2020年2月13日木曜日

必要 20200211

目的意識。
学生はよく言われる言葉だろう。
そう思っていたら、それは社会人になっても全く変わらない。
ただ、人間ここまでくると手や力の抜きようも心得てくるもので。
つまりは目的意識なんぞ無くとも生きていける。
生き易いかどうかは兎も角として。

そもそも、生きる、なんて壮大なことを既に行っているのに、それ以上を望むのはいかがなものだろうか。
それも他人から「人生の目的は」なんて押しつけがましく言われる由縁は。
人生を全うする以上に欲することなんて、これは正しく傲慢、我儘だと思う。
そして僕は今日も我儘に生きている、と、そう思って歩いた。

これが練習前、札幌駅から道場まで向かったときの15分間のお話、つまり初っ端の蛇足。


北大生は既に春休みに突入。
一部追試や再試に追われる女子主将がいたとかそうでないとか。
それはさておき、重要なのはひとつ正念場に入ったということ。
人員不足のため、4月の新歓に手を抜けない彼らが存分に練習できるのはこの期間だけである。
さて何をどうするか。

僕は1年目の澤田に対してちょっとした試みを。
テーマ別外掛けの際に、内掛けも使ってみた。
結果は面白いくらいの頓着、完封。
寝技においてまぐれは極稀である証明がひとつ為された、そう思えた。
勿論、そのあと清田監督が全体研究で話題に。
無知の知、からの実体験、自己肯定感、そして自己の否定、昇華。

ただ、関節を固定して本能に訴えかけて止める(動かす)技術は、これはこれで難しい。
北大柔道部においては、リスクがかなり高くなりがちだからである。
何故なら身体感覚の鈍い人も、ちょこちょこいる。
だいたい、各代に1人。
特徴は、動きが直線的、動作の熟練が及ぼす効果が出力の増大のみに限定されがち、勢いで動けるが収束させるのが苦手、入力値・量=出力値・量と誤認しがち。
うん、ちらほら、脳内に顔が浮かんでくる。
特徴自体が良い悪いというよりも、そういう特徴をどう活かすか、だろう。

型に嵌める技術が適当で、一般解。
世の中分業制である。
万事屋よりも専門家の方が高所得。
それなりの投資とリスクを許容するなら、だとは思うが。

そういえば、晴れてたのもあったのだろう、道場への道のりでは、やけに空が高く・広く見えた。
なんの意味があったのかはわからん。


追いコンまでに行けそうなのはこの日がラスト。
さてどうなるか、定点観測点としての追いコン。
納会のときと比べて、現役はどう進んだのか。


おわり。

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