2019年8月23日金曜日

自由は3割あればいい 20190823

お盆過ぎると寒気始まる。
札幌の夜は寒い。
Tシャツ1枚は若干厳しく、上着を羽織る人がぞろぞろ。
風も強く、窓を開けた道場内には枝葉の擦れる音が侵入してくる。
乱取中は無理だけど、練習終わりなんかには、ふと季節が過ぎていたことに気付く。

練習メニューの最後には10分間の質問・研究時間がある。
この日も3,4人から質問を受けた。
例えば「亀の後ろから取りたい。現在両足を巻いて腰の固定はしているが、相手をコントロールできずに状況を進められない。どうしたらよいか?」という問いがあった。
こうなると僕の仕事は簡単である。
適切と思われる知識を与えるか、知識の前段としての認識に触れさせるだけである。
ちなみに上記問いへの回答は、「上体への圧や、そのコントロールは?」その後は蛇足。
質問に質問を返すのは褒められた行為ではないかもしれんが、指導としては正しいと思っている。
人間、結局自分で得たモノを大事にするし、与えられるだけのモノには深入りできない。
そういうわけで、答えそのものよりも、答えに気付く瞬間を提供できたらと思っている。
ただしこれはある程度レベルがあってできることなので、初級者には無理、まずは詰め込む。
その辺りの塩梅も悩みの種。


僕は誰憚ることないゆとり者ではあるが、詰め込みも時には重要だと思っている。
一定以上のレベルになければ、ゆとりがあってもプラスに働かすのは難しい。
お子様に大金を与えたところで、きっと碌なことに使わないパターンが殆どだろう。
得るものは確かにあるだろうけど、非常にコスパが悪い。
そのコストをいつでも十分に許容できるほど、この世は満ち満ちていない。

方法はいくつも持っていて、その時々で適切に選ぶことが求められる。
つまり方法は重要ではない。
重要なのは、選ぶ際の基準であり、その判断の根拠となる信念とかの類。
僕が憧れている七帝柔道部は、その時々の目標や勝ち方に応じて、自他をデザインしていくような側面がある。
自分の好きなことだけ表現するようなアーティスト集団ではない。
思考停止して作業するだけの人手でもない。

なんでも自由でも、一切他律でもない。
そもそもこのご時世大学進学するような面々に無制限の自由なんぞ与えたところで、持て余して途方に暮れるだけ。
雁字搦めにしたところで、ストレス過多で逃げ出すか暴動を起こすだけ。
まあでも基本は辛いこと多めで良いと思う。
だからこそ自由が映える。


おわり。

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