2019年8月6日火曜日

弱さは罪 20190803 20190805

罪には罰を。
この場合の罰とは、弱さによって齎される不利益なのか、強くなるまでに必要な負荷なのか。

まあ、土曜と月曜の話。

連日30℃越えの札幌、慣れない蒸し暑さにみんなボロボロだった。
まともな練習にならない。
土曜の午後とあって、OBOGと現役の比率が1:1近くになるも、使い物にならないのでどうしようもない感じだった。
無理をすることはない、今時の言葉である。
無理をしないで七帝で勝てるようになるのか、なれないこともない。
ちなみに、僕が押し出しの赤帯を勝手に減らしたことに、誰か気付いていたであろうか。


月曜の話。
筋トレからの柔道というメニュー。
練習時間内に筋トレを組み込むのは非常に難しい。
僕が現役の時に失敗したことの1つでもある。
「必要な業務を全部時間内に組み込め」、ホワイト企業としては甚だ正しい。
時間・残業代という明確なコストや、健康侵害という不明瞭なコストなどは得られる賃金に対して割高とはいえない。
資本主義とはそういうものである、我々は労働力以上の利益を組織にもたらさなければならない。
ここで問題なのが、北大柔道部は利益を求める企業ではない。
理想を追う集団、という表現が正しい。
「筋トレなんて最悪1人でも出来るじゃん、柔道は複数人いないとできないから、全員居るなら柔道したほうが良いに決まってんじゃん」ということで、僕は途中で切り替えた。
考えることを諦めた、とも言える。
他にコスパの良さそうな練習もあったし、見切りをつけて(つけざるを得なくなって)切り替えた。
まあ、今の現役は他大と比べて心・体で圧倒的に劣っているので、上手くやれれば上記の問題も解決できると思う。


罰は赦しへの第一歩である。
赦される、というのは事態が一応の収束を迎えること。
収束した先が敗北とそれに対する納得感なのか、克服のために苦難を選び取る決心なのか。
苦しみを嚥下して忘れたふりをするのは気楽だ、僕も普段はそうすることの方が多い。
ただもし苦しみを取り除きたいのなら、先に苦しむしかない。
正しく苦しむのは、難しい。


おわり。

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