2018年9月26日水曜日

手元と足元を見るのが癖になってきたかもしれない

僕は革製品が好きだ。
前に言ったかもしれないし、そうでないかもしれない。
今日は水曜で、一社会人として世を忍んでいる身としては、練習時間の関係上道場へ行けなかったので、趣味の話でもすることにした。
しばしお付き合いいただければ幸いである。


社会人になってから早1年半くらい、この間に買った革製品を列挙してみよう。
春夏はバーガンディ色のペニーローファーに始まり、グレーのスエードのスニーカー。
秋冬になって、鹿革の手袋、馬革のジャケット、システム手帳、財布・財布。

2017年度に購入した革製品たち。


年度が変わってからは、靴とベルトと靴と鞄と靴べらと鞄を購入した。

今年仲間に加わった奴ら。


そして業が深いのは、これだけ買ってもまだ物欲は留まるところを知らないということ。
具体的には靴と靴と鞄とベルトと靴が欲しい。

ちなみに、就職してから、柔道部関係に費やしたのに匹敵する額の支出をしていると言えば、察しの良い方には通じるかもしれない。
我ながら思う、阿呆である、でも止められない。


勿論、定期的な手入れもしている。
使うごとにピカピカに磨かねば、という革フリークな感じではないけど、ブラッシングくらいはしている。
そのうちいい感じのエイジングになったころに、新品の時の画像と比べて「お前も良く育ったなあ」なんて悦に入り浸るのが目標。


最近では、他人の持ち物にまで興味を示すようになってきていて自分が怖い。
ヒトの視線は動きの先端に寄り易いとのこと。
つまり、出歩く際の足元=靴や、支払いの際の手元=財布に、ついつい目が行ってしまう。
見ると、それらはボロボロになっている率が高い。
そんな時僕は悲しみを覚える。
高校入学から大学院1年の時まで使っていた財布を思い出す。
ろくに手入れもせず、雨風に濡れては暖房の近くで乾かしついにはひび割れ、長年の使用で縫い糸もほつれきった姿をだ。
バカな主人に仕えて、それでも未だに形を保ってギリギリ使えなくもないその財布。
彼(彼女かもしれんが)こそ忠義の象徴であり、時々それを見ては手入れの重要性を再確認している。

僕の数ある理想の姿のうちの一つに、紳士というものがある。
つまりはジョナサン・ジョースターである、いやこれは蛇足か。
そして紳士たるもの、装い、というのも重要な要素の一つであるはず。
紳士の装いといえば勿論革靴である、異論は認める、他にもいっぱいあるはず。
でもそれがたまたま何となく好みだったから、僕は革製品を通じて、ちょっとした自己実現を楽しみたいと思う。


最近は革靴のハイシャインに挑戦しているがなかなか難しい。
現役の革靴は手入れゼロのものが多いから、磨かせてもらえればウィンウィンの関係で良いんじゃないかと目論んでいるが、そのうち興が乗れば頼んでみようか。
OBに「頼む、お前の革靴を磨かせてくれ」とか言われたらやはり引くだろうか。
まあそういう僕が同じ事やられたら、なんか引くけど。


おわり。

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