2018年8月31日金曜日

感性は光るものではなくて磨くものらしい 20180829, 20180830

抑え込みの話。
最近テーマ別で30秒抑えをやっている。
これを始めたばかりの頃は、誰に抑えられても逃げたり返したりができていたけど、最近はかなり辛くなって、抜け出せないことも増えてきた。

「どうやったら抑えきる(または抑えきられない)ことができますか?」という質問も受けたし、それに対する技術的解答は2,3個は多分言える。
やれ脇の締めが甘いだの、腰が落ちてないだの、つま先で踏ん張れてないだの。
身も蓋も無い言い方をすれば、フィジカルが足りない、とか。

僕らが、技を磨きたいだけの人たちなら、思考と試行を繰り返して技を最適化して、理合を掴むことに終始するべきなのかもしれない。
ただし、七帝で勝ちたいというのであれば、そこに色んな制約が加わってくるから、物事はそう単純にはいかない。
人的、物的、時間的資源は限られていて、すべてを満たすことは基本的に無理。
だから優先順位をつけて、選び取っていかないといけない。
選び取るのも簡単ではなくて、知識とか経験をもとに理を詰めていく。
でも、最終的には完成なのかな、と最近は思ってきた。
「多分これが良い、なんたって何となくしっくりくるし」程度でいい。
あとは信じ切ればいい。
間違ってたらそれはもうしょうがないけど、物事が決まったら一旦受け容れてみることが重要なんだと思う。
中途半端に距離を置いたって、見聞きはできても触れられないなら、扱えないなら学び取れることはかなり少なくなってしまう。
そうやって少しずつ、スキマを埋めたり、角を立てたり取ったり、土台を大きくしたり、たまに枝がぽっきりやられるとかの挫折もしたりしつつ、前に進むのかなあ、なんて思う。


僕自身柔道に関わって15年以上になるけど、ここ1,2年でやっと分かってきたことも多い。
何をやっても同じで、物事に終わりは無いんだろうなーと思う。
強制終了とか諦めるのは比較的楽にできるけど、どうせ次の何かに苦労するのは確定的だし、それならまだ納得のいく分野で苦労したら、それはそれで幸せなのかもしれない。


おわり。

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