2020年7月17日金曜日

蓄えるだけなのも忍びない

読書が好きである。
趣味趣向の話で、唐突だけれど、今回はひとつ自分語りである。
「現役の様子は?」と気にかけてくださり、本ブログに来られている方々には申し訳ない。


再度、僕は読書が好きである。
ジャンルは割と何でもよい。
歴史、評論、エッセイ、短編、長編、シリーズもの、SF、ホラー、自己啓発とか。
勿論ジョジョを含む漫画も含まれる。
たまにジョジョネタを挟んでいるのも伝わっているだろうか、そうでないのならちょっと恥ずかしかったりもするのだが。
ただし自己弁護なのだが、純文学とかいうものにはあまり明るくない。
勤勉な学生なら読んで然るべき大文豪の著作も、特に知らないものの方が多いだろう。
就職して日銭を得るようになってからは、2,3ヶ月に1度は書店でジャケ買いしているように思う。

何故読書が好きか。
答えは、それまでに知覚できなかった世界との接点が得られるから。
いわゆるコレクターに近い傾向である。
僕は北大柔道部の選手陣には「どうかコレクターにはならないでくれよ」と思っているのだが、ジャンルが違えば自分も立派なコレクターである。
つまりは、知識を好き勝手に取り漁るもののそれらを有効活用できないし、するつもりもない輩であるということ。
僕の読書にはそういう側面が多分に含まれている。
なので、「本から得た知識で実生活をうまくやれ」とか「じゃあ他者の気持ちを慮って行動できるんだね」とか「ジョジョ立ちやってみろ」とかには上手く応えられないことの方が多い。
ただ自分になかったものに触れて、世界を拡張できたかも、という感覚が好きなだけである。


それでもたまには、本を通じて世間様に繋げよう、という気持ちになることもある。
今回の記事はそんな一面もある。
そういうわけで第2部、こんな本を読みました、レビュー。

発達が気になる子が輝く 柔道&スポーツの指導法
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中身としては、いわゆる「発達障害」の子供がいた場合柔道指導者はどのように行動すべきか、が発端となり、競技者養成一辺倒ではない多様化を目指して論が進んでいる。
その中で、発達障害そのものについて、発達と運動との関わり、柔道指導において考慮すべきこと、などが理論や研究結果、また筆者らの経験を交えて身近に感じられるように表される。
1つ挙げるとすると本によれば、文科省の2012年の調査で、通常学級にいる子供の約6.5%に発達障害の疑いがあるらしい。
これは僕が勝手に思ってた「まあ2~3%くらいだろ」の倍以上の数字であった。
また、コミュニケーション系の発達障害は、脳機能や精神ではなく、体の使い方が苦手なことに起因する、ということも興味深い話であった。
コミュ障=話が続けられない人、ではなく、「話す」ための「口の使い方が未熟」であったり「聞く」ための「耳の機能の弱さ」だったりが、結果として「話を円滑に進められない=コミュ障」となってしまうということである。

読んでいく中で思ったこと。
そういえば北大柔道部にも発達が気になる人は多い。
本に記載されていた臨床例をいくつか抜き出してみると、
・自分の興味あることについて一方的にしゃべり続ける(会話のキャッチボールが続かない)
・ケンケンがうまくできなかったり、鬼ごっこで急に方向転換するときによく転んだりする
・手を叩きながらスキップするなど同時に二つの動きがなかなかできない
現役でもOBOGでも、当て嵌まりそうな顔が数名浮かぶ。
3つ目なんかは特に、該当者が結構多そうな気もする。
また、よくよく考えてみると、退部していった人にはこれらに該当する人が比較的少ない気もする。
そう考えると、北大柔道部は発達が気になる人が一定数いる中で存続してきた(少なくとも僕が入部してからの10年近く)、面白い団体なのではないだろうか。

そもそも人間幾つになっても未熟な部分はあるものだろうし、長く生きてりゃどこかしら悪くなるもんだろうから、そういう意味ではみんな等しく発達障害だと思っている。
みんなが何かしら抱えている中で、配慮はしつつもじゃあ自分は何を抱えて掲げて駆けて行こうかって、そうやって自己主張してくのが良いんじゃなかろうか。
これは僕の思い描く北大柔道部像の、ひとつの側面でもある。


おわり。

2 件のコメント:

  1. 読書の話で終わると思いきや、オチは北大柔道部に行き着くあたり、やはり北大柔道部への深い愛情を感じました(笑)

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    1. コメントありがとうございます。木っ端とは言え、社会人としてビジネスに繋げられればそれが良いのでしょうけれど、なかなかに難儀なものです。

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