2018年4月8日日曜日

練習参加 20180407

進めるのなら、半歩でも0.1歩でも良い、けれど、大いなる1歩は探し続けないといけない。
というのが、今回僕が学んだこと、というか、気付いたこと。


前回の記事にも書いたが、僕は引退してからいろんなズルを覚えた。
それらはきっと、現役から見たら、もしかしたら光栄にも1つの技術として捉えられたり、でもたぶん単なるゴリ押しだたり、何だかよく解らないものだったりするのかもしれない。
そんなもの達を総動員して、今僕はやっと、1歩を刻んでいけるようになった気がする。
何を誇れることでもない。
年下の、七帝柔道のキャリアが僕の半分以下の相手に対して、ということであれば、そんなに不思議なことでもないと思う。


何で練習の報告でなくてこんなことをのたまいだしたのかと言うと、技術論が大事なテーマだからだ。
でも今回の話としては、技術ではなくて、それを論じる者の態度の話。

戦士か、求道者か。
もっと具体的に言えば、目的があっての技術なのか、技術そのものが目的か、ということ。

今の現役学生の思考系統としては、「完璧な技術」が存在すると思っているように見える。
力の大小、身体能力の優劣、、経験値の有無、そんなものを吹っ飛ばしてくれる、魔法のようなものがきっと何処かにあって然るべきだ、と。

思考の1つとしては素晴らしく、尊いものだと思う。
仙人、佐々木コーチの考え方に通ずるところもあるのではなかろうか。

だから僕にとって、彼らの姿は眩く映る。
僕なんかの、技術の泥沼とは全く違って、彼らの技術は澄んだ幅広の泉のよう。
けれど、だからこそ、底まで見えてしまう。

うん、これ以上書くと説教の類になってしまう。止めとこう。


僕は長らく留まる者の1人として、基本的には現役以上の何かしらを持っている。
それらをきちんと伝えたいけれど、断定はしたくない。
いつだって、決めるのも、動くのも、闘うのも、主役は現役学生で。
そんなんだから、「これは自分独自のもので万人に通じるものではないけれど」って前置き(もしくは追伸)が割と好き。
その逆が嫌い、と言うことでもないけれど。
たまにはそこまで言えるような力強さも欲しくなる。

僕はそうやって右往左往して、どこに向かっているのかも知らないけれど、とりあえずは歩いている。


おわり。

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