2018年8月31日金曜日

じわじわくる 20180831

どうやら今週は崩上四方と這うの週ということだったらしい。
昨日は佐々木コーチと宮武総監督の、今日は清田監督による講習が行われていた。
傍から見ててもかなり勉強になった。
見てるときは、違いと共通点探しから始まって、その背景に何があるのか、知識・理想・個人差を絡めた結果を想像してみてる。
そういう思考をするに十分な、或いはそれ以上の見本を、それぞれの先輩方は示してくれていた、有り難いねえ。

事の仔細を述べようとしても、僕の理解力や文章力では限界があるのは明白なので、擬音で表現したいと思う。
宮武さんのはガシィッ!!って抑え方で、固められるとカハッ...!ってなる。
清田さんのはクイッ...スンッ。ってなって、グぬぬぬってなる気がする。
現役の抑え込みは、彼らの平均値だとカパッ、ギュゥゥゥって感じで、動くとグイグイ行ける気がする。


僕のここ2,3年の嗜好として、シンプルさと機能美ってのがある。
這うだけ、腹這いになって前に進むだけの行為に、どれだけのものを詰めるのだろうか。
僕らは大したレベルでもないけれど、何かを突き詰めていけば、伝わる人には分かってもらえるくらいの自己表現は可能になる。
こう、ただ在るだけで伝わる、とか、立ち振る舞いでピンとくる、とか良いよね。
だから、飾りはそんなには要らなくて、芯から発する何かがある、ってのが僕の一つの理想。


そういうことで、非才の身として一歩でも半歩でも、ちょっとずつやってくしかない。
たまに一切合財ぶち壊して、自分も周りも消し去ってしまいたい衝動がわいてくるけど、美味いものを食ったり、一晩寝たりしたら大抵忘れるので、きっと現代社会の許容範囲には入ってると思う。
僕は感情の薄い人間だけど、そういうことを考える時もある。
日本が銃の所持を禁止している社会で良かった。

でもたまにならそんな、感情のタガが外れる瞬間ってのが、あってもいいよなーなんて思う。
今までの僕の人生で、一度としてあったのか、ちょっとわからんけど何と言うかひとつの憧れ。


おわり。

感性は光るものではなくて磨くものらしい 20180829, 20180830

抑え込みの話。
最近テーマ別で30秒抑えをやっている。
これを始めたばかりの頃は、誰に抑えられても逃げたり返したりができていたけど、最近はかなり辛くなって、抜け出せないことも増えてきた。

「どうやったら抑えきる(または抑えきられない)ことができますか?」という質問も受けたし、それに対する技術的解答は2,3個は多分言える。
やれ脇の締めが甘いだの、腰が落ちてないだの、つま先で踏ん張れてないだの。
身も蓋も無い言い方をすれば、フィジカルが足りない、とか。

僕らが、技を磨きたいだけの人たちなら、思考と試行を繰り返して技を最適化して、理合を掴むことに終始するべきなのかもしれない。
ただし、七帝で勝ちたいというのであれば、そこに色んな制約が加わってくるから、物事はそう単純にはいかない。
人的、物的、時間的資源は限られていて、すべてを満たすことは基本的に無理。
だから優先順位をつけて、選び取っていかないといけない。
選び取るのも簡単ではなくて、知識とか経験をもとに理を詰めていく。
でも、最終的には完成なのかな、と最近は思ってきた。
「多分これが良い、なんたって何となくしっくりくるし」程度でいい。
あとは信じ切ればいい。
間違ってたらそれはもうしょうがないけど、物事が決まったら一旦受け容れてみることが重要なんだと思う。
中途半端に距離を置いたって、見聞きはできても触れられないなら、扱えないなら学び取れることはかなり少なくなってしまう。
そうやって少しずつ、スキマを埋めたり、角を立てたり取ったり、土台を大きくしたり、たまに枝がぽっきりやられるとかの挫折もしたりしつつ、前に進むのかなあ、なんて思う。


僕自身柔道に関わって15年以上になるけど、ここ1,2年でやっと分かってきたことも多い。
何をやっても同じで、物事に終わりは無いんだろうなーと思う。
強制終了とか諦めるのは比較的楽にできるけど、どうせ次の何かに苦労するのは確定的だし、それならまだ納得のいく分野で苦労したら、それはそれで幸せなのかもしれない。


おわり。

2018年8月30日木曜日

たまには気の抜けたことでも話してみたい

先週末は千歳で体重別の試合だった。
僕は審判として参加。
学生たちは、日ごろの練習の成果を出しにくい環境での戦いで、僕も束の間の非日常に浸っての審判。

結果、戦績としては私立じゃないならまあこんくらいだよねってところ。
個人戦は大体の人が初戦敗退、団体も4校中4位。
「なんて結果だ!全く不甲斐無い奴らめ!」
なんてことは一切思ってなくて、思うとすれば、
「それぞれが試合前に掲げた目標の達成率はどんなもんかなー」
ということ。


正直、僕自身が現役の時に体重別とか優勝大会とかにそんなに興味もなかったので、本当にお試し気分だった気がする。
前々強くもなかったから、セミプロの人とアマチュアの僕で試合やってもなあ、とか思ってた。
北大で個人戦全国クラスっていうのも、5年に1人とかそういうレベルだし、そういう人って入部段階から強いってのはあるし。
少なくとも、僕はそっち側の人間ではなかった。
実際に、3,4年目の時でも1,2回戦で終わってたはず。
後は、そうは言っても相手もいてこその競技だし、その人たちにとっては大事な試合なのかもしれないから、最低限の礼儀だけは弁えよう、というのはあったけど。
世間一般的に、僕らって強くはなくて、一般人よりは上だけど、一般人が思う「武道○年やってましたー」ってレベルよりは落ちる気がする。


あと、試合見てて思ったのは、そんな亀にならなくていいかな、ってこと。
ただでさえ立って勝てやしないのに、寝ても亀で耐えるしかないんなら、国際ルールだと消極的ってことで指導取られて負けるしかなくなってしまう。
せっかくだし、どの体勢からでも、寝たら正対しにいけば、何かできるかもしれないし、展開してるって捉えられて時間も稼げると思う。
審判もウチの関係者以外だと、正対の攻防なんてあんまり見ないだろうから、ごちゃごちゃ動くだけでも「うーん止めてもいいのかわからん」って思ってくれるかもしれない。


ここまで全然気の抜けたことを書けていないけど、まあいいか。


おわり。

2018年8月24日金曜日

現状を考える 20180823

昨日の昼のこと、主将の中島から「練習後にミーティングやります」との報を受け、ちょうど仕事も定時であがれそうだったので承諾、言葉通りに18時過ぎに道場へ。

土日の体重別を控えてか練習量は少なく、5本の乱取の、後半3本だけ参加できた。
参加できたのは良いけれど、近頃は手を抜いたり、力を抜いたりすることも多くなっている。
つまり今の現役の人達は、相対的なレベル差として、僕は気を張らなくてもまあどうとでもできるレベルということ。
というか、がっつりやりすぎると体力的にも怪我のリスク的にも、仕事に障る可能性が高い。
「会社との契約上ちゃんと働けるようにしとかないといけない」という逃げ道を用意した上で、練習に参加してしまっている。
まあ要は気持ちの問題で、今はいろんなスイッチが切れている、省エネモードだということ。
「北大が優勝するところを見たい」とは思うけれど、その期限はもういつだって良いような、そんな状態。
身も蓋も無い言い方をすれば、「そのうち頭数×実力が突出した代が出てきて、なんか知らんけど多分頑張って優勝しましたー」ってくらいでも満足なのかもしれない。


現状、七大学の中で北大は最下位くらいのチーム力で、とりあえず弱い。
ミーティングで現役一同に周知されていることなのでここでも公表するが、今現在のチームで、先の優勝校京大の決勝戦の布陣に突撃させれば、自陣に贔屓目で見ても7,8人残しでボロ負けすると思う。
そして気の毒なことに、1年後ふつーにやって成長したとして、8人残しが4人残しになるくらいかと思う。
というかそもそも、まず2日目に残れるか、1勝できるかどうかということから怪しい。

だから、「優勝するには人間社会から一旦外れるくらいのことをやらないと実現できなさそうです。でも僕らはそこまでして勝ちたいとは思えません。適度に厳しく、メインは楽しくやれて、格下相手でも分けたりもしかしたら取れたりできれば十分です。」って言われれば、それもまあ納得できる。
いいんじゃないかな、現代の人たちっぽくて。
そういう思考も有りだし、あって然るべきだろう。
本気で色々と賭けて動くのは疲れるから、手頃な目標で身の丈に合ったことをして。
だけど「大学時代は運動部に入って週6で練習してました、頑張りました」って就活の面接でアピールもできるし。
割と良いことづくめだね、充実してそう。
否定はしないけど、もしその上で尚「勝ちたい」とか言うのなら、吐き気がするから、そんなことさえしなければまあご自由にどうぞ。

真剣に戦力差を考えて、きっと絶望して、それでも勝ちたいから、制限時間がある中で考えて、考え不足でも動かざるを得ないから何とか形にして表に出して、「もっと他に良い方法があったはず」って自分でも思うし周りからも詰られて、「一つ一つ進めば」って思えばその一つの間にいくつも別の問題が起こるし、そのうち勝ちたいんだか勝たねばならないんだかの境界も曖昧になって、ふと冷静になってみたらチームにも自分にもアラがあることに気付いて、また考えて絶望して。
僕が色んな人に問いたいのが、「そこまでして七帝で勝ちたい(勝ちたかった)ですか?それだけの価値があります(ありました)か?」ということ。
今の現役部員に言いたいのは、「弱いあなた方は、そこまでやって初めて、勝てるかどうかの土俵に上がれるレベルでしかないよ」ということ。


路傍の石ころの僕らが、似た者同士とはいえ7分の1の特別を目指すなら、それに触れたいなら、確実に掴みたいのなら。
正解は分からないし、正答例も実際に見たことは無い。
けど、その辺見渡したら、僕ら程度を磨くためのものはいっぱい落ちてる気がする。
ただし、それらがなくなるのは確実だし、どれがいつ消えるのかは誰にもわからない。


こういうことをいつも考えているわけではないし、そんなことをしてたら社会に磨り潰されて参っちゃうのは確実だけど、一日のうちの何分だとか、週に何回だとかなら考えないと、生きている感覚がなくなる気がする。


明日、明後日は体重別だけど、そういえば台風は大丈夫だろうか。
起きたら土砂降りとかは遠慮したい。


おわり。

2018年8月19日日曜日

帰省録 その3

長くなってしまったけど多分この回で帰省録と言う名の珍道中も終わりになるはず。
僕自身も流れをだいぶ忘れてきているので、ちょっとおさらい。

1日目。
午前の便で福岡へ、新幹線と在来線で地元へ。
午後からダンガン渡辺と合流、人吉で柔道をする。
暑いわ強い人もいるわ湿ってるわ暑いわで、あまり心地好くない懐かしさを感じる。
渡辺は膝を痛めてたけど、そのあとは人吉の夜の街へ。
思ってたより5倍は栄えてた。

2日目。
膝の怪我の為、渡辺が接骨院にピットイン。
遅めに出て、昼過ぎに僕の地元付近で自称テラOBの清野と合流。
夏といえばということで海へ行くも、あまりはしゃぐことなく終わる。
清野のあの、幾人もの方々を魅了した往時の大胸筋は、もはやただのおっぱいになっていた、Bカップ。
帰りに日奈久温泉に寄って湯治、野良ネコが名産のちくわを所望していたけど、あげなかったらそっぽ向いて何処かへ行った。
実家で御馳走にありつく(お客さんが来るということで普段より豪華になってて満足)。


そんなこんなで3日目。

特に何も決めていなかったけど、ドライブに行くことに。
車は清野と渡辺のの2台があったが、「1台で行こう」と言うことで一旦人吉へ。
人吉で渡辺の車を置いて、清野カーに乗り込み、目的地は霧島へ。

実家の牛と清野と渡辺。
清野の農家感がバッチリ。


渡辺には目もくれずに飼料を食む牛たち。
カープTシャツの赤は全く気にならなかったのか。


人吉からの発車後、飲み物が要る、ということでコンビニに寄ることに。
勿論ジャンをやる流れに、そして曰く、「森本がそろそろグーを出したくなってきてるはず」。
続けて曰く、「あ、確かに、俺もそろそろ森本がグー出したくなる頃だと思うわー」。
お判りいただけただろうか、これが同期愛の名を騙るハイエナどもがよくやる手口である。
このハイエナどもは同期3人であることを良いことに、多数派を形成し数の暴力で僕をやり込めようというのだ。
そうして土台を作ったところで間髪入れずに仕掛けてくるのは流石と言うべきか、このゴミどもめと言うべきか。

「飲み物ともう1品ならいいんじゃないか」
ーまあそれくらいなら、、、
「金額の上限は無くていいか~」
ーいや合計で300円までなら、、、
「ぴったりって難しくね?消費税くらいならいいだろ」
ーうーーーん、、、
「じゃあ大体300円くらいで」
ーいやダメだ、税込合計額300円まで!

こうして「349円(税抜)までは大体300円だろ」という流れを回避できた僕は一安心した。
そしてなんだかんだグーを出す羽目になるのは回避できていなかった、ええーいこのゴミどもめ!


そんなこんなで、まずは霧島の手前にあるえびの高原へ。
高原らしく割と涼しめで、札幌には劣るが過ごしやすい天気。
硫黄山の噴火の影響で入山規制がされており、足を引きずる渡辺もいるのでミュージアムセンターと物産館を見物して終わる。
物産館では清野がソフトクリームを貪っていた、これがデブエット。
あとは行ってないけど、トレッキングコースやらキャンプ場なんかもあるらしい。

奥に噴煙が見える。


そろそろ昼も近くなるけど、とりあえず山を下ることに。
次は霧島神宮を目指す。
途中、車道すぐ横の藪から鹿が跳び出してきたが衝突せずに無事回避。

中央付近に鹿。

スマホのズームマックス、けど顔だけきれいに隠れてる。
インスタ映えするような盛り写メでないと撮られたくない、ということか。

何はともあれ無事に下りきって、霧島神宮へ。
ここでは普通にお参りをした後、おみくじで勝負することに。
「運勢の悪い奴は日ごろ徳が積めてないからだ。徳を積むには他人に良くすることだ。つまりは飲み物をごっつぁんしてあげるとか」
結果は1. 渡辺(大吉)、2.僕(吉)、3.清野(末吉)。

結果発表。

僕のおみくじ結果。当たり障りのないことが書いてあった。

この後清野は神域でふしだらな発言を繰り返して、階段に躓いて足首を軽く捻っていた、僕は神の存在を身近に感じることができた、、、。


この時たしか12時も過ぎていたので、道の駅霧島のレストランで昼食に。
飲み物という指定だったので、食べ物の他に一番高いブルーベリージュースをオーダー。

1人だけ何とも言えない表情で飲んでたけど、美味いジュースだった。


そして今回最後の目的地、渡辺お勧めの曽木の滝へ。
東洋のナイアガラを自称しているとのことだが、ググると日本各地に東洋のナイアガラはあるらしく、ちょっと期待薄だった。
とりあえず駐車場に車を停めて、土産物屋や飯屋を見てジャンの心構えだけはしておいた。

思ってたのの7倍くらいデカかった。

幅210m、落差12mらしい。

記念撮影。

「マイナスイオンが呼んでいる」とのこと。
真実は多分、近くにいた他の観光客(女性)を見に行っただけ。

清野?いやサルだった。

滝の観賞を終え、仁義なきジャン。
「ここで負けた奴が真の敗者な」
という「最後の得点は100万点!」みたいなノリで、負けたのは僕だった。
白玉ぜんざい(冷やし)を注文。


他人の金で食うぜんざいは美味そうだなぁ!

テイスティングしてるつもりなのかもしれんが、
どう見てもただの冴えないしかめっ面だからな。


このあとは人吉で渡辺を降ろし、僕も実家で降ろしてもらって解散。
と、実はその前に、実家最寄のIC直前のSAで、最後の最後、清野と一騎打ちのジャン。
情けなくも返り討ちにあい、通算成績は6戦3敗。
ソフトクリームをごっつぁんしてあげる。
プレミオとかいう名前だったと思うが、甘さがくどかった気がする、不味くはない。


現役引退して社会人になって、金を持ったことで更に性質が悪くなった僕らの小競り合いもひとまず終わり。
道中互いの近況報告や、現役時代の昔話も面白かったけど、ここで披露するにはちょっと違うのでやめておく。

友人と言うのは何となく憚られるけれど、友人以上に話せることは多い連中で、この関係性にしっくりくる名前は、今のところ僕は知らない。


以上、同期と過ごした2日半の記録。
思えば最後まで食ってばっかの道中で、札幌に戻って2,3日は体が重かった。
また機会があれば、ここに書いても恥ずかしくない記憶を残せたらいいと思う。
多分無理だけど。


おわり。

2018年8月18日土曜日

柔道部は現在オフ期間

先週末の土曜の練習を終え、山内筋トレを終え、お盆。
僕の会社はお盆休みは無いから、先日札幌に帰郷していた研究室時代の同期とも会いそびれて、その期間の雨も相まってちょっと沈み気味な平日を過ごした。

話を戻して、山内筋トレについて。
筋トレと言っても、内容は走って跳んでという、単純に下半身のトレーニング。
ただ、時と場所が、日曜の昼間、家族連れで夏休みを楽しむ方々の数m先というだけ。

レジャーを楽しみに来られた方々とは対照的な絵面だった気がするけど、我々にそんな事を気にする余裕はきっと無かった。
けど、見知らぬ一般の方から「頑張れ」と声をかけていただくシーンもあって、今思うと有り難いなあ、としみじみ。

個人的には、今の自分がどれだけ自分自身を追い込めるか、というのも1つのテーマだった。
それで結果と言えば、目を背けたい事実が、やはり浮き彫りに。
単純に劣化、身体能力と、克己心の純然たる減退。
理由もいたって単純で、練習量と質の低下。
基礎運動はせずに乱取だけやって、余分な力の抜き方とか、誤魔化し方だけ上手くなった結果。


走ることを例にとっても、呼吸と思考と体の連動ができなくなって、ペースは落ちていくし、踏ん張りが効かなくなってくる。
ランナーズハイになることも無く、ただ苦しいだけで、しかもそれを乗り越える気持ちもなかなか湧いて出てこない。
それでモエレ山をそりとびで登るときになると、中腹まで来たところで動けなくなった。
現役の頃はそういう風になっても、自分で頭のねじをぶち切る事ができていたように思うけど、今回は無理だった。
現役がどんどん登るのを見つつ、よたよたと跳ぶことしかできなかった。
一番怖いのは、そこで悔しいって感情があまり前に出てこなくて、単に思考停止状態になっていたこと。
別に熱中症とかでもなく、強いて言うなら、休日に家事をしようと思ったけどなんとなく半日布団から出ずに過ごすとき、に似たような感覚だった気がする。


まあ、そういう不甲斐無い感じだったけど、翌日からしっかりと筋肉痛になって、つい一昨日くらいまでふくらはぎが痛かった。
あと姿勢制御に使ってたからか、腹筋にも反動が来てた。

こういうときに、是が非でも自分の身体と向き合うことになるので、そういう観点で山内さんによる指導は活きてくる気がする。
あんまり思いつめても神経衰弱になっちゃうから、ずっと向き合いはしないけど、ふとした時に。

ちょっとまとめ方もわからなくなってきたのでこの辺で打ち切り。


おわり。

2018年8月10日金曜日

横三角 自論と解説 動画付き

以前予告していた(?)横三角について、動画を撮ってきたのでここに載せておく。
我らが仙人からは、今現在までついぞ合格をいただいてはいないのだが、そこには目を瞑っていただいて、ひとつの参考にでも使ってくれるとありがたい。
そのうち、僕の横三角にどんどんケチをつけてくれるような人が現れれば、幸いかと思う、まあ悔しいけど。


ということで以下僕がやってる横三角。
受は4年目の川上、撮影は同じく4年目の岡本にお願いした。
この場を借りて、2人には礼を言いたい、ありがとう。


まずは(1)開いた側から。


ここで言いたいのは3つ。
  1. ねじ込んだ足の使い方
  2. 返した後の腰の切り方
  3. 受の苦しそうな表情

1.で言いたいのは、は所謂お姉さん座りの体制になり、ねじ込んだ膝を相手と密着させて、それを離すことなく相手を頭を軸にして返す、ということ。
これによって返す際に逃げれられたり、勢いよく回転して逆転されたりということを防ぐ。
つまりは技の各段階で、途切れることなく相手の動きを自分の支配下に置くということ。

2.は、返した後の相手の動きを封じるということ。
この際の相手の動きは9割方ブリッジによるもので、それには頭を反らさねばならない。
そこで、逆に相手を俯かせる方向に力をかけてブリッジを防ぐ。
僕自身は、じつはこれは苦手で、実戦においては相手を制しきる自信がない。
上手いこと体を捻って力を出す、という感覚があまりない。
元来立ち技で腰技や内股のような、腰を捻るような動きをしていなかったのが原因だと思っている。

3.は、受にとっては申し訳ないがどうしようもない。
横三角に限らず、亀取の手法の多くは、相手を痛めつける要素が少なからず入っている。
名人や達人と言われるようなレベルであれば、相手の身体反射や駆け引きでもってするりとやれるのかもしれない、とは思う。
つまり、僕ら凡才且つペーペーの若造どもにはかなり難しい話と言わざるを得ない。
ということで、亀取ができるようになってくると、自然と反復では余るようになる。
1mの距離にいて目もばっちり合ったギョロ目の板前が、普段の3倍はあろうかという速さで別の相手と組みに行き、他の後輩達にも避けられ、仕方なく道場の対角線上にいた同期のゴリラとお互い苦しい技を掛けあう羽目になった経験は、僕の自前の指では足りないほど有る。


次は(2)亀の頭側から。

先ほど言った、(1)-1.のねじ込んだ足の使い方、が見易い角度かと思う。
足をねじ込んだ段階で、その膝の向きが、あと5~10°返す方向に入るともっと美しい気がする。


次、(3)取の背中側から。

ここで言えるのは、
  1. 返す前の腰の高さ
  2. 腕を縛る際の上体の使い方
1.では、腰(尻)が完全に落ちていることが重要。
つまりは相手の頭を固定している、ということで、返す際の軸を確保している。
この軸がぶれると、返す際の回転半径が大きくなり、相手の動く空間ができてしまう。
それによってコントロールが甘くなって逃げられたり逆転されたりするリスクが高くなる。


2.については、具体的行動としては、上体を屈めている。
上体で壁を作ることで、縛りたい腕の動作可能な空間を削っている。
ただし、ブリッジに対して弱い体勢でもあるので、実際に使うときは注意されたい。


最後、(4)亀の背後側から


ポイントは、
  1. 返す際の相手の回転の順序
僕の持論として、横三角の返しが成功するときは、頭→上半身→下半身の順に回転している気がする。
返せるけど逃げられるときは、回転の途中で相手が腰を切り、その下半身が先に着地していることが多い。
つまり、返すまでのプロセスのどこかで、相手のコントロールが不十分になっているということ。
それでも、身体能力で勝っていれば無理矢理に、経験値が豊富であれば相手の動きも加味した体捌きなんかで対処はできるけれど、基本は相手に動く隙を与えないことがベター。



そういうことで、僕なりに横三角について多少のまとめをしてみた。
疲れたけど、こういうのも自分の頭の整理になるので重要だと思う。

今回出たポイントとしては、
(1)-1. ねじ込んだ足の使い方
(1)-2. 返した後の腰の切り方
(1)-3. 受の苦しそうな表情
(3)-1. 返す前の腰の高さ
(3)-2. 腕を縛る際の上体の使い方
(4)-1. 返す際の相手の回転の順序
以上。
語りだせばまだまだ出てきそうな気もするし、今回出したポイントが本当にコアな要素かと言うと、そうでもないかもしれない。
それに実戦だと、今回取り扱った前後の動き、つまりは亀の崩し方や返した後の極め、も入ってくるのでまだまだ語ることはできる。
こういう探求に終わりはないから、僕も気長に行こうと思う。
ただ、現役に対してはある程度のゴール設定をしないと、彼らの役に立てないし、指導者としての矜持に関わるかも、とも思うけど。


今回はこんなところで、そのうち他の技についても、時間と気力があるときに少しずつ手を出していきた、、、うーん、いければいいなあ。


おわり。

2018年8月6日月曜日

限界を超えろとよく言うけれど 20180806

鬱々とした晴れ模様も鳴りを潜め、札幌らしい爽やかな夏模様のこの頃。
程よい太陽熱と、涼やかな風を感じる所謂ハイシーズン。
草木生い茂り、春に芽生えた淡い想いも一息に燃え上がる、そんな巷のっぽい夏は今年も消息不明で。
僕は今日も今日とて道場へ。


今日は練習後の現役の筋トレに混ぜてもらい、数ヶ月ぶりのベンチプレス。
毎度、100kgあげることを目標にしていて、まともに挙上出来なくなったら衰え甚だしいということだ、と自分に言い聞かせている。
幸い、2回目もぎりぎり行けたので、なんとか踏みとどまっているということだろうか。

そして、いくらかの人は予想通りかもしれないが、僕と組んだ方々は不幸にも追い込まれる羽目に。
いつもの重量から少しだけ重くしてみたり。
潰れて自力で上げられないところから、もう何回か支援付きでやらせてみたり。

そうすると、大抵「限界です」「無理です」と言うのだけれど、はてさて、限界とは何ぞや。
僕らが何か行動することに対して「限界」と言うとき、それが本当に「出来ない」ことを表すのは極々稀だ。
殆どの場合、「限界」とは「普段の範疇から大きく逸脱していること」を表していて、実行可能性についてはあまり考えられていない。

僕ら生き物は狡賢いから、肉体的精神的に大きなストレスを掛けることは、極力避ける性質がある。
常にどこかに余裕を残しておきたいということだ、と僕は思っている。
だから、自分で自分を追い込むことはものすごく難しい。
体育会系の文化であれば称賛に値されることかもしれない。
でも社会人でそれをやって、しかも負の方向に自分を追い込めば、鬱と名付けられて一人前の病人になる。
だから、きっとそのあたりは紙一重なんだろう。

まあでも、尋常の努力で全てが上手くいくならそれが一番良いはず。
だから選んだほうが良い。
期限内に望む場所にたどり着くのに、何かしら無理をすべきかどうか。
僕は緻密に考えるのが苦手で、刻々と変わる状況に対応していくのにも不安があったから、100不足しているなら120を注ぐつもりでやることにしていた。
今となっては、その余分な20を他人に分け与えたほうが良かったんじゃないか、とも思うけど、時既に遅し。

とまあ、あれこれ言ってはみたけれど、今回言いたいことは1つだけ。
自分で思った肉体的限界って、割かしすぐに超えられるよ、ってこと。
加えて、他人の(信頼できる人だと尚更)力添えがあれば、自縄自縛のリミッターなんて、使い古しの解けかけの紐くらいのものでしかない。

そういうことが腑に落ちる瞬間を、僕も誰かに与えられたらいいなあ、なんて思ってる。


おわり。

2018年8月5日日曜日

練習参加 20180804

諸事情で、土曜の練習だけど到着が遅れてしまった。
基礎運動はできず、多分反復から参加した。

反復で現役の相手をするとき、僕は基本的に、1回目は抵抗せずに技を受けてみることにしている。
それでその技の習熟度を測る。
よっぽど理に適ってないと思う場合は逃げてあげるんだけれど。
それで、2回目以降にどんどんレベルを上げるようにする。
具体的には、抵抗したり逃げたり、逆転したりする。
そうしないと、いつまでたっても無抵抗の相手にか通用しない、机上の空論じみたものしか身につかない。
馴れ合いで後生大事に撫で付けられただけの技術が、ぶつけ合いで削られ研がれた人たちに通用するとは思えない。
そして分けに対して有利なルールの中で、それでも相手を取るには、相手の心技体を踏みにじっていく心構えが重要なんじゃないかと、個人的には思っている。


そういえばこの日は外部から多くの人が来ていた。
翌日のオープンキャンパスへの参加を控えた高校生が2人。
あと中学生くらいの姉弟に、一般の大人の方が3人。
練習後はその一般の方々に型の講義、実演をしていただいていた。
僕もしれっと拝見させてもらったが、なかなか興味深いものだった。
今のこのいい歳になって、力の流れとか視線とか重心とかをちょっとだけイメージできるようになっていた。
中学で初めて投げの型をやったときには、演武というより演舞の気持ちだったが。


練習後、現役が書いているノートの一部を読ませてもらい、コメントも書いてみた。
コメントも、読み込みが浅くて、軽くしかできていないから、現役諸君には「なんかよくわかんね」とか思ったら是非突っついてもらいたい。
いい歳して振り返りとかPDCAとか苦手だし、そんなもんなくても良い方法は無いかと負の動機で自己改善を試みているので、誰かに指摘してもらった方が有り難い。

女子主将佐久間と前主将北口(何故か書いてる)のノートに、お互い「太めだから道着がパツパツで掴み辛い。痩せるか1サイズ上の道着買え」と罵り合うのを発見。
「女心が~~」という佐久間と「いやむしろ女だからこそ言ってやってる」という北口の争いはこれからも続く。
傍で聞いてる分には面白いが、女心について僕に意見を求めるのはどうかしてると思うよ。
知ってたら僕はきっと瑞々しいCL謳歌勢になっていただろうし、今頃は合コン三昧かつ酒池肉林の最中にあって然るべきだと思うんだけど。


現実は、半分実用、半分自分本位の趣味に金と時間を費やして、柔道も無い休日は独りその辺をぶらぶらする日々を過ごしている。
趣味についてはきっとそのうち書き出すと思う。


おわり。