2018年6月22日金曜日

練習参加 20180621

今週初練習。
また少し、雰囲気が張ってきた気もする。
気持ちのつくり方、維持できる限度は個人差が大きいところかとは思うけど、本番にピークをもっていけるようにしていただきたい。


「後悔無き航海を」と僕の高3、つまりは大学受験時の学年主任が言っていたのを思い出した。
なんだ駄洒落かよ、と当時は思っていたのだけれど、やはり繰り返し語られる言葉には、一定の含蓄はあって然るべきものらしい。
今はこの言葉も割とすんなり入ってくるし、咀嚼して自分なりの解釈もできるようになった。

僕がこの言葉に思うことは大きく2つある。
1.何をどうしても後悔は避けられないこと。
のっけから台無しだよ、と言われるかもしれないが、この場合後悔の対象は、行動した結果のことを指す。
僕の代では、というか入学以来ずっと優勝した経験はないから、勿論悔しさしかない。
でも、優勝した代の人に話を聞くと、「いや、理想には程遠かった」とか「自分が下級生の代でも、先輩たちを勝たせてやりたかった」とか「直接関わった後輩達が勝ってこそ」とか。
なるほどこうやって僕らは業を積み重ねていんだなあ、なんて思った。
そういうわけで、目標達成の如何に関わらず、後悔は避けられない。
だからこそ、その過程を振り返ったときに、「あの時の自分はこう選んだはずだ、選ばざるを得なかったはずだ」って思える選択をしていくことが重要なんだと思う。
2.航海は独りではできないこと。
実際に航海したことも無くて、完全にイメージなのだけれど。
単純に考えても、それぞれの役割分担、ってのが手っ取り早いイメージ。
あと、気持ちの上下をコントロールするってのも多分重要。
やる気を高く維持し続けられる人はいないから、その時々で前に出ていく人、引っ張る人、支える人は違ってもいいと思う。
募金やボランティアと一緒で、多少考えればやるべきもやらざるべきも、理由はいくらでも創ることができる。
だから、気が乗ったときに手助けをするのが、おそらくきっとちょうど良い。
そのためには、それなりの人数がいたほうが良いのは自明で、あとは全体の雰囲気をどうつくって維持するか、多分それだけ。

「だけど、、、」って意見も当然出てくるだろうけど、かなり無謀だと思う。
まあ、そんな阿呆どもが好きなのも、事実といえばそう。
まあそんなことも今だから思えるって訳で、現役の時は十中八九追い込んで追い込ませて、ということしか考えられなかった。

今届けたいと思って提示したものが、いつ誰に響くのか分からない、誰にも理解してもらえないかもしれない。
人間を巡り巡って、よく判らんところで誰かの腑に落ちるのかもしれない。
人生とか、社会って枠組みで考えるのであれば、まあそれでいいと思う。
だけど僕個人としては、北大柔道部が優勝するシーンを見たいから、やっぱり現役やOBOG、関係者の皆様に響いたら嬉しい。
そうなったら、僕がこんな自慰的な文章を綴っているのにも、それなりの価値があった、なんて錯覚できるかもしれないでしょう。


おわり。

0 件のコメント:

コメントを投稿