2019年11月17日日曜日

半歩外から 20191116

16時頃に道場へ到着。
乱取も終わり際、いつも通り佐久間の声だけが響いていた。
東北戦から2週間、部の雰囲気は相変わらず。
部員の確保が急務なんだろう、練習生との区別。
サークル生、研究会員、柔術家、グラップラー、トレーニー。
各々の行動の意図に、七帝柔道家を垣間見ることができない状態が、もうずっと続いている。
まあ、僕個人の感受性について、問題アリなのも間違いないだろうが。


練習している、けっこう真面目に。
食事も、とりあえず量の確保を試みている段階。
行動はしている。
ああでもそろそろもう1度突き付ける必要があるのかもしれない。
勝ちたいのか、強くなりたいのか。
3~4年くらい前までならこの2択だけだと思っていたけど、最近はこれでは足りない気がしている。
3つ目、楽しみたいのか。
4つ目、考えたくない(若しくは考えることができない)のか。

誰でも「勝ちたい」とは言う。
ただ、その根っこはどこにあるんだろうか。
あとはそもそも、「勝ち」とは何を指すだろうか。
思うこと、口に出すこと、行動すること、無意識が顕れること。
声を出すことにどんな意味があるか。
逆に、出さないことにどう意図を持たせているか。
それは誰を想った行動か。
有る?無い?見えてる?見せてる?見せないようにしている?どうあるべき?効果は出てる?

総評、「仲が良いこと」は「良いこと」、間違いない、素晴らしいことの1つ。
ただ、それが全体の主目的になっている。
結果、良い柔道サークル活動ですね、あとは礼儀とかちゃんとできれば晴れて「武道齧ってました」って言えると思う。

見ていて非常に勿体無い、本当はもっとできるはずなのに。
努力の量だけではなくて、むしろそれ以上に成果の量の話。


おわり。

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