2019年4月18日木曜日

北大柔道部をお勧めしない理由 おわり

前回で「おわり」だと言ったな、あれは嘘であり、本当だ。
最後に他の誰でもない、僕自身の話をさせていただく。
「普通はきっと~~だ」とか「現代社会は~~」とかの想像ではなく、100%自分勝手な、僕自身の行動論・行動指針を以て、締め括りとしたい。


北大柔道部に関わってもう9年目。
入部した人しなかった人、途中で来た人辞めた人、引退までにやり切った人やり残した人、その後離れた人離れられなかった僕、色々の人がいる。
今までを振り返って、僕自身はそうされた気がするし、他の人たちにそうしたいし、多分北大柔道部ってそういうものなんだろうなぁ、と思うことがいくつかある。
そのうちの1つについて、この場を使って述べておく。


北大柔道部員は、2度歓迎される。

僕は部員を歓迎する。
見学者・体験者・入部希望者・新入部員なんかの、お客様の垣根を越えて部に踏み込んだ貴方を、僕は歓迎する。
いかなる経緯があったにせよ、それなりの割合の自由意思を以て入部を決意した貴方を。
僕は貴方に対して、チームの一員として、七帝の畳上に臨めるように、出来る限りの援けになりたい。

でもきっと、そのうちに援けが及ばないことが出てくる。
理由も時期も様々だ。
経済面の問題、学業との兼ね合い、度重なる怪我、精神疾患、人間関係、目移り、新たな目標の萌芽とか。
新歓期、試合前、試合のない中だるみの時期、年目と責任度の上昇、追い込み期とか。
そして誰もが分かっている。
「北大柔道部に関わらずとも、生きていける」ことを。
何なら、「よりよく生きるには、ここ以外の方がおそらく適うみたいだ」ってのも内心思っている。
だから挫折せざるを得ない。
その挫折を、貴方に代わって解決してあげるには、僕はあまりに力不足だ。
「試練は強敵であるほど良い」とどこかの大統領は言うが、この場合の試練とは「北大柔道部での生活を続けること」なのか「北大柔道部を見限って自分を取り戻すこと」なのかは分からない。
きっとどちらを取ろうと正解だし、誤りだ。

だからこそ、挫折を経て、それでも北大柔道部に関わることを決意した部員は、きっと一蓮托生の仲間になるのだと思う。

僕は仲間を歓迎する。
他の何者でもない、自分だけの意志を見出したことへの餞を贈りたい。
誰かが貴方を決めるのではない、貴方自身が決めつけて、その責を自身で負って、部に関わっていけるはずだ。
ようこそ、北大柔道部の世界へ。


え?お前なんぞに歓迎されなくとも構わん?
そんなのは知らない、ただ、僕がそうしたいから、そうしているだけ。
僕の今までが、僕がそうしないことには納得しないってだけのこと。


言いたかったことは、これで全部。


おわり。

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