2018年3月27日火曜日

特例があるだけで、見た目から判断できることは多い【コーチ紹介】

「人を見た目で判断するな」という格言があるが、あれは嘘だと思っている。
誰彼の為人は、かなりの部分が見た目に現れているし、第一印象での判断は大体合っている。

見た目が及ぼす影響は大きくて、見るからにだらしなさそうな人と話をしても、その言葉は僕に殆ど響いてくれない。
僕の集中力や聞く姿勢の問題もきっとあるだろうが、最近は「何を話すか」よりも「誰が伝えるか」が重要なんだと思うようになってきた。

社会は広いから、必然的に他人との付き合いは浅くならざるを得ない。
その浅いのをどうこうしようという気もあまり無いから、だからきっと僕には友達が少ない。
付き合いが浅くても、社会生活をそれなりに送るためにはコミュニケーションを取らないといけなくて、その時に僕らは、相手に対する足りない情報を見た目から取得しようとするのだろうと思う。

まあ、柔道部くらい頻繁に顔を突き合わせていれば、普通見えない面白いところも見えてくるのだが、社会のみんなに対してそれをやろうとすると消耗も激しくなってしまう。
そんな疲れそうなことは極力避けたい、僕は利己的な人間だ。
自分の興味ないもの、必要性を感じないものには、時間も金もかけたくない。
だから僕は、主に見た目とか雰囲気とかから、なんとなーく良さそうかそうでなさそうかを判断しても構わないと思っている。


そんなわけでようやく本題。今の学生コーチ、本田の紹介。
彼を一言で表すとすれば、ハイスペック理系脳搭載型見た目脳筋重戦士、あと不敬。

見た目は完全に脳筋である。もう一度言うが、脳筋なのである。
西洋ファンタジーにおけるオークやトロルが近いと常々思っている。
ドラクエでいうとダンビラムーチョ。GB版DQM2では確か天空のカギで出てきたはず。

※著作権的な問題で、画像は削除しました。

ただし頭が良い。褒めるとニヤニヤしそうなので癪だが、賢い。
僕みたいな似非の理系もどきではできない、奥深い思考ができる。あとその表現も得意だと思う。
よくわからん脇ガバガバの立ち技と、遠藤返し、足抜きが最終的なメインウェポンだったが、後輩からの質問があればそれら以外の技でも、準専門レベルでの返答をしていた。
理想論も現実的な思考もできるので、なるほど、と思わされることも割とよくある。

見た目との乖離具合があんまりなもんだから、「幼少期とかどっかのタイミングで異星人とか霊的存在とかの類に乗り移られてんじゃねーか?」とか思ったこともあるとか、ないとか。
論理的思考能力が高くて、その会話を文字に起こせば理系エリート、という印象が得られるだろう。

他人、特に先輩の不幸話が大の好物で、匂いを嗅ぎ付けると一目散に寄ってくる。
笑い方は大口を開けて「ガハハハ」。これは見た目通りで安心する。

実のところ、今年の総会では諸般の事情から、学生コーチ引き継ぎ(今成→本田)の議題が明後日の方向に消えていたので、この場を借りてささやかながら紹介させていただいた次第。


おわり。

2018年3月26日月曜日

別に柔道じゃなくても全く問題なかった

もう少ししたら、四半世紀を越えて26年にもなる僕の人生だけれど、思えば柔道とも長い付き合いになった。

小3の夏ごろに始めた柔道も、中学で病気を患って嫌いになって、それでもここまで来たら17年。
赤ん坊から少年を経て、青年に移り変わる頃合だろうか。時の流れって本当に怖い。
高校生の時に「人生の半分は柔道と関わってるのか、、、キモッ」と思ってたのがまだかわいいものだったとは、あの頃の僕は想像だにしていなかったことと思う。
柔道で身を立てているわけでもないけれど、人生のかなりの部分を共にしてきたのは間違いない。
まあ人生を歩んでいるのか、積み上げているのか、掘り下げているのかは解らないけれど。


タイトルは、北大柔道部で現役だった頃から思っていること。
特に新歓時期には強く感じていたと思う。
一般的には可能性あふれるキャンパスライフの選択肢として、僕らと違ってまだ輝きの残る瞳をした彼ら新入生に、
僕らは何か利益になり得るものを提供できるのか?
七帝優勝は彼らにとってはきっと塵芥のようなものではないだろうか?
なんてことを考えて、現実問題そんなこと言ってる余裕もないから、蓋をして機械的な対応に終始していたような気がする。

初心者には頑強になれる、君も活躍できる、案外面白いよ、なんて。
経験者にも、未知への挑戦、今までの経験を無駄にするな、どうせなら最後までやってみよう、とか。
別にどれも柔道じゃなくてもいい話だ。
頭の良し悪しも関係なくて、反論・論破しようと思えば多分簡単。

どころか、今まで僕が柔道を通して得た全ても、きっと他の何かで代用は可能で。
世間を見渡せば、自分にない選択をして、でも自分と似たような能力を持っている人がひしめき合っている。
社会人になって思ったことの1つで、今の自分が社会に与える影響は、どうも柔道経験の有無で変化しなさそうだ、ということがある。
だとすれば就活で語った「柔道をずっと続けていて云々」は、自意識過剰ぶりを露呈させていただけなんじゃないかと考えてしまう。


ここまで書いておいてなんだけれど、僕は基本楽天的な方だ。
「柔道をしてたからこそ云々」って経験も思いもそれなりにあるつもりだ。
ただそれが柔道じゃなくても、社会がそれなりに廻っているのを見ると、時々無気力になることもある。
結局は「オレってひょっとして、、、」なんて妄想してた頃の中2病を、いまだに克服できずにいるだけなのかもしれない。

僕は僕が憧れた先輩や、助けられた同期や、出来の良い後輩を目標にして、未だこの世界にしがみついて、夢を見ている。
何とか良い夢を見たくて、僕にできなかったことを、できていた人たちの真似をして色々と試している。
他の誰に問題がなくても、今の僕にとってここが無くなれば、人生を変えざるを得ないほどの問題になる気がする。


おわり。

2018年3月21日水曜日

練習参加 20180321

メインは京都遠征でのビデオ研究。
準備運動、基礎運動の後に打込、反復までやってからの研究。
身体を動かす気でいた僕は、仕方ないので現役の後ろからビデオをちら見しつつ筋トレしてた。

細かい技術論は情報漏洩のみならず、僕の知識や理解不足を露呈させかねないのでここでは黙っておく。

4,5試合を垣間見ていただけだが、相手校の選手と比べて全体としての優劣は明確には見受けられなかった。
だが結果を見るとだいぶツライ。かなり良くないと思われる。

歴代そうなのかは知らないが、北大はスロースターターとして有名である、多分。
僕自身も、全体でのアップの後に普通に乱取を3~5本したくらいが丁度良かった。
でも、それだけか?と最近思う。
現時点での結論としては、「試合で試合をしにいってる」のが問題点の1つだと考えている。

七帝柔道は原則、一本以外では勝敗はつかない。
実力に大差ない者同士が試し合いをしても、優劣はつくが勝敗はつきづらいだろう。
だからこそ、抜き役は確実に息の根を断つよう、獰猛に巧妙に執拗に攻め立てる。
分ける側も、それを防いだり、欺いたり、(立から寝ではなく、自分の得意分野に)引き込んだりして自分とチームの命を繋ぐ。

そういう状況で試し合いをして、それでも自分やチームの望む結果が得られる人材が、果たして何人いるだろうか。
そんなフィクションの住人みたいな選手ばかりなら、僕はきっとこんなブログを書く気なんて微塵も起きないことは間違いないだろう。

どちらが主導権を握るか。先手必勝でも、後の先でも、仕掛け罠でも良い。
この、「相手を自分の型に嵌める」のが苦手な選手が、北大には相対的に多いように感じた。
「○○には□□で対処すれば」「△△に対してどう動けばいいのか」という発想が多いので、厳しいとは思うが。


長々と書いた気もするが、言いたいことは1つ。
勝つことと強くなることは違う、ということ。
こんなことを勝てなかった僕が言うのもなんだが。いや、勝てなかったからこそか?


おわり。

ワイヤー交換 覚書

趣味の話。

こう書くと、北大柔道部の方での活動が仕事みたいに聞こえる方もいるかもしれない。

大きな間違いである。

ちゃんと社会人としての職もあるし、北大柔道部における僕の立ち位置はただのヒラOB。
つまりこのブログも北大柔道部非公認(一応紹介する現役学生には許可はもらってるけど)の独り善がりなもの。
そんなぬるぬるとした立場で今日も生きていて、これが案外心地好い。


本題。
雪が降る前にチャリの修理をしていたので、写真も残っているしメモ程度に書いておこうと思う。
決して本記事をもとに作業しようとは思わないでいただきたい。きっと失敗する。

ARAYAのグラベルロード。カラーはサンライトイエロー(←ここ重要!!)。
自室での作業の為、背景の生活感は見ない方向でお願いします。
そもそも修理するに至った経緯としては、リア(後方)の変速切り替えが上手くいかなくなったこと。
シフトレバーを扱っても「ガチャン」とならず、3,4回やって一気に「ガッチャン!」ってな具合。
フロント2×リア8のはずが、リアが1,5,8速の3段くらいになって非常に漕ぎにくかった。
ググってみると、おそらく「ワイヤーが悪い」とのことで。
レバー部分を開けてみるとこの通り(画像は交換の時に撮ったもの)。


ハンドル回り。
ワイヤーがグシャグシャに、、、。
別角度①
別角度②
別角度③


そういうことで急遽amazonにてワイヤーを注文。
ついでにブレーキワイヤーとバーテープも交換することに。
確か合計で5,000円弱だったと思う。

シフトワイヤーとバーテープ。
ブレーキワイヤー。


ワイヤーカッター。これがないと交換作業できない。

ちなみに、ワイヤー類には「SUS」の表記があって、金属材料を扱ってた身からするとちょっとだけニヤっときた。

あとはシフトレバーをハンドルバーから取外し、

PUっぽいカバーをグイッと剥ぎ取り、グネグネと動かしてハンドルバーから抜き取る。
そんなに難しくない。カバーは最初「破れんじゃね?」と思うが案外大丈夫。

普通のと先細のペンチも使ってワイヤーを取外し、

取外し、ワイヤー抜き取り後。
その2。ボロボロなのは転倒時の勲章。

(ちなみにここに一番苦労した。解けて絡まったワイヤーが各部に引っかかって一時は発狂するかと思った。)

リアシフト。このあとめちゃくちゃ調整した。


そしてブレーキの方も取り替えて、、、



無事終了。


これでまた疾走できる。
山吹色の波紋疾走!!(←これ言いたかっただけ)

ゆくゆくはキャリアとか取り付けてチャリの旅に出たい。


おわり。 

2018年3月20日火曜日

七大学のフランス派遣事業について その2

注意。
今回の記事は、極めて個人的な推測、邪推、当てずっぽう、詭弁の類が盛り込まれていると思われるので(十中八九は本人に自覚がない)読まれる方はお気を付けください。
また、悪質な批判になる可能性も否定できないので、そのあたりもご了承いただければ幸いです。


まず一言。
学生の頬を札束でぶっ叩いておいて、「こんなチャンスを与える我々OBOGはなんて『良いこと』をしているのだろう」って調子なのが酷く残念。
去年の流行語大賞ってなんでしたっけ?
七帝柔道は学生柔道ではなく、学生は常に周囲のオトナの顔色と懐中の紙切れを気にしないといけないような、そんな世界でしたっけ?


二言目。
老いさらばえて今際の際の2,3歩手前で、何かを遺していきたい気持ちは何となく分かる。けれどそれに若手の、それも学生を利用するのは実に遺憾。

「学生の今後の糧にもなるから」って、学生が欲しているのは今の糧なんだと思うのだけれど。
諸先輩方は現役学生の当時は苦しくなかったのか?
いやいや、きっと誰もが1つや2つ、苦しさを抱えていたはずだろう。
それでも、一つの青春時代として振り返って、現役学生に自分の『あの頃』を重ねて「何か為になることをしたい」と言いつつ、現役学生に余計な苦労を負わせている。
それが自らの『あの頃』をも踏みにじっているとは思わないのだろうか。

それとも生き馬の目を抜くようなグローバル社会で競う先輩方は、「所詮学生に見えている世界は狭い」と切り捨てているだけなのだろうか。
それも社会に出ての成長の1つの形なのかもしれないが、僕は哀しい。

確かに事業自体は『良いこと』だけれども。
じゃあ「日本以外も重要だから、日本人への還元は全然行き渡ってないけれど、これから日本の税金の8割は世界のために使いましょう!」ってマニフェストの政党がいたら、果たして誰が投票するんでしょうか?
「いや流石にそれはオカシイだろ」と思った方はいますか?
奇遇ですね、僕も貴方と同感です。


おわり。

2018年3月19日月曜日

三寒四温【現役紹介】

札幌の雪は大体溶けたみたい。
と言っても中心部だけで端の方はまだまだかもしれないが。
行動範囲の狭い僕の知る限りでは、おおよそ溶けているので良しとしよう。

札幌では今から、景色の汚い季節が始まる。
「温かくなったなあ」なんて思ったら、翌日には雪が降って、というのも日常風景。
道路脇には土やらごみやらの混じった雪が、真新しい雪とで層を作る。
表面に艶があれば大理石に見えて大変有難がられそうだが、そんなことは勿論無い。
ビシャビシャになって落ちてくるみぞれに悩まされるのも時間の問題で。

半月後くらいに始まる新歓ビラ配りでこれにあたると大層辛い思いをする羽目になる。
何が辛いって、ビラはグズグズになって受け取ってくれる新入生もまばらになるし、何より寒い。
雪の時よりも気温は高いはずなのに、むしろ凍え震えは増すばかり。
食事量を増やし、特に温かいものを取り入れて何とか凌いでいたような気がする。


柔道部と言えば、一般的なイメージからして「コイツ、食いそう、、、!」なのはまあその通り。
ましてや北大には「食い極」なる文化もあるし(最近はあまりやらないけど)、とりあえず食える奴は重宝される。

現主将の北口は部内でも結構食える奴で、ドカ食い、というよりは「常にもぐもぐしてる」奴である。
身体は大きいが、内気なタイプの経済学部。単位は割かしちゃんと取れてるらしい。
取得単位数については、経済学部の連中は二極化がはっきり見て取れ、資本主義社会の縮図を見ているようで感心させられる。
これは話すと長くなるのでここで割愛。

耳は潰れに潰れ、ゴロゴロとした見た目。男爵イモ。
顔もごつごつしたほうだから、大きめの男爵イモに、小さい男爵イモ2つを添えれば北口人形が完成するかもしれない。


いやさすがに言い過ぎた。
男爵イモの絵を描いて「似てる生き物」にするのは失礼すぎるだろう。
ということで、「常にもぐもぐしてる」代表のハムスターにしよう。
ということで描いてみた。
案外上手く描けたと思う。ただし外見的に北口に似ているわけではない。
ハムスターは、調べてみると人懐っこいようだ。
これは北口にも当て嵌まるだろう。部員と接するときは大概ニコニコしている。
たまにパーソナルスペースがゼロの時があって、ホモホモしい時もあるが。

しかし、どうやらハムスターは多頭飼いするのは危険らしい。
争ったり、時には共食いに発展することもあるとか。
その点北口にはそんなところはないので安心である。

個人的には、もうちょっと凶暴性が出てもいいかも、とか思ったりもする。
まあ、基本は優しいし、不器用で憎めない雰囲気があって、それもいいと思う。
読者の皆様もご安心して北口を手懐けていただきたい。
寒いときには代謝による熱生産で部屋を暖めてくれることだろう。
暑いときはちょっとどうしたらいいかわからないけれど。


おわり。

2018年3月13日火曜日

操縦、コントロール【現役紹介】

最近、僕の行動はいったい何に強いられた結果なのかと疑問に思う。
一般解としてはおそらく、脳。精神論者なら心。スピリチュアルな方々なら守護霊とか前前前世とか言うのだろうか。

本(もしかしたら本屋のボードとかかも)によれば、「人間は合理的に不合理」らしい。
このフレーズが一瞬で気に入った。
であれば、人間が考えに考えた結論はおおよそが不合理なのは当たり前で。
「何で世の中上手くいかないんだろう」とかありふれた悩みも、そもそも悩む必要すらないと思えてくる。
基本は直感とか、本能とかに従っていいんだろうなー、なんて今は思っている。
ただ、思考の螺旋は描き続けないと、とも思うけれど。


螺旋と言うと、無限の渦がイメージされる。
つまりは黄金長方形の無限の回転。
敬意を以て自然と相対することにより、初めて見えるもの。
黄金の回転は無限のエネルギーを与える。
これ以上は止めておこう。何時まで経っても現役紹介に移れない。


そんなわけで、「あえて考えない」ということも大事だと思う。
身体を扱うのに、いつまでも頭で理論をこねくり回すわけにもいかない。
それが、限られた時間の中で結果を求める学生ならなおさらだろう。

女子主将、小島は考えるよりも先に体が動くタイプだ。
身も蓋も無い言い方をすれば、、、言わないでおこう。
乱取も軽量級の男子部員を中心に、OBOGに果敢に挑みかかる。
群れのボスに挑む野生動物のよう。やられると相手が誰であろうと悔しがる。
動きは軽快で、立てば背負投を狙い、寝技では相手の頭側について潰しに行くスタイル。

人間以外で例えると、何だろうか。
分からなかったので総監督に伺うと「ジャガーじゃね?」とのこと。
ということでジャガーに決定。
wikiによると、語源は「一突きで殺す者」、そして夜行性らしい。
うん、これはイメージと大体合ってる。

書き直した、つかれた。


眼に迫力がなくなってしまった。後日書き直そう。

そんなジャガー小島には、体の使い方を学んでほしいところ。
力を伝えるとか、全身を上手く用いる動きとか。
ネコ科のあのしなやかな感じを手に入れれば、より一層強くなれそう。
就活もあるらしいので、忙しいとは思うけど。いや、忙しいからこそか。

おわり。

2018年3月10日土曜日

消費傾向が性格を表すのなら

もし、その人の性格や価値観が、その消費行動によって規定されるとしたなら。
真実は逆で、内面に依り行動が決定されていくのだと思うが、外界からの判断としては行動しか見えない訳で、為人を判断するのにはやはり逆算するしかなくて。
分かりやすいのは時間と金だと思う。

消費社会、ある種、モノの飽和した社会に生きる身としては、金の使い道で「○○な人」というレッテルが張られることも多いだろう。
そして多くの場合、そこまで間違ってはいない。
少なくとも、消費行動によって「好み」は分かるだろう。
僕の消費ランキングでは、給与控除を除くと、1位食費、2位柔道部関係、3位服飾費、、、となっている。
食に金が流れるのはまあ当然のこととして、問題は2位3位だろう。
ちなみに、3位までのそれぞれで、年収の1割ずつくらいは使っている。
そこから察するに、僕は北大柔道部に関わりの深い、後輩への優しさに溢れた、身だしなみに気を使うオシャレさんと言えるだろう。
上記文章が僕の実態・内面を、どの程度の正確さで表現できているかはまた別の話としよう。僕を知るものから見れば、非難の嵐が吹き荒れることは想像に難くない。

もう一つの指標として、消費時間の観点もあるだろう。
イチ社会人として、仕事関係に時間を割いているのは間違いない。
ドラゴンボールの最終巻のベジータの如く、癪なのだが、「お前がナンバーワンだ」と認めざるを得ない。
次点は、まあこのブログからもうお分かりであろう、北大柔道部である。
要するに僕は、「仕事以外は柔道しかしてない」人と評される。まあ弁解の余地もない。
引退して、卒業してもこの世界から逃れられないでいる(し、心地よくすら思っているからもう末期だと思う)。
ただやはり、問題は密度である。
ここまでだらだらと書いてきたが、本記事で一番言いたいのはこれ。
濃密な時間を過ごせるかどうか、という観点。
今僕が部に関わる上で、抱えている不安の一つ。
「自分もそうだし、何より現役部員にどれだけのものを提供できているのだろうか」
「あの頃のままのものか、年を経て、熟成されたものか、それともただ腐った残骸を晒しているだけなのか」

七帝の試合会場では、若手から大先輩、それこそ退職後の世代の方々も多く見られるのは周知の事実である。
現役部員の顔と名前も知らないのに、本気になって観戦する先輩も一定数存在する。
長い人生のたった数年の出来事である。
一般社会には影響を与えず、人生経験としても、ありふれた話の一つでしかないのに。
普通からは少しずれているとは思う。ただ、一般受けはしないし、逆に僕がこの世界にいるのも所謂フツウの社会からの逃避行だと言えなくもない。
原因は、体感時間の濃密さだ。
月並な表現だけど、あの日あの時が、今も尾を引いて僕の思考を手繰り寄せる。

今、あの頃と比べると希薄になっているのは間違いない。
その希薄さも、大事なものが増えた、人生の成長の一つだと言う人もいるかもしれない。
ただ、人生は長い。
あの3年3ヶ月に見捨てられないように、希薄な分、人生を使って埋め合わせをしていきたい。今はそんな気持ちが僕の一定割合を占めている。

おわり。

2018年3月9日金曜日

意味がないことをやる

学生時代から常々思っていること。
「究極的に言えば、人間のやることほとんどすべてには意味なんてない」ということ。
僕が生きていることもやっていることも、この世界を構成する膨大な物事の1でしかないわけで。
いくら頑張ってみたところで、エントロピーは増大するから、最後にはゴミになっていくだけ。
だから、学生生活をどう過ごそうが、北大柔道部を辞めようが、いっそのこと消えてなくなってしまおうが、多分世界に大した影響はない。

そんなわけで、他人のモノサシでこの世を測るのはとても危ういことだと思う。
もともと意味なんてないのに、その上自分が信じられる価値基準すら持てないことは、もしかしてこの世に絶望するための布石なのかもしれない。
交代可能な構成要員は、社会には本当にいくらでもいるのだろうから。
僕はなんだかんだ我の強い人間だから、他人に取って代られない自分でありたいと思ってしまうのだが。

だからこそ、周りにとって意味のなさそうなことでも、僕が行動するには相応しい。
僕が信じるに足るみちであれば、それが路地裏だったり、邪道だったりしても構わない。
どうせ何やったって意味はないのなら、心底信じられることをやっていたい。
今のところ僕にそうさせ得る存在の1つが、北大柔道部ということなわけで。
これからの人生で、「その後の人生を台無しにしても、まあいいか」って思えるような物事が、一体幾つできるのかと、期待と不安でないまぜの日々を送っている。

おわり。

2018年3月6日火曜日

七大学のフランス派遣事業について

事業の概要としては、特異な柔道=高専柔道の流れを汲む七帝柔道の強者達を、柔道教育最先端ともいえるフランスに送り込もうという企画。
詳しいところは「七大学柔道 フランス」とでも検索してもらいたい。
下手に僕が解説しようとすると、どうも恣意的な文章になりかねんので、ちょっと気が引ける。

先週の土曜日、つまりは僕がしばらくぶりに後輩に絞め落されたその日なのだが、フランス人柔道家のフラマン氏が来札され、交流の場が設けられた。
このフラマン氏、元フランス柔道代表選手であり、現在は慶應大柔道部のコーチとのこと。
乱取では、立って向かえば投げられ、引き込んでも生半可な動きでは崩されず、といった具合だった。
現役選手にはたいへん良い経験をさせてもらったのではないかと思う。
僕にはできないことができる人というのは、いつも羨ましい。それが部に貢献できそうなことなら尚のこと。

そんなこんなで、道場、あるいは居酒屋で、侃々諤々、とまでは行かないものの、それなりに腹を割った話が繰り広げられた。主にOBと。
現役は二部練の疲れもあって休養を選んだみたい。
その中でお互いに同意できた内容を2つ挙げると、
(と言っても僕の記憶力は褒められたものでもないので、多少の改変はきっとあるのでご注意ください)
「フランス遠征そのものは、『良い』か『悪い』かで言えば、間違いなく『良いこと』である」
「お金については、無限に湧き出てくるものではなく限られた資源であるから、割り振り方は考えないといけない」
こんなところ。
どちらも話し出すとキリがなくなるので、今回は話題に出すに留めておく。
飲み会では、仙人佐々木さんの「日本の学生柔道、ないし学生部活動は終わりを迎えようとしている」論や、フラマン氏が長芋料理に興味を示していたこと、翌日は手稲にスキーをしに行くこと、あとは日本と海外の社会の違いなんかの話をしたのを覚えている。

どうも話がまとまりそうにないので、一旦結論を出してみよう。
僕は本件、フランス遠征には反対の立場である。
賛成に鞍替えさせたいのであれば、最低でも、
・金銭面の問題で退部する学生を0にすること
・純粋培養の分け役を連れて行くこと
くらいはやってほしい。でないと学生への負担が大きすぎるし、構成メンバーが取役ばかりのチームだと僕の七帝観にそぐわなさ過ぎて気分が悪い。
それ以外はまた今度、気が向いたときにちょっとずつ挙げていくつもり、にしておく。
つまりは未定。

おわり。

2018年3月4日日曜日

久々に絞め落された【現役紹介】

多分1分くらい落ちてたみたい。
この時期、抜き役になり得る学生と乱取するときは、僕は基本的には守ることにしている。
そうすると、最初は戸惑いがちに攻めるふりをしていた学生が、日を追うごとに目つきが変わってくる。
純朴な少年が精悍な戦士になるような、という具合だろうか。
いや、彼らがもとより七帝戦士であるとするとその表現は不適か。
草食獣から肉食獣に変貌する、が近いかもしれない。

変貌も人それぞれ。
獰猛、執拗、狡猾、冷徹。熊、虎、鷹、蛇、蜘蛛、鬼、ゴリラ。
一番印象に残っているのは一つ下のゲス君だろうか。
強さではなくインパクトが、であるけれど。
イメージとしてはチョウチンアンコウが最もしっくりくる。


話が逸れた。昨日の話に戻そう。
岡本と乱取をしていたのだが、残り1,2分というところで後ろにつかれ、落とされた。
ひとまずは岡本の紹介である。
彼のイメージは何だろうかと考えたが、蜘蛛が近いかもしれない。
罠を張って、とはちょっと違うから、ひとまずアシダカグモにしておこう。

しかしこれだと呼称し辛いから、軍曹、にしておくか。

岡本軍曹は絞め関節を得意とする、どちらかというと小柄な戦士である。
引込み、正対下からの攻防を基本にしている。
最近はフィジカル面の向上と、元々持っていた技術がうまく噛み合って、正直乱取するのが辛くなってきていた。
昨日は正対下から足を刈られ、外掛けのような形に入って一旦膠。
なんだかんだあって後ろにつかれ、絞めを狙われた。
残り1分くらいだったように思うが、直感的に「これダメなやつだ」と思ったので立ち上がりに。
が、完全に立ったか怪しいところで限界を迎えた。
落ちている間は、「あれ?これ落ちてね」という思考と、午前中の買い物の記憶が混じり合って妙な気分だったのを覚えている。

やられた悔しさと、確かな成長の証を見せつけられた嬉しさがないまぜになっている。
積み上げてきた一歩一歩、磨き上げたその牙が僕の喉元に届き、そして突き立てられたのが、本当に有り難いことだと思う。
軍曹の次の課題は何だろうか、壁の突破に、僕はどれだけ助力できるだろうか。
今はそんなことを考えている。次はもっと手強くやって守り切ってやろう。


おわり。

2018年3月2日金曜日

七帝柔道は生態系同士の生存競争だと思う

タイトルは、ここ数年僕が思っていることをそのまま出している。
万が一、七帝柔道ビギナーの方が迷い込んだ時のために、一応七帝柔道そのものについて説明しておこう。

七帝柔道の特徴としては以下のようなものが挙げられる。
・15人対15人の勝ち抜き団体戦(女子は3人対3人の点取りの団体戦)
・技の効果は「技有」「一本」で、決着は「一本勝ち」のみ
・「引込」を用いて立姿勢から寝姿勢へ移行することが可能
・寝技でも、攻防があれば「待て」はかけられない
・試合時間は6分、副将・大将は8分
・参加校は7校(北海道大・東北大・東京大・名古屋大・京都大・大阪大・九州大)
・専守防衛が許される
他にも色々とあると思うが、この辺でやめておこう。
とにかく、一般の方々が普段テレビなんかで見るような柔道とはまた違ったものであるということがご理解いただければ幸いかと思う。

ざっくりいえば、弱い人は一本を取られないこと、強い人は一本を取りきることを求められる団体戦である。
このあたりが、野生動物のルールと似ていると思う。
もちろん厳密には異なる部分も多いし、一見弱い選手でも相手を取りに行く場面もしばしばみられる。
が、基本的には弱くとも追い詰められようとも生き延びれば勝ちで、逆に捕食者は獲物の命を奪わなければ負けなのである。個人レベルの話をするとこういうことになる。
それでもって、各校の15人の中には強きから弱きまでさまざまな選手がいる。
インターハイで上位、都道府県で上位、とりあえず経験者、学校の授業で……、初心者、運動部所属経験なし、いろいろである。
熊のような奴もいれば、獲物を絡め取る蜘蛛のような奴もいる。ひたすらに甲羅にこもる亀や、ぬるぬると滑りぬけるウナギやタコのような者もいる。
ちなみに僕の同期は、ゴリラ(惜しくもボスではない)と暴走機関車と黒い弾丸と戦車。うん、過半数が無機物。

そんなわけで、各校独自の生態系を形成している訳である。
肉食獣から草食獣、ゴリゴリのパワータイプから技巧派や根性論信者まで多種多様な生き物(しばしば無機物を含む、稀に神が降臨することも、、、)ビオトープが、それぞれの道場で形成されているといった具合か。

普段、現代の良質な映像コンテンツでトップレベル同士の競い合う姿を見慣れている方々には馴染みのない光景が見られることだろう。
大学生活の傍ら、限られた資源を才能があるわけでもない柔道に充て、それでも何とか勝ちたい、という彼らの試合は華やかさとは一線を画している。
その泥臭さが、僕は本当に好きだ。
なんかいい感じにまとまったような気がするので、ボロが出る前に止めておこう。
そのうち許可が出れば、現役学生を動物(やその他)に例える記事でも書こうかと思う。

おわり。