2019年4月18日木曜日

相手じゃなくて、自分を動かす 20190418

行けるときに行く、ということで報告がてら。

道場に着いたら、やまとがMTBで乗り付けているところに遭遇。
良いよね、チャリ移動。
スピードと小回りのバランスがとてもいい、あとは公共交通機関と違って自分の自由意思で移動できるところ、自動車と違って乗り降りが気楽にできるところが、僕は好き。

練習は乱取から参加。
今日は西森の目がギラついていて、動きもまあまあ良かった。
やることがはっきりしてきて、ある程度目途が立ったのだろう。
躊躇いのない動きは、おっかなびっくりの高等技術よりも強い。
3年目は全体として、動きがようやっと板についてきた段階だろうか、及第点にはまだ遠いが、七帝までに間に合わせねば、というところ。
対して2年目は、脳内の技術と現実の動きとの乖離が酷い印象を受けた。
技術への固執がどうも大きすぎるし、そもそも机上の空論のパターンも多い。
僕個人の感覚では、研究2割・実戦7割・勢い1割くらいのイメージ。
細かい割合はそれぞれであろうが、実戦が半分を切ると七帝ではおそらく使えない。
そういう技術に限って、最初の1分は使えるけれど後半のしんどい時に使えなくて、結果ミスをして相手にしてやられる、ということが多い。

相手から逃れること一つとっても、実際の試合ではその次の展開があるし、そもそもその前段階で自分と相手がどういう状態になっているのか、という問題もある。
最悪なのは、格下だからと思って調子に乗って取りに行き、取れたはいいけど体力は残り僅か、次は各上相手に分けねばならない、って状況。


ここ数年伝えているのだけれど、何かをする空間をつくる際には自分を使うのがよい。
例えば、逃げるときには相手をウンウン唸って押していくより、自分で隙間を空けたほうがよっぽど早い。
重いし押しが強いし追ってくる相手を、その場に留まりただ阻むのには多大な労力を要する。
同じ力を使うなら、相手を押し返すのに合わせて作用反作用で自分を逃がすのが、コスパは大変良い。

人間関係も同じであると思う。
相手に何かをさせようとしても、自信の我を押し通すだけでは反発されやすい。
まずは自分が動いてみる方が、割と建設的な気がする。
相手が変わるのを待つのではなく、まずはお前が変われ、ということ。
あとはそのバランス感覚が問題。
僕は言わずもがな、その妙は掴めていない。
掴めていたらもう、ガンガン他人に頑張ってもらって、今頃は不労所得で暮らせるはずだったのだが。
皆さんお気づきの通り、10近く下の学生相手にすら四苦八苦しているのが現実である、やはり甘くはない。

とりあえず(僕の中のみで)流行りのケトルベルを振り回してから帰った。
手の指の付け根が結構擦れたみたいで痛い。
昔は毎日の練習で皮も厚くなっていて丈夫だったのに、今も残っているのは面の皮くらいである、いやむしろ厚みはより増しているのかもしれない。


おわり。

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