2019年1月29日火曜日

デブエット成果なかった 20190128

練習後の体重が78kgだった、激弱。
せっかくご飯の量を増やしたり、深夜にポテチ食べたりしたのだが、効果はなかったようだ。
やはりちゃんとしたものを然るべきタイミングで頂かねばならないのだろう、難しいものですな。

そういうわけで先日書いた約束に則って、綱3本と懸垂30回をする羽目に。
体は軽いはずなのに、登るのが辛いのは、単純に背筋その他が衰えている証拠か。
また自力を積みなおさねばならん。。

なので、道場の壁に貼ってある体重のグラフには、僕の梲の上がらない感が記録されている。
ちなみに現役部員の体重の推移をみると、これもそこまでの増加は無さそう。
むしろ減るパターンもちらほら。
まあどうしたって波は出来るし、今は試験期間なので尚更だろう。
入部後一度も減量しなかったのは、僕はただ一人しか知らない。
そんな特例は置いておくとして、右肩上がりの波なら、まあいいんじゃないかな。


この時期は色々と重なる。
学生は試験や卒論修論なんかで忙しいし、インフルエンザとかが流行るし、寒いし、雪降って道路は歩きづらいし、朝起きるのめんどくさいし。

西森は化学科の宿命か、週明けのはずなのにかなり消耗してた。
うーんブラック学生だった石倉を思い出す。
しかし彼は今やスーパーホワイトの身で、定時上がりの笑顔は清々しいものがある。
人生何がどう変わっていくのかは分からんものだ。
いや、変えていく、の方が正しいだろうか。

町田はドイツ語を落としたとか、落とさないとか。
僕の同期にドイツ語落として、一時「Bitte」と「Danke」しか言わなくなった輩もいたが、出来ればそんな悲劇は繰り返してほしくないものだ。
あれはあれで滑稽な感じで、殺伐とした雰囲気をちょっとだけ和ませていたけど。
いや、思い出したらそうでもなかったかも。
思い出補正、恐ろしい。

そういえば、先週佐久間が練習に遅れた理由が、追々試のため、だったのだけれど、今日聞いてみたら大丈夫そうな雰囲気を出してた気がする。
もしダメだったら次は、講義担当の教授と体が入れ替わって、その権限を悪用するしか合格の道は無いんじゃなかろうか、なんて邪推していたところだった。
でもその場合、彗星衝突を阻止しないといけなくなるだろうから、そんな場合でもなくなるのか。
いや実はあの映画観たことないからストーリーもよく分からんけど。

最近のRADWIMPSの曲は知らないし、思い出したから今度TSUTAYAでも行ってみるか。
中学高校の時に流行って、僕も例に漏れず聴いていたけど、「ふたりごと」や「最大公約数」みたいな現象は、僕の身には起きなかった。
「一体俺が何したって言うんだ!?」なんて思ったこともあったけど、今思えば「何をした」というよりは「何もしなかった」のが原因であることは間違いない。

何にせよ動かないと始まらないのは分かりきってるけど、人間動き出すまでが結構難しい。
そのあたり、巧く背中を押せるのが良い指導者なのだろうか、僕にはまだまだ、、、。
どうしても力と論理で圧し切りたくなるけど、感情を刺激して心を動かさないと、結局上手くはいかないしなあ。
つまり他人を変えるより、まずは自分を変えるのが先だろうか、そっちの方が簡単だし。


おわり。

2019年1月23日水曜日

思いついたことはひとまずやってみる 20190122

昨晩の練習は終了後の筋トレに力を入れ過ぎた。
内容は後述するが、おかげで今日は体のあちこちが軋んだ。
僕は現在、老朽化した機械なんかを扱うことが多いのだけれど、今日は自分がそれらになったかのような気分だった。
関節は可動域の半分程度でギシギシ言い始めるわ、擦れた皮膚に寒風が滲みるわ。
いやまあふつーに我慢できる程度ではあるけれど、そういや現役の頃は毎日がこんな状態だったなあ、としみじみ思った。


大学はテスト期間であった。
武道系団体の集う北大武道場は閑散としていた。
どいつもこいつも、普段のぐうたらを棚に上げて、この時ばかりの一夜漬けを重ねる腹積もりなのだろう。
僕が学生の頃は、この時期になると生協でエナジードリンクセールが開催されていて、青ざめた顔色で眼だけがギラついた輩がそれらを買い込む様子も見られたが、今もやっているのだろうか。
三人よれば何とやらということか、徒党を組んだ試験ゾンビ達がジュージャンによって一時の安らぎを得ていたのも思い出される。
僕も当時を思い出せば、徹夜も辞さない覚悟で23時前くらいからテキストを読み込む体勢になり、しかし日付が変わる頃には諦めて布団にもぐっていた。
明朝の自分に全てを託すスタイルで、まあそれでも何とかなっていたのは、これはもう普段の行いがさぞかしよろしかったのだろうと、そう自画自賛せざるを得ない。


さて現役の話に戻る。
19時頃に道場に着いた、威勢のいい声が割かし聞こえた。
「おっ」と思って階段を上ったのだが、月曜にいたはずの部員が何人かいない。
練習後のミーティングに拠れば体調不良とのこと、もはや恒例か。
まあ、自分で休むことを選んだのだから、巡り巡って何らかのプラスになるように色々と企んでいるのだろう、うん、きっとそうに違いない。
ここだけの話、某仙人も「実はな、俺の頃はな、、、」なんて話(詳細は本人に確かめるのだよかろうと思う)を仰っていたので、僕にはよく分からんがそういうことも時には必要なのかもしれん。
近付いて離れて、その繰り返しで見えてくることもあるのかもしれない。
「~したら上手くいった」系の例はこの世に溢れてるから、各々自分の都合の良いように解釈してもいいのだろう。
その時の判断基準に、自分以外のものごとをどれだけ受け容れられるかが、その人の器の大きさになってくると思っている。
つまりこんなこと書いてる僕自身の器は良くて人並くらいだろう、いや、もうちょっとだけ大きくてもいいか?
少しくらい見得張っても許されるだろうか、え?ダメ?

色々やって色々言ってみて、さあ練習終わりということで。
心肺機能を上げたい2年目藤田と一緒にタバタをやった。
バーピージャンプと腕立て、スクワット、ケトルベルを2周×2セット。
久々のタバタは本当にもう、なんか変な音のする呼吸になってしまう。
2セット目は色々と誤魔化しつつ、何とかやりきるので精一杯。
こんなことでは座ったままの姿勢で跳躍することなど、夢のまた夢である。
その後2年目の森と西森と契約していた、「目標体重に届かなかった分だけ筋トレ増える約束」を履行することに。
2日目にして、そういえば僕の目標体重は無かったのを思い出したので、ひとまず現役最後の時に合わせて83kgにした。
結果は79kg、4kg不足で懸垂20回と綱2本、西森は6kg不足だった。

たったこれだけ、本当にこれだけでこたえた。
とりあえず、次に道場に顔を出すときにはこんなに筋トレしなくて済むように、少しは増量して行きたいと思う。
目標をちょっとずつ積んで、こなしていかないと。
僕はすぐに忘れる性質なので、それくらいがちょうどいい。
現役部員も、やりたいことやるべきことは探せばいくらでもでてくるが、結局本当にできることは案外少ないものなので、上手く選ぶことと、選んだことをやりきることさえできれば、ひとまず大丈夫だとは思う。


おわり。

2019年1月22日火曜日

4% 20190121

久し振りの練習。
諸事情で2週間ほど練習できていなかったので、やはり基礎運動が辛かった。
辛いという以前に、体の動きが整わない感がすごい。
はいはい、継続は力なり、という奴だろう。
しかし、力がついていくよりも落ちる方が早いというのは、とんだ罠ではないだろうか、誰だ仕掛けた奴は。

基礎運動、打込、反復、テーマ別、乱取、ストレッチ、あと技研や筋トレ。
大きな変わり映えのない日々の練習でも、選手によっては大きな差が出てくる。
最近は中島が特に煩わしい(動きが)。
他の皆さんもまあまあ動けるようになっているので、あとは実戦レベルに達するかどうかと、切羽詰ったときでもちゃんと動けるかどうかが問題になってくるのではなかろうか。
僕はとりあえず、取りに行くの疲れるから分け専門とかでお相手したい。
まあ、ちゃんと育ってくると分け専門の方が辛くなってきたりもするのだが。
そもそも相手が先手を取る確率が上がっていくから、まあそれは仕様のないことなんだろうけど。
後手後手はまずい、つまりは「オトナの対応」ってやつの大半と一緒だな。

さて、僕が思うに、ヒトはやはり育つものである。
育てるものではなく、自ずから育つのが最も大きく伸びる、当たり前だけど。
伸びるのには、意味を見出すことが必要で、見出すのには、意志が必要である。
意志とはつまり目的で、これは他人から与えられるものではない。
仮に誰かと同じものだったとしても、その根源は自分でなければ、結局のところ意味はなくなってしまう。
練習メニューの1つ1つも、声出しも、筋トレも普段の生活習慣も。
1歩でも半歩でも先に進む要素があるのなら、方法論なんて最悪どんなことだっていい。
物理的な教育的指導も、当人たちがその行為は何らかの(良い)目的に繋がっている、と思えるのなら、きっと意味はある。
まあこれは現代社会では極論もいいところだろうが。


あれこれ言ってみたところで、言われたところで、目的が見つからないってことも多い。
というか見つからないのが常だろう、だから社会人は基本疲弊している。
僕は、そういう時はとりあえず行動してみることにしている。
動くことで見えてくるものもあるからで、何か他に譲れないことが無い状態なら、妥協して行動することは吝かではない。
そういう意味で今回、出席表で衝撃の事実を確認した。
書き出されていた25回の練習のうち、現役全員が揃ったのが僅か1回のみだった。
後は、何かしらの理由で誰かが休む、というのが常態化している。
4%だったら、割とレアなモノではないだろうか。
中学の頃にやってたモンハンだと、逆鱗がドロップする確立と同じくらいだろうか。
いやでも物欲センサーを考えると、体感的にはもっと稀だったような気もするが。

別に仲良くなくても全く問題ないと思うけど、全員が揃って、チームではあるべきだと思う。
まあそれが一番難しいんだけどさ、僕も全然辿りつけなかったところだし。
意志があって挑戦しても、結果ダメなことが殆どで、だけどやらざるを得ないのはもう、、、ね。


おわり。

2019年1月8日火曜日

ふり幅 20190107 20190108

昨日今日は北大柔道部へ。
現役の講義の関係で18:00スタートなので、OBとしては時間を調整しやすくて良い。
仕事終わりに列車に乗って、札幌駅から走って10分15分くらいだろうか。
道場に着いた頃には体もそれなりに温まるので、練習に早く参加できるのがメリット。
デメリットとしては、帰路についている人からすれ違いざまに迷惑そうな顔をされること。


新年早々の北大柔道部は、年末よりも士気は高めになっていた。
練習中声を出してくれる人の数が増えたように思う。
自分を奮い立たせる為が一番分かり易いけど、周りの為にもなるから頑張ってみてもいいと思う。
乱取とかに集中してくと、声出すのを忘れるのは、僕の現役の頃からの癖で治せそうにもない。
けれど、誰かが声を上げてくれたら思い出すので、そういう人たちは本当に有り難かった。
主将(当時の僕)が自分のことだけしか考えられない(ように見える)のって、結構致命的だと思ってたし、その解決策の一つとして、声出しをしていた。
まあその声出しの意図をみんなが汲み取ってくれていたかどうかは、ぶっちゃけ微妙だったのだろうけど、、、、、、。

今日の練習では、千葉と正対やってて首を痛めた。
何処かのタイミングで膝を頭に食らって、その時にミシィって音が聞こえたので、明日が少々怖い。
咄嗟の動きが出来ていなかったのが最大の要因だろう。
あとは、千葉を制圧しきれていなかったが故の反撃、ということだろうか。
期間が開くと、こういう危機管理能力も落ちてしまうので、自分のテキトーさがちょっと嫌になる、ちくしょー。

練習後には5,6人がそりとびやってたので、僕も2往復だけやった。
今日は調子が良かったのか、ほぼ自己ベストくらいの跳躍が出来た。
全身が上手く連動してる時にしかできないので、ひとつのバロメーターとしていい感じ。
内心すごく満足だったので動画も撮ってもらった。


えーと、どや、、、。
これ言うとロマノフ食べてみたくなるのは僕だけでしょうか。
脱線。
まあでもみんなでわいわい筋トレしてるのは結構いいよね、羨ましいわ。


そんなわけで、まあまあの雰囲気だからこそ、新年早々に体調不良になった方々が残念でならない。
いくら現代っ子だからって、免疫系がそこまで機能しないのはもう目も当てられない。
是非とも、月刊秘伝の武飯のページを読むのをお勧めする。
酵素やミトコンドリア、油の質や腸能力の話は結構参考にしていたし、個人的には興味深い内容だった。


さてさて移動中はいつも突拍子もないことを思いつく。
最近は人生感とかも出てくるようになった。
それでふと出てきたのが、妥協してもいいことは大いに妥協してあげるべき、ということ。
その方が全体としては円滑に回るし、自分の妥協できないポイントがあったら今度は相手も引いてくれる、というか無理に押し通しても心は痛みにくい。
まあ、柔道においてとなると違うけど、殆ど押し付け合いみたいなものだし。
戦いは、基本我の強い者が勝つ可能性は高いよね。
そこらを見渡せば、相手を圧殺したり、封殺したり、逃げるものを追うのが心底好きな奴らは結構いる。
本能剥き出しで、我々理性でもって本能を模倣してる人とは、まずもう目つきが違う。
取りに行くときにクワッとなるのがケダモノ属性高めの人で、眉間にグッと力がこもるのが一般人、スゥっとなるのは修行僧適性値高めの人、ってイメージ。

人生辛いことだけとか、キツイことだけってのも嫌だし、逆に楽しいこととかやりたいことだけやるってのはきっと味気なくなってしまう。
やりがいとか喜びは、偶に見つかるものだから嬉しいのであって、いつも摂取してたら、麻薬みたいに「もっともっと」って中毒になりそうな気がする。

僕は感情のふり幅が大きいと疲れるタイプの人間だから、大きな喜怒哀楽はそんなには要らない。
普段は出来るだけフラットに生きていけたら、偶にある喜怒哀楽を大切にできる気がする。
そう思ってると、普段の出来事の多くを「まあどうでもいいことか」って次々に忘れていくのが、僕の大きな欠点でもあるけれど。


忘れないように1つだけ記録しておこう。
今日の練習後の体重は77.6kg、痩せすぎヤバッ、と思った。


おわり。

2019年1月1日火曜日

対価

年が明けた。
暫く前から、事あるごとに「平成最後の~~」「時代の移り変わりが~~」とか言ってるが、そんなものはあってないようなものだと思っている。
何かと理由を見つけてはパーティーがしたい方々にはうってつけの殺し文句なのだろうが、消費期限ももうしばらくか。
全部その日その時の積み重ねだろ、お前が勝手に区切りつけてんじゃねーよ、って気持ちになる。
まあでもこんなことも明日には忘れて、世界五分前理論とかを振りかざす可能性も、無きにしも非ず。


ちなみに今日は仕事だった、北大柔道部じゃない方の。
最近はこっちの仕事ともちゃんと向き合えるようになってきた気もするが、「圧倒的成長」とか「世界をリードする」とかには至れる気はしない。
まあ細々でも需要があって、それなりにやれて金銭も得られるというのは有り難いことなんだろう。
得られる給与に不満も無いが、それに見合っただけの仕事ができているかと自問すれば、これはもう顔から火を出すしかあるまい。

しかしまあ。
金銭が対人世界においてはおよそのモノ・コトと交換される事を考慮して、それで僕らは何を得たいのか。
それらモノ・コトを得るのに、金銭というやつは対価として本当に一般解足りえるのか。
もっと相応しい何かがあれば、そのうち金銭も仮想通貨も駆逐されるのかもしれない。
例えば他人からの感謝を数値化する装置や仕組みがあったとするなら、そんな「社会や他人への貢献度」というやつを、新たな通貨としてもいいのではないか、と妄想したりもする。
金銭でなくて、ありがとうの思いの丈で廻る世界経済、というのも面白そう。
僕なんかは真っ先に破産するかもしれんが。
まあそこまで切羽詰れば僕もようやく、他人思いが真っ当にできるような人間になれるのかもしれん。


さてさて、こんな突拍子もないことを考えるときは、大抵単純作業をしているときである。
何をしていたかと言うと、手帳の手入れである。
革製品なので、たまにはしっかりと磨いてやろう、と言うことで手触りを愉しみつつ、払ったり拭いたり塗り込んだり磨いたりしていた。
そんなわけで、購入当初と比較してのエイジングの出来を確認して、記録するのも合わせてここに写真を載せておく。

と言う訳で、はい、どん。

革手帳とメンテ用品。

ちなみにメンテ用品の内訳は。
馬毛ブラシ 2本(埃落とし用と仕上げ用)
M.MOWBRAYのステインリムーバーとデリケートクリームとアニリンカーフクリーム
使い古しのTシャツ(綿)とヒートテック
布を切る用の肥後守
以上。

以下はメンテ前の写真。

開いた中身。リフィルと接触していた部分がかなり変色している。

ちょっとした紙とかを挟むスペース。
めくると他の部分に比べてエイジングが遅い。
こういうムラもまた良し。

閉じたところ、外側。

ちなみに購入当初はもっと淡い色だった。
靴が重なってるけど、今と昔で色が違うのは分かる。

さてそんな革を、まずは馬毛ブラシで埃とかを落とす。
次にステインリムーバーを含ませた布きれで汚れ落とし。

ブラシがけを怠ると、表面に残った細かい塵や埃で革が傷つく。
リムーバーを直に革に掛けてしまえば、きっとシミになる。
手を抜けばそれだけリスクは高まるし、だからと言って手を掛け過ぎても上手くいくとは限らない。
料理や人間関係なんかと一緒だなあ、あれ?これ前にも言った気がする、、、。

と言うことで清掃終了。
ここまでで10分くらい。

布きれには汚れが。結知らぬ間にかなり汚れてたんだなー。

寄ってみる。若干テカりが消えた感じ、伝わるか?

中身も。

ちょっとだけ作業中断、革を落ち着かせたら、次はデリケートクリーム。
半透明のプルプルしたクリームで、見た目はクリームと言うよりもジェル。
保水、保湿に良さそう。
これを布きれに取って塗り込む。
僕は直径3~4cmの円を描くようにして少しずつ塗り込んでいくのが好き、なんかメンテしてる気分になれるし。
終わったものがこちら。

ちょっとしっとりな感じに。手触り良し。

寄ってみるとちょっと艶感。

またまた落ち着かせた後に、アニリンカーフクリーム。
これは蝋分が入っていて、革をコーティングしてくれるイメージ。
そんなわけで、こちらはくすんだ乳白色の、ホントにクリームって感じのクリーム。
これも布きれでうすーく延ばして塗り込む。
出来上がりがこちら。

とりあえず塗り終わり。

若干明るめになった。
ただ、余分な蝋分もあるので、シャツより生地の目の細かいヒートテックの切れ端で再度拭きあげる。
するとこんな感じに。

つや。


分かるかなこの緑地の上に透明感のあるツヤツヤ分が乗ってる感じが。

そんなわけで、見た目の艶感と触ったときのしっとりすべすべ感をひとしきり愉しんで、メンテナンス終了。
次はどいつを磨こうか悩み中。
革もいいけど、そろそろ包丁を研いでもいいかも。
それなりに良いものを長く使っていきたい、ここ3~4年の思考はそんな感じ。

今回のメンテでは、僕は時間やモノを対価に、僕自身の満足感を得た。
さて次は、何のためにどれを差し出してみようか。
と言っても、僕が差し出せられるものってそんなに多くもない。
まあ無いなら無いなりに考えればいいし、ひとまずは出来るだけ足掻いてみようかな。


おわり。