2019年11月25日月曜日

馴染み 20191123

合気会のイベントがあるらしく、土曜日だけど18:30からの練習だった。
盡己の部旗は合気会のモノにすり替わり、道場真ん中の仕切りは開けられてだだっ広くなっていた。
隣ではおそらく武田流が練習していた。
と言うか、開始時間が同じだった。
準備運動の時の声掛け担当、この日は石川、がいつも以上に声を張っていたように思う。

そうそう、この日の一日主将は2年目市原だった。
みちこ節の効いた独特の発声、キャラが立ちすぎて非常に良い。
日曜の新人戦前ということで、立ち技乱取も組み込まれていた。
とは言っても試合に出ない部員もおり、僕が彼らとやるときは七帝ルールになっていたが。

立技は難しい。
と言うのは、寝技に比べて状況再現性がかなり劣るから。
技の決まる瞬間を例に挙げると、接地点が2~3くらい。
背負投だと取りの両足、内股だと取りの軸足と受けの片足で、それぞれ2つとか。
イメージは天秤とか、ダービー(兄)戦のグラスとコインみたいな、ギリギリのバランス。
高校時代の顧問は、技の決まる瞬間のことを「絶対の世界」と呼んでいた。
あとはほんのちょっとの力でも加われば、一気に崩壊する、という状態。

対して寝技になると、接地点の数は大体倍以上になる。
つまり、2人の人間が組み合った1集合体のバランスが安定している、ということ。
なので、状況も再現しやすい。
安定度や不安程度を互いに調節もし易い。
なので、反復練習のレベルも容易に調整可能である。
総合すると、任意の状況への理解がしやすい。
だから、全体を見れば寝技の方が練習対成果のコスパが良くなる。

しかし、だからと言って立ち技を無視するわけにもいかない。
七帝においても、柔道は立ち姿勢から始まる。
立技を振り返るのに、新人戦の時期というのは丁度いいのかもしれない。
選んだ上での立ちの放棄はまだしも、無意識に居着く心が大きいと危ない。
そういうときの引込は、多くの場合足技や、最悪ただの勢いによる押し込みで投げ判定を譲ることになりかねない。


立技の意識をどうするか。
それも、普段やらない者や、初心者スタートで馴染みのない者は。
投げ込み、という意見が多い。
でも本当だろうか。
投げ込みをやるにしても、到達目標はどう描くのが良いのか。
生憎僕はその辺り無頓着な部分が多いので、何とも言えない。
そういうわけで、その場にいた学生コーチの小山に話を振っておいた。
そのうち一定の見解が返ってくると思っている。


練習後は久々に現役と飯。
ラーメン大将、僕は肉チャー大盛。
坂田に「会社の人とは普段何を話すんですか」と尋ねられた。
答えていて思ったのは、会社の人とは色々話せるということ。
色々と話が尽きないのは、これは距離感の問題であるということ。
遠間からじわじわ詰めていくような、でも踏み込み過ぎないようにしているような、そんな会話をするのなら、結構長く話せる。
浅野返しを食らわない程度にかみつくのに似ている。
北大柔道部だと、近すぎて伝わり過ぎて。
石を握りしめた拳でノーガードの殴り合い。
殴った方は拳の外と内、どっちも痛い、殴られた方はめちゃめちゃ効く。
良いか悪いかは、その人次第。

まあコミュニケーションなんて、伝えたいことは伝わらなくて、どうでもいいことだけ憶えられて、そんなことばかり。
それでも僕らは伝えざるを得ない。
あ、上の2文は一般論ね、北大柔道部だろうが違おうが、世の中そんなところでしょ。


おわり。

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