2019年4月9日火曜日

面構え 20190409

今日は新顔の新入生はいなかった。
僕のイメージでは、入部する人1人に対して、見学者はその3~4倍、話を聞くいだけ聞いてくれる人は更に倍、ビラを貰うだけの人はいっぱい、というところ。
つまり新入部員が欲しいなら、如何に直接話をして、どうにか道場に来てもらう、というのが最低条件であると思う。
自慢ではないが、そういう点でいえば現役時代の僕の貢献度はほとんどゼロであった。
こういうことを言うと、「話を盛るな、むしろマイナスだっただろーが」とお叱りの声を受けるかもしれないが、どうかご容赦いただきたい。

話をする、というのは難しい。
相手に魅力を感じてもらうとなると尚更。
魅力というやつを感じさせるには、物語性が必要だと思う。
物語は、分かり易い筋道や一本の芯があると良い。
ただ、大抵の人は自分の芯が定まっておらず、そしてそれを隠して取り繕うだけの小賢しさも無い。
だから、よほどの準備をしないと、相手には何も伝わらないことになる。

たまに芯も何も無いくせに、取り繕ったり、押しが強かったりする人もいる。
そういう人は大体2種類に分類できて、圧倒的自己肯定感の塊か、自分の目に映る表面だけを見るタイプのどちらか。
北大生だと、大体6:4くらいだろうか、稲穂は実るほどに頭を垂れるものである。
そういうのをひっくるめて、ついには吹っ切れて我を通す輩が、僕は好きだ。


甚だ主観的な意見を述べると、出来る人は面構えが変わってくる。
造型が美しいとか、目鼻立ちが整っているとかではない。
普段手を抜いてばかりで、苦しいことから逃げて、堕落してばかりのゲスでも、仲間を想って、チームはこうあるべきだ、とか語ってた時の顔はそれなりに魅力的に映ることもある。

苦しい状況になってしまっただけの奴と、目標のために敢えて苦しい環境に身を置いた奴では、存在の重みが違ってきて当然だとは、思わないだろうか。
僕は出来るだけ後者でありたいし、僕の周りの人はそうであってほしい。
僕以上の人に囲まれていれば、僕ももっと出来るような気がしてくる。
現状、業務の調子がよくても、練習に参加できるのは週3~4回である。
週6の練習はできない。
この時点で、週6フルで練習している現役は、僕より上の存在である。
彼らは、僕が手にできないものをすでに持っている。
どうか、それを自ら手放すことはしないでほしい。
今日の練習ではそんなことを考えていた。


おわり。

0 件のコメント:

コメントを投稿