2020年11月19日木曜日

現役時代の振り返り

部屋の片づけをしていると、現役のときのメモが出てきたのでついつい読みふけってしまった。

残っていたのは3年目になってからのもので、1,2年目のものは何処へやら。

そもそもメモつけてたっけ?

何はともあれ、このメモ帳には2013/4/4から2014/3/7まで、ちょこちょこと記録が残ってた。

毎日つけていないのはご愛敬、そもそも僕は三日坊主を何度も繰り返すタイプの人間である。

とは言え記録をとる作業自体は今に至るまで継続できているので、麺料理だと刀削麺みたいなもんか。


さて、そんなメモから話題をひとつ。

僕が自分のスタイルを本当に確定させたのは、2013/4/9のことらしい。

この時の日記には以下のような文章がしたためられていた。

「とりあえず、最終段階は横三角で決めるとして・・・。

そこまで行くように動くことが大事。正対上・下からどう

やってもっていくか。正対上ならかついで(中略)

下なら?柔術の動きなどが参考(中略)あと、

足抜き、首きめにしよう(以下略)」


以後、横三角についての技術メモがちらほら、七帝の1か月前に酷い夢を見た話や、いわゆる普通のキャンパスライフとの格差への諦観、七帝の準備と次の代の構想などが綴られていた。


メモ、コツ

メモ、課題とその解決策(案)

メモ、コツ

その他青臭い文章もちらほらしてたのは内緒。

そういやキャンパスライフ、当時は「あーCLCL。あ゛~、じる」とかダンガンが言ってたな。

ニチャアっと湿った感じの雰囲気を出していた彼も、晴れて昨年度結婚してた。

人生ってのは、何とか帳尻合わせできるもんらしい。


本題に戻る。

僕が自身のスタイルを決めて、それがそこそこ通用したのが、2013年の大阪大会。

実際は仮決めということで2年目、2012年の段階から練習はしていたけれど。

まあ、本格的にやることを絞ったのが2013/4/9~、ということなのだろう。

方向性を決めて、やれそうなことを抽出、試合開始から相手を取り切るまでの組み立て、出来ないことは廃棄し、出来ることを深化させ、自信を持てたのは、多分翌年の優勝大会あたり。

あの頃の僕は今の僕よりも柔道の幅は狭かったけれど、今の僕よりも取り力は高かった気がする。

やることが殆どパターン化されており、スタミナつけてタイムロスなく動き続けられたのが要因だと思っている。


そんな経験から、僕なりの持論というか、そんなものがある。

七帝柔道、北大柔道部という過程は、柔道を通して自身を再生成するプロセスだということ。

分け役になりたいと思って入部した1年目。

初めて七帝に出て、最下位になって、「北大として勝ちたい」と思うようになった2年目。

前主将の小田さんの影を追いかけようとして、結局失敗ばかりだった3年目。

開き直ってエゴを突き通して、でも個人の限界を感じた4年目。

そんな感じで。

自分の欲求だけの人間が、他人のために自己を焼失させて、最後は自分だけじゃなく全体のために自己を見出し・利用してくっていう、そんなプロセス。

「結局は1周しただけじゃん」って、それは平面のお話。

3次元で見れば、螺旋階段を何周も登ったってこと。


もしくは、角砂糖を崩して鍋にかけて熱で溶かして、それでも火にかけてると最後に残る黒くて苦いアレ、そういうのかもしれん。



おわり。

2020年11月9日月曜日

そういや紅葉全然見てない 20201107

この日は後半組のみに参加。

道場内の立ち入り人数制限、15人に引っかかるということでの選択。


久々に北大構内を通ると、明らかに学生でない人が多く、なんだか戸惑った。

答えは13条門からのイチョウ並木の見物客。

金葉祭だったか、あれは僕の卒業後くらいにできたイベントなので明るくなく、今年はやったのかやってないのかも知らない。

けれど事実として人の数としてはそれなりに来ていた。

まあ、そんなもんですよね、ってところ。

札幌で連日100人を超える感染者が出ても、一度増やした人出はそう簡単には収まらんだろ。

感染症とはもう、巧く付き合っていくしかない。

僕が思うのは、生きていればいつか死ぬし、死ぬまでは生きていかねばならん、ということ。

そんなことを考えつつメンストを北上して行った。



さて、近頃の現役は乱取もできず、ひたすら打込や反復ばかりである。

マスク着用で、ズレを直しながらということでとても面倒そう。

僕はちょっと離れたところからの指導がメインなので、そういうのも縁遠い。

ひとつ、「マスクを弄る癖がついたら色々と悪影響ありそうだなあ」と思った。

柔道とか格闘技、コンタクトスポーツ用のマスクって、無いもんなのかね。

「格闘技 マスク」で検索しても、良さげなものは無さそう、あとタイガーマスクがちょこちょこ出てくる。

ん?これはもしやビジネスチャンスか?


まあ、マスクはひとまず置いておくとして、打込や反復の話。

これらはいわゆる基礎のひとつであるのだけど、基礎だけやってても重要性は見えてこない。

また、重要性を理解して行動に組み入れても、結果として表れるには時間がかかりがち。

なのでどうしても、ひと月も経てば諦めたり、すぐに結果の出そうなことに引きずられたり。

これを乗り越えさせるには、当人以外からの声掛けが非常に重要。

この声掛け、粘着質な性質の人が担当することが多い。

いわゆる姑タイプの方々で、同期や後輩からは煙たがられがちなこともある。

けれど、好みと実利は同一のものではない。

好かれなくとも、嫌われようとも、必要ならばやる。

そんな行動と、はたまた過程でない実力・実績のどちらも評価するのが正しい在り方かと思う。


で結局は、今のところ僕が姑ポジションに行くしかないように思っている。

期間限定の中で育った人に託して、あとは現役の中で回してもらいたいというのが理想。

そしたら晴れて、僕も優しい先輩ポジションに行けるんではなかろうか。

左団扇でのんびり見守る慈悲深い先輩、そんな未来も近い、はず。

その時はきっと、現役を眺めて毎回感動を覚えるようになっているに違いない。

打込反復はもとより、何なら体操や基礎運動の時点から。

「ほほう、こいつは『這う』をそう解釈したか、、、それもまた善し」

「何ぃっ、『ワニ歩き』にそこまで意味を詰め込んだのか、前だけなら兎も角、後ろにこんな意図がっ」

みたいな、ね。



おわり。

2020年11月4日水曜日

1台20万円か、、、20201103

今朝は雪だった。
その前日である昨日のことだが、道場内の気温は14℃。
練習中は窓を開け換気扇を回し、気温は低下の一途をたどるのみ。
これから先を考えるに、ジェットヒーターが2,3台必要だろう。
火事のリスクか、冷えによる体調不良からのインフルエンザ・コロナウィルス感染のリスクか、取るべきはどちらだろうか。
北大柔道部だけじゃなくて、他の部活動だったり道内の他の運動施設はどう対応しているのだろう。

「北海道は建物の造りが違うから」
って、ウチの道場は違うんだよなあ。

ざっくりイメージ。にしても人が小さすぎた。まあ雰囲気だけ掴んでいただければ、、、。


とってもテキトーに描いてみたがこんな感じ。
暖房は天井付近に設置され、同じくらいの高さには窓がぐるっと配置されている。
小中学の理科で習ったはずだが、温かい空気は情報に移動する。
つまり、北大の武道場2Fは温めた空気がひたすら窓から逃げていく、夏の暑さに強い構造になっている。
なんでよ、、、。
恐らくは暖房の燃料相場が、リサイクルショップに出すユニクロの服くらいのときにつくったのではないかと疑っている。
もし今現在の環境保護の価値観下なら、設計者は袋叩きになって然るべき。


感染症対策の換気を続けて、寒さ対策のないままにしておけば、来月には道場内の気温は常時ひと桁、厳冬期には氷点下がスタンダードになる可能性が十分にあると思われる。
大学側に要望を出しても、この情勢で学生の課外活動のために暖房費を湯水のように投入できるとは思えない。
つまりはこちら側で何かしら手を打つべきだろう。
ジェットヒーター、中学の時は強豪校にあったなそういえば。

強豪校と言えば、僕の中学高校時代はアンダーウェアも彼らの特権だった。
僕なんかが着ようもんなら「お前みたいな雑魚が何粋がってんだ」みたいな雰囲気が。
大学に入ってやっと許されたような気になっていたが、ここ数年はやはり道着の下に何か着るのは違う気がしている。
つまり、ああいう手合いのものはやっぱり苦手なんだろうなあ。


おわり。

2020年11月3日火曜日

記録 20201030

綴るのを忘れてたので、ちょっとした記録がてら。

確かこの日は18:20頃に道場についた。

なので、18:30開始の後半組をメインで観察。

しかしだ、人数がなんだか少ない。

前半組は規定の15人に近い人数だったように思うが、後半は確か6人だった。

いや8人だったか?

まあ兎に角、10人を割っていて「少ねぇ」って片桐も溢してたくらいには少なかった。

お陰で打込の際の人の巡りが非効率で、「限られたことしか出来ないけど」って僕も中に入った。


その後の反復は受けられず外から見ていたが、まあ、前年の続きとしてはこんなもんかってとこ。

上級生には受け方について思考するよう要請したのだが、さて定着させられるだろうか。

1年目は、ひとまず全般の動きに慣れて、やりたい技を決めること。

2年目は北大の技術体系全体について、「何となくこんなもんかな」、使う技術は実用可能レベルに。

3年目は実用可能から活用できるレベルに。

というのが、技をかける側に対する僕の要望。

以前こんな話、どこかに綴ってたような気がする。


まあいい。

今回は逆。

受ける側について。

1年目はとりあえず受けてみる、受けて実体験を積む。

2年目は前提条件を掴んで、表現する。

横三角は亀の相手に掛ける技だが、じゃあ亀って言ってもその高さや、亀が次に狙う展開はどうだろう。

それ次第で掛ける側は横三角を工夫すべきか、そもそも違う技に移行すべきかは変わってくる。

3年目になれば、実戦をどれだけ入れ込めるか。

受ける自分の逃げ方を模索したり、掛ける相手の発想の幅を広げるように展開してみたりと、成長の主体はどちらにおいても構わない。

今現在の双方の実力を掴んで、それに対応して行動を選択、お互いの実力を伸ばしてくってのは、まさに対面でしか成しえないことの代表格だと思う。

折角自分らでCOVID-19に対応して柔道できるようになったんだから、僕ら指導陣から言われての対処に終始するのは非常に勿体無い。


そんなことを考えて、現地では「もうちょい受け方考えような」くらいのことしか言えなかった。

まあ時間制限あるし、しょうがないとも思っている。

僕の表現力や言いたいことをまとめる能力の問題ってのも、まあ事実。

えぇっと、まだまだ伸び代しかない、ってことにしたいけど、良いだろうか。



おわり。