2019年3月24日日曜日

北大柔道部をお勧めしない理由 その2 大体の人が柔道のこと嫌いになる

シリーズその2。


僕は、「柔道好きです!」って言って入部する人は、他よりもちょっと注意して観るようにしている。
理由は簡単。
「柔道が好き」で入部する人は、「柔道が好きじゃなくなった」で部を離れていくから。
「好きじゃない」どころか、「嫌い」になり得る理由を、北大柔道部は提供しがちであるから。

そして「柔道が好き」な人にいがちなのが、以下のような人である。
・強い人
・切磋琢磨の勝負を求める≒『自分が』強くなりたい人
・『楽しい柔道生活』を送ってきた人
こういう方々は、
・分けや取りの『結果』を求められる
・『自分以外も』強くならないといけない
・第一目標が『七帝優勝』である
柔道部の生活に曝されると、そのままだと人間性が摩耗してしまう。
そのうち「柔道が好き」でなくなれば、もう、部に残る必要も無くなる。

「好き」という感情は万能で、いろんな不都合を隠してしまうから、気を付けたほうが良い。
思春期真っ盛りの女子中学生が、「ウアーーッ、○○(アイドルとか)クンカミッ!!マジカミハンパネェーッショモウマジナニシテテモカッコヨスギィィィッ!!!」とか騒いでるようなものである。
ちと偏見が過ぎたかもしれない、若しくは時代か?

「例え苦しい道のりでも許せる」ってのは幻想で、単に今までの幸せな状況下における結果論ってだけだと思う。
「例え苦しい道のりでも許す・耐える」って自分で決めないと、結局低きに流れて気持ちの淵に沈むのが、よくあるオチだ。
大学生活、隣の青春はより青く見えるだろう。


思うに、「自分は何を以て『好き』を決める人間なのか」は考えてみたほうが良い。
好きなのは柔道でなくても、何でもいいし、いつ考えても良い。
生き馬の目を抜くような時代だし、行動してから考えても良い、具体的には北大柔道部に入部してからでも遅くはない。
ただ、大学生くらいの年代のうちにちゃんと考えないと、柔道部生活どころか、世の中のいろんな物事に耐えられなくなる気がする。
勿論そうなっても生きては行けるけど、生かされるのと生きるのでは、僕は後者でありたい。

僕はそうでもないけど、「好きなことだけやって生きていくべき」って人もいるかもしれない。
そんな人が、北大柔道部に入部して、でもよくよく考えたら北大柔道部のこと好きじゃないとしたらどうしたらいいのだろうか。
うーん、例えば好きでない北大柔道部を、好きな北大柔道部に変えるのも一興かも。
僕みたいな保守派の人間が邪魔かもしれないが、それを制してことを為したのなら、これはこれで讃えられるべきことだろう。
挑戦に値すると思う。


まとめると、「思考停止気味に『柔道(に限らなくてもいいけど)が好き』ってだけだと、底の浅さが露呈してすぐにツラくなるよ、注意してね」ってことで、どうだろうか。


おわり。


次回、「一般的に、学生の本分は(主に机上の)勉強、らしい」。


つづく。

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