2019年5月9日木曜日

引き継ぎ 20190509

新歓合宿後初参加。
それなりに日も経ったからか、疲労は残って無さそう。
テーマ別に足抜きが追加されていた。
佐々木コーチ曰くの「1年通してやってはいけない練習」で、「短期間集中で、お互いが全力でやるべき練習」である。
難しい体勢・技術ではないので、下なら1年目でもすぐにできる、というのもミソ。
上だと、外した後に足を抜き切るまでの攻防が、難易度高め。


今日気付いたこと、言うだけで教えた気になっている。
最近の自分を振り返ると、ふとそう思った。
伝えるってことは難しい。
難しさの源は、伝わったことの確認がしづらいことである。


「正対上で分けるには?」という問いを例にしよう。
これに対して、答えとして浮かぶ具体的行動は、
「両膝を畳に着けるな」
「頭を下げるな」
「帯より前に腕を出すな」
「対角に取られた襟はすぐに切れ」
「後ろを叩かれて帯を取られるな」
「脇は締めろ」
あたりが鉄板になるだろう。

でも重要なことは、これらの行動が目的ではない、ということ。
重要なのは、「取られないこと、容易に取られるであろう体勢にならないこと、またはそのような体勢から抜け出すこと」である。
つまりは、「取られない」という「状態」を求めており、それが最終的には「分け切った」という「結果」をもたらす。
この「結果」が「目的」なわけで、それ以外は「手段」であったり「目標」であるに過ぎない。

こんなことをきっちり伝えられているだろうか、いや、そうではない。
既に混乱しかけているのが、この文章を書いている今現在。
3時間前の道場では、論理は四方八方に飛び散っていたことと思う。

「キミの目的は分け切ること。
見たところ、今は正対下から返されたり逆を取られたりと、相手の良いように扱われている。
扱われるのはきっと、下から体勢を崩されているからだろう。
原因は、頭や腕が前に出過ぎていたり、あとは腰の高さに応じた適正な距離を保てていないから。
この対抗策としては、身体の各部を泳がされないように、固定するってイメージを以て動くことだ。
ああ、キミは立技が出来るし、体の力も弱くはないんだったね。
であれば、そもそも論として、正対にならないことも考えては如何だろう。
引き込まれた瞬間に組み手を切って、立ち技勝負に持ち込めば、こんなことで悩む必要すらない。
状況を限定することでやるべきことを減らすのも、立派な戦術だ。
七帝を目指す上で実現可能性が高いのは、今の自分に不足しているモノを補うことよりも、現時点での持ち味を活かすことだ。
ただキミの今後を考えると、七帝以後は基礎を修めて、幹を太くすることも重要になってくるから、そこは忘れないように。」
ってことを、今日は言いたかった気がする。


あと問題になるのは、「実際にやって成功させんの超ムズくね?」ってこと。
こればっかりは、、、うん。
手伝ったり、外から見て好き勝手言うことならいくらでも出来る。
ただまあ結局のところ、本当にやんなきゃいけないのはソイツ自身だし、ソイツ以上には責任も覚悟も達成感も後悔も持てないのが現実なんである。
つまりは大学生くらいなら自立も自律もできますよね?ってこと。

応援と手伝いならそれなりに頑張る、そのために北大の道場に行ってるから。
単に自分が強くなりたいとか、柔道愉しみたいとか思ってるならこんなとこに来ないし、今現在こんな状況になってない。


ちなみに今日の僕の後悔は、1年目後藤に自然科学実験の話をされたものの実験の内容が分からなさすぎて、同じ総合理系だったのに自分はなんて無能なんだろ、という恥を隠すために「俺の頃は~」で話をぶった切って自尊心を死守しにいったこと。
自分の至らなさは素直に認めるべきだったと、今は思う。
でもまた同じ状況になったら、似たような行動を取るとも思う。


おわり。

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