2019年4月8日月曜日

受動的育成法 20190408

最近の仙人は活き活きとしている。
先日「総監督から言われてなあ」と、学生への口出しを積極的に行う方針を告げておられた。
ただ、佐々木コーチの求めるレベルと、現状の現役のレベルには差があるのも事実。
今日はその差に関して考えて、気疲れしたらしい。

部活、という枠組みだと、人員の変動は非日常に属するイベントである。
新歓期である今はそうなのだが、それが終われば、代替わりまでは大体固定メンバーになる。
この固定メンバーというのが厄介だ。
毎回顔ぶれが同じで、練習内容も大差はない。
そうなると、成長スピードに大きな差は生まれない。
差が無ければ、お互いの絶対評価の上昇具合は分からない。
いやもしかすると、お互いに停滞しているのかもしれない。
停滞は当然、相対的劣化を意味する。

「いやー今日もきつい練習したなー」だけで終わっているとしたら危険だ。
ツラいと思う練習は、実は大してツラくはない。
本当にツラいのは練習ではなくて、練習の原因たる、チームが敗れた時の、或いはその要素の一つであった自分の不甲斐無さに対する絶望感のことだと思う。
若しくは、優勝したはいいがその次である今の自分たちはどうなんだ、って焦燥感かもしれない。
「やれたはずのことがやれなかった」後悔があると、そいつらは大抵泣いている。
僕はそういう泣き方はみっともないと思う性質で、そっちの側には行きたくなかったし、今も嫌悪感がある。


違う話したかったのはこんな事じゃない。

受け方の話だ。

打込・反復、相手が能動的にやりたいことをやる練習、のように思われているがそうじゃない。
重要なのは、受け手が相手の技から「取りパターン」と「躓きそうなポイント」を抽出して、受け方をカスタマイズすることである。
例えば、同じ横三角を受けるにしても、1年目が初めてやってみるというときと、取役で横三角を使う者が、試合を想定して練習するときでは、同じ受け方をしていては練習にならない。
初心者がとりあえずやってみる、ということであれば、まずは技に親近感を覚えてもらうように受ける。
後者であれば、乱取の8~9割の力で受けて問題ない、というかそのレベルでないと実際の試合では使い物にならない。

現状は、打込のための打込、反復のための反復をしている。
投げたり、抑えたり、極めたりするためではない。
そういうのは傍目から見ててすぐにわかる。
手抜きは止めたほうが良い、誰のためにもならない。


練習後、町田が力を持て余していたのでトレーニングに誘った。
「俺だけツラい思いするのは嫌っす」って同期を巻き込んでたけど、「いやお前今日誰よりも練習してねーじゃん」って言わずに参加してくれた千葉と藤本は偉い。
講義で遅れるのは仕方ないし、それについては咎めることは無いけど、練習量は確保してほしい。
終わった後飯に連れてったら「うーん、人から言われればちゃんと動けるんですけどねー」とのこと。
1つ下の某ゲス狩を思い出させる、目先の安楽や怠惰を優先する刹那主義者のニオイがした。
言えばちゃんとやるあたりは、まだ素直な部類だし、真人間になれる日も近、、、くはないけど期待できないこともない、と思う。

ごっつぁん前にスポ根的光景を間近で見ることになった1年目の方々にはどう映ったのだろうか、あと彼らを連れて行く上級生はどう説明するのだろうか、、、まあいっか。
新歓期だから新1年目が引かないようにみんなで余裕かましてキャッキャウフフでやりたいなら、申し訳ないかもしれん。
というかそれなら柔道部には入らんわな、その辺見れば、肉体的にはそこまでツラくなさそうな部活とかサークルもあるし、そっちいく。
まあ、何がツラいとか価値があるとかないとかは人それぞれらしい。
我々人間はそれに合わせて、その時々で一番合理的っぽい行動を取るのだろう、言わずもがな非合理的に。


おわり。

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