2018年7月31日火曜日

横三角 肩極め縦四方覚書 20180730

乱取の気分で道場に行ったら技研だった。

メインパーソナリティは勿論、仙人佐々木コーチ。
風貌は相変わらずで、ザンバラの白髪にちょっと頑固そうな職人っぽい顔つき、それで今回は道着を着ていたのでパッと見は達人。
北大の応援団のボロ羽織を着ても何も違和感なさそう。
むしろ、「あれは俺が与えたんだ」とか言い出しても、巷の人々なら信じてしまいそうな気もする。

ちなみに私服は上下黒、Tシャツにジャージで、チャリで30分くらいのところまで帰る、と言っていたが大丈夫だったろうか。
高齢者かつ1級障がい者とはとても思えないバイタリティを感じた。


横三角と言えば、今や中学生でも知っているポピュラーな亀取技術。
ただ、一般に普及している横三角と、七帝で使えるレベルの横三角には雲泥の差があると思う。
まあ、七帝ではじっくりと技を極めていけるルールになっているから、時間制限のあるその他のルールとは、発想が根本的に違ってもしょうがない。

ポイントはいくつもあるけれど、全部を語るには僕の気力が持たないので、1つだけに絞る。
横三角は、脚で返す、これが最重要。
日々の練習の中で、どうしても忘れがちになる部分。
その中でも特に致命的なのが、脚で返す、ということを忘れ去ること。
部内では強いって人が、この状態に陥りやすい。
弱い人にはめっぽう効くけど、本当に取るべき時に取れなくなってしまうので、腕で返すことは、僕はお勧めしない。
具体的なところは、今度写真付きでまとめられたらいいなあ。


もう1つ。
肩極め縦四方。
昨日現役のを受けて思ったのは、極めることを痛めつけることと勘違いしているということ。
関節技では重要なのかもしれないが、抑え込みにおいて極める、とは、相手を制すること。
昔風の言い方をすれば、脇差をぶっ刺して、その後相手が絶命するまでの間反撃にあわないようにすること(抑え込みの定義と、30秒で一本というルールについて、僕はそう習った覚えがある)。

極める感覚を養うまでに、コツを掴むまでに時間はかかるが、多少の体格差は関係なく抑えきることができるようになる技術なので、腐らずに頑張ってもらいたい。

うーん話が抽象的にならざるを得ない。
誰か具体的な話をして、技術体系をまとめてほしい気もするが、難しい。


そういえば、現役の夏休みの予定を聞いてみた。
8月頭にキャンプをするらしい。
2泊3日で、2日目に何をしようか、と悩んでいた。

あとは、男女別々(時期的にも場所的にも)で遠征するとのこと。
男子は名大、女子は東大に行くらしい。
どちらもド平日真っ盛りの日程だったので、僕は参加できないけれど、近くにお住いの方々がいらっしゃれば行ってあげてほしい。

そんな宣伝もしてみたところで。


おわり。

2018年7月30日月曜日

基礎運動つらい 20180728

土曜の練習の話。


乱取多めにやるのかなー、お、押し出しで6分×12か、まあまあだなー。
と思っていたら、準備運動、柔軟の後に宮武総監督の一声。
「基礎運動の確認やります」

まあ、こういうのは定期的に見直さないと、みんな好き勝手やるからタイミングとしては良いと思った。
僕らは基本楽をしたい生き物で、具体的で客観的にまとめられたものですら、都合よく解釈できる大変便利な思考装置を持っている。
だから、その時々で余裕だったり、やる気だったり、元気だったりがある人が都度修正をすることが大事だと思う。
ただ、その先導者は、常に同じでなくても全く構わない。
要は親切と同じこと、やってもらって当然、とは思わないで、「有り難いなあ、次の機会が巡ってきたら俺もなんかやってあーげよ」くらいのテンションでもいいと思う。

そうやって社会も廻っていけばいいと思うけど、資本主義では親切にも対価が発生しがちだから、親切の運用は限定的にならざるを得なさそう。
少なくとも僕個人については。


話を戻そう。
基礎運動では、相手のイメージが如実にその動きに反映される。
同レベルなのか、格上なのか。
分けるためか、取るためか。
自分の得意を磨くのか、より広範な動きを身に着けたいのか。
準備運動として、体をほぐして可動域を広げるのか。

正直、この時期の現役としては期末テストもあるから、なるべく頭を使いたくないという状態なのかもしれない。
それはそれで仕方ないとも思わないでもないが、であれば最低限のことはやっておくべき。
僕が思う最低限は、可動域を目一杯に使って大きく素早くやること。
列の先頭でそれをやって、端まで着いたら後ろの人たちに高みの見物を決めてもいいんじゃないかな。
他人のを眺めていれば、それぞれで細かな違いがあって、参考にもなるし。


そして久々に基礎運動からやると、やはり消耗が激しかった。
練習終わりまで喉の渇きを抑えらず、乱取終盤で水分補給してしまった。
肉体的にも精神的にも甘くなってしまったみたいだった。
直視したくはなかったけど、そのほかのところでも予兆はなんとなしにあったので、愕然とした、というよりかは、腑に落ちた、という感覚。

何よりの問題は、今後その甘さを断ち切る見込みが薄いことで。
社会に出て言い訳が上手くなって、徒に年を経るのも考え物。
最早どこが最終防衛ラインかもわからなくなってきたけれど、死守するところはきっちり守って、そのほかは騙し騙しだったり、なんとか他人を頼らさせてもらって生きていくしかないのかもしれない。

話が柔道部から逸れてきたので話は打ち切り。


おわり。

2018年7月28日土曜日

練習参加 20180727

行ってきた。

前回指摘していた崩れ上四方については、多少なりとも改善されていたように思う。
まあ、テーマ別乱取の様子だけなので、本番は今日の練習時の基礎運動を見て判断するつもり。

どの技術も、最終的なゴールはそれなりに明確にできるけど、過程である練習法には明確な正解は無い。
コツをつかむ瞬間はいつ訪れるかわからなくて、僕が引退してからの現役を見ていると、取ることに関しては、3年目の年末年始あたり、というパターンが多い気がする。

分けに関しては、2,3分くらいは安心できる体勢を1つでも持っていれば、準取役クラスを分け切るのは案外難しくないと思う。
それ以上を相手にすると、得意パターンに持ち込むまでの動きや、そこから逸れたときの修正方法も2,3持っていないとかなりツラい。
あとは単純だけどフィジカル。
パワーはテクニックで補えるのはある程度事実だけれど、それって生涯スパンで考えたときの話じゃない?とはいつも思っている。

心底目標を達成したいと思いつつ、だけど悠長に手段を選んでいられるほど、僕らは才能に満ち満ちていないのが常だ。
どちらも理由探しは簡単だけど、出来ないこととやらないことは明確に区別しといたほうが良いと思う。


練習後はそれぞれが自由に。
筋トレする人駄弁る人、研究する人帰る人。
僕も何人かの近くに行って話してみたり、あるいは単に眺めていたりした。

鉄棒を振り回すトレーニング。
みんな大好き「月刊 秘伝」に載ってた気がする。
実験台は中村。ちょっと背中が丸まっちゃってるかな?

そのあとは久々に現役とごっつぁんへ。
10人の大所帯で、22時くらいということもあり店探しは難航。
結局二手に分かれて、僕はRaRaに行った。

正面に座った1年目笠井が辛さ上限の50番を頼んでいた。
流石寮生、3番で汗まみれになる僕とは鍛え方が違う、なんて思った。

あと、食いしん坊佐久間が最近食べ物に対して胸が苦しくなったり、ツラかったりといった症状が出るらしく、満場一致で「食べ物に対する恋煩い」という診断を下されていた。
本人は逆流性食道炎を主張していたが、真相は闇の中、ならぬ佐久間の肚の中だろう。

それと、現役ではないけど小形が話の中で僕をダシに使って「尊敬してますよー(棒)」とかほざいていたので、今日の練習に来ていたらしこたま現役をけしかけようと思う。
みんなヒィヒィ言ってる小形を見たいはずなので、きっと僕の心と行動に一点の曇りもなく、全てが『正義』だろう。

そんなくだらない話もできたところで。


おわり。

2018年7月25日水曜日

練習参加 20180724

昨日の話だけれど。


先週の札幌らしからぬ、しかし夏としては妥当な暑さも身を潜め、今週はそれなり異常に過ごしやすい気温で始まった。
札幌の夏、という奴で、湿気が少なくからっとしており、汗をかいてもすぐに乾く良い天気。
大通ではビアガーデンも始まり、週末になれば満員御礼、一体いくらのカネとヒトが動いているのかが気になる僕は、きっと心が資本主義の闇に蝕まれている。


そういうことで、仕事を定時で切り抜けた僕は、おおよその人々の流れに逆らって北大武道場へ。
最早所定の流れと言うべきか。


道場内に入って気付いたが、道着を忘れていた。
仕方がないので部室や洗濯室を探し回って、今成の苫小牧東の道着を拝借。
現在僕は道着を2着持っているのだが、片方は会社の柔道部のを借りているだけなので、あまり使いたくない。
と言うのが建前で、胸とゼッケンに会社名が明記してあって、北大柔道部の人間でなくなったような気がするので気に食わないというのが本音。

乱取では、現役とやってひたすら取る。
体格やフィジカルでは劣ることもあるけれど、七帝キャリアに倍以上の開きがある以上、経験値にモノを言わせて取りに行く。

この日の乱取後には、30秒抑えがあって、今回(今週?)は崩れ上四方の練習だった。
面白いのは、僕より10kgほど重い現役に抑えさせたところ、ほぼパワーのみで弾き返せた点。
崩れ上と言えば、仙人佐々木コーチ曰く、最強の抑え方の1つ、ということだったはずなんだけれど。

検証してみると、最大の問題として、上体の圧力だけで抑え込んでいたことが判明した。
基礎運動の「這う」で、全身指先からつま先まで十分に意識が向いてないことの証明だった。
この日は2人から全く同じ質問をされて、上記の答えが当て嵌まっていたので、多分全体としての問題点だろうと思う。
でも今回気付けたから、次からはちゃんとやれるはず。
本当にツラいから、僕もできればやりたくない。
でもやればできることを知っててやらないのは、自分への敗北感でいっぱいになりそうで。
だから仕方なくやるんだと、そう思っている。


そして、練習終わりのミーティングで、コーチの依頼を受けて、応諾。
大まかに言って、1年ぶり2度目のコーチ復帰。
中島の代は幹部が2人で、チーム運営のためにも、借りられる力は存分に借りる、ということなんだろうと思っている。
僕の他にも、遠藤さん、小山、徳井もコーチとして起用されたとのこと。
近年稀に見る体勢かとは思うが、結果を吉とできるようにそれぞれが動いて噛み合わせていくしかないと思う。

北大校内にできたセイコーマート。
学生待望の24時間営業。

2階ではジンパもできるらしい。
21時頃だったけど、客も10人以上はいた気がする。
商売繁盛、金もがっぽり、いいねえ。


僕がコーチでなければならない理由、コーチが僕であるべき理由を、現役の皆さんが持ってくれれば幸いで。
僕は僕で、現役達を、中島の代、この代でどうしても勝たせたい、っていう想いを本当に抱けたら良いなあ。


立場が変われば僕は変わるのか。
良い影響を及ぼせるのか、僕の課題もできたところで。


おわり。

2018年7月24日火曜日

帰省録 その2

帰省2日目

朝に人吉を出て、故郷氷川町に向かう。
そんなつもりが、前日の練習で膝をやらかしたダンガンの治療のためにしばらく待機。
結局出発したのは昼前くらいだった。
加えて彼は、汗を流しに入った温泉に風呂道具を忘れたらしい。
まさに踏んだり蹴ったりであった。
きっと徳を積み方が足りなかったのだろう。

人吉市内の車窓から。
トラブル続きで若干沈み気味のダンガンと共に。


なんだかんだで、13時くらいに氷川町に到着。
数年前に氷川スマートICができてから、車のアクセスはかなり良くなっている我が故郷。
もう一人の旅の道連れ、清野とは道の駅 竜北で落ち合うことに。
合流してそのまま道の駅 竜北で昼食。
僕は確かちゃんぽんを食べた気がする。
まあまあ良い量と味で、北大の学食に次ぐくらいのお値段、コスパは良いと思った。

その後清野はガソリンを入れに行って、一旦我が実家へ行き、ダンガンカーを置いてドライブへ。
このあと2日間にわたり、ダンガンも含め、彼らは事あるごとに「八代ガソリン安くね?」と言っていた。
そうなのか八代、18年暮らしていて、そのポテンシャルには全く気付かなくてごめんな、と思った。

清野ご自慢のサンルーフ。ほこりまみれで汚ねぇ。

夏といえば…そう、海へ行こう、ということで一路南へ。

目指すは御立岬。

途中の道の駅 たのうらでは仁義なきソフトクリームジャン。
この時は確かダンガンのごっつぁんになった。
いやー、他人の金で食うソフトクリームは旨い。

ドヤる清野と敗者ダンガン。
底からもうしばらく運転すると、御立岬海水浴場。
海開き後なので、駐車場は有料になっていた、500円。

海。

海。あと僕。
膝の負傷でまともに動けないダンガンを海の家に置き去りにして、清野と僕は海へ。
清野はプール用の水着、僕はユニクロのステテコで、今回は特に、浜の視線を集めることはできなかった。
これが大人になるということ、落ち着いたということなのだろう。
期待してこの記事を読んだ方々には申し訳ないが、ねぶりたくなるようなサービス写真は無いので、あしからず。

というのも寂しいので、大OBを超えギガOBを超えて、ついにはテラOBと自称する清野ファンのために、オフショットを1枚。

鍛えていた胸筋も、今は脂肪が乗ってきて最早おっぱい。
いやー、手前のガラナが似合いますなあ。
殆どは家族客で、武器たるスイカも無い僕らはナンパをすることも無く、海の家のパラソルの下で思い出話をしていた。
なんてオトナなのか。
ただ、ナイスな水着レディが横を通ったときに、一同の会話が中断されたのはここだけの秘密。
そんなこんなで海も1時間ほどで切り上げて、帰路につくことに。


海の砂や塩、ドライブの汗を落とすのに、途中にある日奈久温泉に立ち寄った。
歴史のある温泉地で、種田山頭火が滞在したとか絶賛したとか、確かそういうことで有名らしい。
あと断層も通っているらしい。

温泉内ではお互いの社会生活の話に始まって、日本のこれからについての議論をしていた。
働くということ、僕らの将来像、日本の進むべき道、なんかについての真面目な話。
こういうことを書くと読者諸兄に疑われるのが当然かとは思うが、僕自身もこの面子でそんな話をするはずもないと思ったくらいなので、あれはもしかすると幻だったのかもしれない。

風呂上りにくつろぐ僕。
TVでは日本と台湾の高校生たちがハナミズキを歌っていた。

風呂上りには当然、ジャン。
日奈久名物、ちくわをかけての勝負。
負けたのは勿論、普段徳を積んでいない清野。
高いちくわを買おうと思ったら、夕刻ということでほぼ売り切れ状態だったのと、冷めていたのが少し残念だった。

後ろは今回利用した ばんぺい湯。

近くにはちくわのおこぼれを狙う猫がたむろしていた。
清野に撫でられていたものの、ちくわを貰えないとわかると即座に離れて行った。

その後は実家に戻って、ごちそうをいただいた。
肉と酒が大量で、胃もたれ必死なメニューだったけど旨かった。
「同期の頼みだけん!!」とゴリ押しして馬刺しを用意してもらい、僕もしれっとありつけたので満足。

実家。一応ぼかしとく。

途中、うちの祖父が色々と語っていたけど、方言100%なので2人にはそんなに伝わってなかったと思う。


満腹になったので、宴が終わったら僕は速攻で寝た。
明け方清野のいびきがうるさかった。
ということで第2部はこのあたりでお開き。


おわり。

2018年7月20日金曜日

練習参加 20180720

今日も行ってきた。
OJTも終わって、本格的に仕事に入ってきた職場の新人へのフォローもそこそこに、終業後速攻で着替えてチャリで道場へ。
近頃は札幌にしては気温が高く、30℃を超えた昼間の気温の残りを感じながら、道場へ着くころにはポロシャツに汗が滲むほどだった。

そういうわけで、体もそれなりに温まっていたので乱取にもすぐ入れた。
昨日は6分の1本だけだったのが、今日は6分の4本くらいはできたと思う。
乱取後はすりあげ。
スペシャル、すりあげなんかは、短時間でそれなりの強度の運動ができて、かつ全員で辛さを共有できるところが良いんだと思う。
あと、怪我のリスクがかなり低いし。

最後のメモの時間。
メモしても質問しても良くて、書く姿勢やメモの内容、形式なんかにも個性が出て面白い。


さてさて、練習後に佐々木さんを囲んでお話合い(と言う名の、、、)があったので、それについてずかずかと書いてみようと思う。
要は、退き際、退き方を考えている佐々木さんに、「待った」をかける会、だったと思っている。
僕の佐々木さんに対する印象としては、技の標準、というイメージが強い。
技を磨くとどうしても、個々の特性に合わせたものになっていくし、通常3年と少しのうちに成果をあげねばならない現役にとっては、多少の我流が混じるのが普通だろうと思う。
僕ら俗物な凡人達は、それでも結果を出せていれば満足するし、何も問題は無いように思ってしまう。
それが罠である。
仙人の銘が伊達ではないのが、佐々木さんは各技の、芯にかなり近い部分を捉えているように見えることだ。
芯に近い、というのは、僕自身が完璧な技を知らないし、そもそも存在すら怪しんでいるということなだけで。
佐々木さんの技への理解は、一般解としてのレベルが非常に高いものだと、僕は認識している。

話し合いの中で、佐々木さん曰く「技が変化してきている」とのこと。
僕はこれを、独自性が基礎基本の枠を崩した、という風に理解した。
この議論については、また別の機会に、思い出せば考えるとして、今日はその前段について考えたい。
どうして独自性が生じるのか、という問について。

僕の答えとしては、勝負をせねばならないくらいに弱いから、または練習が不足しているから、ということ。
勝負をする、勝ち負けの境で駆け引きをする、という時点で、1つの技としては未完成だということ。
完成した技は、駆け引きを赦さない一方通行的なもので、仮に相手の抵抗があっても、それが踏破可能なものでしかない状態に持ち込める術を内包しているはず。
それができない弱い僕らは、他の技と組み合わせや、独自路線に走ることで、当面の利益を目指しているに過ぎないのだと、そんな気がした。
そう考えてみると、佐々木さんの語る技術論も、また違って見えそうだ。


個人的な事情で、残念ながら話を最後までは聞けなかったのだけれど、帰りにチャリを漕ぐときにそんなことを考え付いて、独り蒙が開けた気になっていた。
集中とか興奮しすぎて事故にならず、無事に帰りつけて本当に良かった。
今日はそんなところで。


おわり。

2018年7月19日木曜日

練習参加 20180719

新体制になってから初の練習参加。

道場に着くと、先日引退したばかりの4年目もいた。
随分と活きが良いもんだなあ、と思った。
そういえば毎度の如く、「(仕事してるのに道場来るなんて)暇なんですか?」と聞かれていたのを思い出したので、彼らへの第一声は「お、暇なんだな」と言ってみた。
そうすると元女王の小島からはナチュラルに舌打ちされた。
やはり僕は小島に嘗められているのか、もしくは蛇蝎の如き者だと思われているのだろう。
そして困ったことに、その原因の心当たりは結構ある。


そんなことはさて置き、乱取に参加。
とは言いつつも、6分の乱取のラスト1本だけだった。
活きのいい1年目の町田と手合せ。
彼は体はデカいが案外柔軟性がある。
都度動きを読んで制さないと、もしテキトーにやれば、ゴロゴロと動かれるだけでも脅威になりそうだった。

その後はスペシャルやってストレッチ。
終了時のミーティングの最後には、それぞれが日々のメモを取る時間が用意されていた。
練習メニューを変えるのには苦労が大きいと思うが、毎年部員の状況は変わるので、変更するべきと判断したのなら、今までと違っても全く構わないと思う。


聞いてくれれば何かしらの答えは出したいし、協力はしたい。
ただ、引退すると道場に行く義務は無くなるし、行かない理由ができてくる。
そのうち行く義理も感じなくなると、行けない理由を探してしまう。
すると最後は、行こうと思うことすら無くなっていくのだと思う。

そんな風に多かれ少なかれ、人間って変わっていくものでしょう。
成長なのか消耗なのかは知らないけれど。
だから僕は、引退後も関わってくれる人たちは、大切の意思たいと思うし、僕自身も時間的な余裕があれば、基本は道場に行くようにはしている。
出来れば僕らを上手いこと使ってくれて欲しい。
応援はするし、できる範囲で支援もする。
けど結局、僕らは七帝のその舞台にあがることはもう無いから、主役は現役だ、ということだけは、現役自身も僕らOBOGも理解しておきたい。


いやー今日もそれなりにつかれた。


おわり。

2018年7月18日水曜日

帰省録 その1

7/13から17まで、実家熊本に帰省してきた。
いつもは全日程の半分ほどは実家でのんびりとしていたのだけど、今回は違った。
というのも、僕の同期が2人ほど九州で働いており、彼らと旧交を温める予定を組んだからであった。
本ブログは北大柔道部関連のものであるからして、彼らを登場させることに障害は無いと考えたので、恥ずかしい話を恥ずかしげもなく晒そうかと思った次第である。


さて、まずは時系列に沿って事実を記そう。
7/13の午前の便で新千歳から福岡へと飛んだ。
とは言っても11時ころの便で、空港についたのは9時ころ。
有休を取得していた僕は、週末の平日で慌しい人々を尻目に、ラウンジでゆったりと飛行機を待った。

新千歳のサクララウンジではサッポロクラシックが飲める。
おかきを食べると静かな空間が台無しになる気もしたが、可能な限り上品にいただいたのできっと大丈夫。

特に大きなトラブルも無く福岡空港到着。
実家の最寄駅までは福岡空港→博多駅→熊本駅→最寄駅となり、矢印の数だけ乗り換えが発生するのだが、もう慣れたもの。
と思いきや、熊本駅で在来線に乗り換える際、ホームが高架化しており驚かされた。
おお、知らずのうちに熊本も発展するものだ、なんて独りごちて、隣にいたJKに奇妙な者を見る眼で見られてしまった。

よく、九州と北海道ではどちらの女性が魅力的か、という問を与えられるが、正直好みによる、としか言いようがない。
持論としては、九州のギャルは活発な印象で、負けん気の強い溌剌とした人が多いように思う。
対して北海道は、どちらかといえば楚々としており、一見控えめに見えるが芯は譲らない、といった印象。
結局、女性は強かである、というのは同じな気もする。
そして最重要なのは、そんな魅力的な方々と僕には、特に接点は無いということ。

閑話休題。
家族に迎えに来てもらい、荷物を置いた僕は、ひとまず家でのんびり。
職場のある人吉で柔道するぞ!と言う同期の1人、ダンガンこと渡辺を待った。
19時頃に迎えに来てくれたダンガンの車で、一路人吉市へ。
道中互いの近況なんかを話しつつ、主に話は先日の七帝。
観戦の予定だったダンガンは、同時期に起こった大雨の影響で、札幌行きを断念したとのこと。
直接関わった後輩もいなくなり、北大柔道部入部時の札幌大会から1周もとうに過ぎたということで、これからは北大との関わりも次第に薄くなっていくかも、なんて話をしていた。


柔道は人吉市の体育館、人吉スポーツパレスだったと思う、での練習に参加させてもらった。
到着時には小学生たちの練習時間で、眺めていると自分が柔道を始めたころを思い出して懐かしくなった。
その後は中学生以上の大人の部。
久々の蒸し暑い道場での練習で、思った以上に疲れた。
自分の立ち技の実力不足を痛いほど感じた。
中学生に対して寝技で足抜きを返させて、油断したところをさらに下から返して抑え込む、なんて悪どい事をして、なんとか体裁を保った。
多少技術提供もしてみたけれど、一朝一夕で身につく物でもないので、種が少しでも根付けば儲けもの、くらいの気持ちでいる。


練習終了後は温泉で汗を流して、人吉の飲み屋街へ。
5,6軒の居酒屋が、ぽつぽつとあるくらいだろう、と思っていたら、300mくらいの飲み屋通りがあって、まさかの発展具合でびっくりした。
人吉市の皆様、侮っていました、本当にごめんなさい。
膝を痛めて、というか運転があるのでそもそも飲めないダンガンを横目に、酒を飲み焼き鳥を頬張った。

次の日もあるので、飲み歩きはせずに帰り、床につくとすぐに寝た。

「さしより麺だ」直訳すると「とりあえず麺!!」
3個下の某後輩を思い出させる。

次に行ったときは、あの面白そうな通りを満喫しても良いかもしれない。


長くなったので、キリよくこの辺で。


おわり。

2018年7月16日月曜日

僕たちはどうしても、過去の栄光に縋ってしまいがちだ

忘れられない過去、というものは、誰しもあると思う。
良いものであれ、悪いものであれ、強く記憶や記録に残ってしまうもの。
過去の栄光が、当人にとって良いものであるかどうかは関係なくて、ただ周りが勝手に盛り上がって、僕としては反応に困るところもあるので。
いつか正面から向き合って、受け容れたり、乗り越えられたりできればいいなあ、と思う。


ここまでの文章を読んで気付いた方もいるかもしれないが、本記事のテーマは、続編。
何の続編かというと、僕の過去の栄光といっても過言ではないこの記事。

夏といえば…

公開から6年近く経つ今も尚、北大柔道部ログにおいて人気記事トップ10に入り続けるレジェンド。
優秀な素材を基に、僕が編集した、大事なことなのでもう一度言うが、僕が編集した記事。


そういうわけで、7/13~15、僕の故郷九州にて、この時の同期3人で過ごした阿呆な時間を、恥ずかし気もなく当ブログで晒します。
きっとあの記事には敵わないだろうし、プラスのんびり書いていくので、気長にお付き合いいただければ幸いかと。

以下はダイジェストということで写真たち。


人吉の飲み屋街にて。

車内。

夏といえば……海‼
ポロリはなかったよ、たぶん。

猫の表情から苛立ち以外を感じない@日奈久温泉。

幸薄い系OB共のおみくじの結果は如何に。

滝。

そんなこんなで、のんびり書いていきます。
近日公開予定、もしかしたらいくつかに分けるかも。


おわり。

2018年7月13日金曜日

結果について思うこと

最初に、この話の原点は七帝だけど、その他何でも当て嵌まることだと思う。
望んだ結果を得られなかったことに対して、僕らは誰かに、または自分自身にどういう言葉を掛けるべきか、ということ。
最初に断わっておくと、僕も答えは持っていない。
それでもそんな状況が発生してばかりの、ハレの日の少ない人生を生きている以上、何とか向き合っていかないといけないとだけは、折に触れて思っている。


結果は否応無く顕れる。
それに対して評価するのも自由。
結果ではなくて、と過程を重視するのも自由。
僕らは大抵、臨んだ結果を得られることの少ない生き物だから、結果の代替案としての過程が重視されるのも分かる。

でも、我々が行動をしていく、過程を刻んでいくその最中に、どれだけ過程について重要視していたんだろうか。
僕は、少なくとも本気でやったことに対しては、ただただ結果が欲しかった。
最低限の、自分なりの美学とか矜持を残せば、それ以外は踏み台にして已む無し、とか思っていたような気もする。
だから僕は人でなし側に分類される人種らしいのだが。


過程に対して、それなりに価値を見いだせる人ならいいかもしれないけど、欲しかったのはいつだって結果だったろう。
それを過程の話にすり替えられたり、副次的な別の成果を提示されるのは、僕個人としては、努力していたその時々に失礼なんじゃないかと思ってしまう。
あの時に「キミにはこんな、今のキミからすると不本意かもしれないけど、多少の慰めはある未来が待っているよ」なんて言われたとして、僕はそいつを全力でぶん殴って、そうならないみちを必死に探す選択をするだろう、とか考えてしまう。


まあ、こう言いつつも、結果について話をすればきっと、大なり小なり過程の話をしてしまう。
それはもう、僕に深い思考能力だったり言語能力だったりが不足しているからある程度しょうがない。
けど、「過程を持ち出した慰めは、結果を目指していた過程そのものを、ある種踏みにじっていること」は忘れないでおきたい。
踏みにじって尚、それでもその人に伝えるべきことがあるとして、なるべくならそれを探したい、とは思う。
結局努力目標で、きっと一生到達できないとも思うのだけれど。

ということで、今回も話はまとまらなかったけど。


おわり。

2018年7月9日月曜日

七帝戦おわり

7年前の札幌大会から始まった僕と七帝柔道との関わり。
今年は8年目、つまりは2周目の始まりということだった。
北大主幹ということで、僕も審判長補佐という身に余る肩書を与えられて運営側の人間として動いていたわけだが、なかなか手も空かなくて、学生たちをしっかり見る余裕がなかった。

結果から言うと、北大は男子が最下位、女子が4校中3位ということで、この代の幕は閉じられることになった。
7分の1になることのできなかった、その他大多数ということ。

女子の試合については、審判として働いていた関係で、残念ながら試合の1つとして見ることは出来なかった。
OBOGその他の方々の話を聞くに、アツい展開があって、オーダーの違いですぐにひっくり返るくらいの差でしかなかったということらしい。
男子にも、ある程度同様のことは言える。
今年は明らかに突出したり、見劣りしたりする大学はおらず、オーダーの妙を特に強く感じた年だったように思う。
ただ、2日目に残るかどうか、優勝を勝ち取れるかどうかの線引きは確実にあって、北大はその前者で、既に引っかかっていたのだろう。
そんなところで、いくつか思いついたことを、羅列してみる。

・ミスを挽回できるかどうか。
勝つチームは、ミスを取り返すことのできる大学だった。
北大は、残念ながらミスがずるずると連鎖し、尾を引いてしまう展開になってしまっていた。

・一体感のレベル。
現役内、指導陣を含めたチーム内、もっと言えば普段から何かと関わるような人たちの中での意識共有が甘かったような気がする。
試合上に上がった選手が何をするのか、何を求められているのか、相手選手に対して何ができるのか、それとも相手の柔道スタイルに関わらずにやることは変わらないのか、僕個人は正直に言って、そこは把握できていなかった。
選手にアドバイスしようにも、場当たり的なことしか言えないことも多く、むしろ何も言えないんじゃないかとも思った場面もあった。

・ファイターなのか、コレクターなのか。
現役部員の潜在意識として、闘う心構えができていなかった。
七帝柔道だけでもないが、勝負は我の押し付け合いのような側面も多分に含んでいる。
技術が要求される寝技において、多様な技術のコレクターであることは強みと言える。
ただ、常に100点の解を探していられるほど、時間的、精神的、身体的に余裕のある選手はそうはいない。
80点でも、なんなら30点でも、自分の信じた解を主張し続ける方が、対戦相手としては厄介に思うような気がする。


さて、話はまた変わるが、今回の七帝では、大学を問わず、頑張った選手達が活躍していた。
普段の積み重ねができている選手、ともすれば思考放棄できてしまう単純な動き1つ取っても、意識してやってきたんだろうなあ、と思わせる選手が何人もいた。
僕が見れた狭い範囲だと、九大仲原君、京大細江君、松尾君、名大石川君らが、それにあたる。

試合前のアップを観れば分かるが、基礎運動や打込、反復のレベルが高い人は強い。
機能美ということだろうか、理に適った動きや意志のこもった動きは見ていて気持ちが良い。
上には敢えて挙げなかったが、東北大学の基礎運動はやはり安定して巧く、代が変わってもレベルを維持し続けているのは本当にすごい。
東北大学の4年目の選手は、体格に恵まれたタイプではないが、戦いぶりが非常に安定していて、全体のレベルとして北大との差を如実に感じた。
彼らの、自分の型に嵌めるまでの迷いのない動きぶりには、審判として観ていても思わず鳥肌が立つ程だった。


何はともあれ、今年の七帝も終わった。
それぞれが、栄光や挫折、感動や後悔を得て、また1年が始まる。
次は九州、福岡にて。


おわり。

2018年7月4日水曜日

調整 【現役紹介】

気付けば七帝まで1週間を切った。
ここまで来ると、人事は尽くしたはずで、あとは天命を待つのみ。
こう言うと語弊がありそうで嫌なのだけれど、これは決して、「勝負は時の運」って言っている訳ではない。
もしそうだとしたら、「練習量が全てを決定する柔道」を目指している身として、あまりにも救いがない。
勝敗を分けるのはいつだって、自分たちの積み上げた選択の良し悪しや、その多寡であるべきだと思う。
だから、天命っていうのは僕みたいな「終わった人間」が「覆らないこと」に対して適当っぽい名前を付けただけのこと、つまりは言葉の綾。


さてさて、先週は忌々しくも会社関係の都合もあって練習参加は土曜日だけだった。
午前練だったけれど、朝に洗濯機を回したらちょっとした不具合があって時間を食って、開始時間に遅れてしまうというプチ不幸。
まあそれはいいや。
追い込みラストということで、乱取にも熱が入っており、僕も良い刺激を貰えて、それなりに動けた気がする。

昨日は、仕事が上手いこと進んだので小雨の中チャリを駆って道場へ。
調整機関に入ってきたということで練習量は少なくなっていたが、個人個人でうまいこと調節して研ぎ澄ましていってほしい。


そんなこんなで、現役紹介、幹部部員もラスト(もし漏れとかあったらごめんね)。
水産主将の松本。
音楽はロックが好きで、その中でもどちらかというと反社会的な匂いのする奴らが好き(な気がする)。
つまりは僕と似たような系統で、ということはバンドを組んでも解散するリスクはきっと少ない。
コミュ力に長けていて、同期内での調整役をしていたような印象がある。
函館に行ってからは、流石に距離の問題もあるし、難しかったとは思うのだけれど。

見た目的には、長身かつスマートで、目鼻立ちは濃く、昭和の名優感が漂う。
同じく昭和の名優としては、僕と近い代だと宮竹がいたが、彼は強面系で、松本は優形、といった違いがある。
戦隊モノだとブルーかグリーンの立ち位置だと思う。
動物に例えるならラフコリー。

ラフコリーと言えば名犬ラッシー。けどラッシーはメスらしい。
仔犬の相場は\150,000~っぽい。松本の相場は勿論プライスレス。
血統書の備考欄に書くとしたら、巣鴨高校出身というのは1つの重要なポイントかも。

迷える仔羊たちを導くのはきっと得意。
対象が自分自身だと、ちょっと苦手なのかもしれないけど、後は覚悟を決めるだけ。
ここまで来たら、覚悟の多寡を誤ることも無いでしょう。
「勇気」とは「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすること』ってかの男爵も言ってたし。
七帝柔道では次に何かを託すことはきっと茶飯事だけど、流石に胴体真っ二つにされたり血のシャボン玉(解毒ピアス入り)を作る羽目になったりはしないはずなので、そこは安心してほしい。


おわり。