2020年1月24日金曜日

意識化無意識化 20200123

今やっていることに意味はあるのか。
この問いに答えられるようになるかどうかが、僕の中での一つの指標。
何の指標か、練度である。
意味を持たせて意識化し、無理してやり続けたらそのうち無意識に出ている。
そうすれば、最初の基本を破っても、また離れても、目的へ向かうための目標は自己管理できるようになってくる。
正しく問えば、自ずから答えは滲み出てくる。
これは特に北大柔道部に限った話でもなくて、おおよその物事に共通する。
ちなみに、「お前は何故その仕事をせねばならんのだ」これに対する答えを、僕は持っていない。
つまりはそういうこと。


そういえば、抑え込みのレベルが上がってきている。
テーマ別にて抑えさせると、2,3人くらいには抑えきられるようになってきた。
彼らの共通項は何か、推測だけど、「どうしたら抑えきれるのか」ではなく「抑えきる、こう、あれ違う?」というスタンス。
正しく必要とすること、これが中々に難しい。
澤田には組手に見せかけた、いや見せかけてもいなかったけど、グーで殴られたものの、それも澤田なりの理由があってのことだったらしく、受けてやるのも先達の務めか、なんて思ったりして。


しかしまあ、日本語というのは、表現の自由度が高い。
3つの文字種とそれらの対応、特に漢字の読み多忙ぶり、省略、同音異義、比喩、つまりはより高尚な言語だと、勝手ながら思っている。
ただし問題があって、僕を含め多くの人は高尚というよりもむしろ低俗である。
だから、一問一答の精度は英語表現の方が高い。
何を言いたいかというと、「どうしたらいい?」の意味を図りかねる場合がある、ということ。
WhatなのかHowなのか、はたまたその他のWHなのか。
正対の突破、組手で優位を、ベンチ100kg、コミュ力向上、異性にモテるには、就職を見据えて、ねむい、チームの一体感とは、つかれた、今日の献立は、かんがえたくない、卵焼きに具を入れること如何、スマホ依存からの脱却へ、エトセトラ。
もうなんというか、答え様が多すぎて、それで得意になれるのは自信か蛮勇を誇るものくらいだと思っている。
代わりに諦観、「できる限り伝えるけど、最終的には、もう受け手に任せるしかないよな」ってのは、僕を含めたおおよその人が処世術として身に着けていることかと思う。

しかし立場上無責任が過ぎてもいけないとも思うので、まずはお前がレベルアップしろよ、って自問自答。
「どうしたらいい?」と問われて「コ□セー」と叫んだのは2015年度のこと。
では、2020年度は?
分らんが一つ確かなことは、どこかでタイミングを見てミサに行くということだけ。
ああ、これは柔道ほぼほぼ関係ない話なんだけど。


おわり。

0 件のコメント:

コメントを投稿