2019年6月26日水曜日

ストレス過多 20190625

取れそうで、でも結局取れなさそうな人に絞って指導してみた。
技を受けていて思うのは、圧が抜けてしまうということ。
つまりはムラッ気があるということ。

七帝本番を想定、状況はこちらのチャンス場面。
「うぉぉぉぉー、返すぞぉぉ」で力の入れ具合100%。
「ァァッアーぁぁぁあぁあぁ」で返せなくてもう0%。
暫く息を落ち着かせて再度「うぉぉー」で100%、と意気込むも実際は90%。
以下繰り返しで力はどんどん落ちていく。
失敗続きで精神も削られる。

一方分け役の方は、体力は削られるも、成功体験の積み重ねで精神は逆に研がれていく。
相手チームも、小さな山場を繰り返してどんどん盛り上がっていく。
そのまま「それまで」で雰囲気は完全に相手に。

抜き役が抜けない、ってのはそういうこと、だから抜き役の1人目分け=チームの1失点になる。
雰囲気分を加算すれば1.5失点以上だろうか。


分け役を一安心させてはいけない。
常に怯えさせる。
「今回は凌げた、でも次はどうか、その次は残り時間で後何回あるのか」って。
或いは「状況を打開できない、耐えるしかないが、このペースで進行されても保つのか」とか。
常に怯えさせる=100%の力を入れ続ける、ではない。
そもそも「自分が力を入れる」、という発想が間違い。
「相手に力がかかっている」のが条件。
自分が力を入れて、相手に力がかかっているのは及第点。
自分は力を抜いて、相手には力がかかっているのが最上。
落第点は勿論、自分が力を入れて、相手には力がかかっていない。
相手の動きやらなんやらで、自分の力が反らされたときに、如何に相手に力を伝えたままにするか、または減衰率を低く抑えるか、が重要。


生身の人間は、ゲームのキャラクターとは違う。
瀕死状態ではまともな思考も動きもできない。
「もう指一本動かせない」の100歩手前ですら、動く気力を無くすのが僕らだ。
だからこそ、練習は本番以上の量をこなさねばならない。
質においても本番以上であったなら、もう何も言うことは無い。
まあ質については、自他で低い方に合されるんだけど。
相手がいないと成り立たない競技である以上、仕方がない。
指導者の本当の仕事はそんな、全体の質の底上げなのだろうけど、果たしてそれがどれくらいできたか。

振り返らずとも近いうちに結果は出るのだが、果たしてそれは幸か不幸か。


おわり。

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