2019年2月16日土曜日

柔道における力と人生における金はほぼ同義 20190215

追いコン前日、いつも通り定時退社できた喜びを噛み締めて道場へ。
こんなにブログでホワイトぶりを晒していていいのだろうか、もしかするとこのせいでウチの会社への就職希望者が増えて、結果有能な人材が集まり、僕なんかは閑職に追いやられるのではないかと危惧するくらいである。
僕が職場で貢献できることと言えば、先輩が食べきれなかった分の弁当を代わりに食べることや、飲み会の席でやや多めに飲めること、あとはたまに渋い声を作って出すことくらいだ。
僕はこれらを「北大に行くことで得た力です」と説明しているのだが、我ながら全くもってとんでもない。
北大生の中には僕よりも優秀な人はごまんといて、満腹中枢を我がモノとしひたすらに食べ続け肥え太れる者や、どれだけ飲んでもトイレから不死鳥の如く舞い戻ってくる者、声だけでなく学業成績も渋い者等がごろごろしている。
自然環境過酷な、あまり余裕のない北の地でもこれだけの人材がいるのだから、人の暮らしやすい南の方は況や、人と人が川底の砂利の如く磨かれあう中央都市部なんかはもう魔界と言っても過言ではないのかもしれない。



兎も角、昨日は練習に参加することが出来た。
浜田先輩と安彦先輩がいらしていて、打込みの指導中であった。
浜田先輩と言えば、僕の中では「剛の者」というイメージで、それは1年目の当時、東京ミニ合宿に参加した際に確立されたものである。
力が半端ではなく、わんりょく、ではなくかいなぢから、と表現するのが相応しい人は、とんでんの山内さんと浜田先輩だけ。
力だけで満足していても良いところを、この手の方々は、その力を十分に伝えて「目的を果たす」ことにも余念がないので、かなりの理論派でもある場合が多い。
みんなそれぞれ、旨いところをモノにしてくれたらいいなあ、と思って見ていた。


練習後は先輩方と現役何人か食事へ、というところに僕も急遽お呼ばれされ、有り難く同行させていただいた。
すすきのの方の、羊々亭でラムしゃぶ食べ飲み放題。
ジンギスカンと比べると、焼かずに茹でる分サッパリしているためか随分長く食べ続けられる。

現場には仕事終わりの小形もいた。
彼は仕事が僕ほどホワイトではないらしく、見た目年齢が以前よりプラス3歳ほどになっていた。
職場では「僕って何歳に見えます?」と聞くと「35歳」と言われるらしい。
僕は職場では「お前は30よりは上だろう」と言われているので、つまり小形よりはだいぶ見た目が若いということである。
こんなに努力して若さを保っているというのだから、そうでない小形はもっと僕を敬ってもいいはずなのだけど、彼にそれを伝えると「いや~こんなに尊敬してるじゃないですか~」とのたまう始末。
パターンにもよるが北大柔道部における「尊敬してます~」は大抵畏敬の念を表してはおらず、練習や飲酒の量の緩和、ごっつぁんの質と量の向上を目的として発せられる。
この点、北大に入学する未来の後輩たちには特に注意してもらいたい、その場では上手いこと目的を果たせても、後々ツケが回ってくるまでが基本的な流れになるので。

さて話を戻そう。
席においては、柔道の話、仕事の話、同期関係の話、色々とあったが個々の詳細は割愛させていただく。
その中で、本記事のタイトルにあるような言をいただいたときには内心感動した。
歴代の部誌の中で、「人生において金が万能であるように、柔道において力は万能である」という文章(もしかすると順序が逆だったり内容が違ったりするかもしれないが)を読んで以来、是非とも生でご本人から聞いてみたいと思っていた。
今回それが叶ったので、僕としては非常に満足感を得られて、良かった良かった。


そんなこんなで今日は追いコン、引退した4年目を送る会である。
柔道部生活で世間様とはまた違った垢に塗れた彼らが社会生活に復帰できるかどうか、というのも今後の見どころではあるがそれはまたこれからのお話。
まずはひとつ区切りを。
儀式はそういうものであり、この時ばかりは形式や建前なんてものが重要になってくる。
それらを正しく扱えるのが、オトナというやつなんだろうと最近は思う。


おわり。

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