守る相手に」とか守るにしても「足を利かせる/絡む相手には」とかでやり口はだいぶ変わる。
寝技は立技よりも姿勢の束縛条件が多い分ケーススタディはやりやすいけど、そこからちょっとずれると修正とか応用が難しいような気がする。
今は色々とできることも増えてきてるし、技術の組合せなんかもすんなり決められることもあるけど、やっぱり知らないこともまだまだ多い。
そしてどんどんモノを覚えていきたいってのはあるけど、心配事もある。
つまりは、出来ないことが出来るようになると、一体何が起こるのかということ。
答えは、出来ない人の気持ちが分からなくなっていく。
だから指導する側としては、なるたけ頭ごなしにならないようにはしたいけど、もし今の現役の方々が苦い思いをしていたとしたら申し訳ない。
それは僕の力不足でもある。
最悪なのは、そのうち自分の認知している範疇だけを「常識」とか言い出せば、世間に巣食う傍若無人家の方々の仲間入りだと思う。
エゴを押し付けて許されるばかりか、それを我先にと求められるくらいの尊敬を得られれば万事解決かもしれないが、生憎僕には北アメリカで聖人の遺体を集めるレースは勝ち抜けないだろうし、そもそも生き抜けない、というか馬に乗れないので参加すらできない。


何か話もずれてきたのでこの辺で。


おわり。

2018年10月14日日曜日

みんなでとんでん

先日のブログにも書いた通り、とんでんに行ってきた。
宴も闌の頃に写真を撮ったのであげておく。
色々と話を聞いたり言ったりした気がするけど、大概忘れたので今回は写真メイン。
本当に大切なことは頭じゃなくて心で憶えてるから問題ない、まあそれは詭弁なんだが。

みんな色んな話は聞けただろうか。
真面目な話でも下らない話でもいい、ただ、すぐにでもいつかにでも、先に進むための材料として頭の片隅にでも引っかかってくれたら嬉しい。
そういうのは、普段接しない人からの方がすんなり入ってくる場合も多い。
だからこういう機会は大切にしてくれたらいいなあ、と思っている。
テーブル2つ繋げていたが、かなりギュウギュウ詰めだった。
ここまで集まるのも林さんの人徳ということか。

カウンター席で。川上の顔がちょっと怖い。

多分口説く本田に満更でもない佐久間。

店を出て集合写真。皆さんいい顔してますね。

この後何か分からんが大将で肉チャー大盛を食べることに。
とんでんから大将までの道のりはよく覚えていない。


肉チャーを待つ面々。

このあと酒が滅茶苦茶回ってきたので一旦外出して夜風にあたっていた。
火照った体と頭に札幌の秋風は丁度良くて、若干眠りそうになってた気がする。

舌鼓。

多少冷えた体に肉チャーの温かさが沁みた。
近年肉チャーの味は安定していて僕は好き。

誰か食べきれなかった分を食らう女子主将。

見守る人たち。いつの間にか山縣がいた。


この後山縣邸にお邪魔して泊めてもらった。
山縣邸と言えばゴミ屋敷で足の踏み場もないというのが定説だったが、ちょっときれいになっていた。
具体的には服と漫画が床から撤去されていて人が生活するスペースが生まれていた。
ただしきれいではなかったけど、まあ、虫が湧いているわけでもなかったし。
ひとまずは泊めてくれてありがとう。


おわり。

2018年10月12日金曜日

週3北大柔道部 20181012

今は精神状態がかなりいい線行っている。
先週やその前とかは、晴れ模様に心が落ち着くなんて、平素の僕からは想像できない状態に陥っていた。
普通なら、何でもかんでも無作法に照らしすぎな陽光に悪態をついて、まあ御利益も無いわけではないし許してやろう、なんて事を考える。
それが今日はどうだ、出勤時に小雨を浴びた僕は、心静かに高揚していた。
僕は元々曇り空が一番好きで、雨が降ると濡れるのと肌寒いので多少げんなりする性質だった。
それが落ち着きつつも昂ぶるという良い状態を保てているのは、今週は練習に顔を出して自分を動かす時間が多くとれたことが効いているのだと思った。

僕の体に積まれているエンジンはポンコツだから、定期的に高回転にしないとすぐにアイドリングストップしようとする。
今のところ、それなりのレベルで自分を追い込むのが一番良い処方箋な気がしている。
そのために、頑張っている人たちのいるところで、そこに混じって自分を半強制的に追い込むのが、かなり重要。
最近は毎回、練習後にすりあげ、そしてスクワットらしき何か、あとは適当に気分で現役のトレーニングに混じる。
誤解されても嫌なので一応書いておくが、苦しむのが好きなのではない。
ただただ、自分を一定レベルに保つには適度に苦しめるのが、現状一番コスパが良いからそうしているだけである。
苦しみに快感を覚える変態ではない事だけは、声を大にして申し上げておきたい。


そういえば今日の練習についての記録をしていない、ちょっと書いておこう。
反復では1年目の町田とマンツーマン。
今日は月曜の技研を逃したとのことで、全部の技を反復させつつ併せて指導もしていった。
そういえばとなりのトトロの猫バスに似ていると思う、ジョジョの5部ならポルポか。
物覚えは悪くなく、ミシュラン型の体で案外器用。
体調不良になりやすい気もするけど、そのうち覚醒したらペッシばりの成長率で伸びてくるかもしれない。
途中変な足の絡み方したら膝痛めるよ、と言うことで実演したら思いの外良い勢いで膝にダメージを与えてしまった、申し訳ない。

練習後は川上と北口とベンチで追い込んでみた。
1年目の笠井は僕らをニヤニヤしながら見ていた。
よく分からんがなんか悔しいので、そのうち強制参加させようかと思う。
おにぎりはツナマヨが好きらしい、そういえばブログにも書いてた気もする。


体感的に、週3以上で練習に参加させてもらえ続けることができたなら、そこそこ好調をキープできる気がする。
ただしそろそろ冬、つまり積雪期。
道場から寮までチャリで30分なのだが、道場は職場から見て寮と反対方向。
職場~道場が15分と少々、職場~寮が10分と少し、だけど冬はチャリが使えない。
加えて冬は仕事が長引きやすい。
対策を考えないといけないのかも、このままだと流れに身を任せすぎてろくなことにならない気もする。

ということで個人的な課題も見えたところで。


おわり。

2018年10月11日木曜日

とんでんソロ

平日夜に独りとんでんへ。
職場を出たのが19:30頃だったか。
一度帰宅、荷物を整理して外出。

札幌駅で乗り換え、地下鉄で北24条へ。
さっぽろ駅のホームで地下鉄を待っていたら芳ばしい臭いがした。
きっと誰かが屁を漏らしたのだ、臭い。
しかし紳士はそんなことで取り乱さない。
2秒で息を吸って10秒かけて吐きつつ3分ほど耐えた。
呼吸は大事である、ただし蛙を殴って岩を破壊したり、吸血鬼やゾンビを倒すことはできない。


とんでんは盛況だった。
平日にもかかわらず、席の7割ほどが埋まっていたような気がする。
もし空いていたら急遽現役も呼ぼうかと思っていたがやめておいた。
山内さんの隣という、いわばVIP席にお邪魔できたというのも大きかったし。

ビールを一杯もらい、お通しのきゅうりの漬物をつまむ。
爽やかな酸味と瑞々しさに、きゅうりの旬は秋だったかと疑いつつ、ビールで流す。
山内さんがリハビリの先生からいただいたという、大分土産のかりんとうのようなお菓子をおすそ分けに。
豆腐を使ったものらしく、甘さ控えめで、ポリポリという小気味よい食感と、焼き立てのクロワッサンとか手作りクッキーのような素朴な甘みと香ばしさあった。
カウンター横のテレビには女子バレー中継。
その手前にいる山内さんの目はいつも通り、テレビの明かり以上に爛々としていた。

テーブル席で飲んでいた男性がトイレに行った、戻ってくると山内さんに呼び止められ、僕が紹介された。
どうやら漫画の方の七帝柔道記を読んだ方らしく、北大柔道部のOBです、ということで軽く挨拶をさせていただいた。
良い体つきですね、と言われたので、お兄さんこそ、と言うと、どうやら剣道経験者だったらしい。
道理で上腕三頭筋が発達しているはずである。
しかしついぞお互い名前も知らぬまま、そのお兄さんの飲み会はお開きになって帰られた。
まあそういうこともある、居酒屋でゆるく広がるつながりも、悪くはないもんだなあと思いつつ、話そうと思っていた言葉をビールで流し込んだ。


本題を忘れていた。
土曜日に林さんが来札されることと、総監督が父親になられる、というニュース。
林さんといえば、今は関西でBJJ戦士として活躍されている、一児の父であり元ボスゴリの偉大な先輩である。
僕が一人でとんでんに通えるようになれたのは林さんのお蔭であり、でなければ今でもとんでんは格式高いナイスミドルのための居酒屋、という認識であったに違いない。
林さんが来られるということで、事前報告・打合せのために伺ったのであった。
多分練習後に、多分10人前後くらいで、という非常に雑な打ち合わせではあったものの、OKをいただいたので明後日は安心して仕事できる。
そう、明後日土曜日はまさかの仕事で、午後の練習は行けずに屯田からの合流である。
何とか後ろめたさを感じずに休む口実は無いものかと模索していたが、頼みの綱の通院と言う手段も、病院の予約過多でNGと言うことでもうだめ。
なので大人しく安心して仕事に向かおうと思う、テンションが上がらん。

そんな話をして、テレビのバレー中継を見つつ飲んでいた。
あとは、実家からもらって処理しきれない果物をおすそ分けしたら、逆にいくら丼をおすそ分けしていただいた。
どうやら今年は鮭が不漁気味で小さく、筋子も当然値上がりし、とても売り物にできない状況とのこと。
そんな状況でも、遠方からのお客さんのために用意して、その後余ったという自家製いくら、有り難くいただいた、当然の如く美味い。
世界は好意の巡り合いで幸せに向かうのだろうと、帰り道の小雨は気にならず、駅から寮までてくてくと歩いた。


北の屯田の館、今まで受けた恩を返したいとは思うけど、1つ返したと思うたびに1つ以上戻ってきたり、あとは申し訳なくも迷惑をかけてしまう、とても有り難い場所である。


おわり。

技研の使い方

指導についての記事を書いて思い出したことがある。
また脳の片隅に引っ込む前に記録に残しておきたい。

内容は、僕の現役時代の技研への接し方について。

1年目の時は、勿論初めての技が多かったから、形を覚えて体を慣らすことでいっぱいいっぱい。
かみつきはじわじわ攻めることができて、お、これは自分好みかもしれない、とか思っていたら、乱取になると返されたり逆を取られたりと散々な目に遭っていた。

2年目以降では、後輩への指導、という項目が追加された。
指導するほどものを知ってないんだけど、、、なんてのはお構いなしに、当時は2,3年目と1年目が人数比で1:1くらいだった(むしろ上級生の方が少なかったかも)から、手が回らなかっただけである。
仕方ないので、知らないなりに「確かこの技はこんな具合の動きだったはず、、、」とかかなりテキトーなことを言っていた。
それでも、人に教えるというのは結構重要なことで、この時に技に対しての自分の理解もかなり進んだ気がする。
お蔭で3年目の時には、後輩への指導はかなりスムースにできていたような気がする(個人的相対的評価)。


話がずれたが、北大では技研というと、多くの場合技のかけ掛け方について学ぶ。
そして技を掛けるには姿勢や動きなど、条件・制限なんてのがある。
例えば、かみつきは正対下の相手に対して、上から、相手の下半身を殺して上体へと登り、足抜きの体勢に持ち込み、主に抑え込みを狙う、という状況設定がある。
これらの核状況において、いくつかの動きのパターンが存在し、取はそれらを状況に応じて使い分けて、さながら陣取りゲームのような形で自分の有為な体勢に持ち込んで、技の工程を進めていく。

そんなこと言われても、言えばできるようになるってもんではない。
だから僕は逆を考えた、各種条件を達成させない分だけ守り切る確率は上がる。
相手の妨害をする、ということが、当時の僕にはとてもしっくりきた。
僕は元来面倒くさがりだから、相手の攻撃の起点をつぶす、なんてのは苦手だった。
なので起点ではなくて、最終防衛ラインを設定してそこだけは死守する、というのが性に合っていた。

そして物事は表裏一体で、防ぎ方を知れば攻め方も何となく分かってくる。
自分がやられて嫌なことをひたすらやるだけである。
色んな宗教家の偉人たちは異口同音に言う、「自分にされて嬉しいことを他人にしなさい」「やられて嫌なことはしてはいけない」。
つまりはその逆をひたすらやる。


そんなことを考えていたら、お前は頭がおかしい、と言われるようになった、いやその前からかもしれん。
でも今就職して思うことの1つは、つまらん。
パンチの効いた人があまりいない、どいつもこいつもどっかで聞いたような普通のセリフを口から溢してばかり。
類は友を呼ぶ、という言葉に頼ればつまり普通なのは僕で、周りみんなが異常だった、ということなのだろう。
普通万歳、僕は庶民的な幸せを享受して足るを知りつつ生きていきたいとも思う。


おわり。

2018年10月10日水曜日

より良い指導法 20181008 20181009

昨日今日は道場に行ったものの、現役と乱取することは無いまま終わった。
理由としては、技研の存在。
個人的なことを考えれば、来週試合に出る予定なのでできれば乱取しておきたかったけど、所詮そんなところなのでまあいいか。
昨日は反復でやる技の研究・紹介で、確か巴、横捨身、山下上がり、ネルソン、両足担ぎ。
今日はテーマ別でやるかみつきと足抜きについて、だった。
巴、山下上がり、足抜きは僕が現役の頃からそれなりにはやっていた技で、そこそこ人に教えられるレベルだと思っている。
ただ、やはり佐々木コーチや笹谷コーチ、他の指導陣の指導を見ると、未だに多くの発見があって面白い。

技に対する思想・理想形の違いや、細かい自分や相手のコントロール法、間合いの取り方なんかも違う。
例えば僕にとって巴投げは投げる技ではない。
8割はIJFルールで寝技に入る為、残り2割で運よく投げることができたらいいなあ、という感じ。

他にも指導の仕方にも違いがある。
佐々木コーチには、長年の指導の中で洗練されてきた技のコアと、自信が漲っていて聞いていて安心感を覚える。
笹谷コーチは、色んな道場で教えてきた経験からか、同じことを複数の切り口で表現していて、対応の幅が段違い。


僕も先輩方みたいにきっちりハッキリとものを教えられる能力を身に着けたい気もするけれど、色々と中途半端でちょっと申し訳なかったり底の浅さが悔しかったりする。
難しいものですね、現役の前では多少自信ありげに見せようともするけど、もしばれてたら恥ずかしいなあ。


おわり。

2018年10月5日金曜日

残業 20181004

練習後のトレーニング。
今の僕は、いつもテキトーに、思いついたことをやっている。
自重で体幹や綱登りをやってみたり、宮武さん率いる「一旦時代の流れに逆らってみ隊(いま勝手に名付けた)」に参加したり、ケトルベルや鉄棒を振り回したり。
基本は独りでやることが多いのだけれど、その合間合間に全体をチラ見している。
見ていて思ったのが、「最近明るくなってきたなあ」ということ。
無論雰囲気のことである、物理的には全く逆、今の札幌は短い秋に差し掛かっていて、朝晩は冷えてきた。

代替わり当初は、何となくみんな暗かった。
練習が終わると各々の時間に入って、「いや、終わったらもうプライベートなんで」ってちょっと壁を作っていた感じか。
まるで会社での僕を見ているよう。
深入りされたりしたりするのが面倒に思えて、なるべく関わらなくて済むようにしたい、という傾向だったように思う。
それが最近はちょっと変わった。
何と言うか、積極性が出てきた。
元々は必要に駆られてやっている人しか残っていなかったのが、昨日はほぼ全員が残って活きた目をして動いていた。
羨ましいことだなぁ、と思った。
僕が主将だった時は、死んだ目をして部に関わらざるを得なかった人もいただろう。
その人達も、僕がやり方を換えていれば、積極的に動けるようになっていたのだろうか、なんてことを考えさせられた。


兎も角、今の練習後のトレーニングについて、雰囲気はいい感じだ。
みんなで苦しんでいて、それを過度に悲観的に捉えてはいない。
前に進むために、今の苦しみを受け入れている。
中島は宮武さんに追い込まれてヒィヒィ言ってるし、三木はコミュニケーション能力が向上して伝えることに対して積極的になって、上手くなった。
藤田は入部当初の若枝のような体が、今や壮木のような健やかさを見せている。
つねおは長いもみあげを湛えて達人の雰囲気を醸しており、ゴムまりのような町田とストレッチをしていた。
町田が「崩上を受けて一番痛いし動けない」と恨み言を呟いていて、確かにそうだな、と思った。
柔らかさがあれば抑え込んだ後の対応能力が向上してもっと強くなるだろうから、もうつねおとは30秒抑えはやらないようにしようかなぁ。
本当はもっとみんないろいろあるけど、そろそろ出社するので観察内容はまた次の機会に。


おわり。

2018年10月3日水曜日

積極的に受ける 20181001

月曜の練習の話。
道場に着いたら技研だった。
今週は帯取返し、縦返し、前三角、地獄絞め、関節絞めの5種類。

技研の期間は、幹部以外は反復では技を指定されるので、自分の使わない技を練習してみるのは結構大変である。
しかも、使わない技はまず理解もできておらず、2年目以上であってもほぼゼロからのスタート、という状況もありがちである。
だけども、上級生や来てくれていた4年目も含めて、全員で技の掛け方を咀嚼しようとしていたので雰囲気は悪くないな、と思って見ていた。


仙人佐々木コーチの主導による技研だが、最近はその教授法が若干異なってきている。
やり方としては、現役やそれに近い代のOBOGにまず実演させ、できれば解説させてからその後に佐々木コーチが指導する、というやり方である。
以前は頭から〆まで佐々木コーチの独壇場であったが、昨今の情勢の変化もあるのだろうか、相互対話的な側面が出てきている。
これの利点としては、指導される初心者にとっては、応用と基礎の両方を受け取れるという点である。
応用とは現役や若手OBOGの技であり、つまりはそれぞれ自分用に技を最適化しているということである。
対して佐々木コーチの指導では、技の本質をより普遍化した基礎について語られている(と僕個人は思っている)。
そういうわけで最近の技研は、成った実を観賞させたり、ちょっと味見させたりしてから、種を蒔いている。
この良し悪しがいつどんな形で出るのかは誰にもわからないけど、それでも僕らは行動していくしかない。


技研をやればその後は反復練習、これが中々の曲者である。
というのも、殆どの場合反復は独りではできない。
範馬刃牙レベルのイメージ力があれば可能だろうが、非才で面倒くさがりな僕らには荷が重過ぎる。
ということは必然的に相手がいなければできない。
そしてその相手によって、反復の質は左右される。
要は受け方の問題である、掛け方ではなく。
自分本位であれば、痛みから逃げたり、体力の消耗を避けるための受け方をする。
相手を思いやる風を装えば、相手が望む理想の動きに合わせて受ける。
もう少し進んで相手と向き合うなら、相手の理想と現実との乖離や、理想の更に先の動きを考えて受けつつ何かしらの動きを加える。
そしてもっと進むとどうなるのだろう、その辺はまだ見当がついていないけど、余裕のある時に少しずつ進んでいけたら、と思う。

こういうことをやるとうける自分は疲れるし、相手にも余計なことをさせたり考えさせたりで、ストレスを与えることになる。
そのストレスを処理可能な範疇に収める加減が難しい。


おわり。

2018年9月28日金曜日

柔道にも残心を導入したほうが良いと思う

最近柔道の世界選手権かなんかが開催中らしい。
らしい、というのは、職場での人伝えやSNSでの情報シェアで見聞きしたものだから。
そして僕は柔道の試合中継は見ない、あまり興味がないからである。

これは柔道をやり始めた当初から一貫している。
ちょうどその頃はアテネ五輪だったと思うが、井上康生氏が優勝したのが記憶に残っているくらい。
綺麗な内股で盛大に一本を取っていくニュース映像に憧れた少年少女は多かったろう。
事実、小中学校では体格のいい人たちは軒並み内股を練習していた。
その頃僕は体落と足技でお茶を濁していた。


話を変えて、ここ数年、プロの方々の柔道を見ると辟易としてしまう。
選手が相手を投げた後に審判を見る行為と、勝ち名乗りの後に握手をする行為が、どうしても気になってしまうから。
前者は、飼い猫が捕まえたネズミやゴキブリを、主人のもとに持ってくるのと同じだと思っている。
愛猫ならかろうじて許せるのかもしれないが、知らない人にそんなことされても笑えるほど、僕は人間ができていないので癪に触ってしまう。
後者は二重敬語のようなものだと思っている。
やるならせめて畳を降りた後にやってほしい。
カメラの前でこれ見よがしに笑顔で握手して、なんならハグもして、なるほど柔道はスポーツだ、スポーツは世界を救う!!はぁ、、、。

そんなわけで、プロの人たちを見てもストレスがたまるので、今では自ら進んで見ないようにもしてる。
けれどたまに目に入ってきてしまい、「うーんまだ変わってないんだなぁ」と落胆して、今はこんな記事を書いてみている。

選手の人たちも、毎年のようにルールが、しかも戦法に大きく影響する部分が、変わって大変かと思う。
相撲で例えると、張手禁止とか、廻しは脇の下から持たねばならない、ってルールが変更されることに相当するのだろうか。
世のベンチャー企業にも比肩し得るくらいの変革スピードかもしれない。
そんな中で選手達に美意識や躾を正してもらうなんて、尚更無理だろう、彼らは被害者だ。

え?現状維持は退化である?
うーん、守もできていない(というかやりもしない、やることができない)うちに破・離って、今どきロックンローラーでもそういうことのできるやつはいないんじゃないか?


とまあ、柔道で食ってない人が言ってみても、柔道で食ってる人たちなりの真剣さもあるだろう。
外野があんまりとやかく言ってもしょうがない、そもそも柔道全体に関わる覚悟も無いし、言うだけ言って行動しないのもクズ過ぎる。
とぃうことで今回はこの辺でやめておく、さて、そろそろ出勤しないと。


おわり。

2018年9月26日水曜日

手元と足元を見るのが癖になってきたかもしれない

僕は革製品が好きだ。
前に言ったかもしれないし、そうでないかもしれない。
今日は水曜で、一社会人として世を忍んでいる身としては、練習時間の関係上道場へ行けなかったので、趣味の話でもすることにした。
しばしお付き合いいただければ幸いである。


社会人になってから早1年半くらい、この間に買った革製品を列挙してみよう。
春夏はバーガンディ色のペニーローファーに始まり、グレーのスエードのスニーカー。
秋冬になって、鹿革の手袋、馬革のジャケット、システム手帳、財布・財布。

2017年度に購入した革製品たち。


年度が変わってからは、靴とベルトと靴と鞄と靴べらと鞄を購入した。

今年仲間に加わった奴ら。


そして業が深いのは、これだけ買ってもまだ物欲は留まるところを知らないということ。
具体的には靴と靴と鞄とベルトと靴が欲しい。

ちなみに、就職してから、柔道部関係に費やしたのに匹敵する額の支出をしていると言えば、察しの良い方には通じるかもしれない。
我ながら思う、阿呆である、でも止められない。


勿論、定期的な手入れもしている。
使うごとにピカピカに磨かねば、という革フリークな感じではないけど、ブラッシングくらいはしている。
そのうちいい感じのエイジングになったころに、新品の時の画像と比べて「お前も良く育ったなあ」なんて悦に入り浸るのが目標。


最近では、他人の持ち物にまで興味を示すようになってきていて自分が怖い。
ヒトの視線は動きの先端に寄り易いとのこと。
つまり、出歩く際の足元=靴や、支払いの際の手元=財布に、ついつい目が行ってしまう。
見ると、それらはボロボロになっている率が高い。
そんな時僕は悲しみを覚える。
高校入学から大学院1年の時まで使っていた財布を思い出す。
ろくに手入れもせず、雨風に濡れては暖房の近くで乾かしついにはひび割れ、長年の使用で縫い糸もほつれきった姿をだ。
バカな主人に仕えて、それでも未だに形を保ってギリギリ使えなくもないその財布。
彼(彼女かもしれんが)こそ忠義の象徴であり、時々それを見ては手入れの重要性を再確認している。

僕の数ある理想の姿のうちの一つに、紳士というものがある。
つまりはジョナサン・ジョースターである、いやこれは蛇足か。
そして紳士たるもの、装い、というのも重要な要素の一つであるはず。
紳士の装いといえば勿論革靴である、異論は認める、他にもいっぱいあるはず。
でもそれがたまたま何となく好みだったから、僕は革製品を通じて、ちょっとした自己実現を楽しみたいと思う。


最近は革靴のハイシャインに挑戦しているがなかなか難しい。
現役の革靴は手入れゼロのものが多いから、磨かせてもらえればウィンウィンの関係で良いんじゃないかと目論んでいるが、そのうち興が乗れば頼んでみようか。
OBに「頼む、お前の革靴を磨かせてくれ」とか言われたらやはり引くだろうか。
まあそういう僕が同じ事やられたら、なんか引くけど。


おわり。

2018年9月25日火曜日

オフ明け 20180925

乱取するつもりで道場行ったら技研だった。
草刈、正対十字、基本形、横三2番、トルコ返し。

いつも思うけど、基本形なのか基本型なのか迷う。
なんなら基本系なのかもしれんが、今のところ上手い説明も思いつかないのでうやむやにしている。
武道の考え方の1つでもある、守破離の守すらよく分かっていないという致命傷、ちなみに北大柔道部に関わって今年で8年目、こんなんでごめんなさい。


練習後は、皆でワイワイ筋トレだったり会議だったりをやってた。
時間だけかければいいというものではないけれど、時間が重要な因子であることは間違いない。
無駄を無くせということではない。
人生の面白味は無駄にこそ詰まっていると思う。
いやこんな話はもっと年齢を重ねてからするべきかも。

主将の中島がベンチで追い込まれているのがまずひとつ。
その他トレーニング風景とそれら以外にも、西森が恵まれない子どもたち(比喩)に救いの手(比喩)を与えていたり。
森が自主規制により超進化するプロジェクトが立ち上がって、それが男子校部員たち全体の方針として広まろうとしたり。
佐久間は筋トレの辛さからか、「ワタシ森まるよりは軽いから!!」と謎の自己主張(真偽のほどは定かでない)を始めたり。


そんなこんなで、今日も北大柔道部はどこかへ進んでいた。
僕はといえば、今日も今日とて現役に提案だけするほぼ無責任行動をとっていたと思う。
しかも自分が現役時代にはてんでできなかったことをいけしゃあしゃあと求めるという非道ぶりである。
「恐らく必要であることは間違いないから」と自己弁護しつつ宣っていた。
まあそれでも、僕の言うとおりにしてくれれば、現状よりは1歩先に進める、とりあえずは。
けどできれば、その1歩がどういう1歩なのかを考えてから踏み出してくれれば尚良いと思う。
もっと言うなら、思考を重ねて別の道を選べば、50歩でも100歩でも進めるのかもしれない。
五十歩百歩とは言うが、僕らレベルではかなり効いてくる差ではないだろうか。
尤も、独りで思考を深めるための時間は少ない。
考えが巡らない部分を補い合えるのはチームの利点で、それぞれ異なる考えをどうにかまとめて思い描いた方向に進むのはとても難しい。

ちなみに僕が主将やってた時は、異論が存在することは認めていたけど、それを受け入れきることはできていなかった。
常に自分の理想があって、それを全体に押し付けようとするばかりだったと思う。
果たして今はどうだろうか、ちゃんと他者と自己とのバランスはとれているのか。
自問自答し続けるのは難しいけど、たまにはこういうことも考えている。


おわり。

2018年9月18日火曜日

昨日の反省とあとなんか思ったこと

昨晩はまた、よく分からんことを書いてしまった。
一体誰に向けて何をどうしたいのか、それとも癇癪を起こした幼子のようにただただ不満を喚き散らしただけなのか。
まがいなりにも指導者としてチームに関わる現状、僕にも何らかの仕事はあるはずで。
その仕事に対する姿勢として、「○○がダメだ」なんて愚痴だけを言ってる奴は、個人的には好きになれない人種だと思ってたのに。
結局、僕が屑だと思ってたのは僕自身だった、なんて巷にありふれたオチでしかないのかもしれない。


理性的に対応することが、指導者に必要だとは思う。
指導者ってのは概して指導される側よりも上位の何かしらを備えているから、マウントとってぼこぼこにするのは結構簡単なことだろう。
両者の相性が良ければ、それでも人は育つのかもしれないけど、それを期待しようにも昨今は反例に満ち溢れている。
「昭和のスポ根精神論だ」なんて言われるだろうし、平成も終わる間近の今だと尚更「古き良き過去(苦笑)に憑りつかれてる」の評をいただくことになるだろう。

じゃあ、理性的に合理的に、コンサルタントなんかをつけてPDCAを回せば良いのだろうか。
僕はそうは思わない。
確かに合理性は必要だとは思うけれど、そもそも人間なんて阿呆に毛を生やしたくらいの存在だ。
ならチーム全体が一体になるときは多分、みんなが同じような阿呆になったときなのだろう。
大体冷静に考えれば、この世の殆ど全ては「別に無くてもよくね?」の一言で済まされるものでしかない。
その「別に無くてもいい」ものに、どれだけ注力させられるのかは、リーダーやボス、指導者の能力や魅力にかかってくるのかもしれない。
そして、人間的魅力ってのは、「他人を敬って行動すること」と「他人に一切関係なく行動すること」に顕れると思う。

あれ、つまり僕はろくな指導者ではないということか、納得した。
まあそれならそれでぜひ反面教師にでもしてくれれば有り難い。
成功例には落とし穴はいくつもあるけど、失敗例はそれ自体が落とし穴だから対処すれば落ちようがない。
僕は僕で、もうちょっとマシな人間になれるように動いて、結果を示していくしかない。


おわり。

2018年9月17日月曜日

道場にて

世間様の三連休も今日で終わり。
僕は今日だけ勤務で、その代わり明日が休み。
とは言っても、現役のほとんどが札幌にいないので、当ブログで語るようなことはあまり無い。

まあそれでも、土日に自主練があり、なんとか参加してきた。
ホントは今日も何かしらやってたみたいだけど、生憎僕は前述の通り労働階級一般市民だったので大人しくしてた。

さてさて、当然のことながら自主練の参加者の大方がOBOGである。
普段自分よりも弱い人たちしか相手にしてなかったので、OB同士で乱取をやると結構辛い。
現役とやると、彼らのレベルや目標をベースに、僕からの勝手な期待なんかを混ぜて考えて動く、という頭脳労働的辛さがあるが、今回の場合は単純に余裕がなくて辛かった。
僕がいっぱしの肉体労働者でなかったなら、きっともっと辛かったに違いない。


ちょっと話を変えて、最近僕が思うことの一つには、柔道部よりも他団体の方が頑張ってる気がする、ということがある。
隣の芝生が青く見えてるだけなのかもしれないし、そもそもちゃんと彼らを観てないから自信を持っては言えないけど、とにかくそう思う。

僕は入部してから暫くは、武道場を利用する学生たちの、柔道部以外の連中なんて、
「大学では心機一転武道を始めて、体育会系な学生生活を送りました~(練習週3で程良いエクササイズだったけどね~(笑))」
みたいなのが殆どだと思って、ろくに話もしないうちに軽蔑していた期間がある。
しかし2年目、3年目となるにつれて、どうもそうではないらしいことが分かってきた。
いるのである、自主練に励む連中が。
朝昼や休日に部室に入り浸っていると、そういうのも見えるようになっていた。

そもそも、彼らは彼らで何らかの目標があって部活やってるわけで、その目標設定なりの活動はしていたわけである。
勿論全員が全員ではないけれど、中には柔道部以上の練習時間を費やす人間もいた。
だから、柔道部以外を一緒くたにして扱うのは失礼だと思った。

今の現役が七帝で一勝するために必要な練習量を100とすると、他団体が掲げる目標に至るための必要努力値はどのくらいだろうか。
仮に60だと仮定すると、ホントに練習している層の人たちは70~80はやっている気がする。
ちなみに、柔道部の今の練習量は45くらいだと思う、現役全体の平均で。
まあ、こんな数字出したところで僕の印象とか想像が大いに関わってるから超主観的で参考にはならんだろうけど。


なんか無駄に不安を煽って、各方面に敵を作りそうな文章になってしまった。
いやーでも生きてるだけでもう頑張ってるのに、そこから更にキツイ目標立ててギリギリでも向き合ってるってのは、多分すごいことだよ!
僕の今の部屋は7階で、何かあれば5秒で宙に身を躍らせて、計10秒もかからないで命を散らせるというこの上ない状況なのに、そうしない自分は素晴らしい!
だから同じく今どうにかこうにか生きてる人たちも、さっきのまでの今までになんとか生きてた人たちも、きっと万雷の拍手でもって讃えられて然るべきだろう。

、、、よしこれでバランスは取れたはず、うーん僕は赦してもらえるだろうか。
2しか思ってないことを85くらいに増幅させるのって疲れる。


おわり。

2018年9月9日日曜日

復帰 20180909

札幌では、地震の影響もかなり鳴りを潜めている。
とは言いつつ、未だ日に何度かの余震はあるので、注意はしている。
スーパーや飲食店も7,8割方は営業再開しており、品物の多寡はあるが十分生活は可能である。

現役部員は皆無事、また、とんでんの山内さんご家族も無事とのことだった。
店内で焼き台がひっくり返ったらしいが、今は元通りにできているらしく、明日月曜からの営業とのこと。


今日は地震の影響ではなく、元からの計画での全学停電だったらしい。
現役が数人、地震によるここ数日の練習不足を補うのにメンストを走るということで、僕も便乗して走ってきた。
しかし走るのは良いことだとは思うが、面子を見てみるとほぼ足腰に問題を抱えている者ばかりで、ランニングと言うよりはジョギングの様相を呈していた。
体幹トレをやってた中島を除くと、三木は黙々と、笹はデカい体をゆさゆさと、千葉は風を受けた柳のような走りをしていた。
僕は多少の無理は必要だと考えている人間だけど、線引きはやはり難しい。
他人のこととなると尚更で、感覚的なことしか言えないのが歯痒くもある。

あとはOBがちらほら、というか比で言うと1:1か。
1時間くらい走って、軽く柔軟とかやってから、たまゆらで本格的に体を解しにかかった。


汗を流し、露天風呂の方へ。
のんびり浸かっていると、そのうち宮武さんや北口、川上、そして現役が加わってみんなでゆるゆると。
そういえば、塩サウナ、というものができるらしく、いつも露天風呂に行くのに使っていた通路が使えなくなっていた。
その影響かもしれんが、露天風呂への到着は千葉が群を抜いて遅く、最後の目撃情報がかけ湯をしていた姿だったので、千葉は「30分間かけ湯し続けた男」ということになった。

そういえば千葉は、入部当初ススキみたいな体格だったのを思い出した。
ふと思って皆を見れば、その辺を転がってたドングリどもが、今や自分の背丈を超えた壮木になったような、そんな感慨深い思いに駆られた。
ただし中身はお察し、である。
笹が義弟にするならどの先輩がいいかとか、経済学部のうだつの上がらない話だとか、「○○は彼女出来そう」「□□は結婚はできるんじゃね?(恋愛できるとは言ってない)」って話とか。


風呂から出て、イオンに向かい、僕と宮武さんは日々の食糧の買い出しに。
学生連中はイオンのフードコートに行った気がしたが、買い物終わりに覗いても見つけられなかったのでそのまま帰宅。
たまにはいいか、こんな休日も。


おわり。

2018年9月4日火曜日

嵐の予感 20180904

今日は乱取とモンゴル相撲、抑え込み、スペシャルに参加できた。
練習後は台風が近づいてくる中、あまり長居もできないので、自主トレをささっと済ませて帰宅することに。
帰宅するのに荷物がいっぱいだったので、1年目をジュースで釣り上げて道着は道場で洗濯してもらうことにした。


今週は女子部員が東京にて合同合宿中。
各校の女子選手達が一堂に会して練習してるらしい。
だけど台風の影響は大丈夫なのだろうか、わからんが皆さん無事であればいいのだけれど。
そういうことで現在北大道場は野郎どもの巣窟に。
「道場は女人禁制!オンナは害悪だ!」なんて声が、、、いや全く無いけど。

そういえば小島がいたな、まあ多勢に無勢、焼け石に水、か。


帰る頃には雨がさぁっと降り始めていた。
風もそこそこ、チャリを漕ぎだし、札幌駅付近まで来るとそれなりの風雨に曝された。
小粒の雨だったけど、その分風に泳いで横殴り。
帰り着くころには合羽の首元から鳩尾あたりまで侵入されてしまった。

でも、僕は雨に濡れるのは嫌いじゃないのでまあ許す。
濡れることへの不快感以上に、何と言っても人通りが少なくなるのが良い。
他人がいなければ、相手の様子を伺うこともしなくていいから。
僕は比較的目が良い方で、道行く人の顔の造形とか表情とかがそれなりに分かる。
そうすると、逆に自分も相手に見られるような気になってしまってそれがストレスになる。
一時期は、そうか自分の目が悪ければいいんじゃねーか、とか思って大通りあたりをより目しながら歩いていた。
すると視界がぼやけて見えて、おおこれは良い!なんて思いながら気分よく歩くことができた。
他人からはさぞ奇異な視線を向けられていたろうとは思うが、今となっては良い思い出だ。
いや嘘だ、かなり恥ずかしい。

あとは、雨の音と衝撃で、雑念が振り払われていく感覚を味わえる。
トトトトッという雨が体にぶつかる音と、少し強めのシャワーを浴びるような刺激、そしてチャリを漕ぐという比較的単調な運動で、深い思考ができる気がする。
為すべきこと、信ずるべきこと、今日発した言葉の着地点とか。

そして今、帰り着いて晩飯食って一息ついたら、大体のことは脳の隅っこの方に隠れて出てこなくなった。
まあそれはそれでいいか、そのうち思い出すときも来るだろう。


さて明日無事に職場に行けるのだろうか、そういえば今の住処はオール電化だから、万一停電でもすれば、日常生活が全く立ち行かなくなる。
緊急用の備えもそこそこだし、リスク管理が杜撰である。
台風が過ぎたら考えようかな。


おわり。

2018年8月31日金曜日

じわじわくる 20180831

どうやら今週は崩上四方と這うの週ということだったらしい。
昨日は佐々木コーチと宮武総監督の、今日は清田監督による講習が行われていた。
傍から見ててもかなり勉強になった。
見てるときは、違いと共通点探しから始まって、その背景に何があるのか、知識・理想・個人差を絡めた結果を想像してみてる。
そういう思考をするに十分な、或いはそれ以上の見本を、それぞれの先輩方は示してくれていた、有り難いねえ。

事の仔細を述べようとしても、僕の理解力や文章力では限界があるのは明白なので、擬音で表現したいと思う。
宮武さんのはガシィッ!!って抑え方で、固められるとカハッ...!ってなる。
清田さんのはクイッ...スンッ。ってなって、グぬぬぬってなる気がする。
現役の抑え込みは、彼らの平均値だとカパッ、ギュゥゥゥって感じで、動くとグイグイ行ける気がする。


僕のここ2,3年の嗜好として、シンプルさと機能美ってのがある。
這うだけ、腹這いになって前に進むだけの行為に、どれだけのものを詰めるのだろうか。
僕らは大したレベルでもないけれど、何かを突き詰めていけば、伝わる人には分かってもらえるくらいの自己表現は可能になる。
こう、ただ在るだけで伝わる、とか、立ち振る舞いでピンとくる、とか良いよね。
だから、飾りはそんなには要らなくて、芯から発する何かがある、ってのが僕の一つの理想。


そういうことで、非才の身として一歩でも半歩でも、ちょっとずつやってくしかない。
たまに一切合財ぶち壊して、自分も周りも消し去ってしまいたい衝動がわいてくるけど、美味いものを食ったり、一晩寝たりしたら大抵忘れるので、きっと現代社会の許容範囲には入ってると思う。
僕は感情の薄い人間だけど、そういうことを考える時もある。
日本が銃の所持を禁止している社会で良かった。

でもたまにならそんな、感情のタガが外れる瞬間ってのが、あってもいいよなーなんて思う。
今までの僕の人生で、一度としてあったのか、ちょっとわからんけど何と言うかひとつの憧れ。


おわり。

感性は光るものではなくて磨くものらしい 20180829, 20180830

抑え込みの話。
最近テーマ別で30秒抑えをやっている。
これを始めたばかりの頃は、誰に抑えられても逃げたり返したりができていたけど、最近はかなり辛くなって、抜け出せないことも増えてきた。

「どうやったら抑えきる(または抑えきられない)ことができますか?」という質問も受けたし、それに対する技術的解答は2,3個は多分言える。
やれ脇の締めが甘いだの、腰が落ちてないだの、つま先で踏ん張れてないだの。
身も蓋も無い言い方をすれば、フィジカルが足りない、とか。

僕らが、技を磨きたいだけの人たちなら、思考と試行を繰り返して技を最適化して、理合を掴むことに終始するべきなのかもしれない。
ただし、七帝で勝ちたいというのであれば、そこに色んな制約が加わってくるから、物事はそう単純にはいかない。
人的、物的、時間的資源は限られていて、すべてを満たすことは基本的に無理。
だから優先順位をつけて、選び取っていかないといけない。
選び取るのも簡単ではなくて、知識とか経験をもとに理を詰めていく。
でも、最終的には完成なのかな、と最近は思ってきた。
「多分これが良い、なんたって何となくしっくりくるし」程度でいい。
あとは信じ切ればいい。
間違ってたらそれはもうしょうがないけど、物事が決まったら一旦受け容れてみることが重要なんだと思う。
中途半端に距離を置いたって、見聞きはできても触れられないなら、扱えないなら学び取れることはかなり少なくなってしまう。
そうやって少しずつ、スキマを埋めたり、角を立てたり取ったり、土台を大きくしたり、たまに枝がぽっきりやられるとかの挫折もしたりしつつ、前に進むのかなあ、なんて思う。


僕自身柔道に関わって15年以上になるけど、ここ1,2年でやっと分かってきたことも多い。
何をやっても同じで、物事に終わりは無いんだろうなーと思う。
強制終了とか諦めるのは比較的楽にできるけど、どうせ次の何かに苦労するのは確定的だし、それならまだ納得のいく分野で苦労したら、それはそれで幸せなのかもしれない。


おわり。

2018年8月30日木曜日

たまには気の抜けたことでも話してみたい

先週末は千歳で体重別の試合だった。
僕は審判として参加。
学生たちは、日ごろの練習の成果を出しにくい環境での戦いで、僕も束の間の非日常に浸っての審判。

結果、戦績としては私立じゃないならまあこんくらいだよねってところ。
個人戦は大体の人が初戦敗退、団体も4校中4位。
「なんて結果だ!全く不甲斐無い奴らめ!」
なんてことは一切思ってなくて、思うとすれば、
「それぞれが試合前に掲げた目標の達成率はどんなもんかなー」
ということ。


正直、僕自身が現役の時に体重別とか優勝大会とかにそんなに興味もなかったので、本当にお試し気分だった気がする。
前々強くもなかったから、セミプロの人とアマチュアの僕で試合やってもなあ、とか思ってた。
北大で個人戦全国クラスっていうのも、5年に1人とかそういうレベルだし、そういう人って入部段階から強いってのはあるし。
少なくとも、僕はそっち側の人間ではなかった。
実際に、3,4年目の時でも1,2回戦で終わってたはず。
後は、そうは言っても相手もいてこその競技だし、その人たちにとっては大事な試合なのかもしれないから、最低限の礼儀だけは弁えよう、というのはあったけど。
世間一般的に、僕らって強くはなくて、一般人よりは上だけど、一般人が思う「武道○年やってましたー」ってレベルよりは落ちる気がする。


あと、試合見てて思ったのは、そんな亀にならなくていいかな、ってこと。
ただでさえ立って勝てやしないのに、寝ても亀で耐えるしかないんなら、国際ルールだと消極的ってことで指導取られて負けるしかなくなってしまう。
せっかくだし、どの体勢からでも、寝たら正対しにいけば、何かできるかもしれないし、展開してるって捉えられて時間も稼げると思う。
審判もウチの関係者以外だと、正対の攻防なんてあんまり見ないだろうから、ごちゃごちゃ動くだけでも「うーん止めてもいいのかわからん」って思ってくれるかもしれない。


ここまで全然気の抜けたことを書けていないけど、まあいいか。


おわり。

2018年8月24日金曜日

現状を考える 20180823

昨日の昼のこと、主将の中島から「練習後にミーティングやります」との報を受け、ちょうど仕事も定時であがれそうだったので承諾、言葉通りに18時過ぎに道場へ。

土日の体重別を控えてか練習量は少なく、5本の乱取の、後半3本だけ参加できた。
参加できたのは良いけれど、近頃は手を抜いたり、力を抜いたりすることも多くなっている。
つまり今の現役の人達は、相対的なレベル差として、僕は気を張らなくてもまあどうとでもできるレベルということ。
というか、がっつりやりすぎると体力的にも怪我のリスク的にも、仕事に障る可能性が高い。
「会社との契約上ちゃんと働けるようにしとかないといけない」という逃げ道を用意した上で、練習に参加してしまっている。
まあ要は気持ちの問題で、今はいろんなスイッチが切れている、省エネモードだということ。
「北大が優勝するところを見たい」とは思うけれど、その期限はもういつだって良いような、そんな状態。
身も蓋も無い言い方をすれば、「そのうち頭数×実力が突出した代が出てきて、なんか知らんけど多分頑張って優勝しましたー」ってくらいでも満足なのかもしれない。


現状、七大学の中で北大は最下位くらいのチーム力で、とりあえず弱い。
ミーティングで現役一同に周知されていることなのでここでも公表するが、今現在のチームで、先の優勝校京大の決勝戦の布陣に突撃させれば、自陣に贔屓目で見ても7,8人残しでボロ負けすると思う。
そして気の毒なことに、1年後ふつーにやって成長したとして、8人残しが4人残しになるくらいかと思う。
というかそもそも、まず2日目に残れるか、1勝できるかどうかということから怪しい。

だから、「優勝するには人間社会から一旦外れるくらいのことをやらないと実現できなさそうです。でも僕らはそこまでして勝ちたいとは思えません。適度に厳しく、メインは楽しくやれて、格下相手でも分けたりもしかしたら取れたりできれば十分です。」って言われれば、それもまあ納得できる。
いいんじゃないかな、現代の人たちっぽくて。
そういう思考も有りだし、あって然るべきだろう。
本気で色々と賭けて動くのは疲れるから、手頃な目標で身の丈に合ったことをして。
だけど「大学時代は運動部に入って週6で練習してました、頑張りました」って就活の面接でアピールもできるし。
割と良いことづくめだね、充実してそう。
否定はしないけど、もしその上で尚「勝ちたい」とか言うのなら、吐き気がするから、そんなことさえしなければまあご自由にどうぞ。

真剣に戦力差を考えて、きっと絶望して、それでも勝ちたいから、制限時間がある中で考えて、考え不足でも動かざるを得ないから何とか形にして表に出して、「もっと他に良い方法があったはず」って自分でも思うし周りからも詰られて、「一つ一つ進めば」って思えばその一つの間にいくつも別の問題が起こるし、そのうち勝ちたいんだか勝たねばならないんだかの境界も曖昧になって、ふと冷静になってみたらチームにも自分にもアラがあることに気付いて、また考えて絶望して。
僕が色んな人に問いたいのが、「そこまでして七帝で勝ちたい(勝ちたかった)ですか?それだけの価値があります(ありました)か?」ということ。
今の現役部員に言いたいのは、「弱いあなた方は、そこまでやって初めて、勝てるかどうかの土俵に上がれるレベルでしかないよ」ということ。


路傍の石ころの僕らが、似た者同士とはいえ7分の1の特別を目指すなら、それに触れたいなら、確実に掴みたいのなら。
正解は分からないし、正答例も実際に見たことは無い。
けど、その辺見渡したら、僕ら程度を磨くためのものはいっぱい落ちてる気がする。
ただし、それらがなくなるのは確実だし、どれがいつ消えるのかは誰にもわからない。


こういうことをいつも考えているわけではないし、そんなことをしてたら社会に磨り潰されて参っちゃうのは確実だけど、一日のうちの何分だとか、週に何回だとかなら考えないと、生きている感覚がなくなる気がする。


明日、明後日は体重別だけど、そういえば台風は大丈夫だろうか。
起きたら土砂降りとかは遠慮したい。


おわり。

2018年8月19日日曜日

帰省録 その3

長くなってしまったけど多分この回で帰省録と言う名の珍道中も終わりになるはず。
僕自身も流れをだいぶ忘れてきているので、ちょっとおさらい。

1日目。
午前の便で福岡へ、新幹線と在来線で地元へ。
午後からダンガン渡辺と合流、人吉で柔道をする。
暑いわ強い人もいるわ湿ってるわ暑いわで、あまり心地好くない懐かしさを感じる。
渡辺は膝を痛めてたけど、そのあとは人吉の夜の街へ。
思ってたより5倍は栄えてた。

2日目。
膝の怪我の為、渡辺が接骨院にピットイン。
遅めに出て、昼過ぎに僕の地元付近で自称テラOBの清野と合流。
夏といえばということで海へ行くも、あまりはしゃぐことなく終わる。
清野のあの、幾人もの方々を魅了した往時の大胸筋は、もはやただのおっぱいになっていた、Bカップ。
帰りに日奈久温泉に寄って湯治、野良ネコが名産のちくわを所望していたけど、あげなかったらそっぽ向いて何処かへ行った。
実家で御馳走にありつく(お客さんが来るということで普段より豪華になってて満足)。


そんなこんなで3日目。

特に何も決めていなかったけど、ドライブに行くことに。
車は清野と渡辺のの2台があったが、「1台で行こう」と言うことで一旦人吉へ。
人吉で渡辺の車を置いて、清野カーに乗り込み、目的地は霧島へ。

実家の牛と清野と渡辺。
清野の農家感がバッチリ。


渡辺には目もくれずに飼料を食む牛たち。
カープTシャツの赤は全く気にならなかったのか。


人吉からの発車後、飲み物が要る、ということでコンビニに寄ることに。
勿論ジャンをやる流れに、そして曰く、「森本がそろそろグーを出したくなってきてるはず」。
続けて曰く、「あ、確かに、俺もそろそろ森本がグー出したくなる頃だと思うわー」。
お判りいただけただろうか、これが同期愛の名を騙るハイエナどもがよくやる手口である。
このハイエナどもは同期3人であることを良いことに、多数派を形成し数の暴力で僕をやり込めようというのだ。
そうして土台を作ったところで間髪入れずに仕掛けてくるのは流石と言うべきか、このゴミどもめと言うべきか。

「飲み物ともう1品ならいいんじゃないか」
ーまあそれくらいなら、、、
「金額の上限は無くていいか~」
ーいや合計で300円までなら、、、
「ぴったりって難しくね?消費税くらいならいいだろ」
ーうーーーん、、、
「じゃあ大体300円くらいで」
ーいやダメだ、税込合計額300円まで!

こうして「349円(税抜)までは大体300円だろ」という流れを回避できた僕は一安心した。
そしてなんだかんだグーを出す羽目になるのは回避できていなかった、ええーいこのゴミどもめ!


そんなこんなで、まずは霧島の手前にあるえびの高原へ。
高原らしく割と涼しめで、札幌には劣るが過ごしやすい天気。
硫黄山の噴火の影響で入山規制がされており、足を引きずる渡辺もいるのでミュージアムセンターと物産館を見物して終わる。
物産館では清野がソフトクリームを貪っていた、これがデブエット。
あとは行ってないけど、トレッキングコースやらキャンプ場なんかもあるらしい。

奥に噴煙が見える。


そろそろ昼も近くなるけど、とりあえず山を下ることに。
次は霧島神宮を目指す。
途中、車道すぐ横の藪から鹿が跳び出してきたが衝突せずに無事回避。

中央付近に鹿。

スマホのズームマックス、けど顔だけきれいに隠れてる。
インスタ映えするような盛り写メでないと撮られたくない、ということか。

何はともあれ無事に下りきって、霧島神宮へ。
ここでは普通にお参りをした後、おみくじで勝負することに。
「運勢の悪い奴は日ごろ徳が積めてないからだ。徳を積むには他人に良くすることだ。つまりは飲み物をごっつぁんしてあげるとか」
結果は1. 渡辺(大吉)、2.僕(吉)、3.清野(末吉)。

結果発表。

僕のおみくじ結果。当たり障りのないことが書いてあった。

この後清野は神域でふしだらな発言を繰り返して、階段に躓いて足首を軽く捻っていた、僕は神の存在を身近に感じることができた、、、。


この時たしか12時も過ぎていたので、道の駅霧島のレストランで昼食に。
飲み物という指定だったので、食べ物の他に一番高いブルーベリージュースをオーダー。

1人だけ何とも言えない表情で飲んでたけど、美味いジュースだった。


そして今回最後の目的地、渡辺お勧めの曽木の滝へ。
東洋のナイアガラを自称しているとのことだが、ググると日本各地に東洋のナイアガラはあるらしく、ちょっと期待薄だった。
とりあえず駐車場に車を停めて、土産物屋や飯屋を見てジャンの心構えだけはしておいた。

思ってたのの7倍くらいデカかった。

幅210m、落差12mらしい。

記念撮影。

「マイナスイオンが呼んでいる」とのこと。
真実は多分、近くにいた他の観光客(女性)を見に行っただけ。

清野?いやサルだった。

滝の観賞を終え、仁義なきジャン。
「ここで負けた奴が真の敗者な」
という「最後の得点は100万点!」みたいなノリで、負けたのは僕だった。
白玉ぜんざい(冷やし)を注文。


他人の金で食うぜんざいは美味そうだなぁ!

テイスティングしてるつもりなのかもしれんが、
どう見てもただの冴えないしかめっ面だからな。


このあとは人吉で渡辺を降ろし、僕も実家で降ろしてもらって解散。
と、実はその前に、実家最寄のIC直前のSAで、最後の最後、清野と一騎打ちのジャン。
情けなくも返り討ちにあい、通算成績は6戦3敗。
ソフトクリームをごっつぁんしてあげる。
プレミオとかいう名前だったと思うが、甘さがくどかった気がする、不味くはない。


現役引退して社会人になって、金を持ったことで更に性質が悪くなった僕らの小競り合いもひとまず終わり。
道中互いの近況報告や、現役時代の昔話も面白かったけど、ここで披露するにはちょっと違うのでやめておく。

友人と言うのは何となく憚られるけれど、友人以上に話せることは多い連中で、この関係性にしっくりくる名前は、今のところ僕は知らない。


以上、同期と過ごした2日半の記録。
思えば最後まで食ってばっかの道中で、札幌に戻って2,3日は体が重かった。
また機会があれば、ここに書いても恥ずかしくない記憶を残せたらいいと思う。
多分無理だけど。


おわり。

2018年8月18日土曜日

柔道部は現在オフ期間

先週末の土曜の練習を終え、山内筋トレを終え、お盆。
僕の会社はお盆休みは無いから、先日札幌に帰郷していた研究室時代の同期とも会いそびれて、その期間の雨も相まってちょっと沈み気味な平日を過ごした。

話を戻して、山内筋トレについて。
筋トレと言っても、内容は走って跳んでという、単純に下半身のトレーニング。
ただ、時と場所が、日曜の昼間、家族連れで夏休みを楽しむ方々の数m先というだけ。

レジャーを楽しみに来られた方々とは対照的な絵面だった気がするけど、我々にそんな事を気にする余裕はきっと無かった。
けど、見知らぬ一般の方から「頑張れ」と声をかけていただくシーンもあって、今思うと有り難いなあ、としみじみ。

個人的には、今の自分がどれだけ自分自身を追い込めるか、というのも1つのテーマだった。
それで結果と言えば、目を背けたい事実が、やはり浮き彫りに。
単純に劣化、身体能力と、克己心の純然たる減退。
理由もいたって単純で、練習量と質の低下。
基礎運動はせずに乱取だけやって、余分な力の抜き方とか、誤魔化し方だけ上手くなった結果。


走ることを例にとっても、呼吸と思考と体の連動ができなくなって、ペースは落ちていくし、踏ん張りが効かなくなってくる。
ランナーズハイになることも無く、ただ苦しいだけで、しかもそれを乗り越える気持ちもなかなか湧いて出てこない。
それでモエレ山をそりとびで登るときになると、中腹まで来たところで動けなくなった。
現役の頃はそういう風になっても、自分で頭のねじをぶち切る事ができていたように思うけど、今回は無理だった。
現役がどんどん登るのを見つつ、よたよたと跳ぶことしかできなかった。
一番怖いのは、そこで悔しいって感情があまり前に出てこなくて、単に思考停止状態になっていたこと。
別に熱中症とかでもなく、強いて言うなら、休日に家事をしようと思ったけどなんとなく半日布団から出ずに過ごすとき、に似たような感覚だった気がする。


まあ、そういう不甲斐無い感じだったけど、翌日からしっかりと筋肉痛になって、つい一昨日くらいまでふくらはぎが痛かった。
あと姿勢制御に使ってたからか、腹筋にも反動が来てた。

こういうときに、是が非でも自分の身体と向き合うことになるので、そういう観点で山内さんによる指導は活きてくる気がする。
あんまり思いつめても神経衰弱になっちゃうから、ずっと向き合いはしないけど、ふとした時に。

ちょっとまとめ方もわからなくなってきたのでこの辺で打ち切り。


おわり。

2018年8月10日金曜日

横三角 自論と解説 動画付き

以前予告していた(?)横三角について、動画を撮ってきたのでここに載せておく。
我らが仙人からは、今現在までついぞ合格をいただいてはいないのだが、そこには目を瞑っていただいて、ひとつの参考にでも使ってくれるとありがたい。
そのうち、僕の横三角にどんどんケチをつけてくれるような人が現れれば、幸いかと思う、まあ悔しいけど。


ということで以下僕がやってる横三角。
受は4年目の川上、撮影は同じく4年目の岡本にお願いした。
この場を借りて、2人には礼を言いたい、ありがとう。


まずは(1)開いた側から。


ここで言いたいのは3つ。
  1. ねじ込んだ足の使い方
  2. 返した後の腰の切り方
  3. 受の苦しそうな表情

1.で言いたいのは、は所謂お姉さん座りの体制になり、ねじ込んだ膝を相手と密着させて、それを離すことなく相手を頭を軸にして返す、ということ。
これによって返す際に逃げれられたり、勢いよく回転して逆転されたりということを防ぐ。
つまりは技の各段階で、途切れることなく相手の動きを自分の支配下に置くということ。

2.は、返した後の相手の動きを封じるということ。
この際の相手の動きは9割方ブリッジによるもので、それには頭を反らさねばならない。
そこで、逆に相手を俯かせる方向に力をかけてブリッジを防ぐ。
僕自身は、じつはこれは苦手で、実戦においては相手を制しきる自信がない。
上手いこと体を捻って力を出す、という感覚があまりない。
元来立ち技で腰技や内股のような、腰を捻るような動きをしていなかったのが原因だと思っている。

3.は、受にとっては申し訳ないがどうしようもない。
横三角に限らず、亀取の手法の多くは、相手を痛めつける要素が少なからず入っている。
名人や達人と言われるようなレベルであれば、相手の身体反射や駆け引きでもってするりとやれるのかもしれない、とは思う。
つまり、僕ら凡才且つペーペーの若造どもにはかなり難しい話と言わざるを得ない。
ということで、亀取ができるようになってくると、自然と反復では余るようになる。
1mの距離にいて目もばっちり合ったギョロ目の板前が、普段の3倍はあろうかという速さで別の相手と組みに行き、他の後輩達にも避けられ、仕方なく道場の対角線上にいた同期のゴリラとお互い苦しい技を掛けあう羽目になった経験は、僕の自前の指では足りないほど有る。


次は(2)亀の頭側から。

先ほど言った、(1)-1.のねじ込んだ足の使い方、が見易い角度かと思う。
足をねじ込んだ段階で、その膝の向きが、あと5~10°返す方向に入るともっと美しい気がする。


次、(3)取の背中側から。

ここで言えるのは、
  1. 返す前の腰の高さ
  2. 腕を縛る際の上体の使い方
1.では、腰(尻)が完全に落ちていることが重要。
つまりは相手の頭を固定している、ということで、返す際の軸を確保している。
この軸がぶれると、返す際の回転半径が大きくなり、相手の動く空間ができてしまう。
それによってコントロールが甘くなって逃げられたり逆転されたりするリスクが高くなる。


2.については、具体的行動としては、上体を屈めている。
上体で壁を作ることで、縛りたい腕の動作可能な空間を削っている。
ただし、ブリッジに対して弱い体勢でもあるので、実際に使うときは注意されたい。


最後、(4)亀の背後側から


ポイントは、
  1. 返す際の相手の回転の順序
僕の持論として、横三角の返しが成功するときは、頭→上半身→下半身の順に回転している気がする。
返せるけど逃げられるときは、回転の途中で相手が腰を切り、その下半身が先に着地していることが多い。
つまり、返すまでのプロセスのどこかで、相手のコントロールが不十分になっているということ。
それでも、身体能力で勝っていれば無理矢理に、経験値が豊富であれば相手の動きも加味した体捌きなんかで対処はできるけれど、基本は相手に動く隙を与えないことがベター。



そういうことで、僕なりに横三角について多少のまとめをしてみた。
疲れたけど、こういうのも自分の頭の整理になるので重要だと思う。

今回出たポイントとしては、
(1)-1. ねじ込んだ足の使い方
(1)-2. 返した後の腰の切り方
(1)-3. 受の苦しそうな表情
(3)-1. 返す前の腰の高さ
(3)-2. 腕を縛る際の上体の使い方
(4)-1. 返す際の相手の回転の順序
以上。
語りだせばまだまだ出てきそうな気もするし、今回出したポイントが本当にコアな要素かと言うと、そうでもないかもしれない。
それに実戦だと、今回取り扱った前後の動き、つまりは亀の崩し方や返した後の極め、も入ってくるのでまだまだ語ることはできる。
こういう探求に終わりはないから、僕も気長に行こうと思う。
ただ、現役に対してはある程度のゴール設定をしないと、彼らの役に立てないし、指導者としての矜持に関わるかも、とも思うけど。


今回はこんなところで、そのうち他の技についても、時間と気力があるときに少しずつ手を出していきた、、、うーん、いければいいなあ。


おわり。

2018年8月6日月曜日

限界を超えろとよく言うけれど 20180806

鬱々とした晴れ模様も鳴りを潜め、札幌らしい爽やかな夏模様のこの頃。
程よい太陽熱と、涼やかな風を感じる所謂ハイシーズン。
草木生い茂り、春に芽生えた淡い想いも一息に燃え上がる、そんな巷のっぽい夏は今年も消息不明で。
僕は今日も今日とて道場へ。


今日は練習後の現役の筋トレに混ぜてもらい、数ヶ月ぶりのベンチプレス。
毎度、100kgあげることを目標にしていて、まともに挙上出来なくなったら衰え甚だしいということだ、と自分に言い聞かせている。
幸い、2回目もぎりぎり行けたので、なんとか踏みとどまっているということだろうか。

そして、いくらかの人は予想通りかもしれないが、僕と組んだ方々は不幸にも追い込まれる羽目に。
いつもの重量から少しだけ重くしてみたり。
潰れて自力で上げられないところから、もう何回か支援付きでやらせてみたり。

そうすると、大抵「限界です」「無理です」と言うのだけれど、はてさて、限界とは何ぞや。
僕らが何か行動することに対して「限界」と言うとき、それが本当に「出来ない」ことを表すのは極々稀だ。
殆どの場合、「限界」とは「普段の範疇から大きく逸脱していること」を表していて、実行可能性についてはあまり考えられていない。

僕ら生き物は狡賢いから、肉体的精神的に大きなストレスを掛けることは、極力避ける性質がある。
常にどこかに余裕を残しておきたいということだ、と僕は思っている。
だから、自分で自分を追い込むことはものすごく難しい。
体育会系の文化であれば称賛に値されることかもしれない。
でも社会人でそれをやって、しかも負の方向に自分を追い込めば、鬱と名付けられて一人前の病人になる。
だから、きっとそのあたりは紙一重なんだろう。

まあでも、尋常の努力で全てが上手くいくならそれが一番良いはず。
だから選んだほうが良い。
期限内に望む場所にたどり着くのに、何かしら無理をすべきかどうか。
僕は緻密に考えるのが苦手で、刻々と変わる状況に対応していくのにも不安があったから、100不足しているなら120を注ぐつもりでやることにしていた。
今となっては、その余分な20を他人に分け与えたほうが良かったんじゃないか、とも思うけど、時既に遅し。

とまあ、あれこれ言ってはみたけれど、今回言いたいことは1つだけ。
自分で思った肉体的限界って、割かしすぐに超えられるよ、ってこと。
加えて、他人の(信頼できる人だと尚更)力添えがあれば、自縄自縛のリミッターなんて、使い古しの解けかけの紐くらいのものでしかない。

そういうことが腑に落ちる瞬間を、僕も誰かに与えられたらいいなあ、なんて思ってる。


おわり。

2018年8月5日日曜日

練習参加 20180804

諸事情で、土曜の練習だけど到着が遅れてしまった。
基礎運動はできず、多分反復から参加した。

反復で現役の相手をするとき、僕は基本的に、1回目は抵抗せずに技を受けてみることにしている。
それでその技の習熟度を測る。
よっぽど理に適ってないと思う場合は逃げてあげるんだけれど。
それで、2回目以降にどんどんレベルを上げるようにする。
具体的には、抵抗したり逃げたり、逆転したりする。
そうしないと、いつまでたっても無抵抗の相手にか通用しない、机上の空論じみたものしか身につかない。
馴れ合いで後生大事に撫で付けられただけの技術が、ぶつけ合いで削られ研がれた人たちに通用するとは思えない。
そして分けに対して有利なルールの中で、それでも相手を取るには、相手の心技体を踏みにじっていく心構えが重要なんじゃないかと、個人的には思っている。


そういえばこの日は外部から多くの人が来ていた。
翌日のオープンキャンパスへの参加を控えた高校生が2人。
あと中学生くらいの姉弟に、一般の大人の方が3人。
練習後はその一般の方々に型の講義、実演をしていただいていた。
僕もしれっと拝見させてもらったが、なかなか興味深いものだった。
今のこのいい歳になって、力の流れとか視線とか重心とかをちょっとだけイメージできるようになっていた。
中学で初めて投げの型をやったときには、演武というより演舞の気持ちだったが。


練習後、現役が書いているノートの一部を読ませてもらい、コメントも書いてみた。
コメントも、読み込みが浅くて、軽くしかできていないから、現役諸君には「なんかよくわかんね」とか思ったら是非突っついてもらいたい。
いい歳して振り返りとかPDCAとか苦手だし、そんなもんなくても良い方法は無いかと負の動機で自己改善を試みているので、誰かに指摘してもらった方が有り難い。

女子主将佐久間と前主将北口(何故か書いてる)のノートに、お互い「太めだから道着がパツパツで掴み辛い。痩せるか1サイズ上の道着買え」と罵り合うのを発見。
「女心が~~」という佐久間と「いやむしろ女だからこそ言ってやってる」という北口の争いはこれからも続く。
傍で聞いてる分には面白いが、女心について僕に意見を求めるのはどうかしてると思うよ。
知ってたら僕はきっと瑞々しいCL謳歌勢になっていただろうし、今頃は合コン三昧かつ酒池肉林の最中にあって然るべきだと思うんだけど。


現実は、半分実用、半分自分本位の趣味に金と時間を費やして、柔道も無い休日は独りその辺をぶらぶらする日々を過ごしている。
趣味についてはきっとそのうち書き出すと思う。


おわり。

2018年7月31日火曜日

横三角 肩極め縦四方覚書 20180730

乱取の気分で道場に行ったら技研だった。

メインパーソナリティは勿論、仙人佐々木コーチ。
風貌は相変わらずで、ザンバラの白髪にちょっと頑固そうな職人っぽい顔つき、それで今回は道着を着ていたのでパッと見は達人。
北大の応援団のボロ羽織を着ても何も違和感なさそう。
むしろ、「あれは俺が与えたんだ」とか言い出しても、巷の人々なら信じてしまいそうな気もする。

ちなみに私服は上下黒、Tシャツにジャージで、チャリで30分くらいのところまで帰る、と言っていたが大丈夫だったろうか。
高齢者かつ1級障がい者とはとても思えないバイタリティを感じた。


横三角と言えば、今や中学生でも知っているポピュラーな亀取技術。
ただ、一般に普及している横三角と、七帝で使えるレベルの横三角には雲泥の差があると思う。
まあ、七帝ではじっくりと技を極めていけるルールになっているから、時間制限のあるその他のルールとは、発想が根本的に違ってもしょうがない。

ポイントはいくつもあるけれど、全部を語るには僕の気力が持たないので、1つだけに絞る。
横三角は、脚で返す、これが最重要。
日々の練習の中で、どうしても忘れがちになる部分。
その中でも特に致命的なのが、脚で返す、ということを忘れ去ること。
部内では強いって人が、この状態に陥りやすい。
弱い人にはめっぽう効くけど、本当に取るべき時に取れなくなってしまうので、腕で返すことは、僕はお勧めしない。
具体的なところは、今度写真付きでまとめられたらいいなあ。


もう1つ。
肩極め縦四方。
昨日現役のを受けて思ったのは、極めることを痛めつけることと勘違いしているということ。
関節技では重要なのかもしれないが、抑え込みにおいて極める、とは、相手を制すること。
昔風の言い方をすれば、脇差をぶっ刺して、その後相手が絶命するまでの間反撃にあわないようにすること(抑え込みの定義と、30秒で一本というルールについて、僕はそう習った覚えがある)。

極める感覚を養うまでに、コツを掴むまでに時間はかかるが、多少の体格差は関係なく抑えきることができるようになる技術なので、腐らずに頑張ってもらいたい。

うーん話が抽象的にならざるを得ない。
誰か具体的な話をして、技術体系をまとめてほしい気もするが、難しい。


そういえば、現役の夏休みの予定を聞いてみた。
8月頭にキャンプをするらしい。
2泊3日で、2日目に何をしようか、と悩んでいた。

あとは、男女別々(時期的にも場所的にも)で遠征するとのこと。
男子は名大、女子は東大に行くらしい。
どちらもド平日真っ盛りの日程だったので、僕は参加できないけれど、近くにお住いの方々がいらっしゃれば行ってあげてほしい。

そんな宣伝もしてみたところで。


おわり。

2018年7月30日月曜日

基礎運動つらい 20180728

土曜の練習の話。


乱取多めにやるのかなー、お、押し出しで6分×12か、まあまあだなー。
と思っていたら、準備運動、柔軟の後に宮武総監督の一声。
「基礎運動の確認やります」

まあ、こういうのは定期的に見直さないと、みんな好き勝手やるからタイミングとしては良いと思った。
僕らは基本楽をしたい生き物で、具体的で客観的にまとめられたものですら、都合よく解釈できる大変便利な思考装置を持っている。
だから、その時々で余裕だったり、やる気だったり、元気だったりがある人が都度修正をすることが大事だと思う。
ただ、その先導者は、常に同じでなくても全く構わない。
要は親切と同じこと、やってもらって当然、とは思わないで、「有り難いなあ、次の機会が巡ってきたら俺もなんかやってあーげよ」くらいのテンションでもいいと思う。

そうやって社会も廻っていけばいいと思うけど、資本主義では親切にも対価が発生しがちだから、親切の運用は限定的にならざるを得なさそう。
少なくとも僕個人については。


話を戻そう。
基礎運動では、相手のイメージが如実にその動きに反映される。
同レベルなのか、格上なのか。
分けるためか、取るためか。
自分の得意を磨くのか、より広範な動きを身に着けたいのか。
準備運動として、体をほぐして可動域を広げるのか。

正直、この時期の現役としては期末テストもあるから、なるべく頭を使いたくないという状態なのかもしれない。
それはそれで仕方ないとも思わないでもないが、であれば最低限のことはやっておくべき。
僕が思う最低限は、可動域を目一杯に使って大きく素早くやること。
列の先頭でそれをやって、端まで着いたら後ろの人たちに高みの見物を決めてもいいんじゃないかな。
他人のを眺めていれば、それぞれで細かな違いがあって、参考にもなるし。


そして久々に基礎運動からやると、やはり消耗が激しかった。
練習終わりまで喉の渇きを抑えらず、乱取終盤で水分補給してしまった。
肉体的にも精神的にも甘くなってしまったみたいだった。
直視したくはなかったけど、そのほかのところでも予兆はなんとなしにあったので、愕然とした、というよりかは、腑に落ちた、という感覚。

何よりの問題は、今後その甘さを断ち切る見込みが薄いことで。
社会に出て言い訳が上手くなって、徒に年を経るのも考え物。
最早どこが最終防衛ラインかもわからなくなってきたけれど、死守するところはきっちり守って、そのほかは騙し騙しだったり、なんとか他人を頼らさせてもらって生きていくしかないのかもしれない。

話が柔道部から逸れてきたので話は打ち切り。


おわり。

2018年7月28日土曜日

練習参加 20180727

行ってきた。

前回指摘していた崩れ上四方については、多少なりとも改善されていたように思う。
まあ、テーマ別乱取の様子だけなので、本番は今日の練習時の基礎運動を見て判断するつもり。

どの技術も、最終的なゴールはそれなりに明確にできるけど、過程である練習法には明確な正解は無い。
コツをつかむ瞬間はいつ訪れるかわからなくて、僕が引退してからの現役を見ていると、取ることに関しては、3年目の年末年始あたり、というパターンが多い気がする。

分けに関しては、2,3分くらいは安心できる体勢を1つでも持っていれば、準取役クラスを分け切るのは案外難しくないと思う。
それ以上を相手にすると、得意パターンに持ち込むまでの動きや、そこから逸れたときの修正方法も2,3持っていないとかなりツラい。
あとは単純だけどフィジカル。
パワーはテクニックで補えるのはある程度事実だけれど、それって生涯スパンで考えたときの話じゃない?とはいつも思っている。

心底目標を達成したいと思いつつ、だけど悠長に手段を選んでいられるほど、僕らは才能に満ち満ちていないのが常だ。
どちらも理由探しは簡単だけど、出来ないこととやらないことは明確に区別しといたほうが良いと思う。


練習後はそれぞれが自由に。
筋トレする人駄弁る人、研究する人帰る人。
僕も何人かの近くに行って話してみたり、あるいは単に眺めていたりした。

鉄棒を振り回すトレーニング。
みんな大好き「月刊 秘伝」に載ってた気がする。
実験台は中村。ちょっと背中が丸まっちゃってるかな?

そのあとは久々に現役とごっつぁんへ。
10人の大所帯で、22時くらいということもあり店探しは難航。
結局二手に分かれて、僕はRaRaに行った。

正面に座った1年目笠井が辛さ上限の50番を頼んでいた。
流石寮生、3番で汗まみれになる僕とは鍛え方が違う、なんて思った。

あと、食いしん坊佐久間が最近食べ物に対して胸が苦しくなったり、ツラかったりといった症状が出るらしく、満場一致で「食べ物に対する恋煩い」という診断を下されていた。
本人は逆流性食道炎を主張していたが、真相は闇の中、ならぬ佐久間の肚の中だろう。

それと、現役ではないけど小形が話の中で僕をダシに使って「尊敬してますよー(棒)」とかほざいていたので、今日の練習に来ていたらしこたま現役をけしかけようと思う。
みんなヒィヒィ言ってる小形を見たいはずなので、きっと僕の心と行動に一点の曇りもなく、全てが『正義』だろう。

そんなくだらない話もできたところで。


おわり。

2018年7月25日水曜日

練習参加 20180724

昨日の話だけれど。


先週の札幌らしからぬ、しかし夏としては妥当な暑さも身を潜め、今週はそれなり異常に過ごしやすい気温で始まった。
札幌の夏、という奴で、湿気が少なくからっとしており、汗をかいてもすぐに乾く良い天気。
大通ではビアガーデンも始まり、週末になれば満員御礼、一体いくらのカネとヒトが動いているのかが気になる僕は、きっと心が資本主義の闇に蝕まれている。


そういうことで、仕事を定時で切り抜けた僕は、おおよその人々の流れに逆らって北大武道場へ。
最早所定の流れと言うべきか。


道場内に入って気付いたが、道着を忘れていた。
仕方がないので部室や洗濯室を探し回って、今成の苫小牧東の道着を拝借。
現在僕は道着を2着持っているのだが、片方は会社の柔道部のを借りているだけなので、あまり使いたくない。
と言うのが建前で、胸とゼッケンに会社名が明記してあって、北大柔道部の人間でなくなったような気がするので気に食わないというのが本音。

乱取では、現役とやってひたすら取る。
体格やフィジカルでは劣ることもあるけれど、七帝キャリアに倍以上の開きがある以上、経験値にモノを言わせて取りに行く。

この日の乱取後には、30秒抑えがあって、今回(今週?)は崩れ上四方の練習だった。
面白いのは、僕より10kgほど重い現役に抑えさせたところ、ほぼパワーのみで弾き返せた点。
崩れ上と言えば、仙人佐々木コーチ曰く、最強の抑え方の1つ、ということだったはずなんだけれど。

検証してみると、最大の問題として、上体の圧力だけで抑え込んでいたことが判明した。
基礎運動の「這う」で、全身指先からつま先まで十分に意識が向いてないことの証明だった。
この日は2人から全く同じ質問をされて、上記の答えが当て嵌まっていたので、多分全体としての問題点だろうと思う。
でも今回気付けたから、次からはちゃんとやれるはず。
本当にツラいから、僕もできればやりたくない。
でもやればできることを知っててやらないのは、自分への敗北感でいっぱいになりそうで。
だから仕方なくやるんだと、そう思っている。


そして、練習終わりのミーティングで、コーチの依頼を受けて、応諾。
大まかに言って、1年ぶり2度目のコーチ復帰。
中島の代は幹部が2人で、チーム運営のためにも、借りられる力は存分に借りる、ということなんだろうと思っている。
僕の他にも、遠藤さん、小山、徳井もコーチとして起用されたとのこと。
近年稀に見る体勢かとは思うが、結果を吉とできるようにそれぞれが動いて噛み合わせていくしかないと思う。

北大校内にできたセイコーマート。
学生待望の24時間営業。

2階ではジンパもできるらしい。
21時頃だったけど、客も10人以上はいた気がする。
商売繁盛、金もがっぽり、いいねえ。


僕がコーチでなければならない理由、コーチが僕であるべき理由を、現役の皆さんが持ってくれれば幸いで。
僕は僕で、現役達を、中島の代、この代でどうしても勝たせたい、っていう想いを本当に抱けたら良いなあ。


立場が変われば僕は変わるのか。
良い影響を及ぼせるのか、僕の課題もできたところで。


おわり。