2019年11月2日土曜日

入口はいろいろ 20191101

世の中の流れというものがあって、僕は今一つ乗り切れていない。
令和の世になったものの、未だ主流は昭和と平成に分類されると思う。
この区切りもだいぶ雑ではあるが、キーワードは滅私奉公か利己主義か。

ただし、どちらも最終的には全体の益を目指さざるを得ない。
嘉納治五郎が提唱したところの自他共栄。
他者から始めるか、それともまず自分か、の違い。


じゃあどこまで栄えたら、周りを気にするんだい?
ってのが、所謂オトナの方々の懸念。
業が深いと、満足することなく自分を高めるだけに終始して結局独り善がり。

かと思えば、僕が同世代(より下も含む)を見るに、本当にしょーもないことで満たされるケースも多い。
まあ、主にSNSを通した他者からの共感行動によって。
手前の幸不幸くらい手前で決めれば良いのに、とも思ったり、別のこと考えたり。

価値観が違うんですな。
同じ多神教でも、主神が定まってる人達とあれこれと神を立ち上げては忘れていく人達の差異。



そんな世の中でも、北大柔道部での人の価値基準は変わらないと思っている。
盡己、これを果たせているかどうか。
強さによってか、人との繋がりによってか、何かしらによって己を尽くして部を前進させているかどうか、またはその度合。


東北大学との定期戦前。
練習量が全てを決定する、と標榜したい我々にとって、試合結果は何を意味するのか。
同じ時期であったり、同じくらいの実力であったり、スタート地点が似通う人達の間に生まれた実力差とは何か。

自分の深くまで潜ってようやっと触れられるものもある。
他者を見て、その瞳に映るものを見て初めて自分を解する。
明日はそんなことが起こるんだろうなぁ、と、名古屋に向かう中で考えてみた。


おわり。

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