2018年7月20日金曜日

練習参加 20180720

今日も行ってきた。
OJTも終わって、本格的に仕事に入ってきた職場の新人へのフォローもそこそこに、終業後速攻で着替えてチャリで道場へ。
近頃は札幌にしては気温が高く、30℃を超えた昼間の気温の残りを感じながら、道場へ着くころにはポロシャツに汗が滲むほどだった。

そういうわけで、体もそれなりに温まっていたので乱取にもすぐ入れた。
昨日は6分の1本だけだったのが、今日は6分の4本くらいはできたと思う。
乱取後はすりあげ。
スペシャル、すりあげなんかは、短時間でそれなりの強度の運動ができて、かつ全員で辛さを共有できるところが良いんだと思う。
あと、怪我のリスクがかなり低いし。

最後のメモの時間。
メモしても質問しても良くて、書く姿勢やメモの内容、形式なんかにも個性が出て面白い。


さてさて、練習後に佐々木さんを囲んでお話合い(と言う名の、、、)があったので、それについてずかずかと書いてみようと思う。
要は、退き際、退き方を考えている佐々木さんに、「待った」をかける会、だったと思っている。
僕の佐々木さんに対する印象としては、技の標準、というイメージが強い。
技を磨くとどうしても、個々の特性に合わせたものになっていくし、通常3年と少しのうちに成果をあげねばならない現役にとっては、多少の我流が混じるのが普通だろうと思う。
僕ら俗物な凡人達は、それでも結果を出せていれば満足するし、何も問題は無いように思ってしまう。
それが罠である。
仙人の銘が伊達ではないのが、佐々木さんは各技の、芯にかなり近い部分を捉えているように見えることだ。
芯に近い、というのは、僕自身が完璧な技を知らないし、そもそも存在すら怪しんでいるということなだけで。
佐々木さんの技への理解は、一般解としてのレベルが非常に高いものだと、僕は認識している。

話し合いの中で、佐々木さん曰く「技が変化してきている」とのこと。
僕はこれを、独自性が基礎基本の枠を崩した、という風に理解した。
この議論については、また別の機会に、思い出せば考えるとして、今日はその前段について考えたい。
どうして独自性が生じるのか、という問について。

僕の答えとしては、勝負をせねばならないくらいに弱いから、または練習が不足しているから、ということ。
勝負をする、勝ち負けの境で駆け引きをする、という時点で、1つの技としては未完成だということ。
完成した技は、駆け引きを赦さない一方通行的なもので、仮に相手の抵抗があっても、それが踏破可能なものでしかない状態に持ち込める術を内包しているはず。
それができない弱い僕らは、他の技と組み合わせや、独自路線に走ることで、当面の利益を目指しているに過ぎないのだと、そんな気がした。
そう考えてみると、佐々木さんの語る技術論も、また違って見えそうだ。


個人的な事情で、残念ながら話を最後までは聞けなかったのだけれど、帰りにチャリを漕ぐときにそんなことを考え付いて、独り蒙が開けた気になっていた。
集中とか興奮しすぎて事故にならず、無事に帰りつけて本当に良かった。
今日はそんなところで。


おわり。

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