2019年11月28日木曜日

現実見ろよ 20191126

18:30過ぎに道場着、道着に着替えて出たころには亀取の終わり際。
次の乱取に向けて体をほぐしつつ、現役を観察。

観るポイントはいくつかある。
まずは上下の選手の実力差、週1以上で通う身なので、これは一目で分かる。
と言うか、2,3日練習してみれば誰でも分かると思う、当然のこと。
次、それぞれが何をやりたいか。
これも観ていれば分かる。
取りはどう攻めたいのか、亀はどう受けるのか。
不足しがちなのは、亀が立ちに行ったり、正対に戻ったり、逆転したりするような展開。
最後、結果を受けた瞬間の表情。
分けた、取られた、取った、取れなかった、立てた、戻れた、逆転された、エトセトラ。
事前に思い描いていたり、不安がっていたりしたことは、どれだけ再現されたのか。
七帝柔道の特徴の一つは、お互いのことを知っていると、相対した時点でおおよその展開や結果が想像しやすいことにある。
その上で、その練習で自分の何をどう進ませたかったのか、それにどれだけ真摯に向き合っていたのかが、終わった瞬間の表情に顕れる。
そしてそれこそが個性で、人生を凝縮したもの。

次を探す目元に、疲れた疲れたとだけ発する背中に、揺らがぬ口元に、切り替えの呼吸で上下する肚に、立ち上がり踏み出す足元に、僕は現役の日々の練習を想像している。
その上で言葉を探し、織り、述べたり、言い回したり、叩きつけたり、贈ったりしている。
大袈裟な表現かもしれない。
けど、そんな感じの思考は、片隅以上の領域で蠢かしている。

このブログ?
だいたい言葉が出るままに任せ、指を走らせている。
意味は分からん。
読んだ人(書いた後の僕も含む)が意味付けすればいい。


練習は続く。
その後は乱取、研究の後に整列、一旦締め。
ミーティング後に筋トレだった。
ちなみにこの日の主将役は片桐、堂々とした態度は流石だった。
真摯な対人能力が高い。
突飛であったり、面白、ダメ人間路線に走りがちな中で、年上から見ると安定感があってひと心地つける。


ここ最近の疑問。
北大柔道部は、楽しい部活なのだろうか。
どう考えようと、前を向いて進めるのならそれで十分だし、何ならそれが全てだとも思う。
でもこれは僕の意見、みんながそうでなくとも構わない。
楽しまないと前に進めないだとか、楽しんだ方が効率が頗る良いのなら、そうするべき。
ただ最近思ったのは、楽しくてもいいんだろうけど、どうせなら生産者であってほしい。
楽しみについての消費者であるだけなら誰にでも出来る。
楽しみの先、何に繋げるのか、僕はそれが盡己であってほしい。

そういえば先週末、合気会に乗っ取られていた部旗はちゃんと戻っていたっけ?
どちらも北大グリーンに白抜きの文字だからよく覚えていない。
やはり僕は観察眼に欠ける、その分は他で挽回しないとなあ。


おわり。

2019年11月25日月曜日

馴染み 20191123

合気会のイベントがあるらしく、土曜日だけど18:30からの練習だった。
盡己の部旗は合気会のモノにすり替わり、道場真ん中の仕切りは開けられてだだっ広くなっていた。
隣ではおそらく武田流が練習していた。
と言うか、開始時間が同じだった。
準備運動の時の声掛け担当、この日は石川、がいつも以上に声を張っていたように思う。

そうそう、この日の一日主将は2年目市原だった。
みちこ節の効いた独特の発声、キャラが立ちすぎて非常に良い。
日曜の新人戦前ということで、立ち技乱取も組み込まれていた。
とは言っても試合に出ない部員もおり、僕が彼らとやるときは七帝ルールになっていたが。

立技は難しい。
と言うのは、寝技に比べて状況再現性がかなり劣るから。
技の決まる瞬間を例に挙げると、接地点が2~3くらい。
背負投だと取りの両足、内股だと取りの軸足と受けの片足で、それぞれ2つとか。
イメージは天秤とか、ダービー(兄)戦のグラスとコインみたいな、ギリギリのバランス。
高校時代の顧問は、技の決まる瞬間のことを「絶対の世界」と呼んでいた。
あとはほんのちょっとの力でも加われば、一気に崩壊する、という状態。

対して寝技になると、接地点の数は大体倍以上になる。
つまり、2人の人間が組み合った1集合体のバランスが安定している、ということ。
なので、状況も再現しやすい。
安定度や不安程度を互いに調節もし易い。
なので、反復練習のレベルも容易に調整可能である。
総合すると、任意の状況への理解がしやすい。
だから、全体を見れば寝技の方が練習対成果のコスパが良くなる。

しかし、だからと言って立ち技を無視するわけにもいかない。
七帝においても、柔道は立ち姿勢から始まる。
立技を振り返るのに、新人戦の時期というのは丁度いいのかもしれない。
選んだ上での立ちの放棄はまだしも、無意識に居着く心が大きいと危ない。
そういうときの引込は、多くの場合足技や、最悪ただの勢いによる押し込みで投げ判定を譲ることになりかねない。


立技の意識をどうするか。
それも、普段やらない者や、初心者スタートで馴染みのない者は。
投げ込み、という意見が多い。
でも本当だろうか。
投げ込みをやるにしても、到達目標はどう描くのが良いのか。
生憎僕はその辺り無頓着な部分が多いので、何とも言えない。
そういうわけで、その場にいた学生コーチの小山に話を振っておいた。
そのうち一定の見解が返ってくると思っている。


練習後は久々に現役と飯。
ラーメン大将、僕は肉チャー大盛。
坂田に「会社の人とは普段何を話すんですか」と尋ねられた。
答えていて思ったのは、会社の人とは色々話せるということ。
色々と話が尽きないのは、これは距離感の問題であるということ。
遠間からじわじわ詰めていくような、でも踏み込み過ぎないようにしているような、そんな会話をするのなら、結構長く話せる。
浅野返しを食らわない程度にかみつくのに似ている。
北大柔道部だと、近すぎて伝わり過ぎて。
石を握りしめた拳でノーガードの殴り合い。
殴った方は拳の外と内、どっちも痛い、殴られた方はめちゃめちゃ効く。
良いか悪いかは、その人次第。

まあコミュニケーションなんて、伝えたいことは伝わらなくて、どうでもいいことだけ憶えられて、そんなことばかり。
それでも僕らは伝えざるを得ない。
あ、上の2文は一般論ね、北大柔道部だろうが違おうが、世の中そんなところでしょ。


おわり。

2019年11月23日土曜日

問題 20191122

昨夜道場に着いたら、いつもと雰囲気が違っていた。
佐々木コーチの隣に京谷先輩がいらしたからか?と思ったが何か違う。
部室には食糧がいっぱいだった。
京谷さんからの差し入れというか、激励品というか、兎に角有り難い頂き物とのこと。
現役陣の増量の糧で、白米メインの彼らには嬉しいであろう、おかず類も豊富だった。
というか白米メインで脚気になりやしないかと思っていたところで、渡りに船。

着替えている間のメニュー指示を聞いて思い出した。
今週は2年目が練習を取り仕切るんだった。
この日の主将は女子の藤本。
声は小さいものの、おどおどした様子はあまり感じないという、あまりいないタイプの表現方法。
でもやっぱ聞こえづらかったな、隣でも練習やってたし。


乱取にちょっとだけ入れた。
始める前に解説していたのだけど、前述の通りあまり聞き取れなかったので近くにいた笠井に尋ねた。
昔「一本取り」と言ってたものに近いものだった。
内容としては、取ったら相手が替わる、というもの。
加えて、予め取りと分けを指定して乱取を行うということだった。

2,3人を取った西森の相手をしたが、その時は僕が取る側で、との指示。
組み際から奥を叩いて潰し、横三角を浅めにかけて対処してきたところを遠藤返しに繋ぎ、返して抑えたものの極まりが不十分だったのでブリッジを素直に受けて再度亀取。
今度はてきとーに横に返して足抜きの形を作り、肩極め体勢から西森に逃げる選択肢を与えた。
色々やらせるものの、最低限自分の優位はキープ。
そうやって体力を無駄に消耗させたところで脇を掬って上体を固定、精度は60点くらい。
最初の展開から終始僕のペースで、いよいよ疲れに抗えなくなってきた西森相手なら圧し切れると判断し、腰を切って足を抜き切った。
フィジカル同程度の、それも疲弊した相手なのでそのまま抑え切って終了。
残り2分くらい余り、近くに代わりの相手もいなかったので、今度は攻守交代でやってみた。
正対下になり、遠間から回り込む西森を止めたり逆に流し切ったりして終了、ノーチャンス。

あとは研究だった、内容は割愛。
1年目の後藤の質問がちょっとツボ。
僕なりの解釈、イメージだと、
「ln{exp(2)}をどうにかして、=2にしたいんですけど、、、」
と言う感じ。
最終的には僕が「いやもう答えでてんじゃん、計算すればいいだけでしょ」でまとめてしまったが、その前段階も興味深かった。
後藤と同じく1年目の坂田の発言を僕なりに解釈すると。
「1+(sinθ)^2+(cosθ)^2すると良いよ」
なるほどそう来たか。
そんな一幕。


練習後は追加の質疑に応じつつ、笹谷コーチと僕の違いを再認識。
お互い思考の出発点が違うので、答えを聞いた側の分析再構成能力が問われるものだったかもしれない。
展開をメインに語るか、答えありきで行くか、どちらでも良いと思う。
要は、選んだそれを正解にしていくだけのこと。
甘ければ他の正解を持った人に潰されるだけ。
闘う場では、結果的に正解が1つに強制される、集約でもなく、強要。
人間教育上は、複数回答を許容して共有するのが一般的で、僕も市井に紛れているときには基本そうしている。
処世術。


おわり。

2019年11月21日木曜日

1つ、北大柔道部での経験を、今活かしていることについて

自分語りは気恥ずかしい。
ただ、いつもは現役部員たちが僕に好き勝手語られているので、このくらいは我慢しよう。
部の方針としてブログ更新頻度を上げるのに、頑張ってネタを仕込んでいる彼らに1つ敬意を表したい。

本題。
僕が社会人になって他人よりもちょっとだけ気を付けているところ。
我が身の振る舞い方、である。
要は「他人が居る中で自分をどう売り出していくか」と言う観点。
「自分が」できること、やりたいこと、やるべきことをやるのが、最も自然に生きられる状態。
ただしそうはいかないのが世の常で。
「他人様が」僕にはできると思っていること、やってほしいこと、やるべきだと思っていることをやっていかなければ、飯が食えない。
そして、飯を食うだけでは飽き足らないのが、僕の業突張りなところでもある。
良い飯にありつきたいし、自分が認めたものに囲まれていたい。

雪道に足を取られるこの頃は、スエードのチャッカブーツが欲しい。
なるべく毛足の長い丈夫な革の、ソールはダイナイト、蜜蠟引きの紐、色は茶よりも黒が良い。
他にもビジネス寄りのモノを考えるなら、例えばCHURCH'SのSHANNON、ラバーソールver.だったり、いやいや雪国なんだからParabootも良いんじゃないかと思ったりする。
先日大丸のポップアップショップで来ているJOHN LOBBでCITYⅡ、PHILIPⅡを試し履きさせていただいた時なんかは、「買えないことは無いのなら、今買うべきですぞ」と絶叫する脳内馬謖を泣いて斬った。
諸々のことを考えると、やはり軍資金不足だった。
まあ、所謂上流階級かジャンキーが手を出す代物で、僕は今のところ後者に分類されかかっている。

復帰。
人間誰しも欲とか業からは逃れられない。
ただ、それには幾つか必要なものがある。
2つに大別するなら、実力と許可。
実力は自分で磨けよ、って話で、事実そうするしかない。
けれど許可は他人が与えるもので、許可の前には評価がある。
評価も他人が与えるものである。
そして、評価がその対象の本質を捉えていることは、往々にして、無い。
だからこそ、僕は巧いこと立ち回ろうとしている。
コツは、努力する姿を多少見せること。
結果はちゃんと出すこと、平均より少しでも優れていれば尚良い。
もう1つ、全て、は、やらないこと。


今の僕の行動指針は、そんな面もある。
じゃあ僕のこんな行動は、現役時代の何が原因なのか考えると、いくつかある。
1つ目、めっちゃ強い分け役を目指していたけど、状況によって自分を変えざるを得なかったこと。
2つ目、「俺が一番頑張らないといけない、そうすれば」と思っていたけど勝てなかったこと。前半部分はただの必要条件にすぎなかった。
3つ目、僕は新歓で殆ど役に立てなかったこと。全くと言ってもいいほど結果を出してなかった。
4つ目、「森本=キ○ガイ」というフレーズが、僕のあらゆる言動のクッションになっていたこと。これは功罪どちらもあると思う。要は僕がこの評価を良い方に活かせなかったということ。
パッと思いついたのはこのあたり。

多分他にもいろいろあるけど、そんなこんなで今ものうのうと社会に出て生きています。
さて、見栄を張ってみたけれど、自分を良い風に見せられただろうか。


おわり。

2019年11月17日日曜日

さて一応バランスとっとくか

あんまり表だっていう人がいないもんだから、仕方ない、僕が公言しておく。
結論から言うと、北大柔道部の男子は絶賛どうしようもなく、弱い流れにある。
このままだと3年連続最下位はほぼ確。
下手すりゃ10年コースかもしれない。

この流れがいつから始まったのか、何が原因なのか、じゃあどう対応すればいいのか、誰も分からない。
僕が分かるのは、現役だけでなく僕やOBOG含めて、みんな彷徨っている、ということだけ。


だけど「悪くないよな」って思うところも、いくつかは存在する。
腐りきってはいない、生きてるし、なんとかもがいている。
実力も自信もないし、一体感にも欠けている状態だけど、スタートラインにはギリギリで立てている。
いつ逃げ出しても良い状況で、それでも踏み止まっては、いる。
次、肚括って、動けるかどうか。

他大の大半は多分、夏には覚悟決めて歩き出してたはず。
で、今はもう走り出してトップスピードに乗ろうとしているところ。

さっきも書いたけど、かなりひどい現状。
それでも、実際に現場に来てくれたり、遠くから支援してくれるOBOGがいる。
上手く回し始めたら、今の比ではないくらい、周りが助けてくれる。
回る、ではなく、回す、ってのがミソ。


おわり。

半歩外から 20191116

16時頃に道場へ到着。
乱取も終わり際、いつも通り佐久間の声だけが響いていた。
東北戦から2週間、部の雰囲気は相変わらず。
部員の確保が急務なんだろう、練習生との区別。
サークル生、研究会員、柔術家、グラップラー、トレーニー。
各々の行動の意図に、七帝柔道家を垣間見ることができない状態が、もうずっと続いている。
まあ、僕個人の感受性について、問題アリなのも間違いないだろうが。


練習している、けっこう真面目に。
食事も、とりあえず量の確保を試みている段階。
行動はしている。
ああでもそろそろもう1度突き付ける必要があるのかもしれない。
勝ちたいのか、強くなりたいのか。
3~4年くらい前までならこの2択だけだと思っていたけど、最近はこれでは足りない気がしている。
3つ目、楽しみたいのか。
4つ目、考えたくない(若しくは考えることができない)のか。

誰でも「勝ちたい」とは言う。
ただ、その根っこはどこにあるんだろうか。
あとはそもそも、「勝ち」とは何を指すだろうか。
思うこと、口に出すこと、行動すること、無意識が顕れること。
声を出すことにどんな意味があるか。
逆に、出さないことにどう意図を持たせているか。
それは誰を想った行動か。
有る?無い?見えてる?見せてる?見せないようにしている?どうあるべき?効果は出てる?

総評、「仲が良いこと」は「良いこと」、間違いない、素晴らしいことの1つ。
ただ、それが全体の主目的になっている。
結果、良い柔道サークル活動ですね、あとは礼儀とかちゃんとできれば晴れて「武道齧ってました」って言えると思う。

見ていて非常に勿体無い、本当はもっとできるはずなのに。
努力の量だけではなくて、むしろそれ以上に成果の量の話。


おわり。

2019年11月12日火曜日

種明かし 20191111

北大武道場2階、柔道場にはいつも通り佐久間の声が響いていた。
部室に入る、日曜に片付けたらしい。
誰のモノとも分からない柔道着その他衣服などは大方無くなっていた。
大量の漫画類もある程度並べられていた。

ほぼ変わらずに散らかっていたのはエロ漫画雑誌。
保管場所争いに負けたのか読みかけなのか、現役の誰かが持ってきたらしいがはてさて。
部室に持ってくる者には、大なり小なりその人のメッセージが籠もっていると思うのだが、あのエロ漫画雑誌にはどういった思いを載せているのだろうか。
練習後試しに読むと、「俺がこんな中学高校性活を送ってれば、今頃スケコマシになったろうに」「そして悠々自適のヒモとして人生を謳歌してたろう」と思った。
あれは別の自分を夢想して想像の幅を広げるためのツールだったのかもしれない。


道着に着替えて畳の上へ。
ケガ人たちも反復くらいまでなら何とかできるようになってきたみたい。
今のところで大怪我人は腰を患った町田だけか。
ヘルニアだったか、あれは確かにツラい。
僕も高校の時になった。
MRIを撮ると、背骨の隙間からにょろっと米粒がとび出していた。
こんな小さなもので、10分以上歩けなかったり、何をしていても腰が痛んだりするのかと驚いた。
北大に来てデッドリフト頑張ってたら治ったけど。

今となって思うのは、体も心もほんの小さなことで大きく変わるということ。
それがどこから齎されるのかは分からんが、兎に角何がしかのきっかけが機能すれば、ヒトは変わらざるを得ない。

出来るだけプラス方向へのきっかけでありたい、とは思うが実のところは分からん。
何もしないで余りものとして右往左往するよりかはマシだと思うので、行動しているだけ。


研究の時間では、1年目坂田に質問された。
「亀取の横付きに入った際に、相手(亀)の逆転技に対処できるパターンと、できずに後ろ袈裟に抑えられるパターンがあるが何故か?」
良い質問なので解答は敢えて濁した。
偶には良いだろう、いつまでも餌を待つ雛鳥にしておくのも勿体ない。
進んで獲ったり盗ったりしに来たらまた話は別だけど。
「誰かが答えを持ってるはず、ちょーだい」、まあネット見ればいい感じのが載ってることも多いからその思考もそこまで間違いじゃない。
正しく問えば、答えは自から湧き出してくる。
掘り起こしたり掬い取るためのツールとして知識があって、これは割かし共有できる。


練習後久々にケトルベルを振った。
振ったつもりが振り回されかけていた。
筋力低下とつながりの寸断が進んでいる。
鉄棒を振っても力を乗せられない。
唯一の救いは、久々にやってみた跳ね起きとハンドスプリングが成功したことくらい。


おわり。

2019年11月10日日曜日

飲み会と出稽古、そして飲み会 20191109

11/8は職場の飲み会だった。
2次会の流れに巻き込まれる前にダッシュで抜けて北24条へ。
向かうはとんでん。
過去多くの渡世人達が転落してきたとされる階段を登って、北大柔道部の飲み会に合流。
この日は先週末から家族旅行で来られている林さん主催で、僕がついたときには奥さんやお子さんはホテルに戻られたよう。
21時過ぎから日付を跨ぐまで色々と語り明かした(僕は喋り散らかしてたかもしれないけど)。
スマホに写真が残っていたので一応あげておく。
かなりぶれているのは大目に見てほしい。

とんでんを出るときの写真。
澤田、佐久間、西森、石川、西田さん、林さん。
ちなみに、ブラックアウトした謎の写真と動画もあった。
確認すると、西田さんと語り合ってた時の音声。
いつの時代の先輩とでも語り合えるのが我々の良さなんだなあ、と。
現役じゃない人たちが勝手に盛り上がってて、当の現役たちがどう思ってたのかは知らないけど。


11/9。
昼から出稽古。
今回は札幌光星高校へ。
初めて入るところで勝手が分からず、現役と一緒に行かなかったのは失敗だった。
まあ校内には入れたので、その辺歩いてた学生に道を尋ねて無事到着。
親切な高校生、どうもありがとうございました、お互い名前も分からんけど。
あと、内心不審者扱いされなかったのがものすごい安心した。
しかし、流石は都会の私立、僕の地元よりも数段洗練された施設でうらやましい。
自販機もジュースから補食まで充実してた、北大武道場も見習ってくんねーかな。

練習内容は、高校生って感じのメニュー。
柔道そのもの+基本的な体づくり、打込みとサーキットトレーニングを合わせたやつとか。
僕にとって、立技系統の動きをまともにこなすのは、けっこうツラいものがあった。

高校生たちは、何と言うか礼儀正しかった。
如何にも進学校のイメージ。
控えめな印象が強くて、ガムシャラ感はあまり感じなかったけど、もしかしたら緊張してただけか。
父兄の方々が見学されていたからかもしれない。
割かし積極的に北大生に当りに行ってたので、ちゃんと鍛えられているなぁなんて思ってた。
僕の高校生時代も10年以上前になるけど、彼らほどは柔道も人格も出来てなかったような気がする。

練習後には近藤と西森によるちょっとした講義。
近藤からは「部活動と勉強(大学受験)の両立」、西森からは「大学でも運動部に杯r事の意義」をテーマに話をしていた。
雰囲気は休み明けの校長先生の話。
伝えるのって本当に難しいよね。


その後は札幌近郊在住の北大柔道部OBOG会。
追いコンとかでしかお会いしないような大先輩も多く来られていて驚いた。
最年長だと昭和25年入学って、太平洋戦争が終わった頃のお話。
僕の最初の柔道の先生が、GHQに隠れて柔道やってたとか言ってたから、多分同年代。
北大生は大体、柔道部だけでなくて全体的に、卒業したら道外に出ていく。
だから札幌近郊で呼びかけても北大卒ってあんまりいないことが多い。
まあでも柔道部くらい歴史のある部活だと、縦のつながりでそこそこの人数になるってのが、今回は分かった。
2次会はとんでん、って流れだったけど、僕は次の日(つまり今日)が仕事だったのでお暇させていただいて、帰宅、ちょこっと作業して就寝。

終わったときに慌てて撮った。

今回の前口上は鹿野が担当、北口の手助けもあってギリギリ及第点。
まあ、数やんないと慣れないよな、お疲れさんです。


そうだ、旧交会費振り込むの忘れてたんだった。
今はATMとかネットからでも簡単に振り込めるから気が楽。

ちなみに今朝の起床時間はいつもより1時間遅かった、健康第一。


おわり。

2019年11月7日木曜日

初雪 20191107

18:20頃に道場着、暖かい。
おお、遂に暖房もついたか。
外とは大違い、雪の降る(というか、みぞれが吹き荒ぶ)中チャリを漕いだ甲斐もあると思えた。
2階へ上がると打込み中。
どうやら今日は18:00スタートだったらしい。
「つまりはけっこう練習に参加できるな、、、いやなんか寒くね?」
部室の暖房はお亡くなりになっていた。
蒸気の通う音は聞こえず、漂う空気は30分ほど前までいたであろう現役の発した温みの名残だった、ちょっぴり湿っぽい。
着替える間に、もしやと思っていたら、道場の方もだめ。
下の階から来る暖気は、練習範囲を通り越して上の大窓から抜けていくばかり。
「練習終わったら即シャワー浴びに行こう」、そう決意した。


着替えて出ていくと反復やってた、フリーではなく、指定の2周目。
何故もう1周かと言うと、「上級生ですら、技術の幹も枝葉も先細り感が甚だしい」ということ。
ちょうど僕は中に入らない状況だったので、外から色々言ってみた。
1周目に言ったこと、言えなかったこと、全員の様子見ながら思いついたこと、色々。
まあそもそもの形はそれなりに出来ていたのでひと安心した。
ここからは+αをどれだけ重ねられるか。
ちょくちょく明らかな間違いもあったが、そのくらいは現役で気付いて是正し合ってほしい。
自浄作用自浄作用。


正対、乱取、抑え込み。
そういや今の現役は、あたる相手についてどんな思考で選んでいるのだろうか。
僕の場合は時期によって大きく変わっていた気がする。
1年目の時はほぼ誰でも良かった、何故ならトップクラスの弱さだったから。
2年目になると、基本上の人を選んでいた。
後輩とやっても取られはしなくても取れない。
だったら先輩とやって分ける練習を重ねるべきだ、と思っていた。
そしたら途中から抜き役にならざるを得なくなってきたので、後輩との乱捕り機会も増やした。
3年目では1つ下の取れそうな取れなさそうな連中との乱捕り機会を増やした。
代替わり後は抜き役:それ以外=2:8くらいだったと思う。
これは人数の多さとか比率、あとはチーム作り的に、抜き役同士で当たるよりも分け役の成長を優先しようとした結果だった。
それでもたまには同期のゴリラとか1つ下のおいなりさんとか(一応(北大での)学年では)1つ上の経験豊富な先輩とかとやることもあった、全然取れる気しなかったし、むしろ取られないようにするのがギリギリだった。

引退した今は基本待っている。
使命感や責任感を持った人だけ来ればいいと思っている。
それに見合うくらいの実力は、まだ最低限は持てているはずだし。
ちょくちょくテコ入れのために自分からあたることもあるけど。
就職してからは時間も取りづらくなったし、優先順位を決めている。
無限の時間・体力・財力・精神力を抱えていない僕のリソースでは、全員平等は到底不可能だから、色々思うところを決めて振り分けている。


そういや、抑え込みでは坂田と西森の崩れ上を返せなくなってきた。
多分だけど、僕を30秒抑え切れるなら今の七帝界の6~7割くらいはイケる。
あとはどうその形に入るかだけど、そこは考え所。


練習後はやっぱり寒かった。
というか最後の研究の時点で何人か震えていたし。
虚弱体質の彼らにはだいぶ酷だったかもしれん。
体調不良者がこれ以上増えないことを祈るばかり。

この時期は寒いけど、鍋が旨い季節でもある。
肉も野菜も食べやすいし、安上がりだし、何より複数人でワイワイやれる。
夏ならむさくるしいだけの連中も、冬なら立派な熱生産器。
湿度の上がり過ぎと近隣住民への配慮を忘れなければ、かなりおすすめ。
つーかそのうち誰かの家に乗り込んでってのもアリかもしれない。
久々にやるかー、さて何つくろうかな。


おわり。

2019年11月6日水曜日

差異まとめ

東北戦おわり。
オーダーを見た段階では、「うーん頑張って、上手くいって、2人残しが今のベストかなー」と思っていた。
まあ、結果はみんな順当にやられて5人残し。
9人戦で5人残し、内、準取以上は4人。
ちなみに去年は8人戦で3人残し、内、準取以上は3人。
つまり差が広がっているらしい。

では、東北大と北大では何が違うのか。
ここでは各個人というよりも、全体を総括してみたい。

①体格
多分、平均体重が10kgほど違う。
本戦出場者の7月の体重を基に平均したところ。
東北大:85kg、北大:73kgという差が見えた。
北大も個人レベルで多少の増加はあるだろうが、全体平均で5kgも増えてはいないと思う。
物理ステータスは重要だし、全体レベルでは最も努力が成果に結びつきやすい。

②勘
いわゆる際(きわ)の攻防を指す。
又は工程管理能力。
北大の選手は1歩進むと満足して歩みを停めがち。
例えば、正対上からかみつきの形に入ったところで満足する(+1歩)から、下から押されて(-1歩)足を戻されて(更に-1歩)、結局相手のペースになる。
一手一手に無限の時間を使えるような、平衡論的技術思考のままに戦いの場に出ている。
兵は拙速を尊ぶ。

③スタイルの確立
やることははっきりしているか。
君がやるべきこと、やりたいことは、チームメイトも知っているか。
どう分ける。
如何にして取る。
誰までならば分けたい。
どんな状況なら取りにいかざるを得ない。
どれだけのリスクを許容すべき。
どこまでなら通用するはず。
さて、いったいどのくらい答えられるのだろうか。
そしてそこはゴールではなくてスタートであることを、ちゃんと認識してくれているであろうか。
ちなみに、東北大の若手OB連中は両校のオーダーも読んでいたらしい。
その上で「大方(オーダーも結果も)予想通りだった」とのこと。
流石、毎年のことだけれど、そのあたりの分析力は違うらしい。
まあ僕のこのあたりの能力が低いってのもあるけど。

④練習態度
試合後の乱取で、かなりの差が見えた。
壁際にて一休みするのは、東北大はOB、北大は現役。
押し出しの乱取で、2本やっては水をがぶ飲みして、壁にもたれて。
そんな人達がアウェーに行って緊迫した中で、たった一試合、6分だって戦い抜けるものか。
ましてや這う這うの体で1人抜いた後に、どうやって次の抜き役を止められようか。
だったら普段からボロ布みたいになって、それでも動く練習をするしかない。
その覚悟があって、思想を現実にして日々を乗り越えて、それでも満足せずに上を目指すのが幹部だと、僕は思っている。
だから幹部とは、厳密に言えば3年目を指す言葉ではない。


さて、主に4つほど挙げてみた。
実は、どれもこれも普段から誰かしらが言っていることばかりである。

だから今回の結果は何のことは無い。
ただただ、いつも通りのことをしていつも通りの結果を得ただけ。

今後どうするのか。
いやそもそも、どうにかしたいのだろうか。
「痛み」を単なる「不快」と捉えている内は、まだまだ。
「通行許可証」と思い始めたなら、前に向かえるようになった頃。
ちなみに今の僕にとって、「痛み」とはつまるところ「痛み」である。


おわり。

2019年11月2日土曜日

入口はいろいろ 20191101

世の中の流れというものがあって、僕は今一つ乗り切れていない。
令和の世になったものの、未だ主流は昭和と平成に分類されると思う。
この区切りもだいぶ雑ではあるが、キーワードは滅私奉公か利己主義か。

ただし、どちらも最終的には全体の益を目指さざるを得ない。
嘉納治五郎が提唱したところの自他共栄。
他者から始めるか、それともまず自分か、の違い。


じゃあどこまで栄えたら、周りを気にするんだい?
ってのが、所謂オトナの方々の懸念。
業が深いと、満足することなく自分を高めるだけに終始して結局独り善がり。

かと思えば、僕が同世代(より下も含む)を見るに、本当にしょーもないことで満たされるケースも多い。
まあ、主にSNSを通した他者からの共感行動によって。
手前の幸不幸くらい手前で決めれば良いのに、とも思ったり、別のこと考えたり。

価値観が違うんですな。
同じ多神教でも、主神が定まってる人達とあれこれと神を立ち上げては忘れていく人達の差異。



そんな世の中でも、北大柔道部での人の価値基準は変わらないと思っている。
盡己、これを果たせているかどうか。
強さによってか、人との繋がりによってか、何かしらによって己を尽くして部を前進させているかどうか、またはその度合。


東北大学との定期戦前。
練習量が全てを決定する、と標榜したい我々にとって、試合結果は何を意味するのか。
同じ時期であったり、同じくらいの実力であったり、スタート地点が似通う人達の間に生まれた実力差とは何か。

自分の深くまで潜ってようやっと触れられるものもある。
他者を見て、その瞳に映るものを見て初めて自分を解する。
明日はそんなことが起こるんだろうなぁ、と、名古屋に向かう中で考えてみた。


おわり。