2019年4月17日水曜日

北大柔道部をお勧めしない理由 その4 過負荷

先日家電量販店のパソコンコーナーに行って感心させられた。
「大学生はまともに講義を受けるよりも大切なことがある」と宣い、「時間を創り出すためにも便利グッズ(お勧めのPC・タブレットとか)を使い熟そう」と結んでいた。
一昔前までなら、暗黙の了解は公然の秘密であっても、公衆に対しては伏せてはいたと思っていたのだが、そんなことはもう古いらしい。
昨今の何でも苦情をつけたい方々がいる世間にも、「大学生はバイトやら合コンやら旅行をする生き物で、学問は不問でよい」という感覚がおおよそ根付いてきたのであろうか。

「苦しいことやツラいことなんて一切しなくていい」って思想が蔓延している。
つまりはポジティブに生きたい方々が大勢いる。
ここで言うポジティブと言うのは、目先の愉しみのことだと、僕はそう解釈している。
目先の利益に飛びつくのは浅ましいか?
いいや、当然のことだとは思う。
特に、大した思想や、確固たる宗教観を持ち合わせていない人たちにとっては。


だからきっと、不満や不公平感に耐えられない。
「誰もが輝いて生きていける」なんて謳われている世界で、輝いていない現状の自分とは一刻も早く決別しないと気が済まなくなってくる。
身の回り全てを重しに思えば、必要不可欠でないものごとから切り捨てられていくのは当然だろう。
そしてその最序盤が、北大柔道部であるのは大体のセオリーである。

求め過ぎるのだ、北大柔道部は。
誰かや何かの庇護を求めるのが、今の学生のトレンド。
北大柔道部は逆だ。
学生自身が、チームを、仲間を庇護していかねばならない。
自分以外のチームに対しても、自己責任を負わねばならない。
そういう思想を求めている。
いや正確に言うと、七帝優勝を本気で目指すのなら、求めざるを得ない。
明確な思想を共有している人数が多く、またその割合が高いチームが当然強い。
思想さえ共通していれば、方法論や途中目標は、個々を放っておいても勝手に出てくる。

無論入部してすぐに、ということではないが。
ただし誰かが階段を作ってくれて救いあげてくれることは、あまり期待できない。
北大柔道部は慈善団体ではないし、愛好会でも、教育団体や、宗教法人ではない。
最後の最後のところでは、貴方の選択は貴方自身へと突き放される。
そう考えると、やはりどうも荷が勝ちすぎる気がする。

そこまで無理をしなくても、きっと社会は貴方方を救いあげてくれるだろう。
態々険しい道を選ぶ必要はない。
山にはロープウェイで登ると良い。
その室内から、羊蹄山頂上を目指して豊平川を遡上するような、そんな風な北大柔道部員を笑ってくれてもいい。

貴方が選んだ(又は選んでもらった)、所謂正しい道のりを選べなかった連中がいても、なんだかんだ世の中は回るもんだ。


おわり。

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