2020年11月9日月曜日

そういや紅葉全然見てない 20201107

この日は後半組のみに参加。

道場内の立ち入り人数制限、15人に引っかかるということでの選択。


久々に北大構内を通ると、明らかに学生でない人が多く、なんだか戸惑った。

答えは13条門からのイチョウ並木の見物客。

金葉祭だったか、あれは僕の卒業後くらいにできたイベントなので明るくなく、今年はやったのかやってないのかも知らない。

けれど事実として人の数としてはそれなりに来ていた。

まあ、そんなもんですよね、ってところ。

札幌で連日100人を超える感染者が出ても、一度増やした人出はそう簡単には収まらんだろ。

感染症とはもう、巧く付き合っていくしかない。

僕が思うのは、生きていればいつか死ぬし、死ぬまでは生きていかねばならん、ということ。

そんなことを考えつつメンストを北上して行った。



さて、近頃の現役は乱取もできず、ひたすら打込や反復ばかりである。

マスク着用で、ズレを直しながらということでとても面倒そう。

僕はちょっと離れたところからの指導がメインなので、そういうのも縁遠い。

ひとつ、「マスクを弄る癖がついたら色々と悪影響ありそうだなあ」と思った。

柔道とか格闘技、コンタクトスポーツ用のマスクって、無いもんなのかね。

「格闘技 マスク」で検索しても、良さげなものは無さそう、あとタイガーマスクがちょこちょこ出てくる。

ん?これはもしやビジネスチャンスか?


まあ、マスクはひとまず置いておくとして、打込や反復の話。

これらはいわゆる基礎のひとつであるのだけど、基礎だけやってても重要性は見えてこない。

また、重要性を理解して行動に組み入れても、結果として表れるには時間がかかりがち。

なのでどうしても、ひと月も経てば諦めたり、すぐに結果の出そうなことに引きずられたり。

これを乗り越えさせるには、当人以外からの声掛けが非常に重要。

この声掛け、粘着質な性質の人が担当することが多い。

いわゆる姑タイプの方々で、同期や後輩からは煙たがられがちなこともある。

けれど、好みと実利は同一のものではない。

好かれなくとも、嫌われようとも、必要ならばやる。

そんな行動と、はたまた過程でない実力・実績のどちらも評価するのが正しい在り方かと思う。


で結局は、今のところ僕が姑ポジションに行くしかないように思っている。

期間限定の中で育った人に託して、あとは現役の中で回してもらいたいというのが理想。

そしたら晴れて、僕も優しい先輩ポジションに行けるんではなかろうか。

左団扇でのんびり見守る慈悲深い先輩、そんな未来も近い、はず。

その時はきっと、現役を眺めて毎回感動を覚えるようになっているに違いない。

打込反復はもとより、何なら体操や基礎運動の時点から。

「ほほう、こいつは『這う』をそう解釈したか、、、それもまた善し」

「何ぃっ、『ワニ歩き』にそこまで意味を詰め込んだのか、前だけなら兎も角、後ろにこんな意図がっ」

みたいな、ね。



おわり。

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