2019年10月1日火曜日

感覚、理論、感覚 20190930

月曜は技研の日。
今日は腕緘2番、横巴、浅野2番、金次郎(元谷返し)、正対十字。
最後の研究の時間には、「反復で上手くいかないんだけど?」という質問も。
傾向としては悪くない、パッと見で分かった気になったつもりでも、実際にやってみると何だかしっくりこない。
それを違和感と捉えるか、そのうち慣れるから、と無視するのかはだいぶ違う。

ちなみに、反復が上手くいかない理由の大半は、取りの力量不足である、もっと考えろ。
というわけではない。
半分くらいは受けの問題がある。
例えるなら、試験問題を解くのが取りで、作り手が受け。

①「ウエイトトレーニングにおけるMax重量の目標増加率を5%/月に設定する。現在のベンチプレスのMaxは100kgである。目標達成のためのトレーニング方法(頻度、負荷など)を考えよ」
これは多分答えられる問題。

②「ベンチプレス100kg上げられない者に対しての山内さんからの評価を想像せよ(10点満点)、また、これが達成できた後に掛けられる言葉を想像せよ(こちらは加点とする)」
まあこれもできないことはない。

③「基礎運動はレベルを上げるほどツラい、僕にとってはかなりの負荷で、フルでやると汗だくになる。この時隣で練習している別団体の部員の、実家の親御さんたちが我が子に思うところを述べよ」
これはひどい問題、つーか知るかそんなもん。

④「問題考えるの疲れた、自問自答して勝手に色々覚えてってくれ、特段の妨害も手伝いもしない」
問題ですらねえ。

現在の北大全体のレベルは③か④が近い。
①と②は、答えを明確に設定するかどうかの問題で、初心者には①に近いものを、熟練者には②で解き手の工夫を培わせるのが良いと思う。

そういうことで、2つ前の記事では取りのコツを挙げてみたのだけど、今回は受け手側のコツを列挙してみたい。
尚、取りはそれらの技の熟練者ではない、という設定のもと。


腕緘2番。
正対上で、近~中距離。
下からの引き付けを嫌って、剥がしたその瞬間くらいのイメージ。
つまり後ろ重心になっており、相手とは密着しておらず、掛けられる側の脇は開いており、肘は鈍角に開いているような状態。
取りが技を掛けた際には、腕~肩のロック、膝による胴体正中線のせき止め、そこからの返し、最後の極めをチェックする。
初心者ほど、「あーでもないこーでもない」と最後の極めだけに固執がちなので注意する。
重要なのは、返す手前までの動き方と制し方。

横巴。
括りは立技なので、打込みと同様、崩しの方向を理解してちゃんと崩されてあげること。
背負いや払い腰、内股使いだと、そもそも崩し方を間違えるパターンが多い。
引手の手首は返さないし、釣り手の脇は開かない。
足さばきも同様、崩された際に、自分(受け)に対して取りが半身になっているように注意。
掛けられる際は、相手の頭が自分の足元(本当に足元、超近い)に来ているかどうかを気にする。
取りは尻や背中から転がると失敗の素、半身で落ちるのが正解。
投げられるときには取りが引手をコントロールしているかを確認。

浅野2番。
まずかみつく。
取りが即座にかみついていない側の袖口を取れれば良し。
その後、取りの支点となる腕が自分の重心に来ていればオーケー。
前への圧力はかけずにその場で留まる。
返される際は若干耐える(動きに対応するのではなく、その場で留まる)、取りが重心を捉え続けられないと返されにくくなるので分かる。

金次郎。
亀。
腹を包みに来るときに隙だらけな場合は、巻き込んで後ろ袈裟に固めてあげる。
返される前に首と肩が固定されて、かなり力を入れないと戻せなかったり、或いは潰れてしまったりするくらいなのをチェック。
返される途中、大体半身になった際に取りとの間が空きすぎていれば返される方向に回転して逃げてあげる。
抑えられてからすぐ1~2秒くらい逃げてみる、これは自分自身の癖付けにもなって、抑えられたその瞬間(つまりは極まりきっていない状態)に動く練習。

正対十字。
正対上で、両膝をついた状態。
取られる方の腕を鳩尾あたりに置いてあげてもいい。
この時、受けは自分が本来やってはいけないこと=「何の準備も梨に腕を帯より前に出すこと」をしている自覚は持っておくべき。
前準備としての相手の膝が肩に当てられてているか、つまりは腕を引き抜くのに1~2秒以上かかりそうか。
掛けた時に相手と自分の位置関係は直角に近い状態か。
肩を押さえていた方の脚で頭を刈り取られるかどうか、その際もう一方の脚がメインになってはいないか。
この辺りをチェックする。


そう言えば久々に津田がいた、乱取終わってから来たので、技研の受けをひたすらやってもらった。
津田なんかは、理論をすっ飛ばして感覚だけで柔道するタイプ。
それで8割方正解選べるんだから、これはセンスとしか言えない。
それを埋めるために我々は理論立てたり、練習で身体に染み込ませてるのは、皆様ご承知の通り。
練習量が全てを決定する、そんなところを目指したい、ということ。


おわり。

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