2019年1月23日水曜日

思いついたことはひとまずやってみる 20190122

昨晩の練習は終了後の筋トレに力を入れ過ぎた。
内容は後述するが、おかげで今日は体のあちこちが軋んだ。
僕は現在、老朽化した機械なんかを扱うことが多いのだけれど、今日は自分がそれらになったかのような気分だった。
関節は可動域の半分程度でギシギシ言い始めるわ、擦れた皮膚に寒風が滲みるわ。
いやまあふつーに我慢できる程度ではあるけれど、そういや現役の頃は毎日がこんな状態だったなあ、としみじみ思った。


大学はテスト期間であった。
武道系団体の集う北大武道場は閑散としていた。
どいつもこいつも、普段のぐうたらを棚に上げて、この時ばかりの一夜漬けを重ねる腹積もりなのだろう。
僕が学生の頃は、この時期になると生協でエナジードリンクセールが開催されていて、青ざめた顔色で眼だけがギラついた輩がそれらを買い込む様子も見られたが、今もやっているのだろうか。
三人よれば何とやらということか、徒党を組んだ試験ゾンビ達がジュージャンによって一時の安らぎを得ていたのも思い出される。
僕も当時を思い出せば、徹夜も辞さない覚悟で23時前くらいからテキストを読み込む体勢になり、しかし日付が変わる頃には諦めて布団にもぐっていた。
明朝の自分に全てを託すスタイルで、まあそれでも何とかなっていたのは、これはもう普段の行いがさぞかしよろしかったのだろうと、そう自画自賛せざるを得ない。


さて現役の話に戻る。
19時頃に道場に着いた、威勢のいい声が割かし聞こえた。
「おっ」と思って階段を上ったのだが、月曜にいたはずの部員が何人かいない。
練習後のミーティングに拠れば体調不良とのこと、もはや恒例か。
まあ、自分で休むことを選んだのだから、巡り巡って何らかのプラスになるように色々と企んでいるのだろう、うん、きっとそうに違いない。
ここだけの話、某仙人も「実はな、俺の頃はな、、、」なんて話(詳細は本人に確かめるのだよかろうと思う)を仰っていたので、僕にはよく分からんがそういうことも時には必要なのかもしれん。
近付いて離れて、その繰り返しで見えてくることもあるのかもしれない。
「~したら上手くいった」系の例はこの世に溢れてるから、各々自分の都合の良いように解釈してもいいのだろう。
その時の判断基準に、自分以外のものごとをどれだけ受け容れられるかが、その人の器の大きさになってくると思っている。
つまりこんなこと書いてる僕自身の器は良くて人並くらいだろう、いや、もうちょっとだけ大きくてもいいか?
少しくらい見得張っても許されるだろうか、え?ダメ?

色々やって色々言ってみて、さあ練習終わりということで。
心肺機能を上げたい2年目藤田と一緒にタバタをやった。
バーピージャンプと腕立て、スクワット、ケトルベルを2周×2セット。
久々のタバタは本当にもう、なんか変な音のする呼吸になってしまう。
2セット目は色々と誤魔化しつつ、何とかやりきるので精一杯。
こんなことでは座ったままの姿勢で跳躍することなど、夢のまた夢である。
その後2年目の森と西森と契約していた、「目標体重に届かなかった分だけ筋トレ増える約束」を履行することに。
2日目にして、そういえば僕の目標体重は無かったのを思い出したので、ひとまず現役最後の時に合わせて83kgにした。
結果は79kg、4kg不足で懸垂20回と綱2本、西森は6kg不足だった。

たったこれだけ、本当にこれだけでこたえた。
とりあえず、次に道場に顔を出すときにはこんなに筋トレしなくて済むように、少しは増量して行きたいと思う。
目標をちょっとずつ積んで、こなしていかないと。
僕はすぐに忘れる性質なので、それくらいがちょうどいい。
現役部員も、やりたいことやるべきことは探せばいくらでもでてくるが、結局本当にできることは案外少ないものなので、上手く選ぶことと、選んだことをやりきることさえできれば、ひとまず大丈夫だとは思う。


おわり。

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