2019年8月30日金曜日

観るだけ 20190830

仕事が思いの外早く終わったので道場へ。
道着は無い。
前日の段階でほぼ100%残業と思っていたので、そもそも準備していなかった。
最近そういうところの詰めが甘い。

道場に着いたのが、確か18:30過ぎくらい。
練習はもう終盤だった。
乱取は4分×4本の、ラスト1本。
驚きの少なさだけど、2部練期間だから1回の練習量は減らしているらしい。
ちなみに1回目は午後の筋トレ、内容的には多分1時間くらいか?
夏休み期間なのにそんなんでいいのかな、まあ彼ら自身で決めたことだし、、。
あとはもう開き直って、筋トレメインらしいからその効果が出てればいいのか、と思いきや、前日のMAX測定で目標達成していたのは1人だけだった。
目標は、2ヶ月でMAX重量の10%増だったのだけど、きっと彼らには目標が高すぎたんだろう。
僕はこの頃練習参加率が落ちているので、実際のところどうやっていたのかは分からない部分が大きい。
だからきっとのっぴきならない理由があったんだろう、でなければ控えめに言ってゴミ、との評しか出せない。

練習風景の観察。
僕がまともに観たのは、テーマ別、抑え込みから以降。
衝撃のシーンが幾つもあった。
まずもってテーマ別が始まらない。
始まったのは休憩終了のブザーが鳴ってから1分が経つかどうかというところ。
次、鼓舞の声を上げるのは佐久間独り、まあこれはいつも通りか。
中身について、藤田は、20Kgほど軽いケントに袈裟で抑え切られていた。
戦前の高専柔道家なら、抹殺対象待ったなしだと思った。
西森に抑えられた森は、2秒おきにタイマーを見るだけでブザーを迎えた。
人形かよ。
以上3年目。
怪我で間に立つだけだった2年目笠井や1年目澤田はどう思って見ていたんだろうか、とても気になる。
相手変えるときは8割がその場から動かない、3年目は誰も立とうとしない。
待っていれば誰かが来てくれる、ってことなのか。
僕が幹部の時は、待ってたら相手は清野とか今成とかになるからとても嫌だった。
僕が嫌なだけならいいけど、プラス全体の練習効果が落ちるのは死活問題だと思っていた。
まあみんなツラいのは分かる。
実力的に出来ないことがあるのも分かる。
ただ、やらない、この一点だけは理解できない。

普段、僕が練習に入って目の前の部員に対峙している外では、こんな空間が広がっていたらしい。
今日はそれに気付けた。
これも一つの収穫だ、と、そう思わないとやってられない。

最後は10分間の研究時間。
幹部のところには誰も質問に行かないのが印象的だった。
つまり彼らは質問するに値しない先輩たちだと思われている。
まあ確かにそうだとは思う。
2年目。
町田は部室に行ったり、出てきたと思ったら水飲んだり。
あとは藤田の遠藤返しの受けをやっていた。
千葉は壁に寄りかかって虚空を見つめたり、ストレッチしたりしていた。
片桐は市原と石川となんかやってた。
片桐は清田監督の直弟子的立ち位置なので、確かに研究するにはいい相手な気がする。
笠井は幹部連中の談笑を見たり混じったり、澤田と何かしら談笑したり。
1年目。
後藤は筋トレ、清水はBJJ(多分)の技術本を読んでた。


練習後に主将の藤田に聞いてみた、「この代の目標って何だっけ?」
色々答えてくれたが、僕としての理解はこんなところ。
「七帝で優勝したい」
「プランは無い」
「勝ち筋は無い」
「見通しも特に無い」
「誰がどの程度の実力になればいいのかは不明」
「彼我の実力差もよく分からない」
「タダでいけるし損は無さそうだから、フランス遠征には行ってみたい」


うーん来年は遂に10人残しが見れるかな。
あと、順当にいけば4年連続最下位も行けるでしょこれ。


おわり。

2019年8月23日金曜日

自由は3割あればいい 20190823

お盆過ぎると寒気始まる。
札幌の夜は寒い。
Tシャツ1枚は若干厳しく、上着を羽織る人がぞろぞろ。
風も強く、窓を開けた道場内には枝葉の擦れる音が侵入してくる。
乱取中は無理だけど、練習終わりなんかには、ふと季節が過ぎていたことに気付く。

練習メニューの最後には10分間の質問・研究時間がある。
この日も3,4人から質問を受けた。
例えば「亀の後ろから取りたい。現在両足を巻いて腰の固定はしているが、相手をコントロールできずに状況を進められない。どうしたらよいか?」という問いがあった。
こうなると僕の仕事は簡単である。
適切と思われる知識を与えるか、知識の前段としての認識に触れさせるだけである。
ちなみに上記問いへの回答は、「上体への圧や、そのコントロールは?」その後は蛇足。
質問に質問を返すのは褒められた行為ではないかもしれんが、指導としては正しいと思っている。
人間、結局自分で得たモノを大事にするし、与えられるだけのモノには深入りできない。
そういうわけで、答えそのものよりも、答えに気付く瞬間を提供できたらと思っている。
ただしこれはある程度レベルがあってできることなので、初級者には無理、まずは詰め込む。
その辺りの塩梅も悩みの種。


僕は誰憚ることないゆとり者ではあるが、詰め込みも時には重要だと思っている。
一定以上のレベルになければ、ゆとりがあってもプラスに働かすのは難しい。
お子様に大金を与えたところで、きっと碌なことに使わないパターンが殆どだろう。
得るものは確かにあるだろうけど、非常にコスパが悪い。
そのコストをいつでも十分に許容できるほど、この世は満ち満ちていない。

方法はいくつも持っていて、その時々で適切に選ぶことが求められる。
つまり方法は重要ではない。
重要なのは、選ぶ際の基準であり、その判断の根拠となる信念とかの類。
僕が憧れている七帝柔道部は、その時々の目標や勝ち方に応じて、自他をデザインしていくような側面がある。
自分の好きなことだけ表現するようなアーティスト集団ではない。
思考停止して作業するだけの人手でもない。

なんでも自由でも、一切他律でもない。
そもそもこのご時世大学進学するような面々に無制限の自由なんぞ与えたところで、持て余して途方に暮れるだけ。
雁字搦めにしたところで、ストレス過多で逃げ出すか暴動を起こすだけ。
まあでも基本は辛いこと多めで良いと思う。
だからこそ自由が映える。


おわり。

2019年8月20日火曜日

適正圧 20190819

オフ明け。
道場に着くと技研終わり際。
今週から、仙人佐々木コーチによる技伝授の期間が始まる。
やる技はこんな感じらしい。


部全体の目標としては、全ての技に対して最低限の理解をすること。
前三角を例にとると、多分こんな感じ。
1年目
「確かこんなんだっけ」10秒くらいかけて正対下から脚掛けて組んでグイーーー。
2年目
(技研前)「やべー確かアレだよなアレ」7,8秒くらいかけて正対下から脚掛けて組んでグイーーー。
(技研後)「ああそうそう前に出てきた相手をこうしてああして、、、」6秒くらいでスイーーーッ。
3年目
・使わない人
技研後の2年目と同じくらいの技術レベル、スーーーッ。
知識レベルとしては、教えるときに1,2分くらいは語れる。
「えーっと、まずこの反復がそのまま実戦で使えることはほぼ無いんだけども、、、」
「下からケツ持ち上げて腰反らし気味に」
「首に掛けた方の足首をもう片方の膝裏で捉えて」
「んで極め方はこうだけど、全体の反復ではここまではやんなくていいよとりあえず慣れてくれれば」
・使う人
「こんなん」スパーン スパーン スパーン スパーン スパーン スパーン スパーン スパーン スパーン スパーン。
4年目
・使わない人
3年目と同じ以下略。
・使う人
「こんなん」スパンッ スパンッ スパンッ スパンッ スパンッ スパンッ スパンッ スパンッ スパンッ スパンッ。
ちなみにこういう人に下手な尋ね方すると、応用編も含めて幹から枝葉から網羅される場合もあるので注意したほうが良い、需要供給差で情報価値デフレスパイラルからの拙い自己判断で練習への投資コスパが酷いことになる。

ちなみに、何故か指名されて縦返を指導したのだけど、僕実際のところあんまり使わないんだが。
まあ初級編、中級編くらいまでなら大丈夫だから、そういう意味では良いのか。
とりあえず挟むイメージが重要、固定さえできればどうにかなる。
ならなければフィジカルが足りないってだけ。

フィジカルと言えば、最近は2年目近藤主催の逆立ち特訓が、少しずつ効果出てきたらしい。
やはり「できたらいいなあ」と「やるぞー」では成長度に違いが出るものらしい。
「できるわけがない」ってのはいつも自分の頭の中でのことで、それを理解せざるを得なくて、それでも進まざるを得ない人や時、場合にやっと蒙が開けるのがいつものパターン。
答えがどこから出てくるのかもその時次第、肉体が自然と察するのかもしれんし、運命的な出会いがあるのかもしれん、黄金律を見出すこともあるのかも。
出来なけりゃそこで終わるだけ、簡単なこと。


帰り道のチャリはずっと向い風。
身を低くして風を捌くと、流れを行く川魚の気分になった。
しかしここ1,2週間漕いでも漕いでもなかなか進まなかったのが嘘のよう。
理由は明白で、単なる空気の入れ忘れ。
入れ立てで6.5barくらいだったのが、1.3barくらいまで抜けていたから、そら進まんわ。
漕ぐ力が伝わらない感、大外刈や大内刈の打込みをするのに相手が前重心になってきたようなアレ、ホントに時間の無駄。
というかパンクしなくてよかった。
あとこの日は最近流行りの煽り運転も無くて安心した。


おわり。

2019年8月6日火曜日

弱さは罪 20190803 20190805

罪には罰を。
この場合の罰とは、弱さによって齎される不利益なのか、強くなるまでに必要な負荷なのか。

まあ、土曜と月曜の話。

連日30℃越えの札幌、慣れない蒸し暑さにみんなボロボロだった。
まともな練習にならない。
土曜の午後とあって、OBOGと現役の比率が1:1近くになるも、使い物にならないのでどうしようもない感じだった。
無理をすることはない、今時の言葉である。
無理をしないで七帝で勝てるようになるのか、なれないこともない。
ちなみに、僕が押し出しの赤帯を勝手に減らしたことに、誰か気付いていたであろうか。


月曜の話。
筋トレからの柔道というメニュー。
練習時間内に筋トレを組み込むのは非常に難しい。
僕が現役の時に失敗したことの1つでもある。
「必要な業務を全部時間内に組み込め」、ホワイト企業としては甚だ正しい。
時間・残業代という明確なコストや、健康侵害という不明瞭なコストなどは得られる賃金に対して割高とはいえない。
資本主義とはそういうものである、我々は労働力以上の利益を組織にもたらさなければならない。
ここで問題なのが、北大柔道部は利益を求める企業ではない。
理想を追う集団、という表現が正しい。
「筋トレなんて最悪1人でも出来るじゃん、柔道は複数人いないとできないから、全員居るなら柔道したほうが良いに決まってんじゃん」ということで、僕は途中で切り替えた。
考えることを諦めた、とも言える。
他にコスパの良さそうな練習もあったし、見切りをつけて(つけざるを得なくなって)切り替えた。
まあ、今の現役は他大と比べて心・体で圧倒的に劣っているので、上手くやれれば上記の問題も解決できると思う。


罰は赦しへの第一歩である。
赦される、というのは事態が一応の収束を迎えること。
収束した先が敗北とそれに対する納得感なのか、克服のために苦難を選び取る決心なのか。
苦しみを嚥下して忘れたふりをするのは気楽だ、僕も普段はそうすることの方が多い。
ただもし苦しみを取り除きたいのなら、先に苦しむしかない。
正しく苦しむのは、難しい。


おわり。

2019年8月2日金曜日

そういうこと 20190802

スペシャル600回。
無理はする、限界も越えさせる、ただしそれにも限度はある。
ということで、困難は分割せよ。
一番キツイ人の、その限界をちょっと越えるくらいに負荷を設定して、300、200、100と刻んでみた。

ルールを決めるのはそこまで難しくない。
難しいのは、そのルールを全員が守ること。
守る守らないの前に、知りもしなかった、なんてことも多い。
誰かの当たり前は、みんなの当たり前ではない。

守れなかった、と、守らなかった、は明確に分ける。
どちらにせよ、その不始末は罰さないといけない、それが組織ってものでしょ。
罰するにあたっても自分たちでやる、そこまでやっての学生主体でしょ。
誰かの罰をみんなで共有する、チームってそういうもんでしょ。
共有したところで罰を軽くするわけじゃない、ただ、みんなが同じ痛みを負う。
それがキモいことか?前時代的・軍国主義的か?
誰が何言おうと関係ないから、とりあえずは前に進めばいい、ようやくスタートできた。
今日はだいたい10日ぶりの練習だったけど、あのチーム感は2年ぶりくらいな気がした。


そういえば学生はそろそろ夏休みか、、、。
羨ましいなぁ、でも僕はもういいや、そこまで要らない気になってきた。
ダメ人間になるのは、たまーにくらいがちょうどいい。
具体的に言うと週イチくらい、いやできれば2,3、、、。


おわり。