2019年4月28日日曜日

役名:北大柔道部員 20190427

この日はクラスマッチで、1年目はほぼそちらへ。

クラスマッチとは北大体育会が主催する、新入生限定の運動会的なイベントである。
時期と規模とで、「え?これって北大の公式イベントで強制参加なやつ?」と思わされるが、実はそうではないというイベント。
ちなみにこの後は楡陵祭というイベントも控えているが、同じく参加必須ではない。
ただまあだがしかし、なんだかんだと流されて大半は参加するのが北大生の常である。
勿論常ならぬ者もいて、爪弾き者・修行僧・極めて陰の者なんかはこれらから逃れることもできる。
柔道部でもここ数年、誰か1人くらいは参加しない。
中にはクラスマッチの存在すら知らない、クラスメイトに存在を認知されていない、という剛の者も。

僕は勿論ちゃんと参加したクチである。
コミュニケーションちゃんととる側の人間だったし。
イベントについて回るという、所謂「マジック」の現場も目撃したくらいにはシャバい新入生だったあの頃は、今は昔。


そんなイベントには目もくれずに練習に来ていた1年目の坂田は、多分練習メニューの殆どをこなしていたと思う。
乱取に出たり入ったりの、甘々坊っちゃん扱いでも別に良いと言うのに、自分で苦しい道を選ぶっていうのは、好感が持てる。
今苦しむのは後々の苦しみを取り除くため。
先取りしているようなものだから、無理は確かに出る。
無理を厭う人間本能を、捻じ伏せて先に進んでいくのが僕は好き。
なんて御大層なこと言って、捻じ伏せたのは万に一つとかかもだけど。
まあ、負けとか恥には事欠かない人生で、偶に違うのがあるってだけでいいスパイスなのかもしれない。


練習後のミーティングでは、中島の主将感が板についてきた。
言葉に説得力が伴うようになってきたし、現役に聞かせるように伝えている。
伝えるのは難しい。
自分に言い聞かせるだけの声は、上滑りするだけで誰にも届かない。
自分の実感がない言葉は現実味が無くなって、誰かに咀嚼されることは無い。

そういうわけで、とんでんの後にカラオケに行ったのは表現力を磨くためであって、決して歌いたかっただけ、とかではない。
とんでん。

ストレス発散したかっただけ、とかではない。
こいつら揃いも揃って渋い声だった。
去年は個人的に低い声が来ていたけど、今年は高音を出したい気分。
閣下のシャウトとか、アブちゃんのいきなり抜けるような感じとかできるようになりたい。
下手の横好き感はどうしようもないけど、色々と手を出してみるのも悪くはない。
挫折して当たり前だと思うと、何か責任があるわけではないし、特に怖いこともない。


おわり。

2019年4月25日木曜日

祝日 20190425

生まれて初めて、マッスルアップに成功した。
別名ロシアンチンニング。
懸垂からそのままディップスに繋げる感じのトレーニングで、ロシアンパワー養成法で見た時から憧れの一つだった。
あれから早5年くらいだろうか。
何とかよじ登った程度ではあるが、それでも、文字通り乗り越えた。

ここ2,3日で、マッスルアップ動画を5本くらい視聴していたのが効いたのだろう。
できたらいいなぁ、やってみるかぁ、ん?もしや今の時点でも出来んじゃね?、いやこれ多分出来んだろ、ってな具合に内面が改善されていった感覚がある。
スタンドと同じで、「できて当然」というイメージを自らに刷り込めるかどうかがカギだったのではないかと思っている。
つまりは、そのうち僕も、超スピードで動いたり時間を止めたり、何にでもジッパーをつけたりできるようになるかもしれない、脱獄だってできるだろう。


さてさて、今日の練習内容。
雰囲気はここ最近では一番良かった気がする(僕個人調べ、100%主観)。
新入部員の士気が高いのが、上級生に伝わってる気がした。
経験者は乱取にちょくちょく入るし、初心者も真面目に基礎をこなしている。
あとはそれらをレベルアップさせて、全メニューをこなせるようになっていって欲しい。

誰かに突っついてもらうと力を出す人たちが多いのが現状。
力を出す、ってのも最後の一押し、とかではないところがミソ。
気を抜くと、「とりあえず全メニューをこなせればいい」ってスタミナ配分しだすから、余力を残すって意味では頭が良い。
ただ、それによって得られるのは目先の余裕だってことさえ忘れなければ、まあいい。
出来た余裕を有効活用するのであれば、それはそれできっと素晴らしいことだ。
「練習後に世界平和の維持に不可欠な舞踊をしなければいけないので」とか言われたら、「確かにそれはしょうがない」ってなるから、そういうことならきちんとスタミナを残しておくべきだろう。
ただし、町田は放っておくと怠惰の淵に沈むタイプの人間なので、みんなで突っついたほうが良い。
突っついた側の人間も「言った手前自分もやんないとなー」って思い始めるから、誰かを追い立てるってのも意外と便利。

そう言えば、片桐は1年で随分大人びた風貌になった。
好少年から好青年になった気がする、これも100%主観。

あと帰り際に千葉が「俺はごっつぁんキングだから」って言ってたけど、あれはどういう意味だったのだろうか。
風の噂によると千葉は、ごっつぁんにて食べきれなかった分を食べてあげる係を買って出ているらしい。
胃袋と器がデカくなったんだなぁ、と思った。
直後に「まあ、自分(千葉)の分は普通盛り頼んでるんですけどね」って話を聞いて、やっぱり千葉は千葉だった。
そういうとこだぞ!!
そんな件を思い出しながら帰った。


おわり。

2019年4月23日火曜日

遅ればせながら 20190420

先週末は部内試合の日。
2年目以上で、現役同士の試合だった。

予め、分けか取りかを指定して試合を行うという試み。
僕は前半部分の審判役として参加。


試合の感想としては、まあこんなもんか、という感じ。
森まるが準備運動不足で軸がぶれぶれだったのは覚えている。
2試合目からはそれなりの動きが出来ていたので、今後に活かしてほしい。
相手を甘く見積もって、負けてそのあと「いやー本気出せなかったなぁ~」みたいな雰囲気で苦笑いするのは、本当にかっこ悪いと思った。
まあ、そのあたりの絶妙な小物感が、森まるを愛玩動物足らしめる要因なのかもしれない。
ムラが激しい、というのも魅力になり得るのが人間の面白いところ。

欠点も優位性も本当は無くて、ただ特徴があるだけ。
結局は自分の見せ方や受け取り方次第で如何様にもできる。
知識があろうとなかろうと、納得感が無ければ人間は動けない、ってのは知られたことで、けれどそれを上手く扱いきれないのは僕の不徳で。


試合の後は乱取もやった。
練習後には、前愛玩生物(「せいぶつ」と言うより「なまもの」の表現が似合う)である北口が、上と下から囲まれていた。
北大柔道部は厳しい上下関係のないホワイト部活動!!




道場近くの蕗の薹は、賞味するには育ちすぎていた。
春の味覚は味わえず。
最近ああいう苦みのあるものも食べたい。
脳が悦ぶ美味いものも良いけど、身体を整える旨いものが欲しい気分。


おわり。

2019年4月18日木曜日

相手じゃなくて、自分を動かす 20190418

行けるときに行く、ということで報告がてら。

道場に着いたら、やまとがMTBで乗り付けているところに遭遇。
良いよね、チャリ移動。
スピードと小回りのバランスがとてもいい、あとは公共交通機関と違って自分の自由意思で移動できるところ、自動車と違って乗り降りが気楽にできるところが、僕は好き。

練習は乱取から参加。
今日は西森の目がギラついていて、動きもまあまあ良かった。
やることがはっきりしてきて、ある程度目途が立ったのだろう。
躊躇いのない動きは、おっかなびっくりの高等技術よりも強い。
3年目は全体として、動きがようやっと板についてきた段階だろうか、及第点にはまだ遠いが、七帝までに間に合わせねば、というところ。
対して2年目は、脳内の技術と現実の動きとの乖離が酷い印象を受けた。
技術への固執がどうも大きすぎるし、そもそも机上の空論のパターンも多い。
僕個人の感覚では、研究2割・実戦7割・勢い1割くらいのイメージ。
細かい割合はそれぞれであろうが、実戦が半分を切ると七帝ではおそらく使えない。
そういう技術に限って、最初の1分は使えるけれど後半のしんどい時に使えなくて、結果ミスをして相手にしてやられる、ということが多い。

相手から逃れること一つとっても、実際の試合ではその次の展開があるし、そもそもその前段階で自分と相手がどういう状態になっているのか、という問題もある。
最悪なのは、格下だからと思って調子に乗って取りに行き、取れたはいいけど体力は残り僅か、次は各上相手に分けねばならない、って状況。


ここ数年伝えているのだけれど、何かをする空間をつくる際には自分を使うのがよい。
例えば、逃げるときには相手をウンウン唸って押していくより、自分で隙間を空けたほうがよっぽど早い。
重いし押しが強いし追ってくる相手を、その場に留まりただ阻むのには多大な労力を要する。
同じ力を使うなら、相手を押し返すのに合わせて作用反作用で自分を逃がすのが、コスパは大変良い。

人間関係も同じであると思う。
相手に何かをさせようとしても、自信の我を押し通すだけでは反発されやすい。
まずは自分が動いてみる方が、割と建設的な気がする。
相手が変わるのを待つのではなく、まずはお前が変われ、ということ。
あとはそのバランス感覚が問題。
僕は言わずもがな、その妙は掴めていない。
掴めていたらもう、ガンガン他人に頑張ってもらって、今頃は不労所得で暮らせるはずだったのだが。
皆さんお気づきの通り、10近く下の学生相手にすら四苦八苦しているのが現実である、やはり甘くはない。

とりあえず(僕の中のみで)流行りのケトルベルを振り回してから帰った。
手の指の付け根が結構擦れたみたいで痛い。
昔は毎日の練習で皮も厚くなっていて丈夫だったのに、今も残っているのは面の皮くらいである、いやむしろ厚みはより増しているのかもしれない。


おわり。

北大柔道部をお勧めしない理由 おわり

前回で「おわり」だと言ったな、あれは嘘であり、本当だ。
最後に他の誰でもない、僕自身の話をさせていただく。
「普通はきっと~~だ」とか「現代社会は~~」とかの想像ではなく、100%自分勝手な、僕自身の行動論・行動指針を以て、締め括りとしたい。


北大柔道部に関わってもう9年目。
入部した人しなかった人、途中で来た人辞めた人、引退までにやり切った人やり残した人、その後離れた人離れられなかった僕、色々の人がいる。
今までを振り返って、僕自身はそうされた気がするし、他の人たちにそうしたいし、多分北大柔道部ってそういうものなんだろうなぁ、と思うことがいくつかある。
そのうちの1つについて、この場を使って述べておく。


北大柔道部員は、2度歓迎される。

僕は部員を歓迎する。
見学者・体験者・入部希望者・新入部員なんかの、お客様の垣根を越えて部に踏み込んだ貴方を、僕は歓迎する。
いかなる経緯があったにせよ、それなりの割合の自由意思を以て入部を決意した貴方を。
僕は貴方に対して、チームの一員として、七帝の畳上に臨めるように、出来る限りの援けになりたい。

でもきっと、そのうちに援けが及ばないことが出てくる。
理由も時期も様々だ。
経済面の問題、学業との兼ね合い、度重なる怪我、精神疾患、人間関係、目移り、新たな目標の萌芽とか。
新歓期、試合前、試合のない中だるみの時期、年目と責任度の上昇、追い込み期とか。
そして誰もが分かっている。
「北大柔道部に関わらずとも、生きていける」ことを。
何なら、「よりよく生きるには、ここ以外の方がおそらく適うみたいだ」ってのも内心思っている。
だから挫折せざるを得ない。
その挫折を、貴方に代わって解決してあげるには、僕はあまりに力不足だ。
「試練は強敵であるほど良い」とどこかの大統領は言うが、この場合の試練とは「北大柔道部での生活を続けること」なのか「北大柔道部を見限って自分を取り戻すこと」なのかは分からない。
きっとどちらを取ろうと正解だし、誤りだ。

だからこそ、挫折を経て、それでも北大柔道部に関わることを決意した部員は、きっと一蓮托生の仲間になるのだと思う。

僕は仲間を歓迎する。
他の何者でもない、自分だけの意志を見出したことへの餞を贈りたい。
誰かが貴方を決めるのではない、貴方自身が決めつけて、その責を自身で負って、部に関わっていけるはずだ。
ようこそ、北大柔道部の世界へ。


え?お前なんぞに歓迎されなくとも構わん?
そんなのは知らない、ただ、僕がそうしたいから、そうしているだけ。
僕の今までが、僕がそうしないことには納得しないってだけのこと。


言いたかったことは、これで全部。


おわり。

2019年4月17日水曜日

北大柔道部をお勧めしない理由 その4 過負荷

先日家電量販店のパソコンコーナーに行って感心させられた。
「大学生はまともに講義を受けるよりも大切なことがある」と宣い、「時間を創り出すためにも便利グッズ(お勧めのPC・タブレットとか)を使い熟そう」と結んでいた。
一昔前までなら、暗黙の了解は公然の秘密であっても、公衆に対しては伏せてはいたと思っていたのだが、そんなことはもう古いらしい。
昨今の何でも苦情をつけたい方々がいる世間にも、「大学生はバイトやら合コンやら旅行をする生き物で、学問は不問でよい」という感覚がおおよそ根付いてきたのであろうか。

「苦しいことやツラいことなんて一切しなくていい」って思想が蔓延している。
つまりはポジティブに生きたい方々が大勢いる。
ここで言うポジティブと言うのは、目先の愉しみのことだと、僕はそう解釈している。
目先の利益に飛びつくのは浅ましいか?
いいや、当然のことだとは思う。
特に、大した思想や、確固たる宗教観を持ち合わせていない人たちにとっては。


だからきっと、不満や不公平感に耐えられない。
「誰もが輝いて生きていける」なんて謳われている世界で、輝いていない現状の自分とは一刻も早く決別しないと気が済まなくなってくる。
身の回り全てを重しに思えば、必要不可欠でないものごとから切り捨てられていくのは当然だろう。
そしてその最序盤が、北大柔道部であるのは大体のセオリーである。

求め過ぎるのだ、北大柔道部は。
誰かや何かの庇護を求めるのが、今の学生のトレンド。
北大柔道部は逆だ。
学生自身が、チームを、仲間を庇護していかねばならない。
自分以外のチームに対しても、自己責任を負わねばならない。
そういう思想を求めている。
いや正確に言うと、七帝優勝を本気で目指すのなら、求めざるを得ない。
明確な思想を共有している人数が多く、またその割合が高いチームが当然強い。
思想さえ共通していれば、方法論や途中目標は、個々を放っておいても勝手に出てくる。

無論入部してすぐに、ということではないが。
ただし誰かが階段を作ってくれて救いあげてくれることは、あまり期待できない。
北大柔道部は慈善団体ではないし、愛好会でも、教育団体や、宗教法人ではない。
最後の最後のところでは、貴方の選択は貴方自身へと突き放される。
そう考えると、やはりどうも荷が勝ちすぎる気がする。

そこまで無理をしなくても、きっと社会は貴方方を救いあげてくれるだろう。
態々険しい道を選ぶ必要はない。
山にはロープウェイで登ると良い。
その室内から、羊蹄山頂上を目指して豊平川を遡上するような、そんな風な北大柔道部員を笑ってくれてもいい。

貴方が選んだ(又は選んでもらった)、所謂正しい道のりを選べなかった連中がいても、なんだかんだ世の中は回るもんだ。


おわり。

2019年4月16日火曜日

1人/日 20190416

現在の見学者・体験者はの総数は16人。
今日は新規のお客様はいらっしゃらなかった。
お客様の内、部員になったのは5人。


部員が増えるのは喜ばしいことだ。
しかし上級生も含めて、部員の内仲間であるのは果たして何人だろうか。

これは常に問いかけておいた方が良い、自分にも、他の部員に対しても。
何でかと言うと、僕自身の失敗があったから。
端的に言えば、部員を仲間にできなくて負けたから。
僕以降の代でも、同様の失敗が散見されるから。
部員をお友達にしたり、一緒に柔道をしているだけのサークルの人みたいにしたり。


ちなみに今日は乱取のみの参加だった。
新入部員も、それぞれのペースで練習に参加してくれている。
そういう積極的な行動は素直に感心する。

僕もそうだったが、今時のお子様達は何でも答えを与えてもらいたがる。
「答えは自分で考えろ」と言われても、「じゃあ正しい考え方を教えてください」と言う。
数学を思い出してほしい。
問いに対して、考え方の設定が正しければ、答えを出すのは単なる作業に成り下がったはずだ。
まあ、そんな「教えて教えてー」って、面と向かって言う人は多くはないだろう。
ただ、内心誰かのサポートを期待して、もし無ければ勝手に落胆するってのはものすごく格好悪いことだ。
僕がそんな輩であったし、今でも完全には抜け出せていないけど、何とかしようとしているつもりではある。

そんなわけで、自分で行動することはやはり大切だ。
新入部員でも割かし放置しがちな北大柔道部においては特にそうかもしれない。
放置しすぎるのもどうかとは思うが。
一声くらいかけてやってもいいんじゃね?
とは言うものの、僕もそこまで新入部員と喋っているわけではない。
特に、お客様方とは多分殆ど接触していない。
まあ、北大柔道部9年目の人にいきなり話しかけられても、向こうも困るだろうから、僕に限っては問題なかろう。
決して「話がつまらないから新入生とは極力接しないでください」とか言われたわけではない、これだけは信じてほしい。


練習後は何人かで新歓後半戦に向けて策を練っていた。
あーでもないこーでもないと、中々の難航具合だった。
僕も好き勝手なこと言わせてもらったが、実行するのもその影響を受けるのも現役自身なので、そこの自己責任だけ把握して、全体の目標を共有して各々の意志で動けばいいと思う。
あとは毎日ブログ書いてほしい。
心待ちにしている人もまあまあいるかもしれない。
何年か前には、さるOBの方から「最近ブログ更新されてなくて会社行くのツラい」って苦情も来てた、、、こともあった気がする。
今度練習に行ったときに誰かに伝えよう。


おわり。

2019年4月15日月曜日

北大柔道部をお勧めしない理由 その3 勉強勉強

4月も半ばになってしまったが、もう少しだけ続けるつもり。
新入生はもうとっくに講義も始まっており、今週が第2回目といったところだろう。
第1回目はどの講義もおおよそガイダンスだろうから、今日からが本番という人も多いはず。
今、彼らは何を考えているのだろうか、当時の僕は何も考えていなかった。


さてさて、北大柔道部に入部すると、週6の練習がある。
とは言っても、厳密には週6すべてが降るの練習ではない。
水曜日は18:30で強制終了となるので、実質は週5+軽めの1、あとは自主的にやるかどうか、と言うところ。
水曜日に5限が入っていれば、道場に着く頃には練習は終わっている。

そうは言っても、可処分時間のそれなりの部分は持って行かれる。
時間だけではなく、体力も削られる。
勉強に励む時間や気力はあるのだろうか、なんて考えていると、もう教科書やノートを開く瞬間は訪れないだろう。
北大柔道部は、貴方が勉強をしなくていい理由を幾つも与えてくれる。
しかし、大学側が学生に求める勉強量は増加の一途を辿っている。
勉学でも学問でもない、勉強である。
旧制高校や一昔前のようなおおらかさは存在しない。
試験で何もわからなくとも、「都ぞ弥生」を書き下せば単位を貰えた時代もあったらしいが、もうそんな教員もいなくなったのではなかろうか。

総合入試による学部移行競争も、 最初の代だった僕の頃と比べてより整備されている。
「大学では与えられる講義から学べ」というのが社会や一般の感覚になっているのだろう。
余裕があれば詰めろ、下手に持たせても碌なことにならない、ということか。
暇も過ぎると、たいていの人は謎の罪悪感に包まれて何かしらの行動をしそうなもんだが。
僕の勘違いか?まあいい。

貴方方は、1人のお子様として管理され、評価され、社会に出荷される。
優秀な製品になるためには、社会が決めた評価の軸に合わせて、自己変革を強いなければならない。
変革の対象や、目標は社会が決定する。
だから貴方は何も考えなくていい。
偉い人やすごいビジネスパーソン、流行りのSNSが提唱する「これからの個人の在り方」に沿っていけばいい。
バイトして社会経験を積み、国内ではなく海外を巡って国際感覚を養い、自分の利益を最大化することだけを考える、ビジネスの世界において肩で風を切って歩ける量産型人間が沢山出来上がるだろう。
きっとスマートに生きることが出来よう。


北大柔道部なんて泥臭い、長い歴史に苔の生えた部活動とは無縁で構わないはずだ。
世間様の言うことを信じないで、右往左往して失敗ばかりを選ぶような輩が多くいる。
流れを渡る船を自分で造る必要性は無い、誰かの造った船を跳び跳びで乗り継いでいけばいい。
どの船が良いかはきっと誰かが答えを用意してくれている。
例えそれが間違っても、貴方だけではない、一緒に間違ってくれる人も多いから安心だろう。
他人の所為にすれば、貴方の心理的負担も一層軽減されるはずだ。
そもそも、現代社会では流れに放り出されても、どこかの何かしらの網に引っ掛けてくれる。
貴方がそうと選ばなければ、そんなに簡単に死んでしまうようなことは無い。
安心して諸々を他人任せにして勉強に励むと良い。

そういうことで今回はここまで。


おわり。


次でそろそろ終わりにするか。
最後のテーマはどうしよう「ありのままの自分でいられない」と言うことにでもしようか。
若しくは「楽しく生きよう」でもいいかも。


つづく。

2019年4月13日土曜日

道場にスマホ忘れたっぽい 20190413

今日の札幌は快晴、澄み渡っ、、、てはいないけど青い空が印象的だった。
道場の窓ガラスからは日光が差し込んで、基礎運動のときに眩しさを感じた。
もう少ししたら木々にも葉がついて来て、GWあたりには桜も咲くのだろう。


今日は新顔の見学・体験者が3人ほどいた。
対応する2年目も3人ほどだった。
一時は新入生2人に対して2年目が3人がかりで対応していた。
個別指導塾でもなかなかお目にかかれないレベルのおもてなしである。
結局彼らは自分の練習時間をほとんど全て投げ打って、新歓に尽くしていた。
練習後は勿論ごっつぁんに行ったはずなので、その後なり後日なりで不足分は埋め合わせするのだと思うと、頭が下がる。

現役時代の僕なんかは、見学者対応と自分の練習は半々くらいで、「じゃあ一旦説明切り上げるから、テキトーに見てってくれ」ってな具合で乱取してた気がする。
そうでもしないと当時は現役の人数が少なかったし、何より僕自身が雑魚だったので、目の前の練習時間を諦めるという選択肢がそもそも思いつけなかった。
決して新入生とのコミュニケーションが続かなかったとか、そういうわけではない。
、、、念のため繰り返すが、新入生と話が続けられなくて、空気に耐えられなくなったとか、そういうことではない、ないったらない。


帰り道、尽きかけてた食料品を買い出しして、帰宅後晩飯食って勉強して、、、と言うときに気付いたのだが、スマホが見当たらない。
服やバッグの中を漁っても出てこなかったので、多分道場に忘れたのだと思う。
まああんなモノ、1晩くらい無くても何とかなるし、明日の仕事前か終わった後にでも取りに行こうと思う。
ただし、テンションがた落ちしたことは事実なので、今日はこの辺で切り上げて不貞寝する所存である。


おわり。

2019年4月11日木曜日

大人とは 20190411

大学生は大人であるか、びみょう。
北大生は大人であるか、うーん、半分くらい?
北大柔道部員は大人であるか、、、うぅーーーーん、、、僕はそうであってほしい。

ヒトは自分に無いものに惹かれる。
新入生なんて気持ちのふわふわした存在には、真逆の人をぶつけるのが良いのかもしれない。
今日も新顔はいなかった。
見学・体験者の合計は、20人には届いていなさそう。
自他を大人として尊重したうえで、ガンガン自分色に塗りつぶす勢いをもっていくといいのかも。


さてここで問題となるのは、大人とはいったい何ぞや。
二十歳超えたら?
体つきが変わったら?
色を知ってしまったら?
働き始めたら?
家を持ったら?
理不尽に反発することなく、順応出来るようになったら?
酒の味が分かって、吐くまで飲まなくて済むようになったら?
「子供の頃に戻りたい」とか言い始めたら?

思うに、こういうことをあれこれ考えているうちは、誰かに答えを望む心持ちでいるうちはまだお子様で。
間違っているかもしれない、世の中を知ったらまた変わるかもしれない、ただし、ただし、自分は今こう思っている、って確固たるものを持ち得た時が、大人記念日なのではないかと思うところである。

そんでもって、確固たるものがあると、世の中を渡るのが面倒になる。
石ころに躓くからだ。
その石ころを他人と言う。
自前の確固たるものを、みんな自分では何かしらの原石だと思っている。
大事に大事に、なるべく傷つかないように、大切に仕舞っている。
なんてことは無い、みんな世界に一つだけの路傍の石ころだ。
それを理解した人だけが、石ころを武器として扱って、生存競争を勝ち抜いている。
所詮石ころだ、使った方がいい。
モノは使ってこそのモノだ、思いは顕してこその思いだ、大人は行動と責任がセットになってこそだ。
自他ともに石ころだときちんと認識したうえで、それでもそこに価値を見出す、それが最良。

行動には目標が必要。
目標には目的が必要。
自分の目的を定めることが出来るのは、自分以外であってはならない。
でなければ、責任を他人になすりつけるどうしようもない人間が出来上がるだけだ。
僕はそういう「お客様は神様」みたいな人間が、北大柔道部員であってほしくない。
「お互いが自律した一個の人間」として、同志を助けたい。
気持ちの上では、現役の時に「自己責任だ」って突き放すだけだった失敗の贖いを、今もずっと続けている。

言葉は無くとも行動で示せばその代わりになる。
表現が下手でも、きっと6割くらいは意図を汲み取ってくれる。
やる気は波があるもんだから、多少ほっといてもそのうち出てくる。
伝える内容が最重要で、「誰が」「いつ」「どんな表現法で」伝えるかは関係ない。
とりあえず、パッと思いついた失敗でもこれくらいはあった。
泣き言ばかり言うのは恥ずかしいから、嫌いな人間になりたくないから、今日も僕は生きている。
あれ?なんか話の趣旨がだいぶ変わったぞ。
スケール感も何かおかしい、まあいつものことか。


おわり。

2019年4月9日火曜日

面構え 20190409

今日は新顔の新入生はいなかった。
僕のイメージでは、入部する人1人に対して、見学者はその3~4倍、話を聞くいだけ聞いてくれる人は更に倍、ビラを貰うだけの人はいっぱい、というところ。
つまり新入部員が欲しいなら、如何に直接話をして、どうにか道場に来てもらう、というのが最低条件であると思う。
自慢ではないが、そういう点でいえば現役時代の僕の貢献度はほとんどゼロであった。
こういうことを言うと、「話を盛るな、むしろマイナスだっただろーが」とお叱りの声を受けるかもしれないが、どうかご容赦いただきたい。

話をする、というのは難しい。
相手に魅力を感じてもらうとなると尚更。
魅力というやつを感じさせるには、物語性が必要だと思う。
物語は、分かり易い筋道や一本の芯があると良い。
ただ、大抵の人は自分の芯が定まっておらず、そしてそれを隠して取り繕うだけの小賢しさも無い。
だから、よほどの準備をしないと、相手には何も伝わらないことになる。

たまに芯も何も無いくせに、取り繕ったり、押しが強かったりする人もいる。
そういう人は大体2種類に分類できて、圧倒的自己肯定感の塊か、自分の目に映る表面だけを見るタイプのどちらか。
北大生だと、大体6:4くらいだろうか、稲穂は実るほどに頭を垂れるものである。
そういうのをひっくるめて、ついには吹っ切れて我を通す輩が、僕は好きだ。


甚だ主観的な意見を述べると、出来る人は面構えが変わってくる。
造型が美しいとか、目鼻立ちが整っているとかではない。
普段手を抜いてばかりで、苦しいことから逃げて、堕落してばかりのゲスでも、仲間を想って、チームはこうあるべきだ、とか語ってた時の顔はそれなりに魅力的に映ることもある。

苦しい状況になってしまっただけの奴と、目標のために敢えて苦しい環境に身を置いた奴では、存在の重みが違ってきて当然だとは、思わないだろうか。
僕は出来るだけ後者でありたいし、僕の周りの人はそうであってほしい。
僕以上の人に囲まれていれば、僕ももっと出来るような気がしてくる。
現状、業務の調子がよくても、練習に参加できるのは週3~4回である。
週6の練習はできない。
この時点で、週6フルで練習している現役は、僕より上の存在である。
彼らは、僕が手にできないものをすでに持っている。
どうか、それを自ら手放すことはしないでほしい。
今日の練習ではそんなことを考えていた。


おわり。

2019年4月8日月曜日

受動的育成法 20190408

最近の仙人は活き活きとしている。
先日「総監督から言われてなあ」と、学生への口出しを積極的に行う方針を告げておられた。
ただ、佐々木コーチの求めるレベルと、現状の現役のレベルには差があるのも事実。
今日はその差に関して考えて、気疲れしたらしい。

部活、という枠組みだと、人員の変動は非日常に属するイベントである。
新歓期である今はそうなのだが、それが終われば、代替わりまでは大体固定メンバーになる。
この固定メンバーというのが厄介だ。
毎回顔ぶれが同じで、練習内容も大差はない。
そうなると、成長スピードに大きな差は生まれない。
差が無ければ、お互いの絶対評価の上昇具合は分からない。
いやもしかすると、お互いに停滞しているのかもしれない。
停滞は当然、相対的劣化を意味する。

「いやー今日もきつい練習したなー」だけで終わっているとしたら危険だ。
ツラいと思う練習は、実は大してツラくはない。
本当にツラいのは練習ではなくて、練習の原因たる、チームが敗れた時の、或いはその要素の一つであった自分の不甲斐無さに対する絶望感のことだと思う。
若しくは、優勝したはいいがその次である今の自分たちはどうなんだ、って焦燥感かもしれない。
「やれたはずのことがやれなかった」後悔があると、そいつらは大抵泣いている。
僕はそういう泣き方はみっともないと思う性質で、そっちの側には行きたくなかったし、今も嫌悪感がある。


違う話したかったのはこんな事じゃない。

受け方の話だ。

打込・反復、相手が能動的にやりたいことをやる練習、のように思われているがそうじゃない。
重要なのは、受け手が相手の技から「取りパターン」と「躓きそうなポイント」を抽出して、受け方をカスタマイズすることである。
例えば、同じ横三角を受けるにしても、1年目が初めてやってみるというときと、取役で横三角を使う者が、試合を想定して練習するときでは、同じ受け方をしていては練習にならない。
初心者がとりあえずやってみる、ということであれば、まずは技に親近感を覚えてもらうように受ける。
後者であれば、乱取の8~9割の力で受けて問題ない、というかそのレベルでないと実際の試合では使い物にならない。

現状は、打込のための打込、反復のための反復をしている。
投げたり、抑えたり、極めたりするためではない。
そういうのは傍目から見ててすぐにわかる。
手抜きは止めたほうが良い、誰のためにもならない。


練習後、町田が力を持て余していたのでトレーニングに誘った。
「俺だけツラい思いするのは嫌っす」って同期を巻き込んでたけど、「いやお前今日誰よりも練習してねーじゃん」って言わずに参加してくれた千葉と藤本は偉い。
講義で遅れるのは仕方ないし、それについては咎めることは無いけど、練習量は確保してほしい。
終わった後飯に連れてったら「うーん、人から言われればちゃんと動けるんですけどねー」とのこと。
1つ下の某ゲス狩を思い出させる、目先の安楽や怠惰を優先する刹那主義者のニオイがした。
言えばちゃんとやるあたりは、まだ素直な部類だし、真人間になれる日も近、、、くはないけど期待できないこともない、と思う。

ごっつぁん前にスポ根的光景を間近で見ることになった1年目の方々にはどう映ったのだろうか、あと彼らを連れて行く上級生はどう説明するのだろうか、、、まあいっか。
新歓期だから新1年目が引かないようにみんなで余裕かましてキャッキャウフフでやりたいなら、申し訳ないかもしれん。
というかそれなら柔道部には入らんわな、その辺見れば、肉体的にはそこまでツラくなさそうな部活とかサークルもあるし、そっちいく。
まあ、何がツラいとか価値があるとかないとかは人それぞれらしい。
我々人間はそれに合わせて、その時々で一番合理的っぽい行動を取るのだろう、言わずもがな非合理的に。


おわり。

2019年4月4日木曜日

加減 20190404

力加減はする、でも手加減はあんまりしたくない。

先に書いておくが、今回は辛めの文章になった。
いつもプラスもマイナスもフラットも頭の中にはあるのだけど、今回は字数と気力の関係でプラマイゼロには持っていけないはずのでご容赦願いたい。


今日も佐々木コーチの特別講義があった。
内容は基礎運動と逆転技と横三角。
今の現役部員の殆どが、正しい足蹴りができない。
できない、というのは実際誤りで、やっていない、というのが本当のところ。
手を抜いているというわけだ、意図的にか無意識かは知らないが。
基礎運動は正しくとか、理想を追ってやるとツラいもんだから。
正対師でも足蹴り足回し、エビとかできてない。
かみつき・足抜きを使う者はワニとか腰切りで腰が上下しまくっている。
それでいて技術を求めるのは何か違う。
「どうしたらいいですか?」って、どうするもこうするもない。
足し算が理解できないし覚えもしようとしない者に、どうやって掛け算を理解させられようか。
今の僕にはちょっと難易度が高すぎる。
ただ、この状況になるまで僕が放置していたことにも責任はあろう。
「意識してれば半数くらいはそれなりに出来るだろ、あとはそいつら現役同士で声掛けあってくれるはずだ」って、全然そんなことなかった。
僕としては、指導者は学生じゃ全く対応できないときに身代わりになるのが仕事だと思っているので、出来るだけ学生主体を崩したくはないんだけど。
自由が許されているのは、その行為の結果に責任を負うからで、、、なんか中学生を相手にしてるみたいな気分になるからやめとこう。
最近は雰囲気もまあまあ良くなってきたし、半年前とかは学級崩壊に近いものがあったけど、多分乗り切った、、、はず。

みんな心のどっかで、波乱万丈を求めているのかもしれない。
こう、ドラマチックな展開が自分の人生にもあるはずだ、みたいな。
行動も感情も波が大きいと疲れるから、僕は安定したい派なのでちょっと合わせられないかな。
その辺は好き好きなので如何ともしがたいけど。


今日も新入生が来てくれてたし、新歓の出だしとしては良い方だと思う。
あとはほっといてると隠れて出てこない経験者とか、「おっ柔道か、うーん、やってみっかな」って未経験者を呼び込めるかが、毎年の鍵である。
北大の懐事情的に、男子は確実に、新入生を15人の中に入れないといけない訳なので、入部してくれてすぐで申し訳ないが、それなりの強度の練習をしてもらうことになるかもしれない。
女子の方は、今日はテーマ別の時に新入部員の後藤とやってみたが、顔が僕の同期の東北大の女子主将に似ていたので、柔道の方は心配ないだろう。
ただし中身も似ているとしたら、、、うん、かなり不安だ。
冷や汗でそうになり、2分前にFBを確認したら、あんまり似てないことが判明したので今は心底ほっとしている。


道場外の木々の間では、蕗の薹が顔を出していた。
開いたものが殆どだったが、残雪はまだあったので、収穫のチャンスはまだあるはず。
今のところ2年目の片桐に話はしているので、僕と部員と蕗の薹の都合が合えば、宅ごっつぁんしたいものだ。


おわり。

2019年4月2日火曜日

自慢 20190402

浪人か!いや俺はな、3浪だったんだ!!
2人目の新入部員に、仙人がかけた言葉がこれだった。
いや浪人でマウント取らなくても、と思ったが、孫ほど年下の相手にも気さくに話しかけるのが、佐々木コーチのすごいところの1つだと思う。


今日は新入生が4人くらいいた。
初心者もおり、とりあえずみんな道着に身を包ませていたのは良い判断だと思った。
見るよりもやってみたほうが良い、安全率は十分取れるはず、乱取にがっつり入ったりしなければ。
いや、乱取に入っても、危険人物とはやらなければいいだけの話か。
そういうやつは力加減が苦手で、誰にでも常にフルパワーなものだから、双方怪我のリスクが高くなる。

何となくだが、森まるの調子が良いような気がした。
動き自体が大きく変わった気はしないので、多分動きの質や速さ、緩急とかが色々とかみ合ってきた段階なのかなぁ。
新2年目は、今日は主に新入生対応をしていた。
テーマ別で背負い潰しをやっていたので、それを参考に絞めの講習をしてたみたいだった。
僕自身は、もともと絞めについては耐える専門で、ここ最近ようやくコツを覚えたところである。
前腕ではなく、手首の返しを利かせて広背筋で絞めるのが、最近の個人的なトレンド。


練習最後の研究時間では、笹谷さんに谷落を教えていただいた。
3点、いや4点か、固定し首で投げる、というのがしっくりと腑に落ちたのが、今日の収穫だった。


帰り際には、明日のイベントにて発表する劇のリハを観させてもらった。
ほう今年はこんな感じ化、と思っていたら、どうやらまだテコ入れするような雰囲気だったので、本番どんな仕上がりになるのか空恐ろしい気がした。
というかそもそも仕上がるのか、、、。
口頭での説明は、よほどゆっくりはっきり声を上げないと聞き取ってはもらえないし、やはり視覚情報って大事。
見た目のインパクトは重要、ただしそれ以外の努力を怠ると、一生いじられ続けるゲス君になるかもしれないので、その覚悟を持てないのなら、現役諸君は要注意だ。


おわり。

2019年4月1日月曜日

じだい 20190401

今日は道場へ。
新入生が2人来ていた。
前回はエルム会だったので普通に練習するのは、なんだか久々な気がする。


新年度になったし、新元号も発表されたし、新入生も来たし、ということで練習の雰囲気は、、、まあいつも通りくらい、嫌いじゃないぞそういうとこ。
後はそのいつも通りの行動が、必要十分を満たしているのか、利己的なだけではないか、個々の美学に則っているか、とかの指標に届いているかどうかの問題だと思う。
ああ、条件はもう一つあった、その行動原理は部員で共有されているかどうか、だ。
これが無いと、いくら頑張ったとしても「あいつは頑張り屋だから、頭とち狂ってるから」で思考が整理されて、部全体が低きに流される。


練習の途中では、仙人佐々木コーチから指導も入った。
ここ最近は遠征の動画を観てあれこれ考えていたらしい。
他大の取役の弱点を見つけたぞ、ということで対処法が伝授されていた。
みんな上手くインストールして、十分なアウトプットが出来るようになってほしい。


練習後は久々の体重測定。
京都遠征後は堕落した生活を送り、能力維持の鍛錬もせず、のんびり過ごしていた。
運動量は減り、食事量はそのまま。
当然デブエットに成功しているはずで、機動力と継戦能力を犠牲に亀力なんかが大いに向上しているはずであった。

こんな文章を書いているのでお察しかと思うが、ダメだった。

80kg切ってた。
いつぞやの約束によって、綱とか懸垂とか、あと反り跳びをやってから帰った。


そういえば。
体重表4/1の欄外には「令和元年」と千葉の字が。
そういうとこだぞ、千葉よ。
女子が1人入部したからって、その自己紹介の時にキメ顔作っちゃう浮つき具合だからなあ。
不覚にも笑ってしまった。

まあでもSNSなんかでは類似の投稿が相次いでいたらしい。
「新元号『令和』だってよ、今日は令和元年4月1日だ!」
「いや、それ来月からなんだが、、、」
「、、、、、、え、エイプリルフールだバカめ、騙されおったな!」
「、、、お、おう」
の如き会話が、全国あちこちで繰り広げられたことと思う。


おわり。