2018年3月26日月曜日

別に柔道じゃなくても全く問題なかった

もう少ししたら、四半世紀を越えて26年にもなる僕の人生だけれど、思えば柔道とも長い付き合いになった。

小3の夏ごろに始めた柔道も、中学で病気を患って嫌いになって、それでもここまで来たら17年。
赤ん坊から少年を経て、青年に移り変わる頃合だろうか。時の流れって本当に怖い。
高校生の時に「人生の半分は柔道と関わってるのか、、、キモッ」と思ってたのがまだかわいいものだったとは、あの頃の僕は想像だにしていなかったことと思う。
柔道で身を立てているわけでもないけれど、人生のかなりの部分を共にしてきたのは間違いない。
まあ人生を歩んでいるのか、積み上げているのか、掘り下げているのかは解らないけれど。


タイトルは、北大柔道部で現役だった頃から思っていること。
特に新歓時期には強く感じていたと思う。
一般的には可能性あふれるキャンパスライフの選択肢として、僕らと違ってまだ輝きの残る瞳をした彼ら新入生に、
僕らは何か利益になり得るものを提供できるのか?
七帝優勝は彼らにとってはきっと塵芥のようなものではないだろうか?
なんてことを考えて、現実問題そんなこと言ってる余裕もないから、蓋をして機械的な対応に終始していたような気がする。

初心者には頑強になれる、君も活躍できる、案外面白いよ、なんて。
経験者にも、未知への挑戦、今までの経験を無駄にするな、どうせなら最後までやってみよう、とか。
別にどれも柔道じゃなくてもいい話だ。
頭の良し悪しも関係なくて、反論・論破しようと思えば多分簡単。

どころか、今まで僕が柔道を通して得た全ても、きっと他の何かで代用は可能で。
世間を見渡せば、自分にない選択をして、でも自分と似たような能力を持っている人がひしめき合っている。
社会人になって思ったことの1つで、今の自分が社会に与える影響は、どうも柔道経験の有無で変化しなさそうだ、ということがある。
だとすれば就活で語った「柔道をずっと続けていて云々」は、自意識過剰ぶりを露呈させていただけなんじゃないかと考えてしまう。


ここまで書いておいてなんだけれど、僕は基本楽天的な方だ。
「柔道をしてたからこそ云々」って経験も思いもそれなりにあるつもりだ。
ただそれが柔道じゃなくても、社会がそれなりに廻っているのを見ると、時々無気力になることもある。
結局は「オレってひょっとして、、、」なんて妄想してた頃の中2病を、いまだに克服できずにいるだけなのかもしれない。

僕は僕が憧れた先輩や、助けられた同期や、出来の良い後輩を目標にして、未だこの世界にしがみついて、夢を見ている。
何とか良い夢を見たくて、僕にできなかったことを、できていた人たちの真似をして色々と試している。
他の誰に問題がなくても、今の僕にとってここが無くなれば、人生を変えざるを得ないほどの問題になる気がする。


おわり。

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